『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園(フルーツパーラー)を開店する ~前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

とびぃ

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第三章:開拓(アトリエLv.1)

3-3:『改変』の兆し(野生の桃の木)

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翌朝、エリアーナは改装途中のアトリエをセバスに任せ、館の裏手の土地、昨日『インターフェイス』が微かに反応した場所へと向かった。太陽は、辺境の地の山々を乗り越え、荒涼とした大地に、しかし遮るもののない力強い光を投げかけている。その光は、王都の湿った空気の中のそれとは違い、冷たく、乾燥していた。
館の裏手は、正面よりもさらに荒廃していた。石壁は苔に覆われ、雑草が膝丈まで生い茂っている。王都の農学者が最も嫌う、水捌けが良すぎて常に乾燥している、黒い火山灰土壌だ。その土は、彼女のブーツの底でカサカサと乾いた音を立てる。
(こんなところに、まともな果樹など……)セバスならそう言うだろう。彼にとって、豊かな土地とは、水と養分をたっぷりと蓄えた、王都周辺の「肥沃な」泥土を指す。
エリアーナは、その雑草をかき分けながら、前へと進んだ。吹き抜ける風は冷涼で、肌に心地よい。その風が、どこか深いところで、彼女の『食材図鑑』のアンテナを揺らしている。
そして、彼女の視線の先に、一本の古木を見つけた。
それは、背丈は低いが、幹がねじ曲がり、太い根を大地に突き刺した、まるで老人のような木だった。その姿は、この過酷な環境で、長年、孤独に耐えてきた生命力の証だった。枝は細く、小さな未熟な果実が、申し訳程度に数個しかなっていなかった。その実は、まだ硬く、日光を浴びても鮮やかな色は持たず、くすんだ緑色をしている。
エリアーナは、その古木に近づき、そっと枝に触れた。
その瞬間、頭の中で「キィン」という鈴の音が再び鳴り響く。それは、前世で、完璧な温度に到達したキャラメルが発する、ガラスのような清澄な音に似ていた。
『食材図鑑(グルメ・インターフェイス)』起動。
目の前の光景に、青白い文字の情報が重なる。まるで、神の視点が、彼女の脳内に直接、データとして降り注いでいるかのようだ。
『品種:野生の桃(原種)』
『状態:安定(過酷な環境により高ストレス)』
『糖度:4(Brix)』『酸味:A(クエン酸優位)』
『香り:C(未熟)→ D(熟成後)』
『改変適性:S(品種改良の歴史が皆無の原種。前世の記憶を上乗せ可能)』
『推奨レシピ:コンフィチュール(Lv.1)』
「野生の、桃……」
エリアーナの瞳が、歓喜に震えた。彼女の呼吸が、この冷たい空気の中で、わずかに荒くなるのがわかった。
(糖度4、酸味A。完璧すぎる……!)
王都で出回っている桃は、甘味だけを追求した結果、酸味や香りの個性が削ぎ落とされ、味がぼやけたものが多かった。だが、この原種は違う。糖度は低いが、酸味が圧倒的に強い(Aランク)。これは、この過酷な土壌で、木が生き残るために必死に生成した有機酸の証。最高の風味のベースだ。そして、何よりも重要なのは――『改変適性:S』の文字だった。
「これよ、これ! 私が求めていたのは、この『キャンバス』そのもの! 王都の誰もが『不毛』と呼んだこの地の真価を、ようやく私が見つけたわ!」
エリアーナは思わず声を上げた。前世、パティシエール天宮茜は、品種改良が進みすぎた現代の食材に飽き飽きしていた。いくら技術を尽くしても、素材自体が持つ「生命力」や「個性の濃さ」には限界があったのだ。
(この世界の桃は、まだ「甘いだけ」の矮小な品種改良しかされていない。だから、この古木には、前世の『白桃』の記憶を、まるごと上書きできる! まるで、新品の粘土(ねんど)に、私の理想の形を彫り込むように!)
前世、彼女のパティシエ人生の全てを懸けても到達できなかった、素材の「原点」からの創造。品種改良という途方もない時間をスキップし、一瞬で『理想の食材』を創り出す。このチート能力が、この瞬間のために発現したのだと、エリアーナは確信した。
エリアーナの頭の中では、すでにこの桃を使った究極のタルトの設計図が組み上がっていた。サクサクのパート・シュクレ(タルト生地)の歯切れの良さ、アーモンドクリームのしっとりとした甘さ、そして、この野生の酸味を活かしたコンフィチュール。その全ての「完成図」が、目の前の古木から立ち上る情報と、前世の記憶とで、幾重にも重なり合い、彼女の瞳の中で渦を巻いている。
「セバスに、この木の周囲の土壌改良材の調査を依頼しなくては。火山灰土のミネラル分は最高だけど、保水性を高めるために、湖畔の泥炭を……」
彼女の独り言は、すでに『改変』後の栽培計画に移行していた。目の前の古木は、もはや単なる「木」ではない。彼女の「研究」が、この地で具現化するための、最初の、そして最も重要な『起点(マスターピース)』となったのだ。
彼女は、古木の幹を、抱きしめるように両手で包み込んだ。幹のザラザラとした樹皮の感触と、その生命力の強さが、指先から、掌(てのひら)から、彼女の全身にまで伝わってくる。それは、王都の退屈な茶会では決して感じることのできない、生の、荒々しい命の感触だった。
(お願い、この地の生命よ。私の『記憶』を受け取って。そして、この地の『テロワール』を、最高の形で表現してちょうだい!)
エリアーナは、目を閉じ、前世の記憶の最も深奥にある、「完璧な白桃」の姿を呼び出した。
その果実は、太陽の光を浴びて透き通り、一口食べれば、口の中で馥郁(ふくいく)たる香りが爆発する。とろけるような甘さと、それを引き立てる上質な酸味。夜明けの冷気が、その香りを包み込んでいる。その全てが、彼女の脳内に、完璧な設計図として存在している。彼女は、その「設計図」を、自らの魔力というインクで、この古木に、静かに、しかし力強く刻み付け始めた。
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