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55話 敵の影
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タイラントベアは知能が高く警戒心の強い魔物である。
人間の気配を察知して避けてくれる相手だった。だから強敵ではあるがさして冒険者たちの怯える相手ではなかった。南の森に居ることは知っていても、気にするほどではない、そんな慢心とも言える環境が自由都市内部にはできつつあったのだ。
そんな環境の中にどっぷりつかった少年たちがいた。3人組の若手の冒険者である少年たちだった。一人は貧しい家族のために何度も盗みを働き監獄に送られた少女だ、もう一人は虐められていた友達を助けた際に不慮の事故で相手に大怪我を負わせてしまったという少年だった。
そんな中で彼らのリーダー格の少年クリスの事情は違った。ただ単に退屈だったからだ、毎日学校に通い、勉強をして、いい大学に入り、良い就職先を見つけて、延々と同じ仕事に勤しむ。彼はそんな平和な日常を生きることに飽き飽きしていたのだ。父や母とは不仲であり、半ば家出じみた経緯で自ら志願開拓者としてこの場所に来て、戦いと冒険を望んだ。
「次は南の森にでも行ってみるか?」
いたずらっぽく、にやりと笑う。いつもの慣れ切った狩場ではもう刺激がなかったのだ。
「でもあの森はタイラントベアがいる。やたほうがいいと思う」
警戒心の強い仲間の少女はそう口にした。
「面白そうじゃん。大丈夫だって。お前は相変わらず心配性だな」
しかしもう一人の仲間が乗ってきた。
そうして南の森の探検へと赴くことになる。
少年たち3人は駆け出しから卒業しつつある期間で、己の実力を敵の危険度を秤にかけて正しい選択をすることができなかった。
もっともそれは今この時期でなければ訪れなかったはずの出来事であったはずだ。何事もなく、少し背伸びした狩場に行って、苦戦もするだろうが何事もなく無事に帰れたはずだ。だが今日この時はそうではなかった。彼らは冒険者協会にあるタイラントベアの異常の警告を見落としていたのだから。
「なんだよくそ!」
彼らの中でリーダー格であるクリスが、野生をむき出しにして駆けるタイラントベアに向かって悪態をつく。知性があって襲ってこないはずだろ! 今までそうやって教えてくれた先輩たちに呪いの言葉を吐きたい気分だった。
「どうするの?」
「とにかく飛ばすしかない」
不安そうに問いかける後衛専門の魔術師である少女に答えた。鞭打つ必要もなく馬たちも必死に駆けている。背後に迫る存在に捕まれば己の命がないと分かっているのだろう。
「おい! 前見ろ!」
警告によって、不安につかれていた思考がはっと目覚めた。倒木によって街道が封鎖してあった。罠だったのか、そう考える余裕もなかった。急ぎ制止しようとするが興奮状態にあった馬は止まらない。彼らは倒木など飛んで越えられる、しかし馬車はそれに続けない。
次の瞬間、轟音と激しい衝撃が彼らに襲いかかった。
「うわあっ!」
激しい衝突によって少年少女らは馬車の中で全身が叩きつけられた。全員が咄嗟に魔術で身を守らなければ死んでいただろう。軽傷だったのは幸いだった。怪我をした頭に手をあてて、よろよろと外に這い出ると、彼らは絶望を見ることになる。
「た、タイラントベア」
狩場に追い込んだ獲物を狩るとでもいうように、二頭の魔物が姿を現したのだ。魔物が罠をしかけているなど思いもよらなかった。これも未熟さによる見立ての甘さが起因していた。
「逃げるぞ!」
まだ立てない少女を引っ張り上げて強引に立たせる。この戦力差では戦っても勝ち目はなかった。魔物たちにとって少年たちは敵ではなく餌にすぎなかった。
「はあ。はあ」
すっかり息を切らして逃げ続ける少年たちは、とある異変に気が付いていた。追いつてこないのだ、魔物たちが。それはつまり、待っているのだ、少年たちの体力が尽きるのを。
知恵があり、巧妙な魔物だ。そう分かっていても彼らには走ることしかできなかった。そして彼の中に徐々に誘導されていることを看過で来たものはいなかった。
