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第十一巻 真田昌幸と徳川家康
ー(真田昌幸が徳川家康と対立)ー
天正11年(1583年)、昌幸は上杉氏に対する千曲川領域を抑える城が必要になり、徳川家康の命で川の北岸、沼、崖などの自然を要害とする地に松尾城(後の上田城)と、その周囲に当時流行の城下町も築いた、また、同時期には北条氏と通じていた一族である根津昌綱を懐柔、近隣の屋代秀正、室賀満俊らを調略し、丸子氏を滅ぼしている。これら一連の活動は徳川家の家臣として行なっているが、昌幸は家康との和睦条件の齟齬から独立を策していたとされている。
天正12年(1584年)3月に小牧・長久手の戦いが起こり、家康は主力の指揮を執り尾張国に向かい、昌幸は越後の上杉景勝を牽制するために信濃に残留した。昌幸は家康の注意がそれたのを見て、吾妻衆に上野白井城を計略を以て攻めさせ、沼田城周辺で北条氏と小競り合いを繰り返している間に、知行宛行状を濫発して沼田・吾妻の所領を改めて確保し、さらに室賀正武を殺害し、徳川を刺激しないため正武の妻子の命は助けて、上杉に引渡した。この事件は真田による謀殺ではなく、昌幸を暗殺しようとした室賀を返討ちにした事件として噂が広められた。
こうして沼田・吾妻・小県を完全に真田領として掌握した。当時佐竹義重、宇都宮国綱の連合軍と沼尻の合戦を展開していた氏政、氏直父子は、昌幸の動きを警戒しており、主要街道の確保に躍起になっていたのである。
家康は12月に羽柴秀吉と和議を結んで尾張から撤兵する。そして北条氏直から和議の条件の履行を迫られた為、天正13年(1585年)4月、甲府に軍を進めて昌幸に対し沼田領を北条氏に引き渡すように求めた。しかし沼田領の替地として伊那郡中を替地として与えるという家康の案を、昌幸は拒否したのである。
家康は浜松城に引き返した。
昌幸は家康との手切れを決断し、徳川軍の侵攻に備えて7月15日に次男の信繁を人質にして上杉景勝に従属する。閏8月、真田領の制圧を狙った徳川家康と北条氏直は、鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら約7,000の兵力を昌幸の居城・上田城に、藤田氏邦を沼田城に侵攻させたのである。
昌幸はわずか2,000の兵力で徳川軍に1,300人もの死傷者を出させるという大勝利をおさめている。世に言う第一次上田合戦である。
結城晴朝のもとに上田の連戦戦勝の知らせが届いた時にはその数字は2千人に膨れ上がり、晴朝は「誠に心地好き次第」として喜んだという。この上田合戦を契機に真田昌幸は武田の旧臣から信濃の独立勢力(大名)として豊臣系大名の間で認知されることになったのである。
同様の構図による戦いは幾度か再戦があり、少なくとも2度以上あったとされている。
一方、家康は上田の敗戦を受けて、北条氏との同盟強化に乗り出さなければならなかったのである。また、氏直は沼田城攻めを手掛けるも、落とせなかった。
ー(豊臣政権時代)ー
天正13年(1585年)冬、次男の信繁が上杉景勝の人質から、盟主である豊臣秀吉の人質として大坂城に出仕し、昌幸は豊臣家に臣従したのである。
天正14年(1586年)には佐久に侵攻する。5月25日には北条氏直に沼田城を攻撃されるが撃退した。7月には家康が昌幸征伐のために甲府に出陣した。しかし8月7日に秀吉の調停を受けて真田攻めを中止。その代わりに11月4日、秀吉の命令で昌幸は家康の与力大名となったのであった。
天正15年(1587年)2月に昌幸は上洛した。3月18日に昌幸は小笠原貞慶とともに駿府で家康と会見し、その後上坂して大坂城で秀吉と謁見し、名実ともに豊臣家臣となったのである。
なお、真田氏は上杉氏を介して豊臣大名化を遂げたのではなく、上杉氏には真田氏を豊臣大名化させる意志はなかったため、昌幸が独力で交渉窓口を切り開いたが、有力な取次と関係を構築で出来なかったので、豊臣大名化が遅れたということだ。
天正17年(1589年)には秀吉による沼田領問題の裁定が行われ、北条氏には利根川以東が割譲され昌幸は代替地として伊那郡箕輪領を得るが、これは第一次上田合戦前に家康が提示した替地と同じである。この頃、昌幸は在京していたが、11月には北条氏家臣の猪俣邦憲が名胡桃城を攻め、これが惣無事令(注釈1)違反とみなされた。
(注釈1)
惣無事令は、豊臣秀吉が大名間の私闘を禁じた法令とされるもの。
惣無事が成立したことで中世の私戦、私的執行、私刑罰などはほぼ禁じられることとなり、裁判権や刑罰権を武家領主が独占する公刑主義へと移行したとされる。藤木久志によって提唱され定説化したが、後に様々な批判がなされ議論となっている。
この名胡桃城奪取事件の際、昌幸から同城代に任命されていた鈴木重則は昌幸に対して責任を取る形で自害した。この名胡桃城奪取事件は天正18年(1590年)の小田原征伐の原因となる。
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