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ユーステルの憂慮
しおりを挟むユーステルの元に事故の報告が上がったのは、翌朝だった。
執務机の前で報告書を読み終え、静かにその紙を置く。
淡々とした動きで、感情は深層に潜ませたまま。
「……以上が、昨夜の出来事でございます」
報告に来たのは宰相だ。
声は落ち着いており、言葉の選び方も付け入る隙が無さそうに見える。
「結界符が経年劣化により破損。そこに偶然、魔物が引き寄せられ……不幸な事故でございました」
ユーステルはすぐには口を開かなかった。
代わりに、もう一度報告書に目を落とす。
結界符:魔道士主導で設置
魔道具点検記録:異常なし
警備管轄責任者:宰相
「……宰相」
穏やかな声だった。
「結界符は、点検済みだったはずだ」
宰相は、わずかに目を伏せる。
「はい。しかし、この国の精霊の力は不安定な状態です。想定外の負荷がかかったのでは……」
「想定外、か」
ユーステルは言葉を遮らず、ただ問い返す。
「では……なぜ魔物の出現数が、通常の三倍と記録されている?しかもサンドワームなど、この地域には生息していない魔物だ」
一瞬の沈黙。だが宰相はすぐに言葉を継いだ。
「あくまで予想ですが、トーリ様の浄化の力に引き寄せられたのではないでしょうか」
用意していたように滑らかな口調で答える。
理屈としては、通る。
──だが。
「それならば尚更、警戒を強める判断をするべきだったのでは?」
ユーステルは、宰相を見据えた。
「危険を予測できなかったのか。それとも──予測しなかったのか」
落ち着き払った声。だが、刃のように鋭いユーステルの目が宰相を射抜く。
小さく拳を握った宰相は、ユーステルの言葉に何も返すことなく、ただ無言で深く頭を下げた。
報告が終わり宰相が退室したあと、ユーステルは深く息を吐いた。
机に置かれた書類の山。
帝国の未来。
そして──異母兄、トーリ。
正妃ラナと父ハウエルの間に子供がいたことは聞いていた。だがその生死は不明。だからこの十八年間、居ないものだと思って生きてきたのだ。
(……兄上が戻れば)
次期皇帝の座が揺らぐ。
それは事実だ。
皇帝を継ぐために学んできたこと、努力してきたこと。その全てが無駄になってしまう。だが──。
「……だからといって、排除していい理由にはならない」
小さく溜め息を漏らす。
初めてトーリの事を耳にした時に芽生えた焦燥感。そして、懸念。
あの時ユーステルは、自身の心が揺れるのを確かに感じた。
だが、初めて会った異母兄は皇帝に取り入ろうとする様子もなく、戸惑いながらもどこか他人事のようで、彼が望んでこの場に居るわけではないことは明白だった。そして気づいた、自身の心に根を張る恐怖心。
地位を奪われることを恐れているわけではない。この国が、誤った道を選ぶことを畏れているのだ。
精霊王スイハ。
浄化の力を持つトーリ。
彼らを敵に回す未来がどれほど愚かなものか、分からぬほどユーステルは愚鈍ではなかった。
その夜、ヴァネッサが珍しく部屋を訪ねてきた。
「……ユーステル」
そっとソファに腰掛けたヴァネッサの声は、どこか強張っている。ユーステルも倣うようにソファに腰をおろした。
向き合うユーステルに、ヴァネッサがおずおずと言葉を紡ぐ。
「今回の件は……不幸な事故よ」
ユーステルは一度言葉を飲み込み、そしてゆっくり口を開いた。
「……母上は、そう思われますか」
優しい問い。だが、逃げ場のない問いで返す。
ヴァネッサは、サッと視線を逸らした。
そして、伏せた目で静かに呟く。
「……そう、信じたいわ」
その一言で、十分だった。
普段迷いなく凛と背筋を伸ばす母が見せる、心許ない様子。
──ヴァネッサも確信はしていない。
ユーステルは、心の中で静かに結論を出す。
(宰相は、信用できるが……全面的に信頼に足るわけではない)
それは、皇太子としての冷静な判断だった。
もう遅いからと、ヴァネッサを自室へ促すと、ユーステルは一人になった部屋でそっと窓の外を見た。
それは新たに浄化された領地の方角。今まさにトーリがいる場所だ。
「……単なる事故ではない」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
「だが今は、証拠が足りない」
焦らず、感情で動かない。
それが、次期皇帝として学んできたことだ。
ここで焦りのまま動いたとして、証拠を消されては元も子もない。
(必ず、真相を掴む……この国のために)
そして、心の奥でもう一つ決意を新たにする。
(……兄上は、絶対死なせない)
ユーステルは、ゆっくりと拳を握った。
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