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16.【最終話:アデル視点】鏡合わせ
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ユリウスが消えてから、二年と言う月日はあっという間に流れた。今年もまた、何事もなかったかのように、王国議会終了を告げる夜会が開かれようとしている。
夜会に加えて自領に戻る準備に忙しくしている最中、アデルは実父であるエルバレイン公爵に、応接室に呼び出された。
「ようやくこの薬を手に入れた。アデル、飲め!」
アデルはエルバレイン公爵がテーブルに置いた薬瓶に目をやる。琥珀色の光を湛えるその薬瓶にはクレマチスの花が細工してあり、香水が入っていると言われても、信じてしまいそうなくらい、美しい。
「高価そうですが、これは…?」
「番解消薬だ。最近隣国で開発されたものを、取り寄せた。苦労したんだぞ、早く飲め!」
エルバレイン公爵に早く、と促されたが、アデルは薬を手に取らない。その様子にエルバレイン公爵は痺れを切らして捲し立てた。
「アデル…。いつまで番を失い、独り身を貫くつもりだ?もう二年、探し続けてみつからないのだ。ユリウスのことは諦めろ…!」
「私は番を失ってはいません。生きていますよ。私には分かります」
「アデル…」
通常、αとΩで番契約が結ばれると、それはどちらかが死ぬまで続く。だから番契約が有効だと言うことは、ユリウスが生きている証なのだ。
「それに『番解消薬』などと…。本当に効果はあるのですか?」
「効果が確かだから、αとΩ、両方の同意が無ければ処方しないという法案が、まもなく隣国で成立する。Ω保護で例外はあるらしいが、輸出側にも課されるようだ。だから、これが最初で最後の機会だ。アデル、飲んでくれ!」
法案が成立するということは、その薬は本当に効果があるのだろう。しかし、『番』とはαとΩで一つのはず。
「片方が飲むだけで、効くのですか?」
「二人同時に飲むと完全に番契約が解消されるが、片方だけだと不完全。しかし、αには特に効果があり、新たに番を持てるようになるらしい」
「Ωは…?」
「αほどでは無いが、発情期がかなり楽になるようだ」
番がいるΩが発情期にαと交われないのは、地獄の苦しみだとか。それ故に番を失うとΩは短命だと言われている。
「では、効果があるのは『Ω』だけでしょう?αは元々、番がいなくても生命に影響はないのですから」
アデルが中々薬瓶に手を伸ばさないと、エルバレイン公爵は声を荒げた。
「お前、私の話を聞いていたのか?!」
「はい」
「いや、全く聞いていないだろう!この薬を飲めば新たな番を持つ事ができるのだぞ!?お前は次期エルバレイン公爵。子をもうけないでどうする!」
「私には子供も、伴侶もおります」
「アデル……」
エルバレイン公爵は、ため息を吐くと、もう一度薬瓶を手に取り、アデルに握らせる。
「正式に離婚すれば、エルバレイン次期公爵は引く手数多。出来れば、今度の夜会までに、準備を整えたい。そこで発表出来れば、良縁を探しやすい」
「…父上はα同士の夫婦。『番』というものが分かってらっしゃらない」
アデルでさえ、よく分かっていないのに、番を持たない者に、それが分かるはずがない…。
「…番を解消すれば、その執着も消えるらしい」
(…執着?)
