転生王女の破滅回避プラン90! ~無自覚人たらし王女、アリスが来るまでに美形側近を溺愛モードにしていました~

とびぃ

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第3章:胃袋と現場を掴む(ジャック√導入)(残り75日)

3-4:夜なべの新作クッキー

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 ジャックの執務室を辞した後、リリアは王女宮へ戻ることなく、真っ直ぐに王宮の巨大な厨房へと向かった。
 午後九時。豪華絢爛な宮殿の中でも、北棟の騎士団詰所と並び、この厨房は最も現実的な「生活の匂い」が充満している場所だった。煌びやかなシャンデリアはなく、代わりに天井からは煤けたオイルランプが薄い光を投げかけている。石壁に沿って並ぶ大釜と巨大なオーブンは、日中の激務を終えて、ようやくその熱を冷まし始めているところだった。
 空気はまだ熱気を帯び、残り火の燻る匂い、そして古びた油の匂いが混ざり合い、リリアの鼻腔をくすぐった。この匂いこそが、前世の彼女にとっての「戦場」の香りであり、最も安心できる場所の記憶だった。
「おや、リリア様。このような夜更けに、どうかされましたか」
 厨房の奥、翌朝の仕込みの確認をしていた白髭の料理長、アントワーヌが、目を丸くして立ち上がった。彼は女王レジーナの舌を満足させる唯一の人間であり、城の中でも数少ない「実力者」の一人だ。
 リリアは、優雅なフリルの裾が床につくのも構わず、真剣な眼差しでアントワーヌを見据えた。
「料理長。今から、この厨房を使わせていただきます」
「はあ? 使わせていただくとは、何を仰せで? 王女様は、お菓子作りをなさる趣味など」
「趣味ではありません。業務(タスク)です」
 リリアは、一瞬にして「王女」の仮面を脱ぎ捨て、前世の「オーナーパティシエ」の顔になった。その変わりように、アントワーヌは言葉を失った。
「騎士団の栄養改善計画、最初の試作品(サンプル)を作ります。予算は未だ下りていませんので、材料は私の個人経費で賄います」
 彼女は懐から、白ウサギの執務室からくすねてきた(正確には代行決済した)自身の小遣いと、宝石の換金で得た金貨の入った小袋を取り出した。王女としては破格の行動だ。
「必要なのは、オートミール、ナッツ類、干しぶどう、そして最低限の甘味料と油脂。全て、貴方の手持ちの中で最も安価なもので構いません。いえ、安価である方が望ましい」
 リリアの淀みない指示、そして材料の品種まで指定する正確さに、アントワーヌは反論の機会を完全に失った。彼は長年、王族の「気まぐれ」に振り回されてきたが、これほど明確な目的とロジック、そして予算意識を持った王族を、見たことがない。
「王女様は、本当に、ご自身で?」
「ええ、もちろん。貴方に手伝っていただくのは、オーブンの温度管理と、調理器具の手配だけです。後は私が全て行います」
 数分後。
 厨房の一角に、リリア専用の作業台が用意された。豪奢なドレスの肩から肘までをたくし上げ、エプロンを締めたリリアの姿は、王族というよりは、十年以上のキャリアを持つ職人そのものだった。
 彼女の動作には、迷いがない。
 材料の選別、計量。オートミール、ナッツ、ドライフルーツ。通常は王宮の甘美なデザートには決して使われない、騎士団の配給スープにこそ入るような、粗野で安価な食材の山だ。
 リリアは、巨大なボールにそれらを投入し、全身の体重をかけて、素早く、しかし均一に、混ぜ合わせていく。その手つきは、まるで優雅なダンスのようであり、同時に、一切の無駄を許さない、極めて効率的な機械の動きのようでもあった。
(懐かしい)
 リリアの心は、激しく脈打っていた。前世、深夜の厨房で、新作のケーキを試作していた時の、あの集中力。目の前の生地に、全神経を注ぎ込む、この感覚こそが、彼女にとっての「生きている証」だった。
 混ぜ合わせ、成形し、オーブンの天板に並べられていくのは、丸型ではなく、四角く、ずっしりと重い塊。これこそが、提案書に記されていた「高密度エナジークッキー」の試作品だ。
「焼きは高温で短時間。水分を極限まで飛ばし、長期保存と高カロリーを両立させます」
 リリアの指示は、的確にアントワーヌに飛ぶ。アントワーヌは、もはや口を挟むこともできず、ただ圧倒されるばかりだった。
(まるで、職人中の職人だ。王族の姫君のやる仕事ではない)
 彼は、リリアの完璧な手際の良さだけでなく、彼女の「プロの目」に驚愕していた。彼女は、王宮の厨房の現状、オーブンの癖、安価な食材の特性を、まるで何年もここで働いていたかのように把握し、瞬時に最適なレシピへと落とし込んでいる。
 オーブンが開く。熱気がリリアの顔を襲うが、彼女はそれを避けることもなく、焼き加減を確認した。
 厨房を満たしたのは、バターの芳醇な香りではない。ローストされたナッツと、濃縮された穀物の、香ばしく、どこか力強い、実用的な匂いだった。それは、腹を満たし、戦いに向かうための、生命の匂い。
 出来上がったクッキーは、無骨で飾らない、まさに騎士団にふさわしい見た目だ。しかし、その内部に凝縮されたカロリーと栄養は、王宮のどの豪華なデザートよりも「価値」がある。
 リリアは、クッキーを冷ます間も休まず、それを一つ一つ、保存用の麻袋に詰め込んでいった。その総量、騎士団三百人分、一週間を賄えるほどの巨大な山だ。
「よし。これで、最初の土台はできた」
 東の空が、かすかに白み始めた頃。リリアはエプロンを外し、汗を拭った。顔には疲労の色が濃いが、その青い瞳は、任務を完遂した経営者の、揺るぎない確信に満ちていた。
 アントワーヌは、リリアの目の前で深々と頭を下げた。彼の目には、もはや驚愕だけでなく、畏敬の念が宿っていた。
「王女様、貴女様は、もはや職人の域を超えていらっしゃいます。このクッキーは、王宮の歴史の中で、最も『意味のある』お菓子となるでしょう」
 彼は、リリアが持つ、お菓子を「道具」として使う、その純粋な実務能力に、心底から惚れ込んだのだ。
 リリアは、彼の賛辞を静かに受け入れた。
「ありがとう、料理長。では、これを騎士団詰所へ。誰にも見咎められぬよう、夜明け前にお願いします。これは、ジャック団長への、私からの『最初の投資』ですから」
 彼女は、夜明け前の冷たい廊下を、重いクッキーの袋と共に、騎士団の詰所へと向かう。今、騎士団長の執務室には、私の提案書。そして、詰所には、この「現物」。
 ジャックは、私が突きつけた「論理的脅迫」と、この「無言の差し入れ」という、二つの決定的な証拠を前に、いよいよ決断を迫られることになる。
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