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第一章
経済学を語るには、私はまず最初にマルクス主義についてご説明したい。
抑々政治学・経済学に於ける「搾取」は上記の第二義に近い意味で用いられる言葉であり、他人の労働の成果を無償で取得することを指す術語となっている。
私はあまり馴染みのないこのマルクス主義に於けるその用法について、ご説明したい。
マルクス経済学では、生産手段をもたない生産階級(労働者など)が生産する労働生産物(商品やサービスなど)のうち、その生産者が社会的に生存していくのに必要な労働生産物以上の生産物(剰余生産物やサービスの一部)を、生産手段を所有する非生産階級(資本家など)が無償で収奪することを指して搾取と呼ぶものである。
資本制以前の搾取について、語るならマルクス経済学に於いては原始共産制についてである。
この原始共産制は生産力が低く、搾取は存在しないとされ、奴隷制に於ける奴隷主階級が奴隷階級を初めて搾取するとされる。
封建制では領主階級が農奴階級を搾取するとされる。この形態はイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなど領主と言われる存在が王侯貴族階級を作り国という形にしたものである。
原始共産制では、生産力が低く、搾取は存在しないということになっているが、搾取とはひとつの観念であり、人が人の労働の一部を私有するという観念の発生が持続したことによって人間を牛馬と同等もしくはその下と見た考え方が奴隷制である。つまり家畜理論である。
そこには他者の労働の一部を私有化するという行為がその根底にある。その観念がどのように発生してきたのかということを考えれば、マルクスが言うところの原始共産制社会の中で、その萌芽が現れていたという見方を現在の考古学上から窺い知れる範囲ではとることが出来るのである。
マルクスが言うところの原始共産制社会とは、考古学上では中石器時代後半の社会に該当するものである。
現在の考古学では狩猟採集社会であるその時代を、生産力が低いとは決して見ていない。
社会は家族関係の延長線上にある親族社会であり、その関係の観念が親族を他者とは考えないものとなっていることによって、この社会では搾取は行われない。
つまり、現代社会でいえば、家族の中で搾取が行われないことと同じなのである。
搾取が発生し始めた社会、人間が栽培植物を発見し、本格的な植物栽培に乗り出したとき、つまり農耕の発生が始まった社会であり、そこから多くの余剰生産物が発生し、本来共同体全体の労働による余剰生産物であるにもかかわらず、一部の者がそれを私有として消費した時点が、他者の労働の一部を私有化したということになる。そのことが搾取の始まりと言える。これは至言である。
そうして時間の経過と共に余剰生産物を利用した特別な階層が固定化されてくることになる。
そこでは他者の労働の私有化(搾取という観念)が発生して来て共同体の中で固定化されてくることになるのである。
その当時土地はいくらでもあった。
そこに人間の労働力を投下すればいくらでも農耕によって生産力を上げることが出来たのである。
そこから他の部族の土地が狙われ、強い部族がその土地を侵略したのである。民族間の争いである。
また、それと同時に捕虜とした他部族民を奴隷としたということである。
抑々この搾取とは、他者の労働の私有化そのものであると言えるものだ。
現在の社会までその観念が発生時点から継続してきたことにより、現代社会でも人間による人間の搾取は行われているのである。
資本制下に於ける搾取の意義について、考えて見たい。
資本制下では、労働者階級は「労働の対価」としての「労賃」を等価交換で受け取っているという形態をとるので、一見、搾取は存在しないように見える。
しかし、マルクス経済学では、古典派経済学は、労賃を「労働の対価」と見た為に、搾取の存在と利潤(剰余価値)がどこから発生するかを見抜けずに、理論的破滅に陥ったとされているのである。
何故なら原材料や機械の費用に当たる費用部分も等価交換し、「労働」に当たる費用部分(所謂る「労賃」部分)も等価交換するのでは、どこからも利潤が生まれないからである。
カール・マルクスによる資本制下での搾取の暴露は、以下のようなものであった。
