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第17話『愚者の末路』
三つ子たちが生まれてから、一年が経ちました。 黒鷲城の毎日は、一言で言えば「戦場」でした。もちろん、剣と魔法が飛び交う殺伐とした戦場ではなく、愛と悲鳴とオムツが飛び交う、幸せな戦場ですが。
「きゃあああっ! レオン様がまたカーテンを燃やしましたー!」
東の塔からメイドの悲鳴が上がりました。 私は洗濯物を干す手を止め、大きく息を吐き出しました。
「今行きます! シルヴィアちゃんを近づけないでね! 火と氷が混ざると爆発しちゃうから!」
私はドレスの裾をまくると、慣れた足取りで廊下を駆け抜けました。 この一年で、私の体力と脚力はアスリート並みに向上しました。なにせ、城の端から端までを一日に何往復もしなければならないのですから。
現場に到着すると、そこは予想通りの惨状でした。 長男のレオン(1歳)が、キャッキャと笑いながら手から小さな火の玉を出し、高級なベルベットのカーテンをキャンプファイヤーのように燃やしていたのです。
「だー! だー!」
「こら、レオン! めっ、でしょう!」
私が駆け寄ると、レオンは「あ、ママだ」という顔をして、パッと火を消しました。 私の『魔力無効化』の気配を感じ取ると、彼らの魔法は自然と解除されるようです。
「まったく……パパに似て破壊神なんだから」
私は真っ黒に焦げたカーテンを見上げ、溜息をつきました。 すると、反対側の廊下から、冷たい冷気と共にバキバキという音が聞こえてきました。
「あうー……」
長女のシルヴィア(1歳)が、ハイハイをしながら近づいてきました。 彼女の手が触れた床は瞬時に凍りつき、廊下がスケートリンクのようになっています。 彼女の後ろでは、足を滑らせた執事がステーンと転んでいました。
「シルヴィアちゃん! 廊下は凍らせちゃダメって言ったでしょう!」
私はレオンを抱えたまま、シルヴィアを捕獲しました。 彼女の体はひんやりとしていて、夏場は最高の抱き心地なのですが、今は掃除の手間が増えるだけです。
「だぁー」
シルヴィアは無表情のまま、私の頬に冷たい手をピタリと当てました。 どうやら「抱っこして」の合図のようです。
「はいはい、抱っこね。……重いなぁ、もう」
両手に二人の「災害級」ベビーを抱え、私は途方に暮れかけました。 すると、私の足元に、ポワポワとした温かい光がまとわりついてきました。
「まんまー」
次男のアラン(1歳)です。 彼はニコニコと天使のような笑顔で私を見上げ、小さな手をかざしました。 すると、レオンが燃やしたカーテンの焦げ跡が薄くなり、シルヴィアが凍らせた床の氷がスーッと溶けて消えていきました。
「……アラン、ありがとう。本当にあなたはママの救世主よ」
聖属性のアランは、兄姉が壊したものを修復し、疲れた大人たちを癒やすという、奇跡のような能力を持っています。 彼がいなければ、この城はとっくに廃墟になっていたことでしょう。
「さて、みんな揃ったわね。パパのところへ行きましょうか」
私が三人を連れて(アランは私のドレスの裾を掴んでトコトコ歩きます)執務室へ向かうと、そこには書類の山に埋もれながら、死んだような目をしているジークハルト様がいました。
「……エルサか。助けてくれ。書類が分裂して増えている気がする」
「お疲れ様です、旦那様。……ほら、応援部隊が来ましたよ」
「パパァ!」
レオンとシルヴィアが私の腕から飛び出し、ジークハルト様のお腹へダイブしました。
「ぐふっ……!」
不意打ちのボディプレスに、北の魔王が悶絶しました。 しかし、すぐにデレデレの笑顔になり、二人を高い高いしました。
「おお、来たか! パパの可愛い怪獣どもめ! 今日は何を壊したんだ?」
「カーテンと廊下です。……請求書は後で回しますからね」
「はは、安いもんだ。……おいで、アランも」
