転生王女の破滅回避プラン90! ~無自覚人たらし王女、アリスが来るまでに美形側近を溺愛モードにしていました~

とびぃ

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第5章:権限を掌握し、心を癒やす(白ウサギ√導入)(残り50日)

5-1:魔窟と呼ばれる執務室

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 チェシャ猫との秘密の契約を終えてから、さらに十日が経過した。リリアの破滅回避RTAは、着実に、そして驚くべき速度で進行していた。
 ハートの騎士団は、リリアの『エナジークッキー』という名の『投資』によって士気が向上し、以前の疲弊しきった組織から、王女の忠実な『動く資産』へと変貌を遂げていた。ジャック団長は、護衛という名目で私的な監視を強化し、リリアの行く先々で、その熱い視線を向けてくる。彼の忠誠心は既に限界突破だ。
 また、情報屋チェシャ猫も、リリアの『シナリオライター』として、城の裏側の機密情報を、彼女が求めた最適なタイミングで、詩的な比喩に包んで提供してきた。彼が求める日替わりのスコーンも、リリアにとって厨房での気分転換のタスクとして、完璧にこなされていた。
(これで、武力と情報の基盤は整ったわ。次は、行政の掌握よ。この国の業務効率が、女王の気まぐれで決定的に損なわれている現状を放置すれば、私のRTAは必ずどこかで瓦解する)
 リリアは、自室の執務机に広げられた『王国行政組織図』の羊皮紙に、改めて最終チェックの印を書き込んだ。行政の要である宰相、白ウサギことラビの現状は、相変わらず芳しくない。騎士団が改善に向かう一方で、行政の業務は女王の度重なる命令と、父クロードと共に進めている「処刑回避のための裏工作」によって、既にキャパシティオーバーが続いていた。
 リリアは、王女の優雅なローブを脱ぎ、活動的な簡素なドレスに着替え、意を決してラビの執務室へと向かった。
 宰相の執務室は、王宮の一等地に位置するにもかかわらず、城内で最も「魔窟」と呼ばれるにふさわしい場所だった。それは、豪華絢爛な王宮の『病巣』が、そのまま凝縮されたような空間だった。
 リリアが重厚な木の扉を押し開けた瞬間、鼻腔を突いたのは、単なる埃や古い紙の匂いだけではなかった。それは、湿気と、古いインク、そして冷えきったコーヒーや、飲み残されたハーブティーが混ざり合った、『疲労と焦燥の匂い』だ。
 部屋全体が、文字通りの『書類の雪崩』に埋もれていた。高さ一メートルを超える羊皮紙の山が、大理石の床にところどころで崩壊し、優雅なマホガニーの机や、壁に沿って並ぶ書棚までが、その雪崩に飲み込まれている。美しいはずの書棚のガラス扉は書類で覆い隠され、窓からの光すら、書類の山に遮られ、部屋は常に薄暗く、昼間であるにもかかわらず、夕暮れのような陰鬱な空気で満たされていた。
 リリアの目には、その無秩序な書類の山が、彼女が前世で最後に見た、新作レシピのメモが散乱した、あの激務の果ての厨房の光景と重なって見えた。それは、この国の行政が、もはや『管理不能(アウトオブコントロール)』の状態にあることを示していた。
「これは、まさか、想像を遥かに超えているわね」
 リリアは、思わず心の声が漏れた。その光景は、一国の行政を司る宰相の執務室ではなく、追い詰められた錬金術師の研究所か、あるいは、終末を待つ図書館の廃墟のようだった。
 その書類の山の頂上、辛うじて空間を保っている机の上で、白ウサギことラビはいた。
 高級なはずの白いタキシードは、インクの染みと紙の埃で汚れ、襟元はよれ、いつもの整然とした彼の面影はどこにもない。疲労によって、ぴんと立っていたはずの純白のウサ耳は、見るも無残に力なくぺしょりと垂れ下がっている。彼の赤い瞳は、疲労で焦点が定まらず、その下の真っ黒なクマは、まるで殴られた後の痣のように、深く刻まれていた。
 彼は、羽ペンを持った手が、慢性的な痙攣で細かく震えているにもかかわらず、羊皮紙にひたすら文字を書き込んでいる。その姿は、まるで止まると死んでしまう時計仕掛けの人形のようだった。
「誰、ですか」
 ラビは、リリアの顔をろくに見ることもなく、低い声でそう言い放った。扉の開閉音すら、彼の集中を乱す雑音でしかないらしい。
「ノックをしても、返事をしても、勝手に入らないでください。ここは、この国の行政の中心、宰相の執務室です。王女殿下であっても、今は、一切の面会を」
