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第29話 証拠の鎖
王立監査院、地下の特別資料室。
カビと古い紙の匂いが立ち込める薄暗い部屋で、私は長机いっぱいに広げられた書類の海と向き合っていた。
手元にあるのは、白夜回廊から持ち帰った『関所の偽装通行証記録』と『修道院の裏帳簿』。
そして、クラウゼ侯爵家から押収された『第参倉庫の帳票』だ。
カンテラの淡い光が、羊皮紙に記されたインクの数字を無機質に照らし出している。
「……リオナ補助官。やはり、金額がピタリと一致するな」
対面に座るセルジュ上級監査官が、血走った目で唸り声を上げた。
彼の指が、三つの異なる帳簿の同じ日付をなぞっていく。
「はい。クラウゼ領から消えた小麦の売上金は、まず白夜回廊の『霧門』へと運ばれていました。そこで悪徳商人たちに偽の通行料として支払われ、一度『正当な利益』として洗浄されます」
私は羽ペンを手に取り、真っ白な紙に三つの点と、それを結ぶ線を引いた。
「次に、その洗浄された金は『商人からの寄付金』という名目で、マグダ修道院長が管理する教会へと納められます。孤児たちに過酷な労働を強いて得た裏金も、ここで合流していますね」
「そして最後は……教会の『特権』を利用して、王都の裏口座へと非課税のまま送金されている、というわけか」
セルジュが額の汗をハンカチで拭った。
彼の震える声が、この事態の異常さを物語っている。
ただの横領事件ではない。
領地の不正、関所の利権、そして教会の聖域。
それぞれが独立しているように見えた腐敗の点が、今、太く黒い一本の鎖となって完全に繋がったのだ。
「……これを公開監査の場に出せば、侯爵家だけでなく、教会の権威も地に落ちる。凄まじい反発が来るぞ」
セルジュの言葉に、私は静かに頷いた。
マグダは修道院長という立場を利用し、「神への冒涜だ」と民衆を扇動するだろう。
王都の教会本部も、自分たちの顔に泥を塗るまいと、監査院に対して強烈な圧力をかけてくるはずだ。
「出すか、それとも一部を伏せるか……本院の上の連中も、教会の反発を恐れて判断を渋っているらしい」
セルジュが忌々しそうに舌打ちをした。
真実を暴くための監査院ですら、強大な権力の前では足踏みをしてしまう。
クラウゼ家のような一介の貴族を裁くのとは、訳が違うのだ。
「……私は」
私が口を開きかけた時、重い木の扉が開く音がした。
「上の連中がどう判断しようが、関係ない」
冷たい夜の空気を纏って現れたのは、レオンハルト卿だった。
彼は無造作に歩み寄ると、私が書いた『証拠の鎖』の紙を一瞥した。
「記録が揃っているなら、すべて出す。それが監査院の、いや、俺たちの規程だ。違うか?」
彼の銀色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
私は小さく息を吸い込み、ペンを置いた。
「違いありません。……これは、公開監査の場で全面開示するべきです」
私がきっぱりと告げると、レオンハルトの口元がわずかに緩んだ。
「よく言った」
彼が短く肯定する。
だが、その証拠を公衆の面前で読み上げ、彼らの罪を暴く役目は、最重要証人である私に委ねられる。
何百人もの敵意のこもった視線を浴びながら、私はこの鎖を引かなければならないのだ。
胸の奥に、じわりと冷たい恐怖が広がり始めていた。
カビと古い紙の匂いが立ち込める薄暗い部屋で、私は長机いっぱいに広げられた書類の海と向き合っていた。
手元にあるのは、白夜回廊から持ち帰った『関所の偽装通行証記録』と『修道院の裏帳簿』。
そして、クラウゼ侯爵家から押収された『第参倉庫の帳票』だ。
カンテラの淡い光が、羊皮紙に記されたインクの数字を無機質に照らし出している。
「……リオナ補助官。やはり、金額がピタリと一致するな」
対面に座るセルジュ上級監査官が、血走った目で唸り声を上げた。
彼の指が、三つの異なる帳簿の同じ日付をなぞっていく。
「はい。クラウゼ領から消えた小麦の売上金は、まず白夜回廊の『霧門』へと運ばれていました。そこで悪徳商人たちに偽の通行料として支払われ、一度『正当な利益』として洗浄されます」
私は羽ペンを手に取り、真っ白な紙に三つの点と、それを結ぶ線を引いた。
「次に、その洗浄された金は『商人からの寄付金』という名目で、マグダ修道院長が管理する教会へと納められます。孤児たちに過酷な労働を強いて得た裏金も、ここで合流していますね」
「そして最後は……教会の『特権』を利用して、王都の裏口座へと非課税のまま送金されている、というわけか」
セルジュが額の汗をハンカチで拭った。
彼の震える声が、この事態の異常さを物語っている。
ただの横領事件ではない。
領地の不正、関所の利権、そして教会の聖域。
それぞれが独立しているように見えた腐敗の点が、今、太く黒い一本の鎖となって完全に繋がったのだ。
「……これを公開監査の場に出せば、侯爵家だけでなく、教会の権威も地に落ちる。凄まじい反発が来るぞ」
セルジュの言葉に、私は静かに頷いた。
マグダは修道院長という立場を利用し、「神への冒涜だ」と民衆を扇動するだろう。
王都の教会本部も、自分たちの顔に泥を塗るまいと、監査院に対して強烈な圧力をかけてくるはずだ。
「出すか、それとも一部を伏せるか……本院の上の連中も、教会の反発を恐れて判断を渋っているらしい」
セルジュが忌々しそうに舌打ちをした。
真実を暴くための監査院ですら、強大な権力の前では足踏みをしてしまう。
クラウゼ家のような一介の貴族を裁くのとは、訳が違うのだ。
「……私は」
私が口を開きかけた時、重い木の扉が開く音がした。
「上の連中がどう判断しようが、関係ない」
冷たい夜の空気を纏って現れたのは、レオンハルト卿だった。
彼は無造作に歩み寄ると、私が書いた『証拠の鎖』の紙を一瞥した。
「記録が揃っているなら、すべて出す。それが監査院の、いや、俺たちの規程だ。違うか?」
彼の銀色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
私は小さく息を吸い込み、ペンを置いた。
「違いありません。……これは、公開監査の場で全面開示するべきです」
私がきっぱりと告げると、レオンハルトの口元がわずかに緩んだ。
「よく言った」
彼が短く肯定する。
だが、その証拠を公衆の面前で読み上げ、彼らの罪を暴く役目は、最重要証人である私に委ねられる。
何百人もの敵意のこもった視線を浴びながら、私はこの鎖を引かなければならないのだ。
胸の奥に、じわりと冷たい恐怖が広がり始めていた。
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