ジークハルト様はアランも抱き上げ、膝の上に乗せました。 アランがパパの額に手を当てると、ジークハルト様の目の下の隈(くま)が消え、顔色がみるみる良くなっていきました。
「ふぅ……生き返る。やはり我が家は最高だ」
彼は幸せそうに子供たちの頭を撫でました。 その光景は、一年前の「孤独な化け物」と呼ばれていた頃からは想像もできないほど、温かく、そして騒がしいものでした。
◇
そんなある日の午後。 王都から、一台の馬車が到着しました。 装飾の少ない、質実剛健な黒塗りの馬車。 側面に刻まれた紋章は、王国の「司法省」のものでした。
「……来たか」
ジークハルト様は、遊んでいた子供たちを乳母に預け、表情を引き締めました。 私も、背筋がスッと伸びるのを感じました。
ついに、この日が来たのです。 私の実家、伯爵家の人々への、最終的な処遇が下される日が。
応接間に通されたのは、厳格そうな初老の役人でした。 彼は私たちに深く一礼すると、分厚い羊皮紙の束をテーブルに広げました。
「ジークハルト辺境伯閣下、ならびにエルサ夫人。……先日行われた裁判の結果、旧伯爵家の者たちへの刑が確定いたしましたので、ご報告に参りました」
「うむ。聞こう」
役人は咳払いをし、淡々と読み上げ始めました。
「まず、主犯格である元伯爵令嬢マリアについて。……彼女は、王族や高位貴族が集まる夜会にて、禁忌指定薬物『愛欲の檻』を使用し、大規模な騒乱と傷害を引き起こしました。さらに、実の姉への殺害未遂、国家反逆罪に相当する行為が認められました」
役人の声が、重く響きます。
「判決は……『終身・魔力封印刑』および『北限の孤島にある修道監獄への幽閉』です」
「修道監獄……」
私は息を呑みました。 そこは、極悪人が送られる場所として有名な、脱出不可能な監獄です。 一年中嵐が吹き荒れる絶海の孤島で、外界との接触を一切断たれ、死ぬまで懺悔と労働の日々を送ることになります。
「彼女は最後まで『私は悪くない』『エルサのせいだ』と叫んでいたそうです。……反省の色が見られないため、恩赦の可能性もありません」
「そうか」
ジークハルト様は、無感情に頷きました。 マリアにとって、最も残酷な罰は「誰からも見てもらえないこと」でしょう。 「光の愛し子」としてチヤホヤされることが生き甲斐だった彼女が、誰の視線も届かない孤島で、鏡すらない独房で老いていく。 それは、死刑よりも重い罰かもしれません。
「次に、元伯爵夫妻について」
役人が次の書類を手に取りました。
「元伯爵は、違法薬物の密売に関与した上、マリアの犯行を教唆した罪に問われました。……しかし、逮捕時に服用させられた毒の後遺症により、現在は半身不随となり、言葉を発することも困難な状態です」
「……」
「よって、通常の強制労働は不可能と判断され、王都の下水道清掃施設での選別作業――つまり、ゴミ拾いと汚物処理の監督補佐に従事することとなりました。……一生、日の当たらない地下で」
華やかな生活を愛し、見栄と虚飾に生きてきた父が。 最も嫌悪していた「汚いもの」に囲まれて、一生を終える。 皮肉としか言いようがありません。
「そして、元伯爵夫人ですが……。彼女は夫の介護と、同施設での賄い婦としての労働が科せられました。劣悪な環境と過酷な労働で、すでに精神を病んでいるとの報告もあります」
「……そうですか」
私は静かに頷きました。 同情は湧きませんでした。 かつて、私が熱を出して倒れた時、彼らは私を汚い納屋に放り込み、「死ねば掃除の手間が省ける」と笑っていました。 今、彼らが置かれている状況は、かつて私に強いた地獄そのものです。 因果応報。 神様は、ちゃんと見ていたのです。
「以上が、彼らの末路です。……何か、ご質問は?」
「ない。……ご苦労だった」
ジークハルト様が金貨の入った袋を役人に渡しました。 役人は深々と頭を下げ、退室していきました。
扉が閉まり、部屋に二人きりになると、重苦しい沈黙が降りました。 ジークハルト様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
