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69話 不穏な影
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深夜、眠りに沈む自由都市の中でまだ明かりの灯る一角があった。闇夜の中で色とりどりの光が輝いている。酒場や娼館など、いわゆる夜の店が立ち並ぶ通りであった。
店からは騒ぎが巻き起こり、酔い潰れた人間が道端で泥酔している。酒場の隅で飲みかわしながら話し合う二人の男がいた。もうテーブルの上には多くの空の瓶が転がり、酔いが回っている状態だった。そんな時にこそ人の本音は出るものだ。
鷲鼻の男が言う。
「このまま市長について行って大丈夫のかね」
「確かに監獄都市と敵対してるからな」
人に聞かれるのはまずい話だ。だが酒場ではそういう話も許される空気があった。男は煙草の吸殻を灰皿に落としながら言う。
「だけど、そうは言っても看守長のやり方にはうんざりだったろ。あいつら人を馬かなんかと勘違いしてる」
「まあ、それはあるな」
監獄都市での暮らしは働けど働けど終わりが見えてこない生活だった。刑期が決まっているとはいえ、その生命線を相手側に握られている以上、窮屈な生活を強いられることになった。せっかく自由都市に逃げ出しても、やはり縛られていた。かと言って東に逃れて荒事で生きるほどの暴力も持ち合わせていない、彼らはそんな人間たちだった。
脱獄したことも問題はなかった。監獄都市は増え過ぎた罪人のすべてを管理できておらず、逃げ出したものを上層部に報告していない。時限式の魔術刻印である紋がなくなれば、自動的にアレーテイアのゲートに飛ばされることになる。この仕組みもすでに失われた時空間魔術によるものだった。
「それに監獄都市は脱獄したやつらなんて守っちゃくれないしな」
「そうだな……監獄都市が狙うにしても頭だけで俺らに不都合はない」
鷲鼻の男は麦酒を一気にあおった。
「ついてねえよな。たった一度の過ちでこんな場所に送られるなんてよ」
愚痴をこぼす。酒を飲めばいつものことだった。不平不満が口から滑る。文明の発展していない場所で不自由な暮らしを数年、女も多くない。楽しみのない生活だった。
「お前知ってるか。亜人の女を1匹捕まえて東に売れば、金貨数枚になるらしいぞ。そしたら刑期中ずっと遊んで暮らせる」
「おいおい。冗談よせよ」
そんな馬鹿なことできるかと話し相手の男は笑い飛ばした。
「特に青の魔帝が白銀の髪の吸血鬼を高く買ってくれるって話だ」
「英雄様でもあるまし吸血鬼なんて捕まえられるかよ。そんな力がありゃいくらでも稼げるだろ」
「上手く罠にでもはめればいけるんじゃないか」
鷲鼻の男に刹那に宿った狂気的な感情を察知して、相手をしていた男は「もうやめろ」と制止する。
「飲み過ぎだ。いくらなんでもな」
「悪かった。ちょっと外に出てくる」
酔いも覚めるほどの真剣な様子で返されて、鷲鼻の男は立ちあがる。酒場の外のひんやりとした空気に触れて、はあと大きなため息をついた。この世界では上手くやれば、すべての罪が見逃される。帰る前に少しぐらい楽しんでいかなければ割に合わないと、そう思っていた。
高く売れる亜人を攫って東に行けば、いい女を手に入れて、いい酒と食い物を楽しめる。酔いで気が大きくなっているだけの考えであり、きっと実行することはないだろう、そんな空想に耽っていた。しばらくふらふらと歩いていた時、どんと人影とぶつかった。
「いてーな」
ぶつかった相手はフードを目深にかぶって顔を隠していた。彼かもしくは彼女が何も言わずに通りぎたところで鷲鼻の男は文句を言った。
「おい。人にぶつかって──」
バシュ! と何かが弾けるような音がしてその言葉が途中で止まる。なぜ声が出ないのだろうと鷲鼻の男は不思議に思う、そしてびちゃびちゃと地面に液体が滴り落ちる音を聞いた。雨でも降ったかと思って手を前に伸ばせば大量の液体が手を濡らした。そして理解する、掌が真っ赤に染まっていることに。
