八千代を翔けて、愛う日まで

ゆらん

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03一緒に暮らし始めて

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 森の奥に続く境目の付近に、シロガネの家がある。
 コハクが寝ていたシロガネの私室とは別に、空き部屋があったので、その空き部屋をコハクの部屋にすることになった。
 これらの他にも仕事部屋がある。
 その部屋は、この家で一番広かった。
 にもかかわらず、棚には書物がいっぱいだった。収まりきれない書物や道具は、床にあふれていた。
 あちらこちらと、たくさん積まれて整理されずに置いてあった。
 あとは台所と、その隣は居間で、洗面所と風呂場があった。
 シロガネが、一人で住むには十二分に立派な家だった。むしろ、広すぎるだろうと思われる家である。しかも、コハクと一緒に住んでも十分な大きさであろう。
 にもかかわらず、コハクはなぜか小さいと思うのだった。
「手狭ですまないね」
 コハクの様子を察してなのか、シロガネが苦笑する。
「そ、そんなことないよ。ごめんなさい」
 シロガネの言葉に、コハクは申し訳ない思いになる。
「別に謝らなくていいよ。多分、コハクは手伝いなど必要ない裕福な家で生まれ育っただろうね。だから、住んでいた家も随分と大きかったんだと思うよ」
「そうなのかなぁ」
「そういう違和感というか、違いを感じる事が、記憶を取り戻す事に繋がるんだと思うから、気にする必要はないからね」
「うん、分かったっ」
 コハクが、ホッとした表情を浮かべた。
 
 コハクは、自身に関する記憶を失っているだけで、一般的な事は忘れていなかった。
 なので、一緒に生活していく中で困る事は無い。
 しかし、家事全般の知識が、ほぼない。
 食器を洗うのも、風呂を洗うのも、洗濯をするのも、干すのも、掃除をするのも初めてだった。
 掃除に関しては、ほうきや雑巾を使って掃除をする行為を知っているが、どこから何から始めて、どのようにすれば良いのかが分からなかった。
 それは掃除をしている様子は見て知っているが、実際にした事がないからだ。
 そして、シロガネの素早く手際よく滞りなく家事を行う姿に、コハクは感心した。
 だけど、コハクは、整理整頓に関しては上手であった。
 きっと、自身の部屋の片付けはしていたのだろう。
 シロガネはそんなことを思った。
 コハクの様子から色々なことを推測して、知っていくことが愉しくなった。

 シロガネが料理をする時は、初めての朝の時と同じように隣に立った。
 野菜を切って、炒めて、焼いて、混ぜる。
 料理をするには当然の行為であるのだが、シロガネが何かをする度に、コハクが感嘆して感心する。
 その繰り返しは、シロガネの心を揺らす。
 柔らかな小さな手で、心臓を撫でられているような感覚になった。この初めての感覚に、シロガネは落ち着かなくなる。
「大したことはしていないだけどね」
「そんなことない。ボクが作っても、シロガネみたいに、上手く出来ないよ。それに美味しくないと思う」
「それは経験値の差で、練習すればコハクも出来るようになるさ」
「そうかな?」
「やってみるかい?」
「今は、まだいいや。だって、ボクはシロガネの美味しい料理を食べるのがスキっだからね」
 無邪気な言葉に心が跳ねた。
 コハクの可愛い笑顔が眩しくて、シロガネは当惑する。その心を隠して平常心を装った。
「そうか。ならば、頑張って作らないといけないなぁ」
「やったー!」
 本来なら、手伝いをして料理を作れるように促すべきだろう。
 だけど、料理が美味しいと伝えてくれる優しさに、シロガネの心に温かさが滲んだ。
 これを機に、コハクの可愛い笑顔を見たいと思うようになれば、甘やかしてしまう事が多くなる。

 諸所、細かいことを挙げればキリはなく、家事や料理以外にも色々と知らない事は、たくさんあった。
 しかし、頭が良いので教えれば覚えは早いが、だからといって上手に出来るかというのは、また別の話である。
 そんなコハクに、シロガネは知らないことを教えていく。失敗しても怒らずに丁寧に伝える。その優しさに、コハクは嬉しくなって甘えられた。コハクの心の憂いを晴らしていく。
 シロガネと出会って一緒にいられることが喜びになった。
 こうして二人は、穏やかな日々の中で、一緒に暮らして、少しずつ互いの事を知っていった。