気づけば目の前には断崖絶壁がそびえたっていた。袋小路に追い詰められ、もはや逃げ場がなかった。しかも体力を失ってしまっている、最悪の状況だ、しかし覚悟を決めるしかないと彼らは瞬時に悟った。
「やるぞ!」
少年たちは一斉に臨戦態勢を取った。生粋のアタッカーであるクリスが前衛を務め、もう一人の少年は魔術と剣術を得意とするオールラウンダーであり、魔術師の少女を守りつつクリスもサポートする。
いつものお決まりの得意のフォーメーションだった。
血走った目で突進してくる魔物に怯みそうになりながらもクリスは、深呼吸して足を地につけた。くる──魔物が剛腕を振るった。クリスの役目は足止め、まずは防御をと準備していた。それでもだ。攻撃を受け止めた瞬間に手から剣がもぎ取られそうになった。何とか耐えたが、びりびりと腕がしびれていた。何度も受け止めることはできなかった。
「ウインドカッター」
背後の仲間から援護射撃が飛んだ。しかし……。
「無傷だって?」
守護壁により弾かれていた。守護壁とは人間のみが使うものではない、その正体は身に宿る精霊の恩寵がその者を守るために展開されたものだった。魔術を使える者ならば何であろうと使える。
「もう一体を足止めしてくれ!」
「う、うん」
後衛の少女に怒鳴った。せめて一体ずつ戦わなければ、勝機はなかった。
「ローズガーデン」
芽吹いた茨がタイラントベアの体に幾重にも巻き付いた。これで目の前の敵に集中できると、ほっとしたたところで、それが間違いだったと思い知らされることになった。魔物は体が傷つくのを厭わずに茨を力任せに引きちぎる。血まみれになりながら茨の戒めを突破したのだ。
驚く暇はない、さらなる攻撃が襲い掛かったのだから。クリスはまたもや防御のために剣にマナを宿して待ち構えた。だが、まずいと悪寒が襲った。敵の腕には魔術が宿っている。筋力を強化する土属性の魔法だ。魔物の腕を受け止めた。そう思った瞬間だ。
「ぐあ!」
視界がぐるりと一回転して、宙に吹き飛ばされていた。
「くそ」
頭がガンガンと痛み、全身が軋みをあげていた。吹き飛ばされた時に庇った腕はヒビでも入ったのか剣を握ると激痛が走った。なんとか足は無事だった。剣を支柱にしてなんとか立ち上がろうとする。だが足は棒のように重く、微かに振るえていた。
「ここまでか……」
諦めが襲いかかった。だが、まだ仲間たちが戦っている、こんなところで諦めてなるものかと自らを叱咤して、そんな思いで立ち上がった。
その時に気が付いた、タイラントベアは残りの仲間たちに気を取られて自分のほうを気を向けてはいなかった。ならば──逃げれば助かるんじゃないか。そう魔が差した。彼らを犠牲にすれば自分は逃げられる。だって助けにいったところで意味なんてないだろう。みんな死ぬだけ、だったらそうするほうが正しいに決まっている。
──逃げよう。
クリスは己が馬鹿だったと気が付いたのだ。こんな瞬間に。死にたないと気が付いた。平穏な日常がどれほどありがたいものだったかを。
謝りたい人たちがいる。また会いたい人たちがいる。今こんなところではどうしても死ねなかった。しかしそれは何の理由にもならないことは承知していた。なぜなら今ここで死ねる理由など誰であろうと持っていないのだから。
逃げるために振り返りかけたところで仲間の一人の少女と目が合った。少女のその目はクリスの内心を見通して謗り、蔑んでいると思った。だが。
「逃げて!」
何を言われたか理解ができなかった。次いでもう一人からも声が聞こえた。
「お前だけでも逃げてくれ!」
──お前らは本当に馬鹿野郎だ。
いつの間にか考えとは正反対のほうに向かって走り出していた。もはや死を覚悟して涙をこぼしながら走った。
「仲間を、見捨てられるわけないだろお!」
必死に走って仲間に攻撃しようとしているタイラントベアの首筋に剣を叩きつけた。ありったけのマナで魔術をエンチャントした渾身の一撃だった。しかしそれも分厚い筋肉に遮られて致命傷には程遠かった。
それでも手痛い一撃を受けたタイラントベアは激しい怒りを宿し少年に向かって咆哮した。