「あ」
首からあふれ出る血によって全身が赤色に塗れていた。息ができなくなって、ぱくぱくと空気を求めて口を動かした。叫ぶこともできなかった。
ただ本能のまま逃げようとした、そんな男の背に闇が殺到した。闇に飲まれた男の体がぐしゃぐしゃと潰れる音が響き渡った。
つんざくような悲鳴から自由都市は目を覚ました。すぐに野次馬が集まり、そこで何があったかを知ることになる。辺り一面が血で濡れた路地裏に転がっていた、男の死体が。虚ろな眼窩で空を見上げる男は野生の獣に襲われでもしたように体中がズタズタに切り裂かれていた。凄惨な現場だった。
事態を聞きつけたルディスが先んじて現場を封鎖し、通行止めにしたが、殺しの噂が都市に流れるのは一瞬だった。
連絡があった俺が足を運ぶ最中は人通りも少なく、多くのものが家に閉じこもっているようだった。見張りをしていた自警団の人間に挨拶して、シートで遮られた中に入る。狭い路地にはむっとした鉄の匂いが充満していた。
「状況は?」
「酷いとしか言いようがない」
そうルディスが答える。ルディスは医療も多少齧っているという。元医者やら元警察官と混じって死体を調べていた。
「致命傷となったのは首元への一撃だ。かなりの腕利きの仕業だろう」
そして聞き逃すことのできない言葉を続ける。
「守護壁を破られた形跡がない。そしてわずかに闇の魔術の痕跡がある」
俺も調べるがマナは使用者が判別できるほどは残っていなかった。ただ傷跡に闇属性の魔術特有の黒ずみが残っている。系統的には影魔術も闇属性に含まれる。
──真祖の吸血鬼の仕業。
ルディスはそう考えるのが妥当だと言いたいのだ。真祖と聞いて真っ先に顔が浮かんだのはレイチェルだ。しかし彼女が俺の命令に背いて人間を襲うなど考えられなかった。
「これだけの傷ならば怨恨が関わっていると見るのが普通だと思うが……何よりこれだ」
指さした先には石垣の壁がある。そこには血で綴られた文字がある。『人間への裁き』と。
「これを見たものも多い。そうなると住民たちがどんな行動を起こすことか」
「そうだな。迂闊なことをしなければいいが」
「亜人の中に人間に恨みを持っている者がいるのは不思議じゃない。でもどうして今なのか疑問だ。本来なら市長やアステールさんたちがいない時期が狙い目だったはずだ。誰かが亜人に罪をなすりつけて対立を煽っているようにも見える。勘になるが」
「それとも俺たちと一緒にいたものが犯人か……。まあ何とも言い難い、ということだな」
今まで動かなかったのは俺と一緒に出かけていたから、そんな可能性もないことはない。だが俺と一緒にいたものたちがそんな真似をするとは思えなかった。
「誰がこんなむごいことを。せっかくみんなが協力できていたのに」
心底悔しそうにルディスは語った。
渦巻く不信、不穏、そんなどんよりと澱んだ空気が都市を包んでいた。帰ってきて早々ではあったが、こんな状況ではもはや休暇などと言っている場合ではなかった。ハイエルフのセレーネや獅子族のライオット、都市側からはルディスや市長秘書のメリッサが集まっていた。
物騒な話であるため、ラナやルシャは呼んでいなかった。彼女らにはこうした凄惨とした事態にできるだけ関わらせたくないという思いがあった。
アステールは当然いたが、レイチェルも呼び出してはいなかった。事態の真偽は判断できないが、込み入った話になるため下手をすると彼女を傷つける可能性もあったからだ。
「今度は何があった」
頭痛の走る頭を押さえて彼らに問いかける。
「喧嘩です。亜人と人間の」
まずセレーネがそう答えた。ライオットもそれを補足する。
『それがどうにも最近歯止めがきかない状態です。亜人側からは手をだすなと厳命していますが多数の人間に詰め寄られると熱くなる者もいるので』
「そうか……やっぱりそうなるか」
