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第三巻
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武田信玄は世界史的規模からみても傑出した軍事的天才であったといえる。
今なおこの山梨県人達が時代小説の寵児になっているのは、信玄が自分の士を愛したというよさがあったからであろたう。
信玄は妙に医療的関心のつよい男であったようだ。傷病兵の為に温泉を指定し、国立の湯治場をつくったりしたのだ。いまでも山梨県の至るところにある信玄の湯などは、その名残りであると言えるだろう。信玄がもしも今生きていれば、山梨県の医師会長にでもなっていただろう。そして悪辣無惨な販売戦略で同業の利益だけは守り抜いたに違いないと、私は思っている。
その信玄の物主に米倉丹後という男がいた。丹後のせがれが彦十郎である。この彦十郎がある合戦で腹に鉄砲玉を受けた。現代医学では急性腹膜炎になった訳である。
さて、彦十郎は危篤に陥った。
この彦十郎の直属の上官は、武田家の武将の中でも剛強で知られていた甘利左衛門だった。甘利はさすがに信玄子飼いの武将だけに医療に関心が深く、直ぐにこう言ったという。
「芦鹿毛の馬の糞を拾ってこい」と家来に命じたのだ。
家来は大急ぎで味方の陣地を駆け巡ってみたが、「芦鹿毛の馬がいなかった。
いてもあいにく用便していなかったのである。家来は遂に窮したあまり、敵陣まで忍び込んで、やっと竹の皮に一包みほどの糞を持ち帰ったのだ。
「敵の馬の糞でもよろしうございますか。」
「ばかもん」と甘利は家来を叱りつけたのだ。
「糞に敵も味方もあるものか。」
早速、大椀に糞をいれ、水で捏ねて瀕死の彦十郎に、「妙薬じゃ。飲め。」
と与えた。甘利は大真面目な男である。
死にかけの男に糞汁を飲ませて喜ぶような大ユーモリストではない。武田家の軍陣医学に「腹痛に芦鹿毛の糞汁良し」という処方が実際にあったのである。
が、彦十郎は閉口したままだ。
「私はこれでも侍です。畜生の糞を飲んでもし助かればよい。しかし助からねば、それほどまでして、命が惜しかったか、と言われるのが無念です。」
甘利は彦十郎を叱りつけた。
「このアホウめが!」
「薬が少々臭いゆえにそのように言うのであろう。おれがまず飲んでやるから、お前も飲むのじゃ。」
彦十郎はこの糞汁を飲み、快癒したのである。
信玄はこの話しを甘利から聞き「喜ぶことおびただしく」と古書にある。
「甘利、よくぞ致した。あの時もし彦十郎が侍ゆえに糞汁を忌み嫌って飲まずに死んだとすれば、今後それにならう者が出て、あたら妙薬も、無駄になったことであろう。」
このように信玄という武将はそこまで、部下の体のことを気遣っていた人物であったということである。
「妙薬は口に苦し。また、腹痛には糞汁を飲むべし。」
今なおこの山梨県人達が時代小説の寵児になっているのは、信玄が自分の士を愛したというよさがあったからであろたう。
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