びりびりと大気を震わせる咆哮にクリスの体は硬直した。獣型の魔物の得意魔術、ハウリングだ。そう分かっていても防ぐことができなかった。
やっぱり無駄だったのか、そう理解した。
それでも友を裏切るよりは、良かったのだと思った。憤怒につかれた魔物のその剛腕によって紙くずのように刻まれるだろうと、その未来を覚悟した。
魔物が腕を振り下ろす。その刹那のことだ、タイラントベアの動きが硬直した。まるで蛇に睨まれたカエル、絶対の上位者の存在を嗅ぎ取ったかのように。
何が起こったのかとぼんやりと視線を彷徨わせた。すると気が付けば猛禽を思わせる鋭い視線の青年がすぐ傍に立っていた。
「よくやった」
え? と聞き返す。
何を褒められたのだろうと。クリスには何もできていなかったから。
「君の行為は何の意味もないのかもしれない。愚かだと言う人もいるだろう。助かる命を捨てる馬鹿な行いをしたのだから」
青年は静かな語り口調で。
「だが俺はだからこそ、君に敬意を示そう」
ただ淡々と語った。
「友を最期まで裏切らなかった。君は立派な戦士だ」
その発する雰囲気からは強力な魔術師であることは一目瞭然だった。
「あとは俺に任せておけ」
彼は剣を抜き放ちながらそう告げた。
二頭の魔物は青年を脅威とみなし、クリスたちを放って青年の前後に回り込んだ。そして動く。正面と見せかけて後ろの魔物がひっそりと。鋭い爪を光らせて、背後から刺突を放つ。
──危ない!
口まで警告が出かかった、その刹那に青年の姿がその場から消えた。わずかに足元に土埃を巻き上げて。一瞬後には腕を伸ばしたタイラントベアの横に立っていた。
その動きは速くはなかった、十分に少年たちの目に映るほどのスピードだ。しかし何かが根本的に違った。完全に攻撃の軌道を読み切って、最短距離を通って動いた。攻撃を躱しつつ、剣が淀みなく滑らかに走りタイラントベアの喉元を突き刺していた。強力なマナは守護壁を容易く貫通していた。
だがその隙を逃すはずもなくもう一頭の魔物が襲い掛かる。青年の剣がタイラントベアの喉元から引き抜かれると、ぶしゅっと派手に血がまき散らされ飛び散った。同時にマナを宿した剣からは風を切り裂き、斬撃が飛んだ。
見たこともない魔術だった。しかし威力は確かだ。振るわれた魔物の腕を断ち切った、それでも突っ込む魔物の狂気に触れてクリスは恐怖を抱く、しかしその愚直な突進を嘲笑うかのように青年は断ち切った腕の側に身を滑らせた。止まれない魔物、その進行方向の首筋には刃が差し出すように置かれていた。
相手の突進の勢いを利用したカウンターだ。知性の高い魔物はそう理解しただろう。理解したことによって己の死を悟ったはずだ。ほんの一拍の間のあとには、ぼとりと魔物の首が落ちていた。
「すっげー」
一つ一つの動きに無駄がなく、連環している、全てが繋がっているのだ。最初からこう動くと組み立てて。相手までもがその流れに巻き込まれるように。青年の動きはそれほど見事だった。
少年たちは冒険者を志したものとして、その先達の技量に茫然として、見惚れるばかりだった。たった一人であっという間に敵を退けた。怪我一つどころか返り血すら浴びていない。
「冒険者教会でタイラントベアの異常があると告知していた」
「え?」
と少年少女は顔を見合わせる。そんな情報は初耳だったからだ。
「こういう情報には今度から気を付けるんだな」
あれだけの戦闘をしたあとに少年たちを気遣う余裕までもある。
少年らは身震いして心底理解した。
こんな人のことを、英雄って呼ぶんだろうと。
◇◇◇◇◇◇
少年たちの無事を確認して剣をしまう。俺はその刹那に、ほんのわずかに視線を感じた。相手はこちらが視線に気づいたことを素早く察知して気配を消して位置を悟らせなかった。気配の残滓が香るのみだった。これは凄腕の戦士の技量であった。
結論に結びつけるのは早計かもしれない。だがこの森には魔物の暴走を引き起こした何かがいるようだという強い予感が生まれた。
直接来るならば叩き伏せればいい。しかしこのようにじりじりと忍び寄る敵には気を付けなければならない。彼らは闇にひそみ、策謀を巡らせながら、こちらが最も油断した時にこそやってくる。