「……エルサ? 大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。……ただ、少しだけ」
私は窓の外を見ました。 北の空はどこまでも高く、澄み渡っていました。 王都の方角を見ても、もう何の感情も湧いてきません。 怒りも、悲しみも、憎しみさえも。
「……なんだか、遠い国の物語を聞いたような気分です」
「遠い国か。……そうだな。奴らはもう、俺たちの世界にはいない」
ジークハルト様が私の手を握りました。 その温かさが、私の指先から心へと染み渡っていきます。
「エルサ。泣いてもいいんだぞ。……奴らのために泣くのではなく、お前自身が背負ってきた重荷を下ろすために」
「いいえ、旦那様。涙はもう、王都で出し切りました」
私は彼に向き直り、ニッコリと微笑みました。
「今は、涙よりも……お腹が空きました。今日の夕食は、レオンたちが大好きなハンバーグにしようと思っていたんです」
私の言葉に、ジークハルト様は一瞬きょとんとして、それから大きな声で笑いました。
「ははは! そうか、そうだな! 過去の亡霊よりも、今のハンバーグの方が大事だ!」
「もちろんです。生きているんですもの」
私たちは手を取り合い、部屋を出ました。 廊下の向こうから、子供たちの笑い声と、また何かを壊したような音が聞こえてきます。 過去は死に、未来が騒がしく生きている。 それが、今の私の全てでした。
◇
一方その頃。 北の果て、絶海の孤島にある修道監獄。
冷たい雨が打ち付ける石造りの塔の最上階。 鉄格子のはまった小さな窓から、一人の女が虚ろな目で外を見ていました。
マリアです。 かつての輝くような金髪は、手入れもされずにボサボサになり、灰色にくすんでいました。 美しいドレスの代わりに、粗末な麻の囚人服を着ています。 肌は荒れ、頬はこけ、まるで別人のように老け込んでいました。
「……なんで」
彼女の乾いた唇が動きました。
「なんで、誰も来ないの? 私は『光の愛し子』なのよ? みんな、私を崇めるはずでしょう?」
彼女の記憶は、現実を受け入れることを拒否し、過去の栄光の中に逃げ込んでいました。 しかし、現実は冷酷です。 ここには、彼女をチヤホヤする取り巻きも、甘やかしてくれる両親もいません。 あるのは、沈黙を守る看守と、壁を這うネズミだけ。
「ねえ、誰か……。私のドレスを持ってきて。今夜は舞踏会なの」
彼女は壁に向かって話しかけます。 返事はありません。
「ジークハルト様……どうして迎えに来てくれないの? 私の方が、お姉様よりずっと美しいのに」
彼女の目から、涙がこぼれ落ちました。 それは悔し涙なのか、孤独への恐怖なのか、彼女自身にもわかっていませんでした。
「エルサ……お姉様……」
ふと、彼女の口から姉の名前が漏れました。 かつて、一番近くにいて、一番虐げてきた存在。 でも、今思えば、彼女だけがマリアの本当の姿を見ていたのかもしれません。
「……会いたい」
その言葉は、誰にも届くことなく、雨音にかき消されていきました。
愚かな妹は、永遠の孤独という檻の中で、自分の犯した罪の重さを、時間をかけて噛み締めていくことになるのです。 それが、彼女に与えられた「救いのない救済」でした。
◇
そして、王都の地下。 下水道処理施設の暗がりの中で。
「うぅ……うぅ……」
かつて伯爵と呼ばれた男が、汚物にまみれた床を這っていました。 半身不随の体は思うように動かず、選別作業のノルマをこなせない彼は、看守から鞭で打たれていました。
「おい、サボるな! 飯抜きにするぞ!」
「あ……あぅ……」
言葉にならない呻き声。 かつて、使用人たちを怒鳴りつけ、美食に明け暮れていた口は、今は泥水をすすることしかできません。
その横で、元伯爵夫人が、鬼のような形相で洗濯をしていました。 彼女の手はひび割れ、爪は剥がれ、貴婦人の面影はありません。
