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第8話 理事会の意向 ①
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「はい……」
「夜分にすいません……。102号室の滝川ですが」
「何かありましたか?」
「あ、あの……。前の土地に出来るマンション計画について、ご相談があるのですが……」
「ああ……、ちょっとお待ち下さい」
「……、……」
最初に少し警戒したような声を出されたときには、しまったと思った。
しかし、理事長の長谷川氏は、インターフォン越しにも分かるほど口調が突然変わり、優しげな感じになっている。
もう時刻は夜の九時近い。
こんな時刻に他家を訪問することが非常識であるのは分かっているが、小百合に電話してから不安でたまらず、夕食を片付け終わると思い切って理事長宅を尋ねたのだ。
だから、正直、もっと迷惑がられると思っていた。
しかし、それを押してでも、まずはこのマンションの理事会がどういうスタンスなのかを知りたかったのだ。
「前の土地のマンション計画ですか……。ええ、結構、住民の方から意見を寄せられています」
「あの……、どんな感じの意見が多いのでしょうか?」
「一番多いのは、工事の騒音ですね。何でも、工期が一年近くも掛かるらしいので、その間の騒音の被害に関しては敏感な方が多いです」
「騒音ですか……」
「あとは、やはりこれも工事中のことなんですが、土埃なんかの被害に遭わないかと心配なさっている方もおられますね」
「……、……」
長谷川氏は、湯上がりなのか寝間着姿であった。
私は初めて会ったが、なかなか感じの良いご老人である。
小百合は、隠居暮らしが長い……、と言っていたが、なるほど、もうあくせくしたところが何もなく、いかにも年金で悠々と暮らしていると言った感じだ。
「それから、リッチュウキについても、色々と言って来る人がいますね」
「リッチュウキ?」
「ああ、立体駐車場のことですよ。何でも、三階建てのが出来るらしいです」
「……、……」
「御存知かもしれませんが、立体駐車場と言うのは動かすと音がかなりうるさいのですよ。しかも、車に乗る人は朝早かったり夜が遅かったりしますから、その音をどうにかしてくれ……、とね」
「……、……」
立体駐車場かあ……。
そう言えば、図面を見たときに、それらしき物が出来ると書いてあったっけ。
皆、関心があるのか、色々と感じたことを長谷川氏に聞いてくるようだ。
「あと……。ごく少数ですが、ビル風を気にする人もおられますよ」
「ビル風って、もっと高層の建築物でないと起らないイメージがありますけど?」
「それが、そうでもないらしいです。隣の建物とあまり距離がない場合には、マンションとマンションの間にもビル風は吹くようです」
「……、……」
「って、これは、703号室の鈴木さんが教えてくれたのですがね」
「……、……」
長谷川氏はそう言うと、私の後ろ側をのぞき込むような仕草をした。
「お子さん……、おりこうですなあ」
「あ、いえ……」
「起きているみたいなのに、全然むずかりもしない」
「ええ……。あまり外に出ても泣かないので助かっています」
「ふふっ……、もう、おねむかな? 目がトロンとしてますなあ」
「そのまま寝てしまいそうですね。眠くなると、急に動かなくなりますので……」
長谷川氏は、いかにも好々爺と言った体で、裕太に笑って見せる。
しかし、裕太は関心がないのか、ぷいっと顔を背け、私の胸に顔を埋めてしまった。
「こりゃあしまった。嫌われちゃったかな?」
「いえ……、この子、笑いかけられると照れるみたいで、誰にも同じような反応をするんです」
「おおっ、もうそんな気持ちを示すのですか」
「誰に似たのか分かりませんが、かなりシャイみたいなんですよね」
「ふふっ……。じゃあ、早く話を終えてお家でおねむしましょうね」
「すいません……、こちらが押しかけてきたのに」
迷ったが、裕太を抱いてきて良かった。
独りで留守番をさせるのは怖かったし、かと言って、赤ん坊を露骨に嫌がる人も多いから、長谷川氏のような反応をしてくれると心底ほっとする。
「あ、話を戻しますね。そうだなあ、あとはテレビやスマホの電波の入りを気にする人もいましたか」
「……、……」
「電波についてはお互い様ですからねえ。そんな細かいことまでは言えないと私は思っていますけど、一応、要望があると聞かないわけにはいかないのでね」
「あの……、その他にはないのでしょうか?」
「うーん、そうねえ? 大体、そんなところかな、今来ている要望は」
「……、……」
「どうしました? 滝川さんは何か他にご要望がありますかね?」
「それが……、……」
「良いんですよ、何でも仰ってくれて。ただ、ご希望に添えるかどうかは分からないですが……。私共理事会は、相手の業者に要望を伝えるだけです。それを業者がどう扱うかまでは何とも言えませんし」
「……、……」
「ただ、このマンション全体のことに関わることですのでね。何もせず見逃すわけにはいかないのです」
「……、……」
私は、長谷川氏の話を聞いて、やはり理事会に相談しに来たのは正解だと思った。
他の人は、結構自分勝手なことも言っているようだし。
これなら、日照の件を言い出しても理解を示してくれるような気がしていた。
裕太ママ晴美の一言メモ
「他の人は色々と考えているのだなあ……。のほほんと構えていたのは私くらいなのかしら?」
「夜分にすいません……。102号室の滝川ですが」
「何かありましたか?」
「あ、あの……。前の土地に出来るマンション計画について、ご相談があるのですが……」
「ああ……、ちょっとお待ち下さい」
「……、……」
最初に少し警戒したような声を出されたときには、しまったと思った。
しかし、理事長の長谷川氏は、インターフォン越しにも分かるほど口調が突然変わり、優しげな感じになっている。
もう時刻は夜の九時近い。
こんな時刻に他家を訪問することが非常識であるのは分かっているが、小百合に電話してから不安でたまらず、夕食を片付け終わると思い切って理事長宅を尋ねたのだ。
だから、正直、もっと迷惑がられると思っていた。
しかし、それを押してでも、まずはこのマンションの理事会がどういうスタンスなのかを知りたかったのだ。
「前の土地のマンション計画ですか……。ええ、結構、住民の方から意見を寄せられています」
「あの……、どんな感じの意見が多いのでしょうか?」
「一番多いのは、工事の騒音ですね。何でも、工期が一年近くも掛かるらしいので、その間の騒音の被害に関しては敏感な方が多いです」
「騒音ですか……」
「あとは、やはりこれも工事中のことなんですが、土埃なんかの被害に遭わないかと心配なさっている方もおられますね」
「……、……」
長谷川氏は、湯上がりなのか寝間着姿であった。
私は初めて会ったが、なかなか感じの良いご老人である。
小百合は、隠居暮らしが長い……、と言っていたが、なるほど、もうあくせくしたところが何もなく、いかにも年金で悠々と暮らしていると言った感じだ。
「それから、リッチュウキについても、色々と言って来る人がいますね」
「リッチュウキ?」
「ああ、立体駐車場のことですよ。何でも、三階建てのが出来るらしいです」
「……、……」
「御存知かもしれませんが、立体駐車場と言うのは動かすと音がかなりうるさいのですよ。しかも、車に乗る人は朝早かったり夜が遅かったりしますから、その音をどうにかしてくれ……、とね」
「……、……」
立体駐車場かあ……。
そう言えば、図面を見たときに、それらしき物が出来ると書いてあったっけ。
皆、関心があるのか、色々と感じたことを長谷川氏に聞いてくるようだ。
「あと……。ごく少数ですが、ビル風を気にする人もおられますよ」
「ビル風って、もっと高層の建築物でないと起らないイメージがありますけど?」
「それが、そうでもないらしいです。隣の建物とあまり距離がない場合には、マンションとマンションの間にもビル風は吹くようです」
「……、……」
「って、これは、703号室の鈴木さんが教えてくれたのですがね」
「……、……」
長谷川氏はそう言うと、私の後ろ側をのぞき込むような仕草をした。
「お子さん……、おりこうですなあ」
「あ、いえ……」
「起きているみたいなのに、全然むずかりもしない」
「ええ……。あまり外に出ても泣かないので助かっています」
「ふふっ……、もう、おねむかな? 目がトロンとしてますなあ」
「そのまま寝てしまいそうですね。眠くなると、急に動かなくなりますので……」
長谷川氏は、いかにも好々爺と言った体で、裕太に笑って見せる。
しかし、裕太は関心がないのか、ぷいっと顔を背け、私の胸に顔を埋めてしまった。
「こりゃあしまった。嫌われちゃったかな?」
「いえ……、この子、笑いかけられると照れるみたいで、誰にも同じような反応をするんです」
「おおっ、もうそんな気持ちを示すのですか」
「誰に似たのか分かりませんが、かなりシャイみたいなんですよね」
「ふふっ……。じゃあ、早く話を終えてお家でおねむしましょうね」
「すいません……、こちらが押しかけてきたのに」
迷ったが、裕太を抱いてきて良かった。
独りで留守番をさせるのは怖かったし、かと言って、赤ん坊を露骨に嫌がる人も多いから、長谷川氏のような反応をしてくれると心底ほっとする。
「あ、話を戻しますね。そうだなあ、あとはテレビやスマホの電波の入りを気にする人もいましたか」
「……、……」
「電波についてはお互い様ですからねえ。そんな細かいことまでは言えないと私は思っていますけど、一応、要望があると聞かないわけにはいかないのでね」
「あの……、その他にはないのでしょうか?」
「うーん、そうねえ? 大体、そんなところかな、今来ている要望は」
「……、……」
「どうしました? 滝川さんは何か他にご要望がありますかね?」
「それが……、……」
「良いんですよ、何でも仰ってくれて。ただ、ご希望に添えるかどうかは分からないですが……。私共理事会は、相手の業者に要望を伝えるだけです。それを業者がどう扱うかまでは何とも言えませんし」
「……、……」
「ただ、このマンション全体のことに関わることですのでね。何もせず見逃すわけにはいかないのです」
「……、……」
私は、長谷川氏の話を聞いて、やはり理事会に相談しに来たのは正解だと思った。
他の人は、結構自分勝手なことも言っているようだし。
これなら、日照の件を言い出しても理解を示してくれるような気がしていた。
裕太ママ晴美の一言メモ
「他の人は色々と考えているのだなあ……。のほほんと構えていたのは私くらいなのかしら?」
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