「まあ、やることは変わらないか」
来るならいつでも来るがいい。俺はそれを叩き伏せるだけのことだ。相手が誰であっても、何であっても。どのような手段であってもだ。
人間の気配を察知して避けてくれる相手だった。だから強敵ではあるがさして冒険者たちの怯える相手ではなかった。南の森に居ることは知っていても、気にするほどではない、そんな慢心とも言える環境が自由都市内部にはできつつあったのだ。
そんな環境の中にどっぷりつかった少年たちがいた。3人組の若手の冒険者である少年たちだった。一人は貧しい家族のために何度も盗みを働き監獄に送られた少女だ、もう一人は虐められていた友達を助けた際に不慮の事故で相手に大怪我を負わせてしまったという少年だった。
そんな中で彼らのリーダー格の少年クリスの事情は違った。ただ単に退屈だったからだ、毎日学校に通い、勉強をして、いい大学に入り、良い就職先を見つけて、延々と同じ仕事に勤しむ。彼はそんな平和な日常を生きることに飽き飽きしていたのだ。父や母とは不仲であり、半ば家出じみた経緯で自ら志願開拓者としてこの場所に来て、戦いと冒険を望んだ。
「次は南の森にでも行ってみるか?」
いたずらっぽく、にやりと笑う。いつもの慣れ切った狩場ではもう刺激がなかったのだ。
「でもあの森はタイラントベアがいる。やたほうがいいと思う」
警戒心の強い仲間の少女はそう口にした。
「面白そうじゃん。大丈夫だって。お前は相変わらず心配性だな」
しかしもう一人の仲間が乗ってきた。
そうして南の森の探検へと赴くことになる。
少年たち3人は駆け出しから卒業しつつある期間で、己の実力を敵の危険度を秤にかけて正しい選択をすることができなかった。
もっともそれは今この時期でなければ訪れなかったはずの出来事であったはずだ。何事もなく、少し背伸びした狩場に行って、苦戦もするだろうが何事もなく無事に帰れたはずだ。だが今日この時はそうではなかった。彼らは冒険者協会にあるタイラントベアの異常の警告を見落としていたのだから。
「なんだよくそ!」
彼らの中でリーダー格であるクリスが、野生をむき出しにして駆けるタイラントベアに向かって悪態をつく。知性があって襲ってこないはずだろ! 今までそうやって教えてくれた先輩たちに呪いの言葉を吐きたい気分だった。
「どうするの?」
「とにかく飛ばすしかない」
不安そうに問いかける後衛専門の魔術師である少女に答えた。鞭打つ必要もなく馬たちも必死に駆けている。背後に迫る存在に捕まれば己の命がないと分かっているのだろう。
「おい! 前見ろ!」
警告によって、不安につかれていた思考がはっと目覚めた。倒木によって街道が封鎖してあった。罠だったのか、そう考える余裕もなかった。急ぎ制止しようとするが興奮状態にあった馬は止まらない。彼らは倒木など飛んで越えられる、しかし馬車はそれに続けない。
次の瞬間、轟音と激しい衝撃が彼らに襲いかかった。
「うわあっ!」
激しい衝突によって少年少女らは馬車の中で全身が叩きつけられた。全員が咄嗟に魔術で身を守らなければ死んでいただろう。軽傷だったのは幸いだった。怪我をした頭に手をあてて、よろよろと外に這い出ると、彼らは絶望を見ることになる。
「た、タイラントベア」
狩場に追い込んだ獲物を狩るとでもいうように、二頭の魔物が姿を現したのだ。魔物が罠をしかけているなど思いもよらなかった。これも未熟さによる見立ての甘さが起因していた。
「逃げるぞ!」
まだ立てない少女を引っ張り上げて強引に立たせる。この戦力差では戦っても勝ち目はなかった。魔物たちにとって少年たちは敵ではなく餌にすぎなかった。
「はあ。はあ」
すっかり息を切らして逃げ続ける少年たちは、とある異変に気が付いていた。追いつてこないのだ、魔物たちが。それはつまり、待っているのだ、少年たちの体力が尽きるのを。
知恵があり、巧妙な魔物だ。そう分かっていても彼らには走ることしかできなかった。そして彼の中に徐々に誘導されていることを看過で来たものはいなかった。
