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第五章その9 ~お願い、戻って!~ 最強勇者の堕天編

人殺し!

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 覗き込む黄泉人の姿を目にし、人々のパニックは収拾がつかないレベルに達した。

 それは守備隊の若い兵達も同じだった。

 これまで彼らは懸命に耐え抜いてきたのだが、あの魔王ディアヌスが倒された事で、その勇気は急速に衰えていたのだ。

『助かった!』

『これでやっと幸せになれる!』

『ずっと我慢してきたけど、もう怖い思いをしなくていいんだ!』

 一度そんな安堵を味わった以上、彼らの魔法はとけていたし、ただの経験の浅い若年兵に過ぎなかった。

 それでも彼らを責める事は出来ない。

 不安に押し潰されそうになりながら戦い抜いた彼らは、立派という言葉では表せないほどの英雄だからだ。

「皆、慌てるな! 全ての隔壁を作動させろ! 外部モニターで状況を確認、出られる通路を確保してから避難に移るんだ!」

 混乱した若者達を落ち着かせるべく、青年男性が声を張り上げた。

 片足を失い、それを松葉杖で補った迷彩服姿の男性……つまり旧自衛隊に所属していた人物である。

 彼の指揮に従い、兵達は次々に防災シャッターを作動させる。

 これなら仮に侵入されても、一気に全滅する事はないだろうが……

「黄泉人……!? 冷凍睡眠ねむらされてたはずなのに……!」

「恐らく魔族の……夜祖の配下の仕業ですね。黄泉人の収容場所も、この避難区に近かったはずですから」

 鳳は握り拳を口元に当てながら、悔しげに言った。

「しかし厄介です。彼らは一応被災者ですし、まともに攻撃出来ません。とても防ぎ切れるとは……」

 彼女の言葉通りだった。

 防災シャッターの一部が破られかけ、隙間から青黒い無数の手が覗くが、兵は撃つ事が出来ないのだ。

 それを見た子供達が泣き叫び、最早鳳の声すら聞こえにくくなった。

「押し戻せ! 元は人だ、ショックモード以外で撃つなよ!」

 元自衛隊員の指揮に従い、兵達は黄泉人を押し返そうとするが、相手はどんどん群がってくる。

『こっちへ来い! こっちへ来い!』

 黄泉人どもは唾液を滴らせながら、咆えるようにそう叫ぶ。

 それは人が喋るというよりも、高度な知能を持つ鳥が、覚えた言葉を何度も繰り返しているような印象だった。

 食事の際にはこれを言え。そう脳に刻み込まれているかのように。

 隔壁シャッターはますます引き裂かれ、対処する兵の何人かが押し倒されてしまった。

「う、うわっ、うわああああっっっ!!!!!!」

 泣き叫ぶ悲鳴、そして猛獣のごとき唸り声。

 黄泉人は次々飛び掛かり、倒れた兵の姿は見えなくなった。

 肉を引き裂き、骨を噛み砕く咀嚼そしゃく音。

 兵は次々髪や装備を掴まれ、引きずり倒されていくのだ。

 やがて兵の1人が、耐え切れず銃の基幹部をまさぐった。属性添加機を操作し、通常の発射モードに切り替えたのだ。

 彼はそのまま引き金を引き、トリガー全開で弾丸を連射した。

 青黒い血液が舞い散り、黄泉人達が肉片となって吹き飛んだ。

 それが発端となって、兵達は次々発砲したのだ。

 だがその時、対処する兵の後ろから、1人の女性が掴みかかった。

「撃たないで、私の子供なのよ!」

 だが、黄泉人となった者の身内なのだ。

 女性は尚も何かを口走りながら銃に抱きつく。

「やめろっ、やめろって言ってんだろっ!」

 抱きつかれた少年兵は叫び、次第に余裕が無くなっていく。

 眼前に迫る黄泉人に怯えた彼は、力任せに女性を振り回す。

 その瞬間、発砲音が響き渡った。
「あっ……ああああっ……!」

 血塗れで倒れた女性を見つめ、少年は青ざめて後ずさった。

「撃たれた! こいつら撃ちやがったぞ!」

 そんな叫びがあちこちで上がり、非難の声が兵達に降り注いだ。

「人殺し!」

「お前らいい加減にしろ!」

「この国から出て行け!」

 人々は怒鳴り、物を投げつけ、最早言葉の通じる状況ではない。

 そこにはもう、一欠けらの秩序すら残されていなかったのだ。
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