あんなものを見ればいずれ起こり得るだろうと思っていた。しょせん人間と亜人は長きに渡り良き隣人であったわけではないのだ。ある拍子に転がれば、どこまでも転げ落ちていく。今朝から似たような争いごとが頻発していた。
「力不足で申し訳ありません」
セレーネが律儀に頭を下げるので「お前のせいじゃない」と労っておいた。
「これ以上、騒ぎが大きくなるとまずい」
「亜人と人間に大きな亀裂を呼びかねませんね」
ルディスとメリッサも発言する。
「なんとしても早急に犯人を見つけ出す。それとともに第二の犯行を防ぐぞ」
全員が俺の言葉に頷いてみせた。
夜半なると俺たちは都市の区画を分担して監視していた。自警団も見回りをしていもらっている。はっきり言ってある程度の腕利きならば掻い潜ってくるだろう。やらないよりはましというほどのものだった。だがこうしたことが住民の安心感につながることにもなり、疑念と敵意の火を燃え上がらせないことになる。
それでも俺の区分での殺しならば気づく自信があった。元から持つ感覚に足して残虐王の数々のギフトと魔術がある。役所の屋根の上に登り、息を殺してただ謎の暗殺者が現れるのを待ち続けていた。
数時間が経過して夜分遅くのことだ。とある部屋の窓が僅かに開いたのを捉える。その部屋の主は窓から身を乗り出して、町へと繰り出していった。見覚えのある銀髪が闇の中でよく映えていた。
「……レイチェル」
追うべきか。追わざるべきか。追えば彼女を傷つけることになるかもしれない。信じているからこそあとを付ける、そういう選択肢もあるだろう。
だがレイチェルはあまりに不安定だ。彼女の心の安定は俺……残虐王に大きく依存している。俺だけは盲目的に信じてやらねば。
それで犠牲者が出るようなら、俺のこの選択が間違っていたことになりかねない。だがそれでも他の下手人の可能性のほうが高いと判断した。
ニースが、あの男が何かを狙っている可能性もある。もしニースの仕業なのだとしたら、こんな騒ぎを起こして自分の存在を教えるような不利益な真似をするのはなぜか。何の狙いがあるのか、これからどう動くのか、それを考えなければならない。
今はここを動くべきではない。そうやって自分を納得させるしかなかった。
店からは騒ぎが巻き起こり、酔い潰れた人間が道端で泥酔している。酒場の隅で飲みかわしながら話し合う二人の男がいた。もうテーブルの上には多くの空の瓶が転がり、酔いが回っている状態だった。そんな時にこそ人の本音は出るものだ。
鷲鼻の男が言う。
「このまま市長について行って大丈夫のかね」
「確かに監獄都市と敵対してるからな」
人に聞かれるのはまずい話だ。だが酒場ではそういう話も許される空気があった。男は煙草の吸殻を灰皿に落としながら言う。
「だけど、そうは言っても看守長のやり方にはうんざりだったろ。あいつら人を馬かなんかと勘違いしてる」
「まあ、それはあるな」
監獄都市での暮らしは働けど働けど終わりが見えてこない生活だった。刑期が決まっているとはいえ、その生命線を相手側に握られている以上、窮屈な生活を強いられることになった。せっかく自由都市に逃げ出しても、やはり縛られていた。かと言って東に逃れて荒事で生きるほどの暴力も持ち合わせていない、彼らはそんな人間たちだった。
脱獄したことも問題はなかった。監獄都市は増え過ぎた罪人のすべてを管理できておらず、逃げ出したものを上層部に報告していない。時限式の魔術刻印である紋がなくなれば、自動的にアレーテイアのゲートに飛ばされることになる。この仕組みもすでに失われた時空間魔術によるものだった。
「それに監獄都市は脱獄したやつらなんて守っちゃくれないしな」
「そうだな……監獄都市が狙うにしても頭だけで俺らに不都合はない」
鷲鼻の男は麦酒を一気にあおった。
「ついてねえよな。たった一度の過ちでこんな場所に送られるなんてよ」
愚痴をこぼす。酒を飲めばいつものことだった。不平不満が口から滑る。文明の発展していない場所で不自由な暮らしを数年、女も多くない。楽しみのない生活だった。
