幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか

ラムネ

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第30話 選ぶ側になる

深夜の監査院、仮眠室。
私は簡素なベッドの端に腰掛け、両手をきつく握り合わせていた。

窓の外では、冷たい雨が王都の街を叩き続けている。
室内の暖炉には火が入っているというのに、指先から芯まで凍りつくような寒さを感じていた。

怖い。
それが、私の偽らざる本音だった。

クラウゼ領でひたすら帳尻を合わせ、誰にも見られずに処理をしていた頃のほうが、ずっと楽だったかもしれない。
明日の公開監査では、私は王国中の有力者たちを前にして、クラウゼ家と教会の巨大な闇を暴くことになる。

もし証言を失敗すれば。
もしマグダの扇動で法廷が覆れば。
私は大罪人として、一生光の当たらない地下牢に繋がれるだろう。

「……」

カチャリ、と扉が開き、レオンハルト卿が入ってきた。
彼は手にした小さなトレイを、私の隣にあるサイドテーブルにコトンと置いた。

そこに乗っていたのは、湯気を立てるホットミルクの入ったマグカップだった。

「飲め。少しは体が温まる」

「……ありがとうございます」

私は震える手でカップを受け取り、一口飲んだ。
甘くて温かい液体が喉を通り、こわばっていた胃の奥が少しだけ解けていく。

レオンハルトは壁に背を預け、腕を組んで私を見下ろしていた。

「手が震えているな」

「……はい」

私は隠すことをやめ、素直に認めた。

「恐ろしいのです。私が今まで相手にしてきたのは、ただの数字や書類でした。でも明日は、悪意を持った人間たちが、私を言葉で引き裂こうと待ち構えています」

教会の権威を振りかざすマグダ。
涙で世論を操るミレーヌ。
責任を押し付け合うアルベルトと侯爵。

彼らの憎悪を一身に受ける重圧に、私は押し潰されそうになっていた。

「なら、やめるか?」

レオンハルトの低い声が、静かな部屋に響いた。

「俺が代わって証言台に立ち、この書類を読み上げることもできる。君は奥の部屋で、終わるのを待っていればいい。どうする。選べ」

選べ。
白夜回廊で倒れかけた時と同じ、尊重の言葉。
彼は決して私に命令しない。私の意思を、何よりも優先してくれる。

「……いいえ」

私はカップを両手で包み込み、ゆっくりと顔を上げた。

「私が出ます。この証拠の鎖を繋いだのは私です。私の手で、最後まで終わらせなければ……私は一生、彼らの影に怯えて生きることになりますから」

誰かに守ってもらうのではない。
私は自分の足で立ち、自分の言葉で彼らを裁きたいのだ。

私の決意を聞いて、レオンハルトは静かに目を閉じ、そして深く頷いた。

「分かった。君がそう決めたのなら、それでいい」

彼は壁から背を離し、私に向かって一歩近づいた。

「なら、俺が盾になる」

「え……?」

「君は前だけを見て、証拠を叩きつければいい。背後から飛んでくる教会の圧力も、貴族たちの悪意も、すべて俺が斬り捨てる。君には指一本触れさせない」

それは、甘い愛の言葉ではない。
けれど、私にとってはどんな宝石よりも美しく、重みのある誓いだった。

「……ありがとうございます、レオンハルト卿」

私はホットミルクを飲み干し、静かに微笑んだ。
もう、震えは止まっていた。
明日の法廷が、今はただ待ち遠しかった。

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