「なんで……なんで私がこんな目に……」
彼女はブツブツと呪詛を吐き続けています。
「全部あの子のせいよ……エルサのせいよ……」
彼女はいまだに、自分の罪を認めていませんでした。 他人のせいにし続けることでしか、精神の均衡を保てないのでしょう。 しかし、その恨み節を聞いてくれる人は誰もいません。 彼らは社会の最底辺で、誰からも忘れ去られ、泥のように生きていくのです。
これが、他人の人生を食い物にしてきた者たちの、当然の報いでした。
◇
黒鷲城の夜。 食堂には、温かい灯りと、美味しそうな匂いが満ちていました。
「いただきまーす!」
三つ子たちが元気よくスプーンを構えました。 今日のメニューは、リクエスト通りの特製煮込みハンバーグです。
「パパ、お肉切ってー!」 「ママ、あーんして!」
レオンとシルヴィアが甘えると、ジークハルト様と私は忙しく世話を焼きます。 アランはニコニコしながら、自分のハンバーグを小さく切って食べています。
「美味しいか?」
ジークハルト様が尋ねると、三人は口を揃えて叫びました。
「おいしーい!」
「そうか、よかったな。ママの料理は世界一だからな」
ジークハルト様は私を見て、優しく微笑みました。
「……本当にな」
彼の瞳に映っているのは、過去の傷跡でも、未来への不安でもなく、今ここにある確かな幸せでした。
私も微笑み返しました。
「さあ、たくさん食べて大きくなりなさい。……明日は、パパが魔法の特訓をしてくれるそうよ?」
「えー! やったー!」 「ボク、もっと大きい火を出せるようになりたい!」 「ワタシも、お城を凍らせたい!」
「お、おい、城はやめてくれ……」
ジークハルト様が慌てる様子を見て、私たちは声を上げて笑いました。 笑い声が、高い天井に響き渡ります。
愚者たちの末路は、暗い闇の中に消えました。 でも、私たちの物語は、この明るい光の中で、まだまだ続いていくのです。 愛する家族と、騒がしくて温かい日々が。
「きゃあああっ! レオン様がまたカーテンを燃やしましたー!」
東の塔からメイドの悲鳴が上がりました。 私は洗濯物を干す手を止め、大きく息を吐き出しました。
「今行きます! シルヴィアちゃんを近づけないでね! 火と氷が混ざると爆発しちゃうから!」
私はドレスの裾をまくると、慣れた足取りで廊下を駆け抜けました。 この一年で、私の体力と脚力はアスリート並みに向上しました。なにせ、城の端から端までを一日に何往復もしなければならないのですから。
現場に到着すると、そこは予想通りの惨状でした。 長男のレオン(1歳)が、キャッキャと笑いながら手から小さな火の玉を出し、高級なベルベットのカーテンをキャンプファイヤーのように燃やしていたのです。
「だー! だー!」
「こら、レオン! めっ、でしょう!」
私が駆け寄ると、レオンは「あ、ママだ」という顔をして、パッと火を消しました。 私の『魔力無効化』の気配を感じ取ると、彼らの魔法は自然と解除されるようです。
「まったく……パパに似て破壊神なんだから」
私は真っ黒に焦げたカーテンを見上げ、溜息をつきました。 すると、反対側の廊下から、冷たい冷気と共にバキバキという音が聞こえてきました。
「あうー……」
長女のシルヴィア(1歳)が、ハイハイをしながら近づいてきました。 彼女の手が触れた床は瞬時に凍りつき、廊下がスケートリンクのようになっています。 彼女の後ろでは、足を滑らせた執事がステーンと転んでいました。
「シルヴィアちゃん! 廊下は凍らせちゃダメって言ったでしょう!」
私はレオンを抱えたまま、シルヴィアを捕獲しました。 彼女の体はひんやりとしていて、夏場は最高の抱き心地なのですが、今は掃除の手間が増えるだけです。
「だぁー」
シルヴィアは無表情のまま、私の頬に冷たい手をピタリと当てました。 どうやら「抱っこして」の合図のようです。
「はいはい、抱っこね。……重いなぁ、もう」