気づけば目の前には断崖絶壁がそびえたっていた。袋小路に追い詰められ、もはや逃げ場がなかった。しかも体力を失ってしまっている、最悪の状況だ、しかし覚悟を決めるしかないと彼らは瞬時に悟った。
「やるぞ!」
少年たちは一斉に臨戦態勢を取った。生粋のアタッカーであるクリスが前衛を務め、もう一人の少年は魔術と剣術を得意とするオールラウンダーであり、魔術師の少女を守りつつクリスもサポートする。
いつものお決まりの得意のフォーメーションだった。
血走った目で突進してくる魔物に怯みそうになりながらもクリスは、深呼吸して足を地につけた。くる──魔物が剛腕を振るった。クリスの役目は足止め、まずは防御をと準備していた。それでもだ。攻撃を受け止めた瞬間に手から剣がもぎ取られそうになった。何とか耐えたが、びりびりと腕がしびれていた。何度も受け止めることはできなかった。
「ウインドカッター」
背後の仲間から援護射撃が飛んだ。しかし……。
「無傷だって?」
守護壁により弾かれていた。守護壁とは人間のみが使うものではない、その正体は身に宿る精霊の恩寵がその者を守るために展開されたものだった。魔術を使える者ならば何であろうと使える。
「もう一体を足止めしてくれ!」
「う、うん」
後衛の少女に怒鳴った。せめて一体ずつ戦わなければ、勝機はなかった。
「ローズガーデン」
芽吹いた茨がタイラントベアの体に幾重にも巻き付いた。これで目の前の敵に集中できると、ほっとしたたところで、それが間違いだったと思い知らされることになった。魔物は体が傷つくのを厭わずに茨を力任せに引きちぎる。血まみれになりながら茨の戒めを突破したのだ。
驚く暇はない、さらなる攻撃が襲い掛かったのだから。クリスはまたもや防御のために剣にマナを宿して待ち構えた。だが、まずいと悪寒が襲った。敵の腕には魔術が宿っている。筋力を強化する土属性の魔法だ。魔物の腕を受け止めた。そう思った瞬間だ。
「ぐあ!」
視界がぐるりと一回転して、宙に吹き飛ばされていた。
「くそ」
頭がガンガンと痛み、全身が軋みをあげていた。吹き飛ばされた時に庇った腕はヒビでも入ったのか剣を握ると激痛が走った。なんとか足は無事だった。剣を支柱にしてなんとか立ち上がろうとする。だが足は棒のように重く、微かに振るえていた。
「ここまでか……」
諦めが襲いかかった。だが、まだ仲間たちが戦っている、こんなところで諦めてなるものかと自らを叱咤して、そんな思いで立ち上がった。
その時に気が付いた、タイラントベアは残りの仲間たちに気を取られて自分のほうを気を向けてはいなかった。ならば──逃げれば助かるんじゃないか。そう魔が差した。彼らを犠牲にすれば自分は逃げられる。だって助けにいったところで意味なんてないだろう。みんな死ぬだけ、だったらそうするほうが正しいに決まっている。
──逃げよう。
クリスは己が馬鹿だったと気が付いたのだ。こんな瞬間に。死にたないと気が付いた。平穏な日常がどれほどありがたいものだったかを。
謝りたい人たちがいる。また会いたい人たちがいる。今こんなところではどうしても死ねなかった。しかしそれは何の理由にもならないことは承知していた。なぜなら今ここで死ねる理由など誰であろうと持っていないのだから。
逃げるために振り返りかけたところで仲間の一人の少女と目が合った。少女のその目はクリスの内心を見通して謗り、蔑んでいると思った。だが。
「逃げて!」
何を言われたか理解ができなかった。次いでもう一人からも声が聞こえた。
「お前だけでも逃げてくれ!」
──お前らは本当に馬鹿野郎だ。
いつの間にか考えとは正反対のほうに向かって走り出していた。もはや死を覚悟して涙をこぼしながら走った。
「仲間を、見捨てられるわけないだろお!」
必死に走って仲間に攻撃しようとしているタイラントベアの首筋に剣を叩きつけた。ありったけのマナで魔術をエンチャントした渾身の一撃だった。しかしそれも分厚い筋肉に遮られて致命傷には程遠かった。
それでも手痛い一撃を受けたタイラントベアは激しい怒りを宿し少年に向かって咆哮した。
びりびりと大気を震わせる咆哮にクリスの体は硬直した。獣型の魔物の得意魔術、ハウリングだ。そう分かっていても防ぐことができなかった。
