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禁忌
しおりを挟む意識が戻ったとき、トーリは冷たい石の感触を感じた。
視界に映るのは壊れた石造りの天井。記憶の最後はたしか──。
「……聖堂?」
視線を動かせば結界符が貼り直されたのか、魔物の気配はない。まるで浄化後のように瘴気も消えている。
(そっか、スイハが……)
「……トーリ」
名を呼ぶ声が震えている。怯えているような、悲しんでいるような、どちらともとれない声だ。
視線を彷徨わせると、すぐ傍にスイハがいた。
いつもの静謐な表情ではない。怒りと、恐怖と、焦燥。綯い交ぜになったそれらを、無理に押さえ込んでいる顔だった。
「……スイ……ッ」
声を出した瞬間、胸が焼けるように痛んだ。反射的に動かそうとした腕が上がらない。
「喋るな」
強い口調。
反して、その手は震えている。
トーリの身体は、内側からひび割れていた。
浄化の力を、限界を越えて引き出した代償として、魔力が内包されている核がその形を留められなくなっていたのだ。
「……ごめん」
痛みに堪えそう呟くと、スイハの表情が歪んだ。
こんな悲しい顔をさせたい訳じゃなかったのに。
「謝るな」
低い声が小さく響く。
「お前が謝る理由は、一つもない」
スイハの腕に支えながら上体を起こされ、ゆっくりと手を握られる。
次の瞬間、森のざわめきが聞こえた。
「……これが、世界の選択か」
唸るスイハの声が、聖堂内に響く。空気が一気に冷たくなった。
「この世界は瘴気に覆われ、魔王もまだ生きている……勇者は、未だその役目を終えていない」
「スイハ……」
スイハの怒りがはっきりと形を成していく。
「世界を救うと選ばれた者が、自分の物語に酔い、足を止めている間に」
視線が、トーリへと戻った。
怒りと不安に揺れる黄色い瞳。それはひどく澱んでいる。
「……なぜ、お前が傷つく」
トーリは息を飲んだ。
トーリとて、傷付くことを良しとしている訳ではない。叶うならば、魔物のいないあの森に──マシャールの森にずっといたかった。
そこで穏やかで、でも少し賑やかなライアンやニコと一緒に。そして、擽ったく思えるスイハの甘さに包まれていたかった。
滲む視界に反して、次から次へと、短くも楽しかった日々が脳裏に蘇る。
もう一度、あの日を取り戻したかっただけなのに。
「本物の聖女は消え、名ばかりの聖女は自身の欲に浸っている。精霊は去り、世界は壊れかけているというのに……役目を放棄した勇者の代わりに、なぜ、ただの薬師であったお前が命を削らねばならない。聖女の力など、継がなければ……」
世界を糾弾する言葉。スイハの声が、低く、深く沈んでいく。
本来、精霊王は人の世界へ深く干渉してはならない。
それは、平仄を合わせ、均衡を保つための理。決して崩れてはいけない、この世の原則だ。
世界を保つため定められた唯一で絶対の掟。
スイハの腕が強くトーリを抱き寄せた。
「……私は、王である前に、お前の伴侶だ」
スイハの額がトーリのそれにそっと合わさる。まるで宣誓のように。
すると、ぱぁっと光が発した。トーリの体の中に暖かいものが満ちていく。
スイハの力だ。
スイハの力が、枯渇したトーリの魔力を満たしていく。
本来、人間に魔力を譲渡するなど許されない行為。加護を与えることとは訳が違う。精霊王が自身の存在を削る禁忌だ。
「……スイハ、だめ……」
かすれた声でそれを拒む。
だが注がれる力が弱まることはない。
「……これは、私が選んだことだ」
浄化の光とは違う、深い森の力が、トーリを包んでいく。
砕けかけた命を、無理やり繋ぎ止めた。
「……お前が、この世界を背負う必要はない」
スイハの唇が、額に触れる。
そこでトーリの意識は途切れた。
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