労働者は労働を販売するのではなく、一日(一定期間)の労働力を販売する。
労働力は一日(一定期間)で消尽される。
資本家は労働力を買ったときに、一日の使用権を得る。
他の商品と同じように、労働力という商品を、どんなふうにどれだけ使うかは買い手の自由である。
そして、労働力商品は、他の商品と唯一違った点を持つ特異な商品で、富(資本制下に於ける価値)を生み出す特別な商品と言える。
資本制下では価値の量は投下した労働量即ち労働時間によって測られるものである。
故に資本家は、まず、労働者を、労働者が社会的に生きていくのに必要な分だけ働かせる(必要労働)。
これが労働力を再生産するのに必要な富の量、即ち労働力商品の対価であり、「労賃」として現象する。
続き資本家は労働力商品の購入者としての権利を行使し、その必要労働分を超えて働かせる。
この必要労働を超えて働かせた分が剰余労働であり、ここで生み出される価値を剰余価値というのである。
資本制下に於ける搾取は、この剰余価値の資本家階級による取得をさすものであると、皆さん方に理解して欲しい。
剰余価値は利潤の源泉である。
この理論モデルによって、古典派の混迷の原因となった、商品経済の原則である等価交換原則を侵犯することなく、搾取を解明することが可能になったと言えるのである。
そして、また、生産者が土地や機械などの生産手段から「解放」され、同時に封建的な身分拘束、土地への緊縛から「解放」されるという、二重の意味で「自由」な労働者が出現し、労働者が労働力を販売せざるをえないという歴史的段階になって初めて、資本主義的生産と搾取は可能になるのである。これが現代社会に於ける資本主義という自由経済主義を形作ったのである。
マルクスの盟友エンゲルスは、剰余価値の発見を、史的唯物論の解明と並ぶ「二大発見」であると賞賛した。
マルクスは『共産党宣言』『賃労働と資本』などのころには搾取概念には到達しておらず、『資本論』1巻に於いて初めてその解明に達したと言えるのである。
『賃金・価格・利潤』にはその反映があるのだ。
さて、マルクスの基本定理について、語るのであれば、私は次のように語るであろう。
カール•マルクス以前にも、リカードは、価格が投下労働価値に比例する前提のもとでは、正の利潤の源泉が労働の搾取にあることを示していた。
カール•マルクスはリカードの付与した条件を広げ、価格が投下労働価値ではなく、均等利潤率が成り立つ「生産価格」になったとしても、利潤の源泉が搾取された労働だと言えることを証明出来たとした。これが所謂「転化問題」に於ける「総計一致二命題の両立」である。
非マルクス派の経済学者は、ベームバベルク以来、この「転化問題」についてのマルクスの解決には欠陥があり、マルクスの主張は成り立たないことを再三にわたって主張、論証して来たのである。
マルクス経済学側の反論は、マルクスが『資本論』で語っているのは、転化問題の最初のステップであり、これだけは「総計一致二命題」が成り立つには確かに不十分であるが、マルクスがやろうとした計算を繰り返していけば、総生産価格と総価値は一致する筈であると、反論したのである。
しかし後年、転化問題を実際に最後まで解いてみると、「総計一致二命題」は両立しないことが明らかになったのである。
現実の価格が投下労働価値に比例するのはごく限られた場合であるから、これによって、以降、利潤の源泉が労働の搾取だと言うマルクスの主張は理論的に正当化出来ず、客観的に立証不可能な信念の表明にすぎないことになってしまったのである。
処が1954年、置塩信雄が証明した「マルクスの基本定理」(この呼び名は英語で『マルクスの経済学』を著した森嶋通夫が命名したもの。
証明者に因んで、「置塩•シートン•森嶋の定理」と呼ばれることもある)は、兎も角正の利潤を発生させるような価格ならどんな価格であったとしても(つまり投下労働価値に比例した価格であろうとなかろうとも、また均等利潤率をもたらす生産価格であろうとなかろうとも)、そのもとで労働が搾取されていることを数学的定理として示したのである。
このことは、マルクス主義の立場に立つ或いは立たないを問わず、厳密な客観命題として、この定理の示す結論を(非マルクス派の経済学者にも)承認することを迫るものである、と言える。