やっぱり無駄だったのか、そう理解した。
それでも友を裏切るよりは、良かったのだと思った。憤怒につかれた魔物のその剛腕によって紙くずのように刻まれるだろうと、その未来を覚悟した。
魔物が腕を振り下ろす。その刹那のことだ、タイラントベアの動きが硬直した。まるで蛇に睨まれたカエル、絶対の上位者の存在を嗅ぎ取ったかのように。
何が起こったのかとぼんやりと視線を彷徨わせた。すると気が付けば猛禽を思わせる鋭い視線の青年がすぐ傍に立っていた。
「よくやった」
え? と聞き返す。
何を褒められたのだろうと。クリスには何もできていなかったから。
「君の行為は何の意味もないのかもしれない。愚かだと言う人もいるだろう。助かる命を捨てる馬鹿な行いをしたのだから」
青年は静かな語り口調で。
「だが俺はだからこそ、君に敬意を示そう」
ただ淡々と語った。
「友を最期まで裏切らなかった。君は立派な戦士だ」
その発する雰囲気からは強力な魔術師であることは一目瞭然だった。
「あとは俺に任せておけ」
彼は剣を抜き放ちながらそう告げた。
二頭の魔物は青年を脅威とみなし、クリスたちを放って青年の前後に回り込んだ。そして動く。正面と見せかけて後ろの魔物がひっそりと。鋭い爪を光らせて、背後から刺突を放つ。
──危ない!
口まで警告が出かかった、その刹那に青年の姿がその場から消えた。わずかに足元に土埃を巻き上げて。一瞬後には腕を伸ばしたタイラントベアの横に立っていた。
その動きは速くはなかった、十分に少年たちの目に映るほどのスピードだ。しかし何かが根本的に違った。完全に攻撃の軌道を読み切って、最短距離を通って動いた。攻撃を躱しつつ、剣が淀みなく滑らかに走りタイラントベアの喉元を突き刺していた。強力なマナは守護壁を容易く貫通していた。
だがその隙を逃すはずもなくもう一頭の魔物が襲い掛かる。青年の剣がタイラントベアの喉元から引き抜かれると、ぶしゅっと派手に血がまき散らされ飛び散った。同時にマナを宿した剣からは風を切り裂き、斬撃が飛んだ。
見たこともない魔術だった。しかし威力は確かだ。振るわれた魔物の腕を断ち切った、それでも突っ込む魔物の狂気に触れてクリスは恐怖を抱く、しかしその愚直な突進を嘲笑うかのように青年は断ち切った腕の側に身を滑らせた。止まれない魔物、その進行方向の首筋には刃が差し出すように置かれていた。
相手の突進の勢いを利用したカウンターだ。知性の高い魔物はそう理解しただろう。理解したことによって己の死を悟ったはずだ。ほんの一拍の間のあとには、ぼとりと魔物の首が落ちていた。
「すっげー」
一つ一つの動きに無駄がなく、連環している、全てが繋がっているのだ。最初からこう動くと組み立てて。相手までもがその流れに巻き込まれるように。青年の動きはそれほど見事だった。
少年たちは冒険者を志したものとして、その先達の技量に茫然として、見惚れるばかりだった。たった一人であっという間に敵を退けた。怪我一つどころか返り血すら浴びていない。
「冒険者教会でタイラントベアの異常があると告知していた」
「え?」
と少年少女は顔を見合わせる。そんな情報は初耳だったからだ。
「こういう情報には今度から気を付けるんだな」
あれだけの戦闘をしたあとに少年たちを気遣う余裕までもある。
少年らは身震いして心底理解した。
こんな人のことを、英雄って呼ぶんだろうと。
◇◇◇◇◇◇
少年たちの無事を確認して剣をしまう。俺はその刹那に、ほんのわずかに視線を感じた。相手はこちらが視線に気づいたことを素早く察知して気配を消して位置を悟らせなかった。気配の残滓が香るのみだった。これは凄腕の戦士の技量であった。
結論に結びつけるのは早計かもしれない。だがこの森には魔物の暴走を引き起こした何かがいるようだという強い予感が生まれた。
直接来るならば叩き伏せればいい。しかしこのようにじりじりと忍び寄る敵には気を付けなければならない。彼らは闇にひそみ、策謀を巡らせながら、こちらが最も油断した時にこそやってくる。
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