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第一章
18.過去の傷跡
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エルガー殿下とナーシャ嬢が来てから、3日が経っていた。まだ追い出されてはいないから、呪いは解いていないんだろうか。
二人とは顔を合わせれば気まずい雰囲気になるので、極力会わないようにしていた。
それまでレオポルド様と一緒に取っていた食事も一人で取るようになったが、レオポルド様は何も言ってこない。
当然だ。私はここにいていいような者ではないのだから。むしろ今までが近すぎたんだ。
それでも任された仕事を放棄する訳にもいかず、黙々と研究を進める日が続く。
陛下から食料問題の封書が来た日……ナーシャ嬢が来た後に……トールキンが来て、作物の栽培を助けるような魔道具を作ってほしいと依頼があった。
ナーシャ嬢が持ってきた食料で解決したのではないのだろうか?
疑問に思いつつも、依頼された研究は着々と進めていた。
「でもこれは私では解決できないわね。レオポルド様に聞いてみないと……。」
レオポルド様のところに行けば、エルガー殿下かナーシャ嬢と会うことになるもしれない。
それでも依頼された仕事を進めるには、行かなければいけない。
重い腰を持ち上げ、レオポルド様の執務室まで行くことにした。
*****
レオポルド様の執務室の前まで行くと、話し声が聞こえていた。
やはりエルガー殿下がいらっしゃるようだ。
どうしてもノックすることができず、扉の前で固まっていると再び声が聞こえてきた。
「兄上、何度言えば分かるのですか!あの女……グリーゼルはナーシャに呪いをかけた女。そばにおいていてはいけません!」
「……っっ!!」
エルガー殿下の言葉に、血の気が引き、青ざめ、口元を押さえる。
いま……呪いのことを……。
呪いをかけたことが、レオポルド様に知られてしまった……。
私はここにいてはいけない……!
その場にいられず駆け出すと、もう足は止まらなかった。
どこでもいいから、逃げたい。今エルガー殿下はおろかレオポルド様のお顔だってまともに見れない。
そこに紅茶を持ったミーナがやってきたが、構わず走り去る。
「グリーゼル様!?!?」
それまで侍女だった頃でさえ、グリーゼルがはしたなく走る姿なんて見たことがなかったミーナは、様子のおかしさに驚いて声を上げる。
執務室の中からそれを聞いていたレオポルドは、扉を開けたミーナに聞き返す。
「グリーゼル……?」
答えを聞く間も無くすぐに追いかけようと立ち上がったレオポルドを、エルガーが腕を掴んで引き止める。
「兄上、聞いてなかったのか?」
「……離せっ!」
その手を振り払い、レオポルドも扉を出たがもうそこに人影はない。
「グリーゼル様ならあちらに走って行かれましたよ。」
ミーナが示した方向にすぐさま風魔法を走らせ、音を集めてグリーゼルの居場所を探す。……少しすると掠れるような呟きが聞こえてきた。
「……ごめんなさい。……ごめんなさい。わたくしはここにいるべきじゃないのに……!」
音から位置を特定して、風魔法で滑るようにグリーゼルの所まで飛ぶ。
数秒後にはグリーゼルの腕を掴んでいた。
驚いて振り向いたグリーゼルの瞳には涙が滲んでいる。
謝らなければ……今まで黙っていたことを。なぜ言わなかったと責められるのかしら。それともお優しいレオポルド様は、エルガー殿下の言葉を疑うのかしら。
私はエルガー殿下のおっしゃる通りの女なのに。謝って追い出されて、その後は屋敷に帰るだけ……。
「グリーゼル……」
レオポルド様が何か言いかけた時、後ろから兄上っと呼ぶ声が聞こえる。レオポルド様は逃げるように隣の部屋にグリーゼルを押し込み、自分も入る。
エルガー殿下が通り過ぎるのを、グリーゼルの肩を抱いたまま、ただ無言で待った。静寂だけが酷く耳を打つ。
言わなければ……そればかりが頭に過るが、エルガー殿下の言葉が蘇り、口を開けない。
足音が聞こえなくなってから、漸く意を決して口を開く。
「黙っていて、申し訳ありません。わたくしが呪いをかけたのは本当のことです。」
触れている肩から逃げるように踠くが、腕を掴んで離してもらえない。
「わたくしはここに……いいえ、貴方の側にいるべきではありません。」
「君が呪いをかけたことは知っていたよ。」
(え……今なんて……?)
そう告げたのは、空気が澄み渡るような優しい声だった。グリーゼルは俯いていた顔を上げて、信じられないという顔で尋ねる。
「……どうして……」
ーー知っていたのに追い出さなかったのですか?
