或る日、男が

或る日、男が

　或ある日、男がいた。
　喫煙所に腰を落ち着かせたあとで、男が云った。

「どうにも、最近はひどいな……」

　男は新聞の一面記事を広げた。見出しに目を奪われた。

「第一回H賞受賞作、発売２週間で売り上げ３０００部を突破。」

　買うぞ。男は思った。H新人賞とは、有名な書房が行っている文学賞だ。

　男は、本屋に向かった。運よくあの本はすぐに買えたが、さほど面白いとは思えなかった。

『良い本』って書いてあったじゃないか――

　新聞の一面を、いくら読んでも、どこにも、H賞受賞作に「悪い作」とか、それに準ずる表現は見当たらなかった。

　それもそうか。権力ってむごいな。何でもかんでも権力のせいにしないとしたら、どうなるんだろうか……

　或る日、男がいた。
　喫煙所のベンチに腰を落ち着かせると、男は隣で坐っていた男に、なにやら云いだした。

「……そんなことがあってさァ」

　言われた男は、難しい顔をしていたが、やがてあきらめにも似た表情で、苦情をたらした男を見た。

「お前が審査委員なら、別の作品がH賞受賞作に選ばれて、賞金の七十五万円を取とってただろうさ」

　そっか、それもそうだな、と思って、男は一服すった。

　目覚めた時、恥ずかしかった。どうやら自分はいつの間にか眠ってしまったらしい。男は、「どうにも、最近はひどいなァ……」と云って立ち去っていった。