3 / 57
第1章:予言とカウントダウン開始(残り90日)
1-3:氷の騎士、ハートのジャック
しおりを挟む
父クロードが、娘の突然の変貌に微かな希望を抱きつつ部屋を退出した直後、入れ替わるように、王女宮の空気は一変した。まるで、凍てついた風が吹き込んだかのように、温度が数度下がったのを感じる。
重厚な扉が開き、カツ、カツ、と大理石の床を叩くブーツの音が響いた。
「――王女殿下。女王陛下より、貴女の監視役を拝命した」
現れたのは、真紅の騎士服に身を包んだ、長身の男性。その騎士服は、女王の趣味を反映してか、不必要に豪華な金糸の刺繍が施されているが、彼の纏う冷徹なオーラが、装飾のけばけばしさを打ち消していた。硬質な黒髪を短く刈り込み、一切の感情を寄せ付けない氷のような青い瞳を持つ美丈夫。
ハートの騎士団長、ジャック。この国の武力を司る最高責任者である。
(来たわね。攻略対象①、ハートのジャック)
彼の存在感は圧倒的だ。しかし、私の前世の経験から言えば、彼は「疲弊しきった現場の責任者」に過ぎない。愚直で堅物な性格ゆえに、女王の理不尽な命令をすべて真面目に受け止め、その無理難題の遂行に、心身をすり減らしている人物だ。
そして、今の彼は、私リリアを「ヒステリックな女王の、泣いてばかりいる操り人形」 としか見ていない。彼にとって私は、女王の機嫌を損ね、彼の仕事を増やす、面倒な存在なのだ。
ジャックは、一歩も部屋の奥に入らず、扉付近に立ったまま、私を見下ろした。その青い瞳は事務的で、冷酷そのもの。予言を受けた直後の私が、恐れ慄いて泣いているとでも思ったのだろう。
「また泣いているのか。陛下のお手を煩わせるのも大概に願いたい。貴女の個人的な感情の揺れ動きで、我々騎士団のスケジュールがどれほど逼迫するか、ご存知ですか」
彼は、感情を抑えつけた低い声で、侮蔑の言葉を続けた。彼の眉間に刻まれた深い皺は、慢性的な疲労とイライラを物語っている。
だが、今の私に、怯えはなかった。前世で「お宅のケーキは甘すぎる」「なぜこの時間に用意できない」といった理不尽な要求を毎日のように浴びせられてきた経験が、私の精神を鋼のように鍛え上げていたからだ。
「監視、ご苦労さまです。ハートの騎士団長」
私は、椅子から立ち上がり、完璧なカーテシー(淑女の礼)と共に、はっきりとした声で言った。涙など、一滴も流していない。私の態度は、元社会人として、むしろ彼の上司に接する時よりも毅然としていた。
「は?」
ジャックの動きが、わずかに、本当にわずかに止まった。彼の青い瞳が、驚きに見開かれる。彼の計算では、この王女は、ここで泣き出すか、口答えをして騒ぎ出すかのどちらかだったはずだ。
「監視役ということは、しばらく私の護衛も兼ねるということですね。承知いたしました」
私は淡々と続けた。
「貴方が職務に忠実な方であることは存じております。私の行動が、貴方の騎士団の士気や規律を乱すことがないよう、私からも細心の注意を払います」
彼は言葉を失い、喉の奥で詰まったような音を立てた。その間、数秒。部屋には沈黙が支配したが、それは重苦しいものではなく、ジャックの思考が急停止したことによる、意図しない休止符だった。
「あ、あぁ。分かった」
動揺を隠せないまま、ジャックはぎこちなく敬礼を返す。いつもの彼なら、もっと鋭く冷徹に状況を掌握し、私を威圧したはずだ。だが、私の予測不能な対応に、出鼻をくじかれてしまったようだ。
(よし、まずは第一印象の刷新に成功)
私は内心、小さく息をついた。彼の侮蔑の視線が、ほんの少しだけ、「困惑」と「観察」に変わった。これだけでも大きな進歩だ。
「それで、ジャック団長」
私は一歩、彼に近づいた。その距離は、彼が警戒を解くほど近くはないが、敵対するほど遠くもない、絶妙な間合いだ。