「他のことも知ってる。君がエルガーと婚約していたことも……。どんなことをされたのかも……。」
「……全てご存知なんですのね……。ご存知の通り、わたくしはエルガー殿下を取られた嫉妬から、ナーシャ様に呪いをかけました。愛想をつかれて当然ですわ。わたくしのような女をエルガー殿下が愛する筈がないのです。」
「君にそう思わせてしまうなんて、あいつも婚約者失格だな。」
「いいえ、わたくしがあんまり構うので鬱陶しかったんだと思いますわ。」
「……それだけ愛おしかったんだね……。」
「……っっ!!」
思わず苦しくなった胸を押さえる。
……そうだ。私はエルガー殿下のことが大好きだった。
美しい私の王子様に振り向いてほしかった。
愛してほしかった……。
……ただ、辛く当たられて悲しかったんだ。
それを自覚した次の瞬間、レオポルド様は私を優しく抱きしめる。
「辛かったね。ここには僕しかいないから、泣いてもいいよ。」
それまで堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出した。
幾重にも溢れる涙は、どんどん流れてはレオポルド様を濡らした。
肩を涙で濡らしてしまっても、レオポルド様はそのまま抱きしめ続けてくださった。
次第にしゃくりあげ、子どものようにこれまでの気持ちを吐き出していた。
「わたくしは……ただ……」
「うん。」
しゃくり上げながら、辿々しく話すのを辛抱強く聞いてくれる。
「愛して……ほしかっ……た……だけ……なんです。」
「うん。寂しかったね。」
頬の上を暖かいものが滑っていくのが分かった。
前世の記憶を取り戻してから、一度も向き合うことがなかった感情が溢れ出る。押し込めていた感情にそっと触れて、優しく癒やしてくださる。
確かに私はエルガー殿下のことを愛していた。
もう届かないと知って、気づかないフリをしていただけで、確かに傷ついていたんだ。
レオポルド様がそれに気づかせてくれた。
もう一筋暖かい涙が頬を流れると、心の濁りがスーッと解けていくのを感じた。
レオポルド様は暫く私を抱きしめたまま、頭を撫でて、慰めてくれた。
漸く私のしゃくりあげる声が収まり、レオポルド様は抱きしめていた腕を緩め、確かめたかったことを尋ねる。
「エルガーは君がナーシャ・ペイジ男爵令嬢に呪いをかけたって言っていたようだね。」
腕の中でビクッと肩が震える。この方はもう全てご存知なのだから今更怯えることはない、とただこくりの頷く。
「これはただの憶測だけど……君は男爵令嬢の呪いを解いたんじゃないのかい?」
「!!……どうしてそれを……。」
「君がこの城に来た時には解呪の経験があるような素振りだった。『人の呪いを解いたことはない』とね。つまり自分がかけた呪いを解いたということかい?」
確かに言った。
しかしその一言だけで推測し、私が自分の呪いを解いたことまで導き出したということ……!?
「……えぇ、驚きましたわ。そこまでお気づきだなんて……。確かに私は呪いを解呪しました。ナーシャ様を呪ってもエルガー殿下は振り向いてくれないと気付いたんです。それで自分がかけた呪いを全て解きました。」
前世の記憶のことは言えないけど、それ以外は全てレオポルド様の予想通りだった。
レオポルド様は満足そうに微笑んで、それであれだけ解呪に詳しかったんだね、と納得したようだった。
「……それなら、この城にいてくれるね?」
何が「それなら」なのかさっぱり分からず、質問に質問で返すことになってしまった。
「いても宜しいんですか?わたくしは呪いをかけることができるんですよ。お嫌ではありませんか?レオポルド様の呪いだって本当はわたくしがかけたかもしれないのに。」
「この呪いをかけたのはグリーゼルじゃないよ。呪いをかけた本人が呪いのことを説明したりしない。」
「これだけ近くにいれば、また別の呪いをかけるかもしれません。」
「グリーゼルはかけないし、それに僕の呪いを解いてくれるんだろう?」
「~~っっ。」
私のことを信じてくださるの……?
呪いをかけたことはご存知なのに?
……そんなことってあるの?
……嬉しい。
呪いをかけられて苦しんでいるレオポルド様は、呪いをかけるような女は当然そばに置きたくないと思っていた。
でも呪いを解くまでは、いてもいいということだろうか……?