「お前知ってるか。亜人の女を1匹捕まえて東に売れば、金貨数枚になるらしいぞ。そしたら刑期中ずっと遊んで暮らせる」
「おいおい。冗談よせよ」
そんな馬鹿なことできるかと話し相手の男は笑い飛ばした。
「特に青の魔帝が白銀の髪の吸血鬼を高く買ってくれるって話だ」
「英雄様でもあるまし吸血鬼なんて捕まえられるかよ。そんな力がありゃいくらでも稼げるだろ」
「上手く罠にでもはめればいけるんじゃないか」
鷲鼻の男に刹那に宿った狂気的な感情を察知して、相手をしていた男は「もうやめろ」と制止する。
「飲み過ぎだ。いくらなんでもな」
「悪かった。ちょっと外に出てくる」
酔いも覚めるほどの真剣な様子で返されて、鷲鼻の男は立ちあがる。酒場の外のひんやりとした空気に触れて、はあと大きなため息をついた。この世界では上手くやれば、すべての罪が見逃される。帰る前に少しぐらい楽しんでいかなければ割に合わないと、そう思っていた。
高く売れる亜人を攫って東に行けば、いい女を手に入れて、いい酒と食い物を楽しめる。酔いで気が大きくなっているだけの考えであり、きっと実行することはないだろう、そんな空想に耽っていた。しばらくふらふらと歩いていた時、どんと人影とぶつかった。
「いてーな」
ぶつかった相手はフードを目深にかぶって顔を隠していた。彼かもしくは彼女が何も言わずに通りぎたところで鷲鼻の男は文句を言った。
「おい。人にぶつかって──」
バシュ! と何かが弾けるような音がしてその言葉が途中で止まる。なぜ声が出ないのだろうと鷲鼻の男は不思議に思う、そしてびちゃびちゃと地面に液体が滴り落ちる音を聞いた。雨でも降ったかと思って手を前に伸ばせば大量の液体が手を濡らした。そして理解する、掌が真っ赤に染まっていることに。
「あ」
首からあふれ出る血によって全身が赤色に塗れていた。息ができなくなって、ぱくぱくと空気を求めて口を動かした。叫ぶこともできなかった。
ただ本能のまま逃げようとした、そんな男の背に闇が殺到した。闇に飲まれた男の体がぐしゃぐしゃと潰れる音が響き渡った。
つんざくような悲鳴から自由都市は目を覚ました。すぐに野次馬が集まり、そこで何があったかを知ることになる。辺り一面が血で濡れた路地裏に転がっていた、男の死体が。虚ろな眼窩で空を見上げる男は野生の獣に襲われでもしたように体中がズタズタに切り裂かれていた。凄惨な現場だった。
事態を聞きつけたルディスが先んじて現場を封鎖し、通行止めにしたが、殺しの噂が都市に流れるのは一瞬だった。
連絡があった俺が足を運ぶ最中は人通りも少なく、多くのものが家に閉じこもっているようだった。見張りをしていた自警団の人間に挨拶して、シートで遮られた中に入る。狭い路地にはむっとした鉄の匂いが充満していた。
「状況は?」
「酷いとしか言いようがない」
そうルディスが答える。ルディスは医療も多少齧っているという。元医者やら元警察官と混じって死体を調べていた。
「致命傷となったのは首元への一撃だ。かなりの腕利きの仕業だろう」
そして聞き逃すことのできない言葉を続ける。
「守護壁を破られた形跡がない。そしてわずかに闇の魔術の痕跡がある」
俺も調べるがマナは使用者が判別できるほどは残っていなかった。ただ傷跡に闇属性の魔術特有の黒ずみが残っている。系統的には影魔術も闇属性に含まれる。
──真祖の吸血鬼の仕業。
ルディスはそう考えるのが妥当だと言いたいのだ。真祖と聞いて真っ先に顔が浮かんだのはレイチェルだ。しかし彼女が俺の命令に背いて人間を襲うなど考えられなかった。
「これだけの傷ならば怨恨が関わっていると見るのが普通だと思うが……何よりこれだ」
指さした先には石垣の壁がある。そこには血で綴られた文字がある。『人間への裁き』と。
「これを見たものも多い。そうなると住民たちがどんな行動を起こすことか」
「そうだな。迂闊なことをしなければいいが」