「監視は結構ですが、私はこれから九十日後の『断罪』とやらに備えて、多忙になります。貴方の手を煩わせるような『無駄な行動』はしません。ご安心を」
「多忙? 貴女が?」
彼は、その「多忙」という言葉を、まるで理解不能な学術用語のように反芻した。
「ええ。破滅回避のための、タスク処理です。そして、そのタスクには、貴方方、騎士団の抱える『不満点』の解決も含まれています」
きっぱりと言い切る私を、ジャックは今度こそ、疑念に満ちた目で見つめた。
面白い。あの氷の仮面が、初めて「現場の苦労を知っているのか?」という戸惑いの表情を浮かべた。この調子なら、彼の信頼獲得も、そう難しくはないだろう。まずは、私の実務能力と、騎士団に対する理解度を示すこと。それが、この堅物騎士を攻略する鍵になる。
重厚な扉が開き、カツ、カツ、と大理石の床を叩くブーツの音が響いた。
「――王女殿下。女王陛下より、貴女の監視役を拝命した」
現れたのは、真紅の騎士服に身を包んだ、長身の男性。その騎士服は、女王の趣味を反映してか、不必要に豪華な金糸の刺繍が施されているが、彼の纏う冷徹なオーラが、装飾のけばけばしさを打ち消していた。硬質な黒髪を短く刈り込み、一切の感情を寄せ付けない氷のような青い瞳を持つ美丈夫。
ハートの騎士団長、ジャック。この国の武力を司る最高責任者である。
(来たわね。攻略対象①、ハートのジャック)
彼の存在感は圧倒的だ。しかし、私の前世の経験から言えば、彼は「疲弊しきった現場の責任者」に過ぎない。愚直で堅物な性格ゆえに、女王の理不尽な命令をすべて真面目に受け止め、その無理難題の遂行に、心身をすり減らしている人物だ。
そして、今の彼は、私リリアを「ヒステリックな女王の、泣いてばかりいる操り人形」 としか見ていない。彼にとって私は、女王の機嫌を損ね、彼の仕事を増やす、面倒な存在なのだ。
ジャックは、一歩も部屋の奥に入らず、扉付近に立ったまま、私を見下ろした。その青い瞳は事務的で、冷酷そのもの。予言を受けた直後の私が、恐れ慄いて泣いているとでも思ったのだろう。
「また泣いているのか。陛下のお手を煩わせるのも大概に願いたい。貴女の個人的な感情の揺れ動きで、我々騎士団のスケジュールがどれほど逼迫するか、ご存知ですか」
彼は、感情を抑えつけた低い声で、侮蔑の言葉を続けた。彼の眉間に刻まれた深い皺は、慢性的な疲労とイライラを物語っている。
だが、今の私に、怯えはなかった。前世で「お宅のケーキは甘すぎる」「なぜこの時間に用意できない」といった理不尽な要求を毎日のように浴びせられてきた経験が、私の精神を鋼のように鍛え上げていたからだ。
「監視、ご苦労さまです。ハートの騎士団長」
私は、椅子から立ち上がり、完璧なカーテシー(淑女の礼)と共に、はっきりとした声で言った。涙など、一滴も流していない。私の態度は、元社会人として、むしろ彼の上司に接する時よりも毅然としていた。
「は?」
ジャックの動きが、わずかに、本当にわずかに止まった。彼の青い瞳が、驚きに見開かれる。彼の計算では、この王女は、ここで泣き出すか、口答えをして騒ぎ出すかのどちらかだったはずだ。
「監視役ということは、しばらく私の護衛も兼ねるということですね。承知いたしました」
私は淡々と続けた。
「貴方が職務に忠実な方であることは存じております。私の行動が、貴方の騎士団の士気や規律を乱すことがないよう、私からも細心の注意を払います」
彼は言葉を失い、喉の奥で詰まったような音を立てた。その間、数秒。部屋には沈黙が支配したが、それは重苦しいものではなく、ジャックの思考が急停止したことによる、意図しない休止符だった。
「あ、あぁ。分かった」