両手に二人の「災害級」ベビーを抱え、私は途方に暮れかけました。 すると、私の足元に、ポワポワとした温かい光がまとわりついてきました。
「まんまー」
次男のアラン(1歳)です。 彼はニコニコと天使のような笑顔で私を見上げ、小さな手をかざしました。 すると、レオンが燃やしたカーテンの焦げ跡が薄くなり、シルヴィアが凍らせた床の氷がスーッと溶けて消えていきました。
「……アラン、ありがとう。本当にあなたはママの救世主よ」
聖属性のアランは、兄姉が壊したものを修復し、疲れた大人たちを癒やすという、奇跡のような能力を持っています。 彼がいなければ、この城はとっくに廃墟になっていたことでしょう。
「さて、みんな揃ったわね。パパのところへ行きましょうか」
私が三人を連れて(アランは私のドレスの裾を掴んでトコトコ歩きます)執務室へ向かうと、そこには書類の山に埋もれながら、死んだような目をしているジークハルト様がいました。
「……エルサか。助けてくれ。書類が分裂して増えている気がする」
「お疲れ様です、旦那様。……ほら、応援部隊が来ましたよ」
「パパァ!」
レオンとシルヴィアが私の腕から飛び出し、ジークハルト様のお腹へダイブしました。
「ぐふっ……!」
不意打ちのボディプレスに、北の魔王が悶絶しました。 しかし、すぐにデレデレの笑顔になり、二人を高い高いしました。
「おお、来たか! パパの可愛い怪獣どもめ! 今日は何を壊したんだ?」
「カーテンと廊下です。……請求書は後で回しますからね」
「はは、安いもんだ。……おいで、アランも」
ジークハルト様はアランも抱き上げ、膝の上に乗せました。 アランがパパの額に手を当てると、ジークハルト様の目の下の隈(くま)が消え、顔色がみるみる良くなっていきました。
「ふぅ……生き返る。やはり我が家は最高だ」
彼は幸せそうに子供たちの頭を撫でました。 その光景は、一年前の「孤独な化け物」と呼ばれていた頃からは想像もできないほど、温かく、そして騒がしいものでした。
◇
そんなある日の午後。 王都から、一台の馬車が到着しました。 装飾の少ない、質実剛健な黒塗りの馬車。 側面に刻まれた紋章は、王国の「司法省」のものでした。
「……来たか」
ジークハルト様は、遊んでいた子供たちを乳母に預け、表情を引き締めました。 私も、背筋がスッと伸びるのを感じました。
ついに、この日が来たのです。 私の実家、伯爵家の人々への、最終的な処遇が下される日が。
応接間に通されたのは、厳格そうな初老の役人でした。 彼は私たちに深く一礼すると、分厚い羊皮紙の束をテーブルに広げました。
「ジークハルト辺境伯閣下、ならびにエルサ夫人。……先日行われた裁判の結果、旧伯爵家の者たちへの刑が確定いたしましたので、ご報告に参りました」
「うむ。聞こう」
役人は咳払いをし、淡々と読み上げ始めました。
「まず、主犯格である元伯爵令嬢マリアについて。……彼女は、王族や高位貴族が集まる夜会にて、禁忌指定薬物『愛欲の檻』を使用し、大規模な騒乱と傷害を引き起こしました。さらに、実の姉への殺害未遂、国家反逆罪に相当する行為が認められました」
役人の声が、重く響きます。
「判決は……『終身・魔力封印刑』および『北限の孤島にある修道監獄への幽閉』です」
「修道監獄……」
私は息を呑みました。 そこは、極悪人が送られる場所として有名な、脱出不可能な監獄です。 一年中嵐が吹き荒れる絶海の孤島で、外界との接触を一切断たれ、死ぬまで懺悔と労働の日々を送ることになります。
「彼女は最後まで『私は悪くない』『エルサのせいだ』と叫んでいたそうです。……反省の色が見られないため、恩赦の可能性もありません」
「そうか」
ジークハルト様は、無感情に頷きました。 マリアにとって、最も残酷な罰は「誰からも見てもらえないこと」でしょう。 「光の愛し子」としてチヤホヤされることが生き甲斐だった彼女が、誰の視線も届かない孤島で、鏡すらない独房で老いていく。 それは、死刑よりも重い罰かもしれません。