 ある日、シロガネは仕事部屋にいた。
 扉の向こうからトコトコと、音が聞こえた気がした。
 しばらくして、またトコトコと音がした。
 仕事に熱中していたシロガネが、その足音に気がついて仕事を中断した。
「コハク」
 扉の向こうで足音を立てているコハクを呼んだ。
 すると、ゆっくりと扉が開いた。その隙間から、コハクがそっと顔を出して、部屋の中を覗いてキョロキョロする。
 そして、シロガネの様子を窺った。
「どうしたんだい? 入っておいで」
「いいの?」
「別にかまわない。だけど、面白い物は何もないよ」
「ありがとう。仕事の邪魔になるかなぁって思ったんだ……」
「邪魔になるほど、ちゃんと仕事をして無いから大丈夫さ」
「それっていいの?」
 シロガネの軽口は、コハクを気遣う言葉だ。
 だからこそ、コハクは安心できて無邪気にクスクスと笑った。
「散策は楽しかったかい」
「うん。見たことのない草や木、花。それに鳥に虫も見つけたよ。それにね。シロガネが作ってくれた服も動きやすかった」
「それは良かった」
 コハクが着ていた服は、普段着として相応しくなかった。だから、シロガネは、コハクが外で遊ぶ為の服と、他にも何着か用意した。
「でも、帰って来たら、シロガネがいなくて……びっくりして。仕事するって言ったのを思い出したから、扉の前で終わるまで待っていたんだ」
「それで、痺れを切らしてウロウロしてたんだね」
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。帰ってきた事に気がつかなくて悪かったね。今度からは声をかければいい。寂しい思いをさせたようだ」
「さ、寂しくなんてないよ。暇だっただけ」
「そうかい」
「そうだよぉ」
 コハクは恥ずかしそうな表情を見せた。
 それは可愛らしくて、シロガネを楽しませる。
「外で何か、変わったことは無かったかい?」
「特に何もないかなぁ」
「この間も説明したけど、この森には動物もいるけど、魔物もいるからね。結界の外には、出ては駄目だよ」
「大丈夫、ちゃんと気をつけているよ」
「ならいいよ」
「ねぇ、シロガネの仕事は……。退魔士なんだよね」
「ああ、そうだよ。退魔士に興味があるのかい」
「わからない」
「そうか。だが、何かを知っているようなのは何故だろうなぁ」
「うーん、なぜなんだろうね?」
「身近に退魔士の者がいたのかもしれないね」
「そうなのかな……」
「ここには、陰陽道に関する本がたくさんあるよ。気になる物があれば、手に取って見ればいい。何か思い出すかもしれないよ」
「そうだね……」
 コハクは、静かに返答した。
 サッと部屋の中を見回すだけの様子から、乗り気ではないのは明らかだ。

 最初、シロガネの仕事が退魔士と知った時、コハクは、親近感と複雑で妙な思いが湧き出るような感覚になった。
 その気持ちが、どこから来るもので何故なのか。その理由は、記憶がないので分からない。
 ただ一つ言えるのは、呪術の存在を知っていて普通に受け入れられるという事だ。
 それは、いつもそばにあったという事になる。
 シロガネは、コハクの思いに気がついていた。
 覚えていないはずの記憶が、心に触れて揺さぶる。知らないはずの事柄が、心を叩いてかき混ぜる。それら全てを気に病んでいれば、不安になってしまう。
 だから、シロガネは、その心に寄り添って静かに見守り、優しく包み込んで受け入れる。
 いずれコハクが知りたいと望む日まで、シロガネは待ち続けるのだった。

 それでも、記憶がなくても生まれ育った環境は、身体に染みついているものである。
 コハクは素直で優しい心を持っている。記憶がない不安を除けば、天真爛漫で興味がある事には物怖じしない。そして、気に入らなければ難しい顔したり拗ねたりする。
 学があり、考え方や話し方から察すれば、高度な教育を受けていたと思われる。
 出会った時に着ていた服は質の良い物だった。
 礼儀正しく。身のこなしや箸使いなどから作法も心得ている。どれを取っても文句のつけようがない。
 それらを鑑みて、シロガネは、コハクが上級貴族の出身だと推測した。
 コハクが眠りについた夜更け。
 縁側にて、ひとり静かに月を眺めながら酒を呑み、物思いに耽るシロガネの姿があった。
「さて、いつかの上級貴族だろうなぁ……」
 シロガネが楽しそうに小さく呟いた。
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