恐ろしき魔女とやさしい物の怪

uji-na

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第一話

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 物の怪モーは、丸まった綿毛のような姿をした妖精だった。
 妖精たちは木々の中にも、清いせせらぎの中にも、野原を駆ける風の中にもいた。黎明薄暮の明かりの中にも、いつでも、そしてどこにでもいた。
 しかし、モーはいつも独りぼっちだった。
 輝くような美貌、蝶や鳥のような美しい羽もなく、糸クズ綿クズをこねくり回したようなその姿が嫌われたのであった。同じ妖精たちからは獣と変わらぬ野蛮な物の怪と卑しまれた。

「モーが出たぞ、卑しい物怪もっけのモーモーが出たぞ!」

 妖精たちから住処の森を追われたモーは、今度は人間たちの集落を訪れた。
 しかし、そこでも彼は歓迎されなかった。人間たちからは田畑を荒らす気味の悪い獣だと見なされたのだ。

「出ていけ! 出ていけ! うちの畑を荒らす気だろう!」

「捕まえろ! 捕まえろ! 捕まえたら皮を剥いで殺してしまえ!」

 毛皮でも取ろうと思ったのか、人間たちの中にはモーを殺そうとする者すらいた。
 そして、ついにある時、モーは村の住人の一人が叩きつけるように振るった棒切れを思いきり体に受けてしまったのである。
 子犬程の大きさのモーの体は、蹴られた毬のように弾かれて、村の脇に広がる茂みの中へと吹き飛んだ。

「おい! やったぞ! 仕留めろ!」

 怒号が響き、村人たちの足音が迫って来る。
 このままでは本当に捕まって殺されてしまうと、モーはたまらず茂みから奥に続く森の中へと逃げ込んだ。
 彼が住処にしていた森とはまるで様子が違うその森の道なき道を進んでいく。
 どうやら人間の追っ手は撒いたようだったが、慣れない森の中では獣や猛禽の類に襲われないかの心配が出てくる。なるべく早く森を抜けようとふらつく体でモーは急いだ。
 しかし、踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂とはこのことか。
 慣れない土地で急いでいたのも重なってか、彼が進んだ藪中の先に待っていたのは急流。その場で踏ん張る間もなく、急ぐ勢いそのままでドボンと川の中へと飛び込んでしまった。
 容赦なく迫る水に押し流されて浮かんだり沈んだりしながら、モーは岸にもかからずにどんどんと知らぬ彼方へと流れ続けていく。
 流れる最中、川底を這う巻貝が言った。

「これより先に進んだら、恐ろしい魔女が待ってるよ。人も、獣も、妖精も。草木も、鳥も、何もかも。魔女の呪いにかかったら、みんな命は無いんだよ」

 モーは魔女と出会ったことはなかったが、巻貝の言葉に魔女とは余程恐ろしいものに違いないと思った。
 ただ、流れはますます速くなり、彼はそのままどんどんと流されていく。
 滝の激流にも似た流れに身を揺られながら、モーは静かに涙を流した。
 妖精たちに住処を追われ、人間たちには殺されかけ、そして今その恐ろしい魔女とやらのもとへ、なすすべなく流されている。そんな自身の無力さがモーには悲しかった。
 やがて流れがゆるやかになる頃には、広々とした大洋にまで流されていた。
 泣き疲れて微睡んでいたモーはゆったりと洋上に浮かんで漂っていたが、どこからともなく一匹の大きなふかが現れた。
 その大鱶は地揺れのような重く低い声色で妙なことを言いながら、背鰭だけを水面から出してどんどんと進んできた。

「うまそうだ。うまそうだ。喰ってやる。喰ってやる」

 その言葉にモーはぎょっとする。
 なんとか鱶と距離を取ろうと、もがくように泳いだがまるで意味がなかった。

「モーを食べてもおいしくないよ! モーを食べてもおいしくないよ!」

 追いかけてくる鱶にそう言ってみたが、鱶は相変わらずの威圧的な声で、

「喰ってやる。喰ってやる。逃げるな。逃げるな」

 と繰り返した。
 巻貝の言っていた魔女とはこの大鱶だったのだろうかと思いながら、迫りくる背鰭の恐ろしさにモーは震えだした。そして、鱶はついにモーの目の前にまでやってきた。

「……助けて。助けて。まだ死にたくない」

 その言葉は、別に鱶への助命の懇願ではなかった。さりとて、誰もいない洋上で誰かに救助を要請したわけでもなかった。ただ死を前にして自然と出た言葉だった。
 もうこれでおしまいだとモーが覚悟したところで、ふと鱶は動きを止めた。

「……あ、ああ、あああ!」

 鱶は言葉にもならない声を上げた。
 突如として、モーたちの丁度頭上の空に大きな光輝く塊が出現したのである。
 この奇妙な現象に、鱶はおびえた様子で言った。

「ひっ……魔女だ。魔女の魔法だ!」

 鱶は大きな体をくるりと回転させると、荒波をかき分けるようにして去っていく。
 その間にも、光の塊はその輝きの勢いを増しながら膨張していき周囲を満たしていった。
 これにはモーもただならぬものを感じて鱶同様に逃げようとしたのだが、荒れる波の前にモーの体はその場で揺れるばかりだった。
 やがて、輝きはすさまじいまでに周囲を照らし、天から大地へと降り来る雷のようにモーへと放たれたのだった。
 こうして、鱶に飲み込まれなかったモーは、輝く光の中に飲まれていった。

「……?」

 しかし、しばらく経っても何も起こらない。
 雷に打たれたような衝撃もなく、柔らかな光がモーを包んでいるだけだった。
 不思議なことに、いつの間にかモーを揺さぶる荒波も消え去ると、やがてはすべてを満たす光すらも引いていった。そうして、ようやくモーは自身が冷たい石の床へ投げ出されていることを確認したのだった。
 広い洋上から淡くひかめく窟屋いわやへと、モーは、まさに瞬間移動ともいうべき奇跡のような体験をしたのだ。
 ただ、モーは自身の無事を喜ぶでもなく、この冷たい窟屋で身を震わせる。
 がらんどうの窟屋は、まるで城の玉座の間のような厳かな雰囲気で、中心に置かれた神秘的な磐座いわくらの玉座には、絶対的な支配者を思わせる美しき主人が鎮座していたのだ。
 雪がそのまま化けたような淡い色合いの身体は、天地開闢てんちかいびゃく前の混沌のような濃紺のドレスに包まれている。
 そんな麗しき姿の魔女に、綿毛妖精モーは出会ったのだった。
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