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70話 疑心暗鬼を生ず
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嫌な予感、そして恐れている出来事に限って現実のものとしてやってくる。
閑散とした住宅街にて、またもや死体が発見された。あらかじめ対応を準備していたこともあり、すぐさま人払いをすませた。しかし見たものはいるだろう、血で書かれた『人間への裁き』という文字を。
「同じだ。闇魔術、そして障壁無効化。同一犯の可能性が高い」
先にいたアステールが俺にそう説明する。
「そうか」
ちらりと昨夜の記憶がよみがえる。忍ぶように外に出ていったレイチェルの姿が。しかし、あり得ないとやはり否定する。レイチェルが自らの主に逆らう行為をするとは到底思えなかった。
「ただならぬ事態のようですね」
「姫。こんな場所に」
やって来たのは凄惨な現場には似つかわしくない上品な姿だった。
「監獄世界の住人であろうと殺しは見逃せません。力になれることがあれば私も手伝います」
わずかに苦笑する。どこまでも正義感が強い彼女らしかった。
「感謝する」
「聞いた限りは真祖の仕業に見えるということでしたが」
「ええ。亜人がやったのだとしたら由々しき事態です。主様の意向に逆らいこんな真似をしたということになりますから」
セレーネがくぐもった声で言う。血の穢れを気にする彼女はハンカチで口元を覆っていた。それでも顔色は悪く辛そうにしていた。
「セレーネ。辛いなら戻っていい」
「私ならば大丈夫です」
セレーネは頑なな態度ではっきりと告げた。
「命令だ。無理はするな」
「……はい。感謝します。主様」
一礼してその場を辞した。彼女が去ったところで俺は呟く。
「硬いな。セレーネは」
種族の特性なのだから無理をする必要もないと思うのだが。それはルシャにも言えることだ。
『エルフの中でも特にハイエルフは誇り高いですからね。他人に弱みを見せることをいたく嫌うのです。ましてや主様の前ともなれば多少の無茶はしたくもなるのでしょう』
最初は折り合いの悪そうにしていたライオットとセレーネだったが、彼は意外にも庇うような言葉を口にした。彼の面倒見のいい性格が分かるようだった。
「しかし私の中ではやはり彼女、レイチェル嬢がやったとは思えなくなってきましたね」
ルディスが言う。
「こんな方法を使って殺しをすれば真祖の吸血鬼が疑われるのが当たり前です。自らの存在を知らしめているわけになります。そんな間抜けな話がありますか」
「私もそう思います。レイチェルさんは悪い子には思えません。こんなことをするとは考えられない」
イリナ姫が同意してみせるとライオットなどの亜人たちが驚いたような顔をした。監獄都市の住人であり、パラディソスの姫であるイリナがまさかそんなことを言うなど思いもよらなかったのだろう。
「彼の言うことはもっともだ。普通は吸血鬼の真祖の仕業と見えるが……。だが調べるべきところは調べる必要がある」
アステールは厳しい口調でそう言った。
静かな市長室の中で時計がカチカチと時を刻む。亜人も人間も多くの人が集まっていたが、重苦しい雰囲気の中で話を切り出すのを躊躇われていたのだ。なぜなら今回はレイチェルを直々に呼び出して、彼女に話を聞くことになったのだから。
「レイチェル。事件があったのは知ってるか?」
まず最初にリーダーである俺が口火を切った。
「はい。嫌でも耳に入ってきます」
「昨晩はどこにいた?」
続いてアステールが聞きにくい質問をずばりと投げかけた。
「あら。私を疑うんですか」
「なに、ただの確認だ。他の者にも聞いている。なんなら私がどこにいたか先に答えようか」
「結構ですわ」
レイチェルはふんと鼻を鳴らして答える。
「普通に部屋にいました。これで満足?」
「ああ、それならばいい」
アステールが軽く頷いて見せるとレイチェルは拍子抜けしたようだった。
「どうせ信じていないのでしょう?」
「いや、私は信じる。考えは違えど私たちは仲間だからな。我々は主様の命のもとに人間との共存を目指している。もし仲間だったらこんな卑劣な真似はしない。こんな嘘はつかない」
アステールの発言は優しい言葉のようで違う。もしレイチェルが下手人であったら、嘘をついていたらお前は仲間ではないというのと同義だった。
「もうよろしいかしら?」
「ああ。ご苦労だった」
レイチェルが退出していくとアステールが俺に問いかけた。
「エル。レイチェルだと思うか?」
「いいや」
「私もそう思う。あの子は血を恐れる。こんな真似はできはしない。他の真祖か、もしくは人間がやったか。あの狙撃手……英雄が同じ人間を殺すのは考えにくいが」
その考えは甘かった。ニースはザルドや俺と同じ人種だ。目的のためには人の命など簡単に摘み取り、容易く切り捨てる男だ。
