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第六章その3 ~敵も大変!?~ 川の魔王の反乱編

ディアヌスの反乱1

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(何故我は……まだ生きている?)

 騒がしい喧騒を避け、邪神は1人座していた。

 立ち上がれば4メートル近い長身で、長い髪には数本の角がのぞいている。

 首から下の全身を、黒い鎧のような外皮に覆われ、そのあちこちから鋭い突起が伸びていた。

 頬には戦化粧のような刺青があり、目は酸漿ほおずきのように赤い。

『彼女』こそ、つい先日までこの日の本を恐怖に陥れていた魔王ディアヌス。

 またの名を肥河之大神ひのかわのおおかみといい、神代の昔に暴れまわった八岐大蛇やまたのおろちが、人型に転じた姿なのだ。



 ディアヌスがいるのは、巨大な館の開口部だった。

 目の前には赤い鳥居と桜がそびえ、地下から呼び起こした大量の温水が噴き出しては、外の闇へと落下していく。

 滝のそばに荘厳な霊気が集まるように、山河の神たるディアヌスにとって、こうした水音こそが最も落ち着くものであった。

 ディアヌスは腹に手を当て、あの戦いを思い出した。

(確かに切り裂かれたはずだ。なのに何故生きているのだ……?)

 あの日自分は、人族の勇者が駆る巨大な鎧と対峙し、死力を尽くして戦った。

 もちろんそれまでにかなり消耗しており、また最後の最後に油断こそしたが、最終的に敗北を喫した。

 その事に不満はない。

 例えこの先何万年生きようと、あの戦いを経験しないよりはずっと良い。

 それほど満足のいく死闘だったし、神として満ち足りた最期のはずだった。

 ……それなのに、我が身は今なお生きているのだ。

 魂の核まで両断されたかに思えた斬撃は、この身の全てを奪いはしなかった。

 受肉した巨体からだのほとんどは滅びたものの、僅かな肉体だけは残っている。

(ふざけるな、この我が手心を加えられただと……!?)

 倒れたはずが生かされた。死んだはずが手加減をされた。

 その事が腹立たしく、ディアヌスは幾度となく唸り声を上げてしまう。

 ……それでも現時点でディアヌスは、荒事など念頭に無かった。少なくとも、あの発言が無ければだ。



「……………………」

 ふと足音を聞きつけ、ディアヌスは視線を上げる。

 男女数人の邪神どもが、こちらに向かって来ているのだ。

「なんと良い夜だ、実に目出度めでたい」

「ああ、この花もみやびだこと。ぜひわらわの守護花としたいものじゃ」

「桜であろう? 確か富士の女神の花であったな」

 彼らは上機嫌で歩みを進め、そこでディアヌスの存在に気付いた。

「おお、これは肥河殿ひのかわどのか」

 男の邪神が、少しあざ笑うように声をかける。

「容態はいかに? 人間どもに遅れをとり、手ひどい目に遭ったそうだな」

 他の邪神も面白そうに笑ったが、ディアヌスは戦うつもりは無かった。

 ただ座したまま、目に力を込めて睨みつける。

「……去れ。叩き殺すぞ、三下ども……!」

「ぐっ……!」

 邪神達は気圧けおされたように後ずさった。

 やがて男の邪神の1人が、悔しまぎれに言い返す。

「ぶ、無礼者が。恐れ多くも仄宮ほのみや様が家臣に対して……!」

「それがどうした。文句があるならかかって来い」

 ディアヌスが唸るように言うと、邪神達は更に後ずさる。

 要するにこいつらは、魔王のきさきにこびへつらって出世した連中だ。

 ご機嫌取りは上手くても、戦いに関してはディアヌスの敵ではない。

「……ちっ、まるで獣よ。これだから山河の神は……」

 彼らはきびすを返しかけたが、よほど悔しかったのだろう。

 派手がましい衣を着た女の邪神が、去り際に捨て台詞を言った。

「……ほんに惨めよ。貴様の縄張りがどう処されるか、何も知らぬのであろう?」

「…………何だと?」

 ディアヌスはまじまじと女邪神の顔を見る。

 相手は目をにんまりと歪め、面白そうに続けた。

「言うた通りよ。貴様の鎮座地など、この日の本と共に消え去るのじゃ」

 ディアヌスの動揺に効果ありと感じたのか、他の邪神も後を受ける。

「大地は一度無に返され、新しく創造するのだ。多くの山神や自然じねん神は、帰る場所すら失うであろう」

「我らはいち早くお教えいただいたのだ。貴様と違い、仄宮様の覚えがめでたいものでな」

 邪神達はそこでいっせいにあざ笑った。

 だがディアヌスは聞いていなかった。

(何だと、消す……!? この我の鎮座地たる山河を? 誰がいつそんな話に同意したのだ……!!?)

 駆け巡る思考は、瞬間的に幾多の疑問符を投げかける。

(新しい創世だと? 知らぬは山神ばかりだと!? だとすれば、ずっと我をたばかっていたのか……!!?)

 疑問符は数限りなく集まり、やがて憎悪へと形を変えた。

 憎悪は憤怒へと飛躍し、憤怒は殺意となって燃え上がる。

「……………………」

 やがてディアヌスはゆっくりと立ち上がった。

 身の内に駆け巡る激しい邪気で、傍らの巨木が火の粉を上げてぜた。

 考えるより早く体が動き、邪神の1人の顔を掴んだ。

 そのまま力任せに振り回すと、床に叩き付けたのだ。

「きっ、貴様っ、我らに歯向かうとは……!!」

 残る邪神は後ずさるが、それを逃がすようなディアヌスではなかった。

 手を伸ばし、片手に1人ずつ掴んで持ち上げると、怒りのままに咆哮を上げた。

「おおおおおおおおっっ!!! 出て来い夜祖よ、この我をたばかったな!!!」
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