幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか

ラムネ

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第21話 監査官の武器は、紙一枚

白夜回廊に、鉛色の雲が重く垂れ込めている。
底冷えする空気が石畳から立ち上り、吐く息が白く染まる広場には、大勢の民衆が集まっていた。

「修道院への監査なんて、神への冒涜だ!」
「マグダ様は、私たちにパンを配ってくださる恩人なのに!」

怒りに満ちた声が、冷たい風に乗って私を打つ。
監査院の仮設執務室の前を取り囲んだ町民たちは、石や雪玉を手にし、今にも暴動を起こしそうな熱気を帯びていた。
彼らの目に映っている私は、冷酷な王都の役人であり、信仰を脅かす悪魔なのだろう。

私は窓からその光景を静かに見下ろし、ゆっくりとカーテンを閉めた。

「リオナ補助官。外の騒ぎが大きくなっている。監査を一時中断した方がいいのではないか?」

部屋の奥で書類を整理していたセルジュ上級監査官が、不安げに声をかけてくる。

「中断は不要です。彼らが怒っているのは、真実を知らないからです。感情に感情で返しても、火に油を注ぐだけです」

私は平坦な声で答え、机の上に広げられた分厚い修道院の会計簿に視線を落とした。

監査の武器は、剣でも魔法でもない。
紙一枚の、絶対的な事実だ。

「……マグダ修道院長が提出した報告書には、孤児院の運営費として多額の支出が計上されていました。しかし、先ほど押収したこの裏帳簿を見てください」

私は真帳視の能力を使って見つけ出した、隠し金庫の奥に眠っていた古い帳面を指差した。

「これには、孤児たちが作らされている『氷細工』や『薬草の束』の出荷記録が記されています。驚くべきことに、その生産量は大人顔負けの数字です」

「なんだと? 孤児院の子供たちを、タダ働きさせているということか?」

「ええ。そして、その売上金は、一切表の帳簿には記載されていません。さらに、寄付金として集められた資金の八割が、生活費に充てられることなく、王都の特定口座へと送金されています」

私は羽ペンを手に取り、その送金記録と、クラウゼ領の第参倉庫から消えた小麦の売上金の流れを、一枚の紙に書き出していく。

「……資金の流出経路が、一致します」

「なんだって? クラウゼ領の横領金と、修道院の裏金が、同じ口座に流れているというのか!」

セルジュが驚愕の声を上げた。

点と点が、繋がり始めている。
クラウゼ領の甘い管理体制を利用して資金を横領し、辺境の関所と修道院を隠れ蓑にして、莫大な富を王都のどこかへ集めている巨大な闇の鎖。
マグダはその鎖の、重要な歯車の一つに過ぎない。

「証拠は揃いました。これより、不正蓄財および不法労働の罪で、修道院の資産凍結手続きに入ります」

私は淡々と手続きの書類を作成し始めた。

怒りはない。ただ、規程に従い、数字の矛盾を突くだけだ。
マグダがどれほど民衆を扇動し、神の愛を語ろうとも、彼女が子供たちを搾取して肥え太っているという記録は、決して消すことはできない。

だが、書類に最後の署名をしようとした瞬間。

ズキンッ!!

「っ……!」

頭蓋骨の内側を、焼け火箸で掻き回されたような激痛が走った。

ペンを取り落とし、私は机に突っ伏しそうになるのを必死に堪えた。
視界が激しく点滅し、呼吸が浅くなる。

「リオナ補助官!?」

セルジュの声が遠く聞こえる。

真帳視の酷使。
怒涛のように情報を処理し続けた私の精神は、限界の淵に立たされていた。
だが、この書類を仕上げなければ、外の民衆を止めることはできない。

私は震える手でペンを拾い上げ、滲む視界の中で、無理やり文字を書き殴ろうとした。

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