アデルは違う、と反論しようとしたが、父は話を止めない。
「アデル…。お前は私の一人息子だ。エルバレイン公爵はお前に継いで貰いたい。しかし、このままではヴァルター公爵の二の舞になるぞ」
「ヴァルター公爵が、何か…?」
「オーレル殿下との離婚と番解消を拒否され、結局、公爵の座を降りられた。名目上、宰相職に専念するとのことだが…。番を解消しない限り、再婚して子をもうけることが出来ないから、更迭されたのだ」
「…ヴァルター公爵の場合は、オーレル殿下をΩの男だと軽んじ、不遜な態度を取り、王妃の不興を買ったことが原因かと」
(ユリウスはオーレルに唆されて出ていっただけで、私は、ヴァルター公爵とは違う)
アデルの返答を聞いたエルバレイン公爵は、ついに頭を抱えてしまった。ややあって沈黙を破り立ち上がると、アデルを睨みつける。
「とにかく、まもなく議会は閉会し、夜会があるのだ。それまでに飲んでおけ!良いな!」
エルバレイン公爵はアデルを残して、応接室を出ていった。
アデルは父に手渡された、薬瓶を忌々しげに見つめる。
(こんな物を飲んで、ユリウスを楽になど、してやるものか…!)
アデルは薬瓶の蓋を開けると、窓を開けて中身を外に投げ捨てた。
王国議会は滞りなく終了し、それを労うための夜会が王城で開かれた。
アデルは会の中心にいる両陛下よりも、壁にひっそりと佇んでいる、ヴァルター元公爵、ヴァルター宰相を見ていた。
公爵の地位を失ったヴァルター宰相は仕事に没頭し、馬車馬のように働いているらしい。目は窪み、顔色は悪く、痩せこけている。
彼は会場の端から、王妃と談笑している女をじっと見つめていた。その女が王妃から離れると、その機会を待っていたとばかりに、彼女を追いかけ、声を掛けた。二人は連れ立ってテラスへと出ていく。
アデルも密かに、二人の跡をつけた。
「私はオーレル殿下のことは、何も存じ上げません!」
「けれど、あなたでしょう?オーレルが考案したチョーカーを売ったのは」
「それはそうですが、でも、それだけです。しかも、それも、もう二年も前になります」
宰相は女が『オーレルが考案したチョーカーを販売した』と言った。
(そう言えば、いつかユリウスが、サロンの会員が店を出して、チョーカーを買ったと言っていた。あれは、 オーレルが開発したものだったのか…)
「オーレルの逃亡資金を援助しているのではないのか?」
「そんなことしておりません!チョーカーにしても、殿下には謝礼さえ受け取って頂けませんでした」
(では、どうやって、オーレルは逃亡資金を得ているのだ?やはり、王妃からの援助なのか?それなら、追うのは難しくなる。きっと、ユリウスはオーレルと行動を共にしているはずだから…、すると、ユリウスも…)
アデルはそう考えると、何だか胸が苦しくなった。ヴァルター宰相も、同じ状態だったのか、懇願するように女に訴える。
「Ωが、社会に出て一人立ち出来るはずがない。誰かが必ず援助しているはずだ。正直に話して貰えれば、謝礼も支払う…!」
「初めから全てお話ししています。存じ上げないと!」
「お前はたしか、夫に捨てられたΩなのだろう?夫は、子爵だと聞いた。正直に話せば、お前の夫との仲を、私が取り持つこともやぶさかでない…」
「そんな脅しをされても、本当に何も知りません!」
「脅し?脅しなどでは無い。私はただ…」
「それに、私は自分の意思で番解消薬をのみ離婚しました。ですからその脅しは効きません!」
ヴァルター宰相は謝礼のつもりで復縁に協力すると申し出た事を『脅し』だと言われてしまい、慌てて女の手を掴み、引き止めた。
「何故だ?!お前は夫の、番だろう…!」
「では逆にお尋ねしますが、番だから、何だというのです?」
