サラ・ノールはさみしんぼ

赤井茄子

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本編

おひとりサラの優雅な休日

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 サラ・ノールは、久々のお休みを満喫していた。行きつけの小物屋さんで紫色の薔薇のブローチを買い、巷で評判の喫茶店に入り足を休める。日当たりの良いお気に入りの席で、三段重ねの焼き立てほかほかパンケーキを頬張ろうと口を開け…………彼女は顔を顰めた。

「何の用ですかぁ?」

 彼女に無断で、向かいの席に滑り込んできた男が艶やかに微笑む。後ろで一つに括られた銀髪がそよ風に揺れ、琥珀色の瞳が日に当たって金色に煌めいていた。
 突如として現れた壮絶な美青年に、周囲でお茶を嗜んでいた乙女たちが俄に色めき立つ。熱気が立ち昇り、穏やかだった店内は恋の狩場に変わろうとしていた。しかし、当の本人はそんな熱気はどこ吹く風でパンケーキごしに少女を見つめ続けている。

「つれないことを言わないで下さい……貴女に会いに来たんですよ」
「………何で私の休みをご存知なんですぅ?」
「企業秘密です…ああ、今日も愛らしいですね、サラ」


 涼やかな目元を細め、熱っぽくサラを見つめる超絶美青年。

 その視線をゴミを見るような目で打ち返すサラ。

 奇妙な男女のただならぬ雰囲気を感じ取り、店内は肉食獣の狩場からゆっくりといつもの穏やかさを取り戻していった。何故なら、関わると面倒くさそうだったからだ。そして、その予想は概ね当たっていた。

「その心底どうでもいい家畜を見るような眼差し、たまりませんねぇ」
「………ストーキングしない分、家畜の方がまだマシですよぉ」
「ふふふ、家畜以下の男に視姦されて震える貴女も最高です」
「あまりのキモさに震えてるんですよぉ…うぇっ……」

 静かに、しかし確実に息を荒げながら、テーブルごしに迫り来る美貌の変態……いや、ガールデン家の執事である男を睨みつけながら、サラは重いため息を吐いた。

 嗚呼、さようなら久々の休日。こんにちは職場の変態野郎。

「ガールデン家の執事は公衆の面前でセクハラ発言する人だって、『侍女の会』でバラされたいんですかぁ?」
「ふふ、じゃあ私は貴女が視姦されて興奮する変態だとご主人様方にバラしますね。嗚呼、嫁ぎ先はご心配なさらずに。私がもらってさしあげます」

 にじりよる魔の手をするりとかわし、サラは急いでパンケーキを頬張った。狐色の表面はカリッと香ばしく、中はフワフワ柔らかい。上にかかった塩バターの風味が、生地のほのかな甘さをよく引き立てている。流石はこの店自慢のパンケーキ……もっとゆっくり味わって食べたかった。目前の男に恨みがつのる。

「謹んでお断りいたします。変態の嫁なんて御免ですよぉ」

 席をたち、さっさと会計…は、もう終わっていた。清楚な店員が頬を染めつつ、「お連れ様が先程お支払されました」とサラの背後にいる男を見る。サラはガクリと肩を落とし、男を睨みあげた。

「何がしたいんですかぁ?マクシムさん」
「いやぁ、貴女の栄養になるパンケーキの代金を私が支払うことで、間接的に貴女の血肉を構成して侵してしまおうと思いまして」
「え、何その言い方気持ち悪い。めっちゃ気持ち悪いです。やめてください。払わせて下さい」
「ははは口調が崩れるくらいの嫌悪を感じて頂けるとは……光栄ですよ。ぞくぞくします」

 美貌の変態ーーーーマクシムが、花も見惚れるほど麗しい微笑みを浮かべてサラの頬をねっとりと撫で………ようとしたので、サラは後ろに跳んだ。しかし、すぐに距離を詰められ手を取られる。早業である。しかも振りほどけない。見かけは細身だというのに、何だこの力は。サラの蟀谷こめかみに冷や汗が伝った。

「さぁ、サラ。次はどこへ行きますか?道すがら、貴女の嫌がる顔を堪能させてください」

 苦虫を噛みつぶしたような彼女の顔を眺めつつ、マクシムはうっとりと微笑んだ。どうやら、サラの街歩きに付いて来る腹積もりのようだ。………仕方ない。適当に付き合って、適当に逃げよう。サラは彼の腕をギリギリつねりながら、歯ぎしりしたい内心を押し隠しニッコリ笑う。この男の思う壺にならないように―――――この男を悦ばせないように。

「ほんと……勘弁してくださいよぉ、マクシムさん」








 サラ・ノールは、ガールデン家の若奥様つきの侍女である。若奥様…リリアーヌに幼い頃から仕えてきた腹心の部下であり、戦友であり………一番の友人でもあった。
 そんな彼女も、ガールデン家では新入りの身である。まだ肩身は狭いものの、先輩を立てつつ率先して仕事をこなすサラは概ね古参のメイドや侍女達にも受けがよく、それなりに可愛がられていた。……しかし、ある男だけは彼女の敵だった。
 その男の名はマクシム・レイドン。若旦那様……ライルの腹心の部下であり、どうやらサラを『別の意味で』気に入っているらしい。

