色褪せたこの世界で

紫蘭

文字の大きさ
1 / 1

色褪せたこの世界で

しおりを挟む
目覚ましが鳴り響くちょうど5分前、意識が浮上する。6時25分。染み付いた習慣はあと5分の二度寝など許してはくれない。
仕方なく布団から出て、スマホのアラームを切る。
カーテンを開くと薄暗かった部屋に日差しが差し込み、眩しさに紗菜は目を細める。どうやら今日は快晴らしい。
顔を洗って、シャツに着替える。
冷蔵庫を開けて、昨日の残り物で適当に朝ごはんを済ませ、メイクをしたら、ジャケットを羽織って家を出る。通勤用の黒いトートバックはパソコンと資料で鉛のように重い。
満員電車に揺られ紗菜は会社へと向かう。望んでついた訳では無い営業職。適性も特別あるとは思えない。売上という数字に追われながら、ただ惰性で毎日を生きる。

出社して、掲示板とメールのチェック。それが終わったらひたすら営業。別に何が嫌だという訳でもない。特別ブラックな会社では無いし、普通の会社で、普通の仕事。
それでも日々世界は色褪せ、同じ日が繰り返されていく。

今日も一日、何となく生きて、紗菜は会社を出た。定時より1時間後。真夏の外は既に暗く、都会の狭いどんよりした灰色の空には星のひとつも見えない。
あまりにも憂鬱すぎて、紗菜はイヤホンを取り出して、スマホのプレイリストからシャッフルのボタンを押した。

~♪
流れてきたのは、学生時代によく聞いていた大好きなアイドルの曲。正直、今のスマホにも入っているとは思ってなかった。
シュールでくだらない、ちょっと笑える。それがあの頃聞いたこの曲の印象だった。だから、ふっと笑えると良い、そんな気持ちで特に意識を集中させるわけでもなく軽いBGMとしてその曲を流し続けた。

なのに……。
ツーっと頬に雫が流れた。泣ける曲だなんて思ったことはない。なのみなぜか涙が溢れてくる。たまらなく悲しいわけでもない。意味が分からず、駅へと向かっていた紗菜の足は歩みを止めた。
あの頃と同じ曲、同じ歌詞、同じメロディー。何も変わっていない。
変わったのは、紗菜の方だった。
歌詞が今までとは全く違って聞こえる。
この曲はただシュールで面白い曲じゃない。毎日必死に仕事をしている人に寄り添う曲だった。

紗菜はずっと社会人になんてなりたくなかった。社会人になっていいことなんて一つもないと思っていた。
でも、この曲がこんなにも美しく沁みるのならば。
社会人になるということも、それはそれで良かったのかもしれないと初めて紗菜は思った。
だってキラキラと鮮やかに輝いていた学生時代には絶対に気づけなかったから。

たった1曲で世界が鮮やかに蘇る、なんてことはない。学生時代のような輝きは戻ってこない。世界は未だに色褪せたまま。それでも、まだ、頑張れる。

紗菜はポケットからスマホを取りだし、リピートボタンを押した。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

残業で疲れたあなたのために

にのみや朱乃
大衆娯楽
(性的描写あり) 残業で会社に残っていた佐藤に、同じように残っていた田中が声をかける。 それは二人の秘密の合図だった。 誰にも話せない夜が始まる。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる

処理中です...