ヴァルター宰相は今度こそ言葉を失い固まった。女は走って、テラスを出ていく。
入れ違いで、人が入って来る気配がした。アデルが隠れていた場所から顔は見えなかったが、その人は美しいドレスと甘い、花のようなΩの香りを纏っていた。
「王妃殿下…」
「宰相…。私も、オーレルのことは申し訳なく思っています。でも、もう、貴方のその執着を、手放していただけませんか?」
「執着…?」
「ええ。これを…」
王妃がヴァルター宰相に手渡したのは、クレマチスの花が細工された、薬瓶。
(番解消薬だ…)
ヴァルター宰相はそれを見て顔を顰める。
「必要ありません」
「…宰相。飲んでください。それを飲めば貴方も公爵に戻れるでしょう」
「公爵の座に未練はありません」
「でも、オーレルの心は貴方から離れている。もし戻って来たとしても、もう…」
ヴァルター宰相は、渡された薬瓶をぎゅっと握り込んだ。微かに手が震えている。
「私達はどこにいても、番です」
「しかしそれでは、何も解決しないではありませんか」
「ご心配召されるな。今度オーレルに会ったら、もう一度、結婚式を挙げようと思っています」
「なぜもう一度、結婚式を?以前、盛大に挙げたはずですが…」
なぜヴァルター宰相が結婚式を再び挙げると言ったのか、アデルには分かった。
以前の結婚式で、彼は、愛を誓わなかったのだ。
(私と、同じように…)
「そんな事で、失った信頼を取り戻せると思ってらっしゃるの?」
「ですから、私達は何も、失ってはいません」
「……」
「それにオーレルは、ユリウス・エルバレインに唆されて出ていったに過ぎない」
王妃はため息を吐くと、少し苛立ったようにドレスを翻してテラスを出ていってしまった。
宰相は王妃が出ていってすぐ、蓋を開け、薬瓶をひっくり返すと、中身をテラスの地面に捨ててしまった。
「こんな物を飲んで、オーレルを楽になど、してやるものか…!」
(ああ……!)
ーー同じだ、と、アデルは思った。
(あの、目は窪み、顔色は悪く、痩せこけているあの男と……。私は、同じだ…!)
髪の色も姿形も似たところはないのに、まるで鏡合わせのように、アデルはあの男と同じなのだ。その事実に、愕然とした。
(私もあのように、ユリウスに執着し、醜悪な姿を晒している、ということだ)
ヴァルター宰相は、いつの間にか流していた涙を拭い、広間へと戻っていく。
(涙……)
アデルの胸はまた、痛んだ。それほどまで彼のことが分かってしまう、自分が嫌だった。
(…番が消えた喪失感は、失った者にしかわからない。その、後悔も。それに…)
どれだけ番を愛していたか、と言うことも。
彼がオーレルに再会したら結婚式を挙げると言ったのは、番に愛を伝えずにいたことを、深く後悔しているからだ。
(私は、どこからやり直せばいい…?ユリウスが流産しても仕事を優先した、あの時か?それとも流産後、また同じ結果になることを恐れてヒートを避けた時か?番になったが、男同士を恥ずかしがり結婚式を挙げなかった、あの日か…、それとも…)
アデルは先ほどヴァルター宰相がいた、テラスに立った。微かに、薬の匂いが鼻をつき顔を顰める。
(……けれど、私は、ヴァルター宰相とは違う…。私と、ユリウスの間には、子供がいるのだから…)
バルコニーから外を見ていると、ヴァルター公爵家の馬車が出ていくのを見つけて、アデルも広間へと戻った。
ーーその時、広間に流れていた曲調が変わった。笛をメインパートにした、まるで妖精が森を駆けるような、美しく、儚く、夢のような旋律…。
(何処かで聞いた気がするが…。これは、何の曲だったか…)
アデルが不思議に思っていると、近くにいた女達の噂話が聞こえて来た。