……そういえばナーシャ嬢は光魔法で呪いが解けることは、まだ言ってないんだろうか? ご存知ないのなら、ナーシャ嬢なら呪いが解けることを言わなくては……。
結局言えないまま、レオポルド様は私を連れて執務室まで戻った。
二人とは顔を合わせれば気まずい雰囲気になるので、極力会わないようにしていた。
それまでレオポルド様と一緒に取っていた食事も一人で取るようになったが、レオポルド様は何も言ってこない。
当然だ。私はここにいていいような者ではないのだから。むしろ今までが近すぎたんだ。
それでも任された仕事を放棄する訳にもいかず、黙々と研究を進める日が続く。
陛下から食料問題の封書が来た日……ナーシャ嬢が来た後に……トールキンが来て、作物の栽培を助けるような魔道具を作ってほしいと依頼があった。
ナーシャ嬢が持ってきた食料で解決したのではないのだろうか?
疑問に思いつつも、依頼された研究は着々と進めていた。
「でもこれは私では解決できないわね。レオポルド様に聞いてみないと……。」
レオポルド様のところに行けば、エルガー殿下かナーシャ嬢と会うことになるもしれない。
それでも依頼された仕事を進めるには、行かなければいけない。
重い腰を持ち上げ、レオポルド様の執務室まで行くことにした。
*****
レオポルド様の執務室の前まで行くと、話し声が聞こえていた。
やはりエルガー殿下がいらっしゃるようだ。
どうしてもノックすることができず、扉の前で固まっていると再び声が聞こえてきた。
「兄上、何度言えば分かるのですか!あの女……グリーゼルはナーシャに呪いをかけた女。そばにおいていてはいけません!」
「……っっ!!」
エルガー殿下の言葉に、血の気が引き、青ざめ、口元を押さえる。
いま……呪いのことを……。
呪いをかけたことが、レオポルド様に知られてしまった……。
私はここにいてはいけない……!
その場にいられず駆け出すと、もう足は止まらなかった。
どこでもいいから、逃げたい。今エルガー殿下はおろかレオポルド様のお顔だってまともに見れない。
そこに紅茶を持ったミーナがやってきたが、構わず走り去る。
「グリーゼル様!?!?」
それまで侍女だった頃でさえ、グリーゼルがはしたなく走る姿なんて見たことがなかったミーナは、様子のおかしさに驚いて声を上げる。
執務室の中からそれを聞いていたレオポルドは、扉を開けたミーナに聞き返す。
「グリーゼル……?」
答えを聞く間も無くすぐに追いかけようと立ち上がったレオポルドを、エルガーが腕を掴んで引き止める。
「兄上、聞いてなかったのか?」
「……離せっ!」
その手を振り払い、レオポルドも扉を出たがもうそこに人影はない。
「グリーゼル様ならあちらに走って行かれましたよ。」
ミーナが示した方向にすぐさま風魔法を走らせ、音を集めてグリーゼルの居場所を探す。……少しすると掠れるような呟きが聞こえてきた。
「……ごめんなさい。……ごめんなさい。わたくしはここにいるべきじゃないのに……!」
音から位置を特定して、風魔法で滑るようにグリーゼルの所まで飛ぶ。
数秒後にはグリーゼルの腕を掴んでいた。
驚いて振り向いたグリーゼルの瞳には涙が滲んでいる。
謝らなければ……今まで黙っていたことを。なぜ言わなかったと責められるのかしら。それともお優しいレオポルド様は、エルガー殿下の言葉を疑うのかしら。
私はエルガー殿下のおっしゃる通りの女なのに。謝って追い出されて、その後は屋敷に帰るだけ……。
「グリーゼル……」
レオポルド様が何か言いかけた時、後ろから兄上っと呼ぶ声が聞こえる。レオポルド様は逃げるように隣の部屋にグリーゼルを押し込み、自分も入る。
エルガー殿下が通り過ぎるのを、グリーゼルの肩を抱いたまま、ただ無言で待った。静寂だけが酷く耳を打つ。
言わなければ……そればかりが頭に過るが、エルガー殿下の言葉が蘇り、口を開けない。
足音が聞こえなくなってから、漸く意を決して口を開く。
「黙っていて、申し訳ありません。わたくしが呪いをかけたのは本当のことです。」
触れている肩から逃げるように踠くが、腕を掴んで離してもらえない。
「わたくしはここに……いいえ、貴方の側にいるべきではありません。」
「君が呪いをかけたことは知っていたよ。」
(え……今なんて……?)
そう告げたのは、空気が澄み渡るような優しい声だった。グリーゼルは俯いていた顔を上げて、信じられないという顔で尋ねる。
「……どうして……」
ーー知っていたのに追い出さなかったのですか?