「次に、元伯爵夫妻について」
役人が次の書類を手に取りました。
「元伯爵は、違法薬物の密売に関与した上、マリアの犯行を教唆した罪に問われました。……しかし、逮捕時に服用させられた毒の後遺症により、現在は半身不随となり、言葉を発することも困難な状態です」
「……」
「よって、通常の強制労働は不可能と判断され、王都の下水道清掃施設での選別作業――つまり、ゴミ拾いと汚物処理の監督補佐に従事することとなりました。……一生、日の当たらない地下で」
華やかな生活を愛し、見栄と虚飾に生きてきた父が。 最も嫌悪していた「汚いもの」に囲まれて、一生を終える。 皮肉としか言いようがありません。
「そして、元伯爵夫人ですが……。彼女は夫の介護と、同施設での賄い婦としての労働が科せられました。劣悪な環境と過酷な労働で、すでに精神を病んでいるとの報告もあります」
「……そうですか」
私は静かに頷きました。 同情は湧きませんでした。 かつて、私が熱を出して倒れた時、彼らは私を汚い納屋に放り込み、「死ねば掃除の手間が省ける」と笑っていました。 今、彼らが置かれている状況は、かつて私に強いた地獄そのものです。 因果応報。 神様は、ちゃんと見ていたのです。
「以上が、彼らの末路です。……何か、ご質問は?」
「ない。……ご苦労だった」
ジークハルト様が金貨の入った袋を役人に渡しました。 役人は深々と頭を下げ、退室していきました。
扉が閉まり、部屋に二人きりになると、重苦しい沈黙が降りました。 ジークハルト様が、心配そうに私の顔を覗き込みました。
「……エルサ? 大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。……ただ、少しだけ」
私は窓の外を見ました。 北の空はどこまでも高く、澄み渡っていました。 王都の方角を見ても、もう何の感情も湧いてきません。 怒りも、悲しみも、憎しみさえも。
「……なんだか、遠い国の物語を聞いたような気分です」
「遠い国か。……そうだな。奴らはもう、俺たちの世界にはいない」
ジークハルト様が私の手を握りました。 その温かさが、私の指先から心へと染み渡っていきます。
「エルサ。泣いてもいいんだぞ。……奴らのために泣くのではなく、お前自身が背負ってきた重荷を下ろすために」
「いいえ、旦那様。涙はもう、王都で出し切りました」
私は彼に向き直り、ニッコリと微笑みました。
「今は、涙よりも……お腹が空きました。今日の夕食は、レオンたちが大好きなハンバーグにしようと思っていたんです」
私の言葉に、ジークハルト様は一瞬きょとんとして、それから大きな声で笑いました。
「ははは! そうか、そうだな! 過去の亡霊よりも、今のハンバーグの方が大事だ!」
「もちろんです。生きているんですもの」
私たちは手を取り合い、部屋を出ました。 廊下の向こうから、子供たちの笑い声と、また何かを壊したような音が聞こえてきます。 過去は死に、未来が騒がしく生きている。 それが、今の私の全てでした。
◇
一方その頃。 北の果て、絶海の孤島にある修道監獄。
冷たい雨が打ち付ける石造りの塔の最上階。 鉄格子のはまった小さな窓から、一人の女が虚ろな目で外を見ていました。
マリアです。 かつての輝くような金髪は、手入れもされずにボサボサになり、灰色にくすんでいました。 美しいドレスの代わりに、粗末な麻の囚人服を着ています。 肌は荒れ、頬はこけ、まるで別人のように老け込んでいました。
「……なんで」
彼女の乾いた唇が動きました。
「なんで、誰も来ないの? 私は『光の愛し子』なのよ? みんな、私を崇めるはずでしょう?」
彼女の記憶は、現実を受け入れることを拒否し、過去の栄光の中に逃げ込んでいました。 しかし、現実は冷酷です。 ここには、彼女をチヤホヤする取り巻きも、甘やかしてくれる両親もいません。 あるのは、沈黙を守る看守と、壁を這うネズミだけ。