『サラ?嗚呼、彼女は本当に素晴らしいです。簡単に屈服しない精神がとてもいい。調教しがいがありますよ』

 ある時、たまたま使用人部屋の扉の前で彼の言葉を盗み聞いたサラは、確信した。


 マクシムは変態だ、と。


 そもそも、日常生活で人間相手に「調教」だのという言葉を使う時点で信じられない。例えば、禿上がったおっさんがそれを言ったらあっという間にセクハラ野郎のレッテルを貼られ、社会的に抹殺されるであろう。
 ……しかし、マクシムという男は今なお悠々と屋敷を歩き、あの薄ら寒いキラキラした微笑みを浮かべてサラを追い回してくる。何故彼は社会的に抹殺されないのか?……理由は簡単。顔が良いからだ。しかも、『ちょっと』どころではない。『物凄く』顔が良いからだ。
 あの麗しい顔の男が、酷薄な笑みを浮かべてミスを詰ると、年頃のメイド達は涙ぐみつつも頬を染める。ある時、メイドの一人が「あんまり格好いいから、怒られても……いえ、むしろ怒られるのが堪らなくなるんです!何だかゾクゾクしちゃう!」といやに熱く語っていた。なるほど、サラも確かに、マクシムに『甚振るような叱り方』をされるとゾクゾクする………主に、気持ち悪さで。





「顔が良いって、お得ですよねぇ」

 街を歩く時、マクシムが隣にいると都合はいい。食べ物を買えば『おまけ』がつくし、彼が淡く微笑むとそれだけで金額が最大半額になる。ついでに「素敵な彼氏さんだねぇ!うらやましいよ!」と感嘆のため息をつかれる。心外だ。欲しいなら送り状をつけてくれてやりたい。むしろ貰ってくれ……切実な想いを押し隠し、サラはニッコリ笑って「ただの同僚ですよぉ」と否定する。その度に、マクシムは嬉しそうな顔をしてサラを見る。実に変態的だ。

「焼けたらみんなガイコツなのに、不公平ですよぅ」

 いっそ燃えろ!という熱い願いを込めて隣を見上げれば、蕩けるような金色とかちあった。

「サラは素敵なことを言いますね。でも、私はともかく貴女はガイコツになったらきっともっと可愛いでしょうね………なりたいなら、お手伝いしますが?」
「……お巡りさんコイツですぅ!たすけもがッ!!!」
「ははは、いけませんよサラ。往来であまり騒いでは」

 後ろから柔らかく抱き締める……フリをして、その実サラの口を片手で塞ぎ、通報を妨害する憎きマクシム。両腕に買い物袋を抱えていたサラに防ぐ手立てなどない。それでもサラがもがいていると、服が擦れ至近距離にいるマクシムから柑橘系の香りが漂ってきた。粘着質な変態のくせに、香りは爽やかとはどういう了見だ。

「余計なことを言う口は、塞いでしまいますよ?………今度は、唇で」

 耳元で囁かれる、甘やかなテノールボイス。悔しいことに、この男は声まで良い。先程まで気持ち悪かった男の声が腰に響き、ゾワゾワした感覚が這いのぼってくる。……その感覚に捕まる直前―――――サラは力いっぱいマクシムの足を踏みつけた。

「ぐっぅ……ははははは!!!悪い子ですねぇサラ!でもいい!だからこそ良い!最高だ!!お嫁に来なさい!」
「うるさい変態!寝言は寝て言えーー!!!!」

 尚も囲おうとしてくるマクシムの腕を買い物袋で容赦なく叩き落とし、サラはお屋敷の方向に走った。いかに完璧な男といえど、足を力いっぱい踏んづけられればスピードは格段に落ちる。彼が痛みから復活するまでに、安全地帯―――――サラの自室に逃げ込めば勝ちだ。至極楽しそうな笑い声を背にうけながら、サラは買い物袋を振り回し懸命にひた走った。









「……………あーーーーー、つかれたぁ……」

 買い物袋を作り置きの机の上にに放り出し、狭いながらも柔らかいベッドにダイブする。……随分乱暴に扱ったから、おやつ用に買い込んだビスケットは砕けてしまったかもしれない。粉々だったら、ティラミスの土台にしよう。
 化粧も落とさずお気に入りの枕に顔を突っ込み、深呼吸すると、枕に仕込んだポプリからジャスミンの優しい香りが鼻腔に広がる。

「ううう………………もうやだ………」

 だというのに、柑橘系の爽やかな香りが鼻の奥で消えてくれない。おまけに、耳元で囁かれたあのテノールボイスが脳内で勝手に再生され、あの時腰を駆け上がった感覚が俄に蘇った。サラの耳が朱く染まる。
 マクシムは顔が良い。それはもう、悔しいことに物凄く…………………サラ好みの造形なのだ。おまけに声も体も色彩も、悔しいことにすべてが彼女の好みど真ん中なのである――――性格以外。

「ううう………変態でさえ………!変態でさえなければ……!!!」

 そんな見た目がドンピシャ好みの男に、(イジメ目的とはいえ)毎日毎日構い倒されたら、いかにサラとはいえグラつかないわけがなかった。むしろ、いや絶対認めたくなかったが、もうその片足は深々と突き刺さっている…………『恋』と言う、底なし沼に。

「いやだぁ………あんな男いやだぁ……!私は気ままなおひとり様で、リリアお嬢様にお仕え尽して、晩年は可愛い犬を飼うんだぁあ……!!」

 片足立ちでぐらつきながら、底なし沼の中心でサラは力いっぱい叫んだ。


「あんな変態と恋とか、ぜーーーったい嫌だぁぁぁあ!!!!!!!」


 サラの悲痛な叫びはそのまま枕に吸い込まれ、くぐもって消えていった。
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