「素敵な曲ですわね」
「隣国で流行の曲らしいわ。作曲家は大変美しい人だそうよ。それも人気の秘訣なんですって」
「まあ、では演奏旅行でこちらにいらしたら、是非聞いてみたいわ」
「それがねぇ…、隣国での興行が引っ切りなしで、こちらには来られないらしいの」
「まあ、残念…」
(随分、景気のいい話だな…)
エルバレイン次期公爵の座が危ぶまれる、アデルとは大違いだ。
(……耳障りな曲だ)
アデルは音楽を楽しむ気分にはなれず、ヴァルター宰相と同じく、夜会の途中で辞去した。
ユリウスが消えてから、二年と言う月日はあっという間に流れた。今年もまた、何事もなかったかのように、王国議会終了を告げる夜会が開かれようとしている。
夜会に加えて自領に戻る準備に忙しくしている最中、アデルは実父であるエルバレイン公爵に、応接室に呼び出された。
「ようやくこの薬を手に入れた。アデル、飲め!」
アデルはエルバレイン公爵がテーブルに置いた薬瓶に目をやる。琥珀色の光を湛えるその薬瓶にはクレマチスの花が細工してあり、香水が入っていると言われても、信じてしまいそうなくらい、美しい。
「高価そうですが、これは…?」
「番解消薬だ。最近隣国で開発されたものを、取り寄せた。苦労したんだぞ、早く飲め!」
エルバレイン公爵に早く、と促されたが、アデルは薬を手に取らない。その様子にエルバレイン公爵は痺れを切らして捲し立てた。
「アデル…。いつまで番を失い、独り身を貫くつもりだ?もう二年、探し続けてみつからないのだ。ユリウスのことは諦めろ…!」
「私は番を失ってはいません。生きていますよ。私には分かります」
「アデル…」
通常、αとΩで番契約が結ばれると、それはどちらかが死ぬまで続く。だから番契約が有効だと言うことは、ユリウスが生きている証なのだ。
「それに『番解消薬』などと…。本当に効果はあるのですか?」
「効果が確かだから、αとΩ、両方の同意が無ければ処方しないという法案が、まもなく隣国で成立する。Ω保護で例外はあるらしいが、輸出側にも課されるようだ。だから、これが最初で最後の機会だ。アデル、飲んでくれ!」
法案が成立するということは、その薬は本当に効果があるのだろう。しかし、『番』とはαとΩで一つのはず。
「片方が飲むだけで、効くのですか?」
「二人同時に飲むと完全に番契約が解消されるが、片方だけだと不完全。しかし、αには特に効果があり、新たに番を持てるようになるらしい」
「Ωは…?」
「αほどでは無いが、発情期がかなり楽になるようだ」
番がいるΩが発情期にαと交われないのは、地獄の苦しみだとか。それ故に番を失うとΩは短命だと言われている。
「では、効果があるのは『Ω』だけでしょう?αは元々、番がいなくても生命に影響はないのですから」
アデルが中々薬瓶に手を伸ばさないと、エルバレイン公爵は声を荒げた。
「お前、私の話を聞いていたのか?!」
「はい」
「いや、全く聞いていないだろう!この薬を飲めば新たな番を持つ事ができるのだぞ!?お前は次期エルバレイン公爵。子をもうけないでどうする!」
「私には子供も、伴侶もおります」
「アデル……」
エルバレイン公爵は、ため息を吐くと、もう一度薬瓶を手に取り、アデルに握らせる。
「正式に離婚すれば、エルバレイン次期公爵は引く手数多。出来れば、今度の夜会までに、準備を整えたい。そこで発表出来れば、良縁を探しやすい」
「…父上はα同士の夫婦。『番』というものが分かってらっしゃらない」
アデルでさえ、よく分かっていないのに、番を持たない者に、それが分かるはずがない…。
「…番を解消すれば、その執着も消えるらしい」
(…執着?)