「ねえ、誰か……。私のドレスを持ってきて。今夜は舞踏会なの」
彼女は壁に向かって話しかけます。 返事はありません。
「ジークハルト様……どうして迎えに来てくれないの? 私の方が、お姉様よりずっと美しいのに」
彼女の目から、涙がこぼれ落ちました。 それは悔し涙なのか、孤独への恐怖なのか、彼女自身にもわかっていませんでした。
「エルサ……お姉様……」
ふと、彼女の口から姉の名前が漏れました。 かつて、一番近くにいて、一番虐げてきた存在。 でも、今思えば、彼女だけがマリアの本当の姿を見ていたのかもしれません。
「……会いたい」
その言葉は、誰にも届くことなく、雨音にかき消されていきました。
愚かな妹は、永遠の孤独という檻の中で、自分の犯した罪の重さを、時間をかけて噛み締めていくことになるのです。 それが、彼女に与えられた「救いのない救済」でした。
◇
そして、王都の地下。 下水道処理施設の暗がりの中で。
「うぅ……うぅ……」
かつて伯爵と呼ばれた男が、汚物にまみれた床を這っていました。 半身不随の体は思うように動かず、選別作業のノルマをこなせない彼は、看守から鞭で打たれていました。
「おい、サボるな! 飯抜きにするぞ!」
「あ……あぅ……」
言葉にならない呻き声。 かつて、使用人たちを怒鳴りつけ、美食に明け暮れていた口は、今は泥水をすすることしかできません。
その横で、元伯爵夫人が、鬼のような形相で洗濯をしていました。 彼女の手はひび割れ、爪は剥がれ、貴婦人の面影はありません。
「なんで……なんで私がこんな目に……」
彼女はブツブツと呪詛を吐き続けています。
「全部あの子のせいよ……エルサのせいよ……」
彼女はいまだに、自分の罪を認めていませんでした。 他人のせいにし続けることでしか、精神の均衡を保てないのでしょう。 しかし、その恨み節を聞いてくれる人は誰もいません。 彼らは社会の最底辺で、誰からも忘れ去られ、泥のように生きていくのです。
これが、他人の人生を食い物にしてきた者たちの、当然の報いでした。
◇
黒鷲城の夜。 食堂には、温かい灯りと、美味しそうな匂いが満ちていました。
「いただきまーす!」
三つ子たちが元気よくスプーンを構えました。 今日のメニューは、リクエスト通りの特製煮込みハンバーグです。
「パパ、お肉切ってー!」 「ママ、あーんして!」
レオンとシルヴィアが甘えると、ジークハルト様と私は忙しく世話を焼きます。 アランはニコニコしながら、自分のハンバーグを小さく切って食べています。
「美味しいか?」
ジークハルト様が尋ねると、三人は口を揃えて叫びました。
「おいしーい!」
「そうか、よかったな。ママの料理は世界一だからな」
ジークハルト様は私を見て、優しく微笑みました。
「……本当にな」
彼の瞳に映っているのは、過去の傷跡でも、未来への不安でもなく、今ここにある確かな幸せでした。
私も微笑み返しました。
「さあ、たくさん食べて大きくなりなさい。……明日は、パパが魔法の特訓をしてくれるそうよ?」
「えー! やったー!」 「ボク、もっと大きい火を出せるようになりたい!」 「ワタシも、お城を凍らせたい!」
「お、おい、城はやめてくれ……」
ジークハルト様が慌てる様子を見て、私たちは声を上げて笑いました。 笑い声が、高い天井に響き渡ります。
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王都に災害が起きなかったのも——全てエレオノーラの存在がもたらす精霊の恩恵だった。
王子に「地味で退屈な女」と婚約破棄され、王城を去った瞬間——
花が萎れ、泉が涸れ、空が曇り始めた。
追放されたエレオノーラが辺境の荒野に足を踏み入れると、枯れた大地に花が咲き乱れた。
そのとき初めて、彼女は自分の中にある力に気づく。
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