『元悪役令嬢、追放先で奇跡の果樹園（フルーツパーラー）を開店する ～前世パティシエールの技術でスローライフのはずが、王室御用達になってしまい

第十章：王室御用達と静寂の城壁（スローライフの完成）

10-6：スローライフの完成と、新たな探求

エリアーナの冷徹な宣言は、国王陛下に受け入れられた。国王陛下は、エリアーナの『純粋性』を貫く姿勢を、「王国の威信を守るための、最高の美学」として評価したのだ。王太子アズライトの屈辱と、王都の貴族の熱狂は、エリアーナを辺境の地に永遠に留め置くための、強固な『城壁』となった。
王都支店『秘密の庭園・王都店』は、アンナをシェフ・パティシエ、リュカを技術監督として、連日大盛況となった。アンナの作る『奇跡のパフェ』は、王都の貴族たちにとって、辺境の聖域から施される『恩寵』であり続け、その純粋な味覚が、王都のスイーツ文化を根底から変えていった。
リュカは、王都支店の立ち上げと、アンナへの技術指導という『期間限定の任務』を終えると、すぐに辺境のクライフェルト館へと戻ってきた。彼の場所は、王都の華やかな店ではなく、エリアーナの冷徹な知性が光る、このアトリエ（研究所）しかなかった。
リュカは、アトリエでエリアーナと再び『共同研究』に没頭する日々を送った。それは、世間が言う「王室御用達の公爵令嬢と天才シェフのロマンス」とはかけ離れた、カスタードクリームの乳化率、スポンジ生地のグルテン形成、そして新しい果物の『改変』のデータ解析という、知的で、刺激的な『スローライフ』だった。エリアーナは、唯一『食』で対等に会話できるリュカに、心を開いていた。アトリエの石窯の暖かな熱と、魔導コンロの青い光が、二人の静かな探求心を、優しく、しかし確実に照らし続けている。
しかし、エリアーナの『スローライフ（研究）』は、終わることを知らなかった。彼女のパティシエールとしての魂が、常に『次なる真理』を求め続けていたのだ。
王室からは、国王陛下のお気に入りとなった『白夜の桃のショートケーキLv.3』の、次の祝宴への納品依頼という、『莫大な予算付きの無理難題』が、辺境のアトリエ（本店）宛に届き続ける。それは、エリアーナの『静寂』を乱す新たな『ノイズ』でもあった。
「私のスローライフはどこへ！？ リュカ殿、見てちょうだい！ 次の祝宴のテーマは『チョコレート』ですって！ この国のどこにも、カカオ豆なんて存在しないのに！」
エリアーナは、勅命書に書かれた『チョコレート』の文字を見て、心底うんざりした顔をした。彼女が前世で、そのカカオ豆の原産地を視察中に事故死したという、運命的な因縁の素材だ。彼女の瞳の奥で、運命の歯車が、音を立てて回り始めた。
「クライフェルト様。国王陛下は、貴方様なら『不可能なこと』をも可能にすると、確信されているのでしょう。これは、貴方様の才能への、最大の『挑戦状』です」
リュカは、苦笑いしながらも、エリアーナの探求心が刺激されていることに気づいていた。彼の目には、エリアーナの技術が、カカオ豆という未知の素材を、いかにして『純粋な作品』へと昇華させるのか、その化学的なプロセスへの純粋な好奇心が宿っている。
「そうよ、挑戦状ね。私の前世（あかね）の魂が、この『ノイズ』に抗えと言っているわ。この世界にはないはずの素材を求める。これこそ、私がこの世界に来てから、ずっと夢見ていた『最高の研究課題』よ」
エリアーナは、ステンレスの調理台の上に、前世の記憶に刻まれた『カカオ豆の構造』の設計図を、魔力インクで描き始めた。その設計図には、発酵温度、ロースト温度、コンチング（精錬）の時間など、この世界の錬金術師が夢にも見ない、化学的なプロセスがびっしりと書き込まれていた。リュカは、その設計図の緻密さに息を飲み、彼女の天才的な知識に、改めて畏敬の念を抱いた。
エリアーナは、興奮を抑えきれない様子で、バルト商会への『最後の指令』の羊皮紙を取り出した。その羊皮紙には、彼女のパティシエールとしてのキャリアの原点であり、前世で達成できなかった『夢』が、ただ一行、記されている。
「リュカ殿、そしてセバス。バルト殿に、最後の、そして最も重要な任務を伝えなさい」
エリアーナは、セバスに、分厚い羊皮紙のリストを渡した。そのリストには、カカオ豆だけでなく、チョコレートの風味を引き立てるための『最高品質のスパイス』や『乳脂肪分の高い乾燥ミルク』など、新たな調達リストが細かく記されている。セバスも、そのリストの金額の大きさに驚愕しながらも、主の夢を叶えるための任務だと理解し、深々と頭を下げた。
エリアーナは、その言葉を、辺境の冷たい空気に、力強く響かせた。
「国庫からの無制限の研究費の全てを懸けて、『カカオ豆』を探させなさい。大陸の果てまで、商隊を派遣しなさい。あの、苦く、しかし究極の甘さを持つ、最高の『作品の骨格』をね」
彼女の瞳は、王都の貴族の群れではなく、遥か遠く、未知の新素材が眠る、大陸の未開の地を見つめていた。その表情は、王室御用達という地位ですら、単なる『研究の通過点』に過ぎないことを示していた。辺境の冷たい太陽が、彼女の顔を、新たな探求の光で照らし出す。
（私のスローライフは、今、ようやく『真の探求』という名の、新たな多忙の始まりを迎えたわ！ チョコレート。これこそが、私の『パティシエール人生の最終目標』よ！ 王都の喧騒から逃れ、最高の素材で、最高の作品を創り出す。これ以上のスローライフがあるかしら！）
彼女の冷徹な笑みは、最高の研究環境と、最高の探求テーマを得たことへの、心からの歓喜に満ちていた。
（Fin）