「他のことも知ってる。君がエルガーと婚約していたことも……。どんなことをされたのかも……。」
「……全てご存知なんですのね……。ご存知の通り、わたくしはエルガー殿下を取られた嫉妬から、ナーシャ様に呪いをかけました。愛想をつかれて当然ですわ。わたくしのような女をエルガー殿下が愛する筈がないのです。」
「君にそう思わせてしまうなんて、あいつも婚約者失格だな。」
「いいえ、わたくしがあんまり構うので鬱陶しかったんだと思いますわ。」
「……それだけ愛おしかったんだね……。」
「……っっ!!」
思わず苦しくなった胸を押さえる。
……そうだ。私はエルガー殿下のことが大好きだった。
美しい私の王子様に振り向いてほしかった。
愛してほしかった……。
……ただ、辛く当たられて悲しかったんだ。
それを自覚した次の瞬間、レオポルド様は私を優しく抱きしめる。
「辛かったね。ここには僕しかいないから、泣いてもいいよ。」
それまで堪えていた涙が堰を切ったように溢れ出した。
幾重にも溢れる涙は、どんどん流れてはレオポルド様を濡らした。
肩を涙で濡らしてしまっても、レオポルド様はそのまま抱きしめ続けてくださった。
次第にしゃくりあげ、子どものようにこれまでの気持ちを吐き出していた。
「わたくしは……ただ……」
「うん。」
しゃくり上げながら、辿々しく話すのを辛抱強く聞いてくれる。
「愛して……ほしかっ……た……だけ……なんです。」
「うん。寂しかったね。」
頬の上を暖かいものが滑っていくのが分かった。
前世の記憶を取り戻してから、一度も向き合うことがなかった感情が溢れ出る。押し込めていた感情にそっと触れて、優しく癒やしてくださる。
確かに私はエルガー殿下のことを愛していた。
もう届かないと知って、気づかないフリをしていただけで、確かに傷ついていたんだ。
レオポルド様がそれに気づかせてくれた。
もう一筋暖かい涙が頬を流れると、心の濁りがスーッと解けていくのを感じた。
レオポルド様は暫く私を抱きしめたまま、頭を撫でて、慰めてくれた。
漸く私のしゃくりあげる声が収まり、レオポルド様は抱きしめていた腕を緩め、確かめたかったことを尋ねる。
「エルガーは君がナーシャ・ペイジ男爵令嬢に呪いをかけたって言っていたようだね。」
腕の中でビクッと肩が震える。この方はもう全てご存知なのだから今更怯えることはない、とただこくりの頷く。
「これはただの憶測だけど……君は男爵令嬢の呪いを解いたんじゃないのかい?」
「!!……どうしてそれを……。」
「君がこの城に来た時には解呪の経験があるような素振りだった。『人の呪いを解いたことはない』とね。つまり自分がかけた呪いを解いたということかい?」
確かに言った。
しかしその一言だけで推測し、私が自分の呪いを解いたことまで導き出したということ……!?
「……えぇ、驚きましたわ。そこまでお気づきだなんて……。確かに私は呪いを解呪しました。ナーシャ様を呪ってもエルガー殿下は振り向いてくれないと気付いたんです。それで自分がかけた呪いを全て解きました。」
前世の記憶のことは言えないけど、それ以外は全てレオポルド様の予想通りだった。
レオポルド様は満足そうに微笑んで、それであれだけ解呪に詳しかったんだね、と納得したようだった。
「……それなら、この城にいてくれるね?」
何が「それなら」なのかさっぱり分からず、質問に質問で返すことになってしまった。
「いても宜しいんですか?わたくしは呪いをかけることができるんですよ。お嫌ではありませんか?レオポルド様の呪いだって本当はわたくしがかけたかもしれないのに。」
「この呪いをかけたのはグリーゼルじゃないよ。呪いをかけた本人が呪いのことを説明したりしない。」
「これだけ近くにいれば、また別の呪いをかけるかもしれません。」
「グリーゼルはかけないし、それに僕の呪いを解いてくれるんだろう?」
「~~っっ。」
私のことを信じてくださるの……?
呪いをかけたことはご存知なのに?
……そんなことってあるの?
……嬉しい。
呪いをかけられて苦しんでいるレオポルド様は、呪いをかけるような女は当然そばに置きたくないと思っていた。
でも呪いを解くまでは、いてもいいということだろうか……?
……そういえばナーシャ嬢は光魔法で呪いが解けることは、まだ言ってないんだろうか? ご存知ないのなら、ナーシャ嬢なら呪いが解けることを言わなくては……。
結局言えないまま、レオポルド様は私を連れて執務室まで戻った。
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