「亜人の中に人間に恨みを持っている者がいるのは不思議じゃない。でもどうして今なのか疑問だ。本来なら市長やアステールさんたちがいない時期が狙い目だったはずだ。誰かが亜人に罪をなすりつけて対立を煽っているようにも見える。勘になるが」
「それとも俺たちと一緒にいたものが犯人か……。まあ何とも言い難い、ということだな」
今まで動かなかったのは俺と一緒に出かけていたから、そんな可能性もないことはない。だが俺と一緒にいたものたちがそんな真似をするとは思えなかった。
「誰がこんなむごいことを。せっかくみんなが協力できていたのに」
心底悔しそうにルディスは語った。
渦巻く不信、不穏、そんなどんよりと澱んだ空気が都市を包んでいた。帰ってきて早々ではあったが、こんな状況ではもはや休暇などと言っている場合ではなかった。ハイエルフのセレーネや獅子族のライオット、都市側からはルディスや市長秘書のメリッサが集まっていた。
物騒な話であるため、ラナやルシャは呼んでいなかった。彼女らにはこうした凄惨とした事態にできるだけ関わらせたくないという思いがあった。
アステールは当然いたが、レイチェルも呼び出してはいなかった。事態の真偽は判断できないが、込み入った話になるため下手をすると彼女を傷つける可能性もあったからだ。
「今度は何があった」
頭痛の走る頭を押さえて彼らに問いかける。
「喧嘩です。亜人と人間の」
まずセレーネがそう答えた。ライオットもそれを補足する。
『それがどうにも最近歯止めがきかない状態です。亜人側からは手をだすなと厳命していますが多数の人間に詰め寄られると熱くなる者もいるので』
「そうか……やっぱりそうなるか」
あんなものを見ればいずれ起こり得るだろうと思っていた。しょせん人間と亜人は長きに渡り良き隣人であったわけではないのだ。ある拍子に転がれば、どこまでも転げ落ちていく。今朝から似たような争いごとが頻発していた。
「力不足で申し訳ありません」
セレーネが律儀に頭を下げるので「お前のせいじゃない」と労っておいた。
「これ以上、騒ぎが大きくなるとまずい」
「亜人と人間に大きな亀裂を呼びかねませんね」
ルディスとメリッサも発言する。
「なんとしても早急に犯人を見つけ出す。それとともに第二の犯行を防ぐぞ」
全員が俺の言葉に頷いてみせた。
夜半なると俺たちは都市の区画を分担して監視していた。自警団も見回りをしていもらっている。はっきり言ってある程度の腕利きならば掻い潜ってくるだろう。やらないよりはましというほどのものだった。だがこうしたことが住民の安心感につながることにもなり、疑念と敵意の火を燃え上がらせないことになる。
それでも俺の区分での殺しならば気づく自信があった。元から持つ感覚に足して残虐王の数々のギフトと魔術がある。役所の屋根の上に登り、息を殺してただ謎の暗殺者が現れるのを待ち続けていた。
数時間が経過して夜分遅くのことだ。とある部屋の窓が僅かに開いたのを捉える。その部屋の主は窓から身を乗り出して、町へと繰り出していった。見覚えのある銀髪が闇の中でよく映えていた。
「……レイチェル」
追うべきか。追わざるべきか。追えば彼女を傷つけることになるかもしれない。信じているからこそあとを付ける、そういう選択肢もあるだろう。
だがレイチェルはあまりに不安定だ。彼女の心の安定は俺……残虐王に大きく依存している。俺だけは盲目的に信じてやらねば。
それで犠牲者が出るようなら、俺のこの選択が間違っていたことになりかねない。だがそれでも他の下手人の可能性のほうが高いと判断した。
ニースが、あの男が何かを狙っている可能性もある。もしニースの仕業なのだとしたら、こんな騒ぎを起こして自分の存在を教えるような不利益な真似をするのはなぜか。何の狙いがあるのか、これからどう動くのか、それを考えなければならない。
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