また、この定理は、森嶋の著作等を通じて広まり、マルクス・ルネサンスと呼ばれる新しいマルクス経済学研究のマイル・ストーンともなったのである。
1980年代に入ると、一般的商品搾取定理が証明されるようになった。
これは「マルクスの基本定理」を拡張し、労働搾取の存在と任意の商品の搾取の存在の同値性を示したものである。
この定理により、「マルクスの基本定理」が示したとされる、労働の搾取が正の利潤の唯一の源泉である主張は根拠を失う(労働搾取は、労働商品でない任意の商品の「搾取」と取り替え可能となるから)、とされる。
しかし,これについては,労働以外の財の投下価値規定は、労働価値説の立場からは意味がない旨の批判や、置塩と森嶋とは別の定式化をすることで「総計一致2命題」とマルクスの基本定理が成立し、一般的商品搾取定理が成立しないNew Interpretation学派の定理が最も妥当だとする意見もあり、やはり決着はついていないのである。
マルクス主義の搾取理論については、アルフレッド・マーシャル、オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク、ヨーゼフ・シュンペーター、ジョン・メイナード・ケインズ、フリードリヒ・ハイエク、ジョーン・ロビンソン、マレー・ロスバード、ジョン・ケネス・ガルブレイス、宇沢弘文、根岸隆らの批判的評価がある。もし更に詳しく知りたい方はは彼らの本を読んで欲しい。
さて、この経済学と経営学の違いについて、余り関心がない方が多いと思うので、簡単にご説明しよう。
経済学は社会全体で「お金やモノがどう動くか」を理論的に考える学問である。
一方経営学は企業や組織が「どうすればうまく運営され、儲かるか」を考える学問である。
つまり経済学は理論であり、経営学は実務であると、明確に区分出来るのである。
ここで経営学について、もう少し詳しくご説明したい。
企業やNPOなどの組織が、限られた人・モノ・カネ・情報をどのように配分・活用して目標を達成するかを体系的に研究する実践的な社会科学であると考えて欲しい。
会社の組織構造や戦略、マーケティング、人材マネジメント、会計・財務などを横断的に扱い、現実のビジネス課題の解決に役立つ理論と方法を提供する学問である。
更に企業などの組織の「経営現象」を対象とする学問であり、組織が効率的かつ持続的に成果を上げるための原理や仕組みを探る学問である。
経済学よりも、現場のビジネスに近い実務的・応用的な性格が強いと言える。
◉経営学で扱う主な分野について簡単に纏めてみた。
①経営戦略:競争戦略、成長戦略、グローバル戦略など
②経営組織・マネジメント:組織構造、リーダーシップ、人材管理
③マーケティング:顧客ニーズ把握、ブランド、価格戦略
④会計・財務:財務諸表、資金調達、投資判断
⑤経営情報・分析メソッド:データ分析、情報システム、統計手法
私も現役時代そうであったが自己啓発として経営学について、勉強したものだ。
起業や新規事業の立ち上げに必要な思考法とスキルが身につく。
組織に於けるマネジメント力やリーダーシップを体系的に鍛えることが出来る。
更に企業のビジネスモデルや戦略を理解し、就職・転職時の企業分析にも役立つ。
ただし、皆さんに知って貰いたいことがある。
それは経営学と関連分野との違いについてである。
経済学は社会全体の経済メカニズムを扱う「マクロな地図」であると考える。
経営学はその地図上で、特定組織が目的達成するための具体的ルートを考える。
商学は企業間取引や流通制度など「取引の仕組み」により焦点化する。
さて、長々と経済学と経営学について、概略述べて来た。
そこで肝心なことがある。
それは企業経営に於ける神の経綸ということである。
企業に於いて人材こそが、企業を生産活動や企業活動により事業を継続し発展して行くものだ。
これを企業に於ける「ゴーイングコンサーン」というものだ。
もう少し詳しく述べると次の様に纏めることが出来る。
ゴーイングコンサーンとは企業が将来も倒産せず事業を継続できるという前提(継続企業の前提)を指し、財務諸表や監査ではこの前提が妥当かどうかが重要な評価対象となる概念。
このゴーイングコンサーンの基本的な意味であるが、日本語では「継続企業の前提」と訳される
会計・監査で前提とされる企業観と言える。
例えば近い将来に清算・倒産しないことを前提に財務諸表を作成する考え方と捉える。