動揺を隠せないまま、ジャックはぎこちなく敬礼を返す。いつもの彼なら、もっと鋭く冷徹に状況を掌握し、私を威圧したはずだ。だが、私の予測不能な対応に、出鼻をくじかれてしまったようだ。
(よし、まずは第一印象の刷新に成功)
私は内心、小さく息をついた。彼の侮蔑の視線が、ほんの少しだけ、「困惑」と「観察」に変わった。これだけでも大きな進歩だ。
「それで、ジャック団長」
私は一歩、彼に近づいた。その距離は、彼が警戒を解くほど近くはないが、敵対するほど遠くもない、絶妙な間合いだ。
「監視は結構ですが、私はこれから九十日後の『断罪』とやらに備えて、多忙になります。貴方の手を煩わせるような『無駄な行動』はしません。ご安心を」
「多忙? 貴女が?」
彼は、その「多忙」という言葉を、まるで理解不能な学術用語のように反芻した。
「ええ。破滅回避のための、タスク処理です。そして、そのタスクには、貴方方、騎士団の抱える『不満点』の解決も含まれています」
きっぱりと言い切る私を、ジャックは今度こそ、疑念に満ちた目で見つめた。
面白い。あの氷の仮面が、初めて「現場の苦労を知っているのか?」という戸惑いの表情を浮かべた。この調子なら、彼の信頼獲得も、そう難しくはないだろう。まずは、私の実務能力と、騎士団に対する理解度を示すこと。それが、この堅物騎士を攻略する鍵になる。
10
あなたにおすすめの小説
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
「貧相な小娘」と罵った第一王子へ。番(つがい)は貴方ではなく、国王陛下(お父様)でした
しえろ あい
恋愛
「お父様、わたくし、あの方と目が合った瞬間、分かってしまったのです」
十六歳のデビュタントの夜、ルーセント侯爵令嬢フェリシアを待っていたのは、残酷な罵倒だった。第一王子カシウスは、可憐な白いドレスを纏った彼女を「貧相な小娘」と呼び、己の番(つがい)であることを真っ向から否定する。
会場に響く冷笑と、愛用の刺繍に込めた自信さえ打ち砕くような屈辱。しかし、絶望の淵に立たされた彼女を見つめていたのは、王子ではなく、圧倒的な威厳を放つ「ある男」だった。
魂を焦がすような熱い視線が重なり、静まり返る謁見の間。この出会いが、王室を揺るがす大事件の幕開けになるとは、まだ誰も知らない。自身の価値を否定された少女が、真実の愛によって世界で最も幸福な王妃へと駆け上がる、逆転溺愛ストーリー。
※小説家になろう様にも投稿しています※
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
乙女ゲームのヒロインに転生したのに、ストーリーが始まる前になぜかウチの従者が全部終わらせてたんですが
侑子
恋愛
十歳の時、自分が乙女ゲームのヒロインに転生していたと気づいたアリス。幼なじみで従者のジェイドと準備をしながら、ハッピーエンドを目指してゲームスタートの魔法学園入学までの日々を過ごす。
しかし、いざ入学してみれば、攻略対象たちはなぜか皆他の令嬢たちとラブラブで、アリスの入る隙間はこれっぽっちもない。
「どうして!? 一体どうしてなの~!?」
いつの間にか従者に外堀を埋められ、乙女ゲームが始まらないようにされていたヒロインのお話。
私と母のサバイバル
だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。
しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。
希望を諦めず森を進もう。
そう決意するシェリーに異変が起きた。
「私、別世界の前世があるみたい」
前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる