BAMBOO SAMURAI

能馬仁

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 それは行き交う人の九割が振り返る喧騒だった。忙しないパトカーの音が幾台も連なる。
 交差点を渡ろうとしていた少女がぽかんとそれを見送り、それから、押しつけるように渡された号外で我に返ったように紙面へ目を落とし、「元号、明和だって」とつぶやいた。
 俺の隣では、急ぎ足のサラリーマンが、突然鳴り響く携帯に眉をひそめている。振り払われた号外新聞が俺の足許に落ちる。およそ三段階ほどの時差を置いて、すべての携帯電話が鳴っていく。足を止める余裕のある者から携帯のディスプレイを確認し、また、渡された号外を覗き込み、「明和だって」「明和」「そういえば今日からだったよね」「元号、変わったよ」「何ンなったの?」「だから、明和」ささやく声が広がる。
 あのパトカーは何だったんだろうなんて小さな疑問は、こうやって人々の頭から消えていく。



 時代の名前が変わった日の夕暮れ、一人のオリンピック金メダリストが死んだ。
 元メダリストの殺人事件というセンセーショナルなニュースにも関わらず、それは短いニュースで取り上げられただけで終わった。後は決して多くはないファンがそれぞれに在りし日の彼の雄姿をSNSにアップロードし、その周辺の人々が選手本人への敬愛と言うよりはネット上の友人への気遣いで口々に悼んでみせたのみで、一週間も経てばすっかり話題にも上らなくなった。
 オリンピック選手ではなくせめてパラリンピック選手であったなら、もう少し大きく報道されたかもしれない。しかし今やオリンピックに往時ほどの注目度はないし、種目も世界的にあまりスポーツ人口の多くない剣道であったことも災いした。
 もっとも俺にとってはそのほうが都合がいい。今日彼を殺した、俺にとっては。

   
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