財務諸表は原則として継続企業を前提に作成するものである。
しかしその前提が崩れると、資産評価や負債計上の方法が大きく変わることになる。
その為継続可能性に重大な疑義がある場合は注記が必要となる。
監査に於けるゴーイングコンサーンについて、解説すると、
監査人は、決算日から少なくとも1年間の継続可能性を検討する義務がある。
資金繰り悪化などで重大な疑義がある場合、監査報告書に「ゴーイングコンサーン注記」などを付すことになる。
こうした情報開示は監査リスクや監査人交代にも影響することになる。
重大な疑義が生じる典型的な要因について、簡潔に述べる。
❶大幅な債務超過や継続的な営業損失
❷資金繰りの逼迫、借入金の返済不能リスク
❸主要取引先の喪失や訴訟による多額損失の可能性
❹経営再建計画の実現可能性が低い場合など。
投資家・利害関係者にとっての意義。
ゴーイングコンサーン注記は倒産リスクの重要なシグナルとなる。
投資家や金融機関や取引先等の投資判断、融資判断、取引継続判断に直結するものだ。
一方で、疑義があっても再建計画が合理的なら継続可能と判断される場合もある。
上記の様に企業の社会的責任は経済は勿論、金融、国民の消費経済にも深く関わっている。
そこに神の経綸に背く不正があってはならないのである。
経営者はこの事をよく理解し、正々堂々と経営の舵取りをして貰いたいものだ。
その為には今なお、私が執筆中の日月神示を読み、その意味を理解し神の経綸を知り、「人間として正しく生きて行くことの必要性」を少しでも学んで欲しいものである。
蔵屋日唱
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令和八年五月九日
蔵屋日唱
【最新版】 日月神示
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私は思想と言論の自由のもと、此処に岡本天明氏が最高級神霊の神憑りにあい神の意志により自動書記さされた日月神示の内容を編集し今回『【最新版】日月神示』として小説を執筆致しました。
この日月神示は第二次世界大戦中に自動書記されたものであるにも関らず今尚斬新なものであり、その多くは現代社会の通説、また、価値観と著しく異なるものだからです。
この日月神示を読み解いていきますと
次のようなことがわかったのです。
即ち『悪は滅び善は必ず栄えるのだ』と。
そして既に始まっている三千世界の大洗濯によりこの世の最後の審判でこの世の偽悪醜に満ちた世界を綺麗にする浄化作用により罪深き者は滅びる一方でひたすら善一筋で質素に生きた人は幸せな人生を歩んでいる、ということも分かったのです。
さて、最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。
何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」
「今に生きよ!」
「善一筋で生きよ!」
「身魂磨きをせよ!」
「人間の正しい生き方」
「人間の正しい食生活」
「人間の正しい夫婦のあり方」
「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」
たったのこれだけを守れば良いということだ。
根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。
日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。
これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」
という言葉に注目して欲しい。
今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。
どうか、最後までお読み下さい。
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2026年4月14日
蔵屋日唱
健康レシピ 賢く生きる 健康の秘訣
蔵屋
エッセイ・ノンフィクション
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蔵屋日唱