「レイチェルに監視をつけよう」
「信じてるんじゃなかったのか」
「ああ。信じてる。それでもやらねばならない。億分の一の可能性でもあり得るのならば。亜人をまとめるのは私の役割だからな。それに別の真祖の可能性もある。話を聞いたレイチェルが暴走するとも限らんし、下手人のほうから何か動きがあるとも限らない。監視兼護衛というわけだな」
「もし仮に、彼女の仕業だったら、どうするつもりなんですか?」
表情を曇らせながらイリナ姫が問いかけた。
「剣の報いは剣でしか解決できない。血の代償は等しく血で払うしかない」
「彼女を殺すのですか?」
「さあ。私にも分からない……だが同じ過ちを犯すわけにはいかない」
アステールは目を閉じて語る。
「同じ過ち?」
「たった一人のために多くの仲間に犠牲を強いることはできない」
口調の端々には苦渋と後悔、そして苦痛が混じっていた。
「だがたった一人であろうと仲間を見捨てることはしたくないとも思う。我々は多くを失ってきた。これ以上失うことに耐えられはしないだろう。レイチェルが人間に殺されるようなことがあれば、大きな戦いが始まる。きっとその時は穏健派も参加することになる。しかし亜人が罪を犯した仲間を裁いただけならば、そうはならない可能性もある。私がその責任と罪を背負えば」
「いざという時には仲間を殺す覚悟があると?」
「……もし必要に迫られたならば覚悟はできている。私はもともと許されざる罪を背負っている。みなのために私が──」
俺はその言葉を遮って告げる。
「アステール。王は俺だ。お前に罪があるのなら俺が背負ってやる。これからもすべてを俺が背負う。だから無理はするな」
アステールは瞳を揺らめかした。そして目を伏して言った。
「そんなに優しくしないで欲しい。甘えたくなってしまうから」
小さな声で囁いた。罪は消せない楔となって彼女を戒め続けていた。俺はいつになればアステールを縛る鎖から解き放ってやれるのだろうか。
沈黙が落ちた、そんな時。
「市長! 大変です!」
ドアを勢いよく開けて秘書のメリッサが飛び込んできた。
人通りの少なかった通りに騒ぎが巻き起こっていた。レイチェルがある男に詰め寄られているのだ。怒りに満ちた形相で怒鳴るその男の威勢に恐れをなして、他の人々は遠巻きにして眺めているだけだった。当の本人であるレイチェルは余裕綽々、扇で口元を隠して平然と傲然と男と対峙していた。しかしその内心はきっと怯えていることだろう。
「吸血鬼め。ナイデルをやったのはお前の仕業だろう」
「さあ。知りませんわね」
男は被害者の知り合いなのだろう。おそらく犯人が真祖の吸血鬼であるとの流言が流布したのだ。この都市にいる吸血鬼はレイチェル以外にはいなかった。とすれば必然的にこのような事態になる。
「この野郎!」
取り付く島もないレイチェルの態度に男は憤慨して殴りかかった。
「ふん。人間風情が」
指を一振りして影を操り、男をすっころばせた。
「くそ」
男はうめき声をあげる。だが幸いなことに怪我はないようだった。俺は急いで彼らを制止する。
「これ以上はよせ。お前たち」
「市長。こいつは化け物です。人を殺した」
「それは事実じゃない」
「その吸血鬼を庇うのならば、もうあなたにはついていけない!」
男は目を血走らせ、怒りに震えていた。大切なものを奪われた、激怒して当然だろう、理性を失い復讐の炎を燃やすことも正しい。だがそれは正しい相手に向けなければ。
「彼女はやってない。時間をくれれば俺が犯人を見つけてみせよう。だがもしそれで納得できないのなら止はしない。自分の生き方は自分で決めるがいい」
男は何事か毒づき立ちあがった。大人しく帰るかと思えば去り際に言う。
「吸血鬼なんぞ青の魔帝が滅ぼしてくれれば良かったのに。知ってるぜ。青の魔帝は薄汚い化け物どもを処分してくれてたってな」
レイチェルの雰囲気が明確に変わった。禍々しい気配が膨れ上がる。
「お姉ちゃんを、侮辱するな」
レイチェルが影魔術を行使した。それは以前、大蛇との戦いで使っていたものとは比較にならないほど強力だった。俺の血が彼女の力を満たしていた。
俺は男を庇い、攻撃の射線上に身を滑り込ませて魔術を受け止めた。咄嗟に聖属性の守護壁の展開をしたが強度が足りなかった。防御を貫いて傷つけられた腕からぽたぽたと血が滴り落ちる。
「あ、主様」
レイチェルは信じがたいものを見るように顔を蒼白にして唇を震わせた。
「ほら見ろ。やっぱりそうだ。化け物め。お前が殺したんだろ!」
勢いづいた男は言い放った。市民たちにもわずかな動揺が見られた。もし俺を命令に従わない亜人がいるとなれば、信用するなど不可能な話であるからだ。だがそんな不穏な気配を切り裂く声があった。
「待ってくれ!」
声の主は少年ウィルだった。
「彼女は凄く良い子なんだ。そんなことしない!」
「騙されてるんだろ。何か証拠でもあるのかよ」
「昨日は僕が一緒にいた。だから彼女には無理だ」
