勘弁してください、先生

KAHO

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第1章「先生と私」

day.1

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 大体そもそも何が間違ってたかって言うと、“その会社”に入ったってことだ。

 あの頃の『先生』は、笑顔が素敵な美男子だった。私が苦手だった数学を、何とか良い成績にしようと放課後にマンツーマンで教えてくれたり、時には冗談を口にしては目を細めて歯を見せて笑うその姿が、私の中では思い出深い。
 話してみると取っつきやすくて、綺麗な顔立ちにも負けない明るさを持つ。そんな好印象が相まってか、いつも休憩時間には複数の女子生徒に囲まれていたように思う。だから、マンツーマンで教えてもらった時間以外は、まるで一緒にはいられない別世界の人の様だった。

―――どの公式を使うのが基本だった?
―――えーっと... sin2θ+cos2θ=1 ですか?

―――その通り。三角比の相互関係の基本だ。これを使って sinθ を求めてごらん。

テストの補習さえも理解しきれていなかった私に、『特別の特別授業』と称して気分を害した様子もなく放課後の教室で向き合ってくれた先生。
 あの頃の先生を思い起こすと、とても懐かしい。一言で言えば、まさに―――“良い先生”その言葉に尽きた。
 ……けれど。

 「あの…部長、こちら、お持ちしました…『ヘルシースタイリー』の最終試作結果と、量産試算をまとめた申請書になります…」
 今の“先生”が出すオーラや言葉には、まるであの頃の面影は残っていない。その見惚れてしまいそうなルックスや“クール”系の髪型はあの頃の“先生”とは全く変わってはいないのに。
 私はいつもそうするように、目の前の『部長 緒方おがた祐馬ゆうま』とプレートが置かれたデスクに座る先生を恐る恐る盗み見た。書類を提出しに来た私は、普段なら滅多なことでは彼を直視しまいとして来た。しかし、この時ばかりは、無意識に相手の表情を伺ってしまう。
 この日も、渡された書類を一度軽く目を通しながらパラパラっと紙をめくるなり、“先生”は軽く顔をしかめてデスク席に腰掛けたまま私の顔を見上げる。
「畑中さん」
明らかに何かを叱責するその声色に、私こと畑中はたなか莉奈りなは『またやったか、私』とゲンナリと心中落ち込み、直視しない様にしながら「はい」とと表情を強張らせる。
「言っておくが、これは年間100億円の売上を見込む商品だ。『たかがの産地ひとつの変更』と思ってるかもしれないが、その一つで、工場全体に影響が出るんだ」
書類をデスク上にバサッと放り置くと、先生はしかめるように目を閉じ、片手で片眉をカリカリと掻いた。ふと目を開けた彼は告げる。
「捺印する前に、懸念点はないか、キミの口から今ここで要点を全て説明してみろ」

―――嫌がらせか?

思わずあの頃に比べてかけ離れるように態度の変わった先生に、私は心の内でそう言いたくなるのをグッと堪えた。
「分かりました…資料の要点は3点です」
そう一度区切ってから、宙を見上げながら内容の記憶を手繰り寄せて応えた。
「ひとつは、風味評価が平均4.5点とクリアした事。ふたつ目は、賞味期限テストも問題なしと言う事で―――」
そこで一度私は奥歯を噛み締めた。
「……三つ目の、コスト削減のために検討…した代替原料の…その…」
 説明したつもりだが、最も重要なコストの話でごまかした声を、彼は微塵も許さなかった。彼はヒラと私の顔を見上げると、部長席の肘掛けに片肘を付けたまま顔を傾げる。
「その代替原料だ。昨日の定例で懸念が出ていたはずだぞ。ブランドの安心感が生命線のうちで、安易な原料変更はブランド毀損につながりかねない。午後、じっくり時間取って聞くからネガティブな要素から順に、徹底的に洗い直して来るんだ」

 私、莉奈こと畑中莉奈は、今年で25歳になる。
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