アデルは違う、と反論しようとしたが、父は話を止めない。
「アデル…。お前は私の一人息子だ。エルバレイン公爵はお前に継いで貰いたい。しかし、このままではヴァルター公爵の二の舞になるぞ」
「ヴァルター公爵が、何か…?」
「オーレル殿下との離婚と番解消を拒否され、結局、公爵の座を降りられた。名目上、宰相職に専念するとのことだが…。番を解消しない限り、再婚して子をもうけることが出来ないから、更迭されたのだ」
「…ヴァルター公爵の場合は、オーレル殿下をΩの男だと軽んじ、不遜な態度を取り、王妃の不興を買ったことが原因かと」
(ユリウスはオーレルに唆されて出ていっただけで、私は、ヴァルター公爵とは違う)
アデルの返答を聞いたエルバレイン公爵は、ついに頭を抱えてしまった。ややあって沈黙を破り立ち上がると、アデルを睨みつける。
「とにかく、まもなく議会は閉会し、夜会があるのだ。それまでに飲んでおけ!良いな!」
エルバレイン公爵はアデルを残して、応接室を出ていった。
アデルは父に手渡された、薬瓶を忌々しげに見つめる。
(こんな物を飲んで、ユリウスを楽になど、してやるものか…!)
アデルは薬瓶の蓋を開けると、窓を開けて中身を外に投げ捨てた。
王国議会は滞りなく終了し、それを労うための夜会が王城で開かれた。
アデルは会の中心にいる両陛下よりも、壁にひっそりと佇んでいる、ヴァルター元公爵、ヴァルター宰相を見ていた。
公爵の地位を失ったヴァルター宰相は仕事に没頭し、馬車馬のように働いているらしい。目は窪み、顔色は悪く、痩せこけている。
彼は会場の端から、王妃と談笑している女をじっと見つめていた。その女が王妃から離れると、その機会を待っていたとばかりに、彼女を追いかけ、声を掛けた。二人は連れ立ってテラスへと出ていく。
アデルも密かに、二人の跡をつけた。
「私はオーレル殿下のことは、何も存じ上げません!」
「けれど、あなたでしょう?オーレルが考案したチョーカーを売ったのは」
「それはそうですが、でも、それだけです。しかも、それも、もう二年も前になります」
宰相は女が『オーレルが考案したチョーカーを販売した』と言った。
(そう言えば、いつかユリウスが、サロンの会員が店を出して、チョーカーを買ったと言っていた。あれは、 オーレルが開発したものだったのか…)
「オーレルの逃亡資金を援助しているのではないのか?」
「そんなことしておりません!チョーカーにしても、殿下には謝礼さえ受け取って頂けませんでした」
(では、どうやって、オーレルは逃亡資金を得ているのだ?やはり、王妃からの援助なのか?それなら、追うのは難しくなる。きっと、ユリウスはオーレルと行動を共にしているはずだから…、すると、ユリウスも…)
アデルはそう考えると、何だか胸が苦しくなった。ヴァルター宰相も、同じ状態だったのか、懇願するように女に訴える。
「Ωが、社会に出て一人立ち出来るはずがない。誰かが必ず援助しているはずだ。正直に話して貰えれば、謝礼も支払う…!」
「初めから全てお話ししています。存じ上げないと!」
「お前はたしか、夫に捨てられたΩなのだろう?夫は、子爵だと聞いた。正直に話せば、お前の夫との仲を、私が取り持つこともやぶさかでない…」
「そんな脅しをされても、本当に何も知りません!」
「脅し?脅しなどでは無い。私はただ…」
「それに、私は自分の意思で番解消薬をのみ離婚しました。ですからその脅しは効きません!」
ヴァルター宰相は謝礼のつもりで復縁に協力すると申し出た事を『脅し』だと言われてしまい、慌てて女の手を掴み、引き止めた。
「何故だ?!お前は夫の、番だろう…!」
「では逆にお尋ねしますが、番だから、何だというのです?」
ヴァルター宰相は今度こそ言葉を失い固まった。女は走って、テラスを出ていく。
入れ違いで、人が入って来る気配がした。アデルが隠れていた場所から顔は見えなかったが、その人は美しいドレスと甘い、花のようなΩの香りを纏っていた。