 彼の声には、神経質な苛立ちと、限界を超えた疲労感が滲み出ている。リリアへの敬意よりも、一秒でも惜しいという焦燥が勝っているのだ。
「白ウサギ宰相、私です。リリアです。そして、貴方の執務室は、行政の中心ではなく、業務の『非効率の墓場』と化しています」
 リリアは、優雅なドレスの裾を気にする余裕もなく、書類の雪崩を慎重に避けながら、ラビの机の前に立った。
「この惨状を見てください。重要度の低い書類が、重要度の高い機密書類の上に無秩序に積み重なっている。これでは、女王陛下の次の命令が下った時、必要な法典や過去の決裁記録を、瞬時に探し出すことができません。これは、行政の『即応性』という観点から、極めて危険な状況です」
 リリアの指摘は、感情論を一切含まない、純粋な『経営者の監査レポート』だった。彼女は、ラビの個人としての苦労ではなく、この部屋が抱える『組織的なリスク』を、冷静に、しかし鋭く指摘したのだ。
 ラビは、その言葉に、羽ペンを机に落とした。カツン、という小さな音が、重苦しい静寂の中で耳障りに響き渡った。彼は、肩を深く落とし、深いため息を一つ吐いた。
「帰ってください、リリア様」
 彼の声は、もはや諦めの色に満ちていた。彼は、リリアの顔を見上げることなく、机の上に広がる書類の海を見つめたまま、言葉を続けた。
「貴女には、この業務の量が、そしてその中身が、どれほど重いものか、理解できません。私は、誰にも助けを求められない。私が倒れるまで、この業務をやるしかないのです」
 彼は、言い淀んだ。胸の奥に押し込めてきた、最も重い秘密を、限界の疲労が暴こうとしている。
「そうしなければ、女王陛下の命令の『フォロー』が、誰もできなくなる。この国の犠牲者たちが、処刑されるはずだった人々の命が、本当に失われてしまう。私の役目は、その『命の救済』を、この書類の海の中で、見つけ出すことなのです」
 彼は、疲労のせいで、ついに胸の内の「裏工作」の片鱗を口走ってしまった。その声には、深い疲弊と、誰にも知られることのない孤独な戦いへの絶望が滲んでいた。
「だから、今は静かに、優雅な王女として、バラでも眺めていてください。それが、貴女の『役割』なのですから。貴女がここにいれば、私の注意力が散漫になり、またどこかでミスを犯し、結果的に私の仕事が増えます」
 彼は、リリアを「無力な王族」として規定し、突き放すことで、彼女にまでこの過酷な責任を負わせたくないという、生真面目な正義感に突き動かされていた。彼の冷たい態度の裏には、彼女への無自覚な『配慮』が隠れている。
 リリアは、彼の言葉を、一切の感情を挟まず、冷静に受け止めた。彼女は知っている。この男は、自分が倒れるまで、他者に助けを求めることをしない、典型的な『仕事中毒(ワーカホリック)』の人間であることを。
「お言葉ですが、白ウサギ宰相。貴方の役割は『倒れること』ではありません」
 リリアの声は、冷たい氷のように鋭く、ラビの諦念を打ち砕いた。
「この国の行政を、常に『最高効率』で運営し、私の命の安全を保証すること。それこそが、貴方の、そして私にとっての、最も重要な共通認識(ファクト)です」
 リリアは、優雅なフリルの袖を、迷いなく肘までたくし上げた。その白い腕が露わになり、彼女の目の色が、パティシエとしての『戦場』へ移行したことを示した。
「これより、臨時ヘルプ(お手伝い)に入ります。貴方が倒れる原因となっている、非効率的な業務フローを、この場で徹底的に改善します」
 彼女は、ラビの返事を待つことなく、机の横にあった、いまにも崩れ落ちそうな書類の山の一つに、手を伸ばした。彼女の指先が、その山の中の、最も古く、最も埃を被った羊皮紙を、迷いなく抜き取った。
「まず、この『三年前に提出期限の過ぎた陳情書』。なぜ、まだここに残っているのですか? 時効を迎えた文書は、即時破棄対象です」
 リリアの、プロの経営者としての『監査』は、既に始まっていた。ラビの絶望と疲労の魔窟は、一瞬にして、リリアの新しい「戦場」へと塗り替えられたのだ。ラビは、目の前で起こっている、この予測不能な『業務効率化』の光景に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。彼の赤い瞳は、驚愕と、そして、かすかな『救済』の光を捉え始めていた。
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