優しさの棲家

りこ

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 かくして、文化祭準備は始まった。とはいえ忙しい運動部に所属している身としては、正直なところ、直前になるまでやることはほとんどないに等しい。毎日部活に打ち込む日々が続いた。新人戦に出られるかどうかがかかっているのだ。

 紘人と共に朝練を終えて教室に駆け込むと、遥貴がいなかった。窓際の後ろのほうに目を向けても、その机は空っぽで、すぐそばの席で智也がひとり本を読んでいるだけだった。

「おはよう、智也。遥貴休み?」
 智也は目線をこちらに向けた。相変わらずの無表情からなにか読み取るのは難しいが、心なしか寂しげだ。
「まだ、今日は来ていない。休みかもな」
 それだけ言うと、また本に目線を落としてしまった。すぐにチャイムが鳴る。仕方がないからそれ以上の会話は諦めて自分の席に戻る。細胞の話も血液の話もどうでもよかった。今までだって遥貴が学校を休んだことはある。大袈裟だとか、深読みだとか言われればそれまでだ。それでも、虫の知らせとでも言うべき直感的な不安が胸を支配していた。

 そして、その嫌な予感は的中した。ちょうど4時間目が終わってお昼ご飯を食べ始めたころだった。がらりと教室の戸が開き、遥貴が現れた。大遅刻だぞ、と軽口でも言ってやろうかと思ったが、遥貴の顔を見た瞬間、それは引っ込んでしまった。

 顔色が悪い。病的なほどに白い。目の下にくまがある。足取りもすこしおぼつかなくて、ふらふらしている。
「遥貴、大丈夫か」
 さすがの智也も焦りを隠しきれないようだった。重力に引っ張られるように遥貴は自分の席に座ると、そのまま机に伏せてしまう。
「だい、じょうぶ。身体は、なんともなくて。ただ、ひとりで、いるの、こわくて……」
 うわごとのように遥貴が呟く。こんな状態で、無理を押してまで学校に来るほどひとりが怖いって、どういうことだ。
「遥貴、遥貴。なんかあった?大丈夫?」
 朝遥が声をかけても返事はなかった。耳を澄ませると微かな寝息が聞こえる。伏せたまま眠ってしまったのだ。聞きたいことは山ほどあったのに、それ以上はなにも聞けなかった。

 遥貴は放課後まで一度も起きなかった。先生もなにも言わないところを見ると、なにか事情があるらしいのは一目瞭然だった。終いには、SHRまでほとんどの時間寝続けたあと誰とも話すことなく、ふらりと帰っていった。

 これが明らかに遥貴の様子がおかしくなった初めの日で、何も知らない友人として振る舞おうという決意は、たった半日で瓦解してしまったのだ。


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