「王妃殿下…」
「宰相…。私も、オーレルのことは申し訳なく思っています。でも、もう、貴方のその執着を、手放していただけませんか?」
「執着…?」
「ええ。これを…」
王妃がヴァルター宰相に手渡したのは、クレマチスの花が細工された、薬瓶。
(番解消薬だ…)
ヴァルター宰相はそれを見て顔を顰める。
「必要ありません」
「…宰相。飲んでください。それを飲めば貴方も公爵に戻れるでしょう」
「公爵の座に未練はありません」
「でも、オーレルの心は貴方から離れている。もし戻って来たとしても、もう…」
ヴァルター宰相は、渡された薬瓶をぎゅっと握り込んだ。微かに手が震えている。
「私達はどこにいても、番です」
「しかしそれでは、何も解決しないではありませんか」
「ご心配召されるな。今度オーレルに会ったら、もう一度、結婚式を挙げようと思っています」
「なぜもう一度、結婚式を?以前、盛大に挙げたはずですが…」
なぜヴァルター宰相が結婚式を再び挙げると言ったのか、アデルには分かった。
以前の結婚式で、彼は、愛を誓わなかったのだ。
(私と、同じように…)
「そんな事で、失った信頼を取り戻せると思ってらっしゃるの?」
「ですから、私達は何も、失ってはいません」
「……」
「それにオーレルは、ユリウス・エルバレインに唆されて出ていったに過ぎない」
王妃はため息を吐くと、少し苛立ったようにドレスを翻してテラスを出ていってしまった。
宰相は王妃が出ていってすぐ、蓋を開け、薬瓶をひっくり返すと、中身をテラスの地面に捨ててしまった。
「こんな物を飲んで、オーレルを楽になど、してやるものか…!」
(ああ……!)
ーー同じだ、と、アデルは思った。
(あの、目は窪み、顔色は悪く、痩せこけているあの男と……。私は、同じだ…!)
髪の色も姿形も似たところはないのに、まるで鏡合わせのように、アデルはあの男と同じなのだ。その事実に、愕然とした。
(私もあのように、ユリウスに執着し、醜悪な姿を晒している、ということだ)
ヴァルター宰相は、いつの間にか流していた涙を拭い、広間へと戻っていく。
(涙……)
アデルの胸はまた、痛んだ。それほどまで彼のことが分かってしまう、自分が嫌だった。
(…番が消えた喪失感は、失った者にしかわからない。その、後悔も。それに…)
どれだけ番を愛していたか、と言うことも。
彼がオーレルに再会したら結婚式を挙げると言ったのは、番に愛を伝えずにいたことを、深く後悔しているからだ。
(私は、どこからやり直せばいい…?ユリウスが流産しても仕事を優先した、あの時か?それとも流産後、また同じ結果になることを恐れてヒートを避けた時か?番になったが、男同士を恥ずかしがり結婚式を挙げなかった、あの日か…、それとも…)
アデルは先ほどヴァルター宰相がいた、テラスに立った。微かに、薬の匂いが鼻をつき顔を顰める。
(……けれど、私は、ヴァルター宰相とは違う…。私と、ユリウスの間には、子供がいるのだから…)
バルコニーから外を見ていると、ヴァルター公爵家の馬車が出ていくのを見つけて、アデルも広間へと戻った。
ーーその時、広間に流れていた曲調が変わった。笛をメインパートにした、まるで妖精が森を駆けるような、美しく、儚く、夢のような旋律…。
(何処かで聞いた気がするが…。これは、何の曲だったか…)
アデルが不思議に思っていると、近くにいた女達の噂話が聞こえて来た。
「素敵な曲ですわね」
「隣国で流行の曲らしいわ。作曲家は大変美しい人だそうよ。それも人気の秘訣なんですって」
「まあ、では演奏旅行でこちらにいらしたら、是非聞いてみたいわ」
「それがねぇ…、隣国での興行が引っ切りなしで、こちらには来られないらしいの」
「まあ、残念…」
(随分、景気のいい話だな…)
エルバレイン次期公爵の座が危ぶまれる、アデルとは大違いだ。
(……耳障りな曲だ)
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