「な、嘘じゃねえだろうな!」
男は突然の事態に狼狽して恫喝するように言った。
「私たちも市長を信じます! 彼女はやってない!」
声をあげたのは3人組の冒険者だ。以前助けた少年少女のグループだった。
「私も保証しましょう。彼らが一緒にいたのを見ています」
そしてイリナ姫までもが言った。潔癖症の彼女が嘘をつくのは珍しい。信念を曲げさせて嘘をつかせる羽目になってしまった。本来は敵であるもののためにそこまでする、そんなところも姫の性格がよく表れていた。
「悪い。みんな解散してくれ。数日以内に俺が解決してみせる」
人々の影がまばらになり、やがていなくなった。残されたのは俺たちだけだ。主君への攻撃、そして思わぬ助けにレイチェルは混乱しきっていた。
「だ、誰が助けて欲しいなどと言いましたか」
「僕が、そうしたかっただけだから」
「うるさい! 人間のくせに!」
レイチェルは怒鳴り、そのまま逃げだすように去っていった。
「ウィル。君は最初からレイチェルを気にしていたな。なぜだ?」
「それは……」
答えにくそうにしていたが念押しのつもりで続ける。
「生半可な気持ちならもうやめろ。彼女を苦しめる。だがもしそうでないのなら」
わずかに言葉を躊躇う。まだ少年の彼に重い責任を背負わせるようなことになるかもしれなかったからだ。
「人間の君だからこそ救いになってやれるかもしれない」
「なんだか雰囲気が妹に似てるんです。強気で振舞ってて意地っ張りだけど、どこか寂しそうな感じが」
ウィルは少しずつ語り始めた。
「僕は幼い頃から妹と比べられてきました。僕は落ちこぼれで妹は優秀だった。期待はみんな妹に集まっていました」
実家の稼業も妹が継ぐことになり、少しずつ自分の居場所がなくなっていったように感じていたという。
「あまりに情けなくて、劣等感があって僕は妹を避けるようになっていきました。逃げてしまったんです。両親と妹から。こんな場所にまで逃げてきました。きっとこの世界にいるみんなからすればたいした出来事じゃないと思います。馬鹿みたいな話ですよね。だけどあの時の僕にはとても重たかった」
恥ずかしそうに苦笑いして話していた。だが彼は既にそれを素直に話せるだけの強さを手に入れているのだ。それは本人が気づいているかは分からなかったが。
「でもイリナ様やフィルネシアさんたち、それにあなたの姿を見て僕は思ったんです。逃げたくないって。今度は逃げたくないって。だから絶対に諦めません」
「いい覚悟だ。君に出会えたことは幸運だった」
賞賛する。ウィルは少年らしからぬ決意の宿った戦士の瞳をしていた。
閑散とした住宅街にて、またもや死体が発見された。あらかじめ対応を準備していたこともあり、すぐさま人払いをすませた。しかし見たものはいるだろう、血で書かれた『人間への裁き』という文字を。
「同じだ。闇魔術、そして障壁無効化。同一犯の可能性が高い」
先にいたアステールが俺にそう説明する。
「そうか」
ちらりと昨夜の記憶がよみがえる。忍ぶように外に出ていったレイチェルの姿が。しかし、あり得ないとやはり否定する。レイチェルが自らの主に逆らう行為をするとは到底思えなかった。
「ただならぬ事態のようですね」
「姫。こんな場所に」
やって来たのは凄惨な現場には似つかわしくない上品な姿だった。
「監獄世界の住人であろうと殺しは見逃せません。力になれることがあれば私も手伝います」
わずかに苦笑する。どこまでも正義感が強い彼女らしかった。
「感謝する」
「聞いた限りは真祖の仕業に見えるということでしたが」
「ええ。亜人がやったのだとしたら由々しき事態です。主様の意向に逆らいこんな真似をしたということになりますから」
セレーネがくぐもった声で言う。血の穢れを気にする彼女はハンカチで口元を覆っていた。それでも顔色は悪く辛そうにしていた。
「セレーネ。辛いなら戻っていい」
「私ならば大丈夫です」
セレーネは頑なな態度ではっきりと告げた。
「命令だ。無理はするな」
「……はい。感謝します。主様」
一礼してその場を辞した。彼女が去ったところで俺は呟く。
「硬いな。セレーネは」
種族の特性なのだから無理をする必要もないと思うのだが。それはルシャにも言えることだ。
『エルフの中でも特にハイエルフは誇り高いですからね。他人に弱みを見せることをいたく嫌うのです。ましてや主様の前ともなれば多少の無茶はしたくもなるのでしょう』
最初は折り合いの悪そうにしていたライオットとセレーネだったが、彼は意外にも庇うような言葉を口にした。彼の面倒見のいい性格が分かるようだった。
「しかし私の中ではやはり彼女、レイチェル嬢がやったとは思えなくなってきましたね」
ルディスが言う。
「こんな方法を使って殺しをすれば真祖の吸血鬼が疑われるのが当たり前です。自らの存在を知らしめているわけになります。そんな間抜けな話がありますか」
「私もそう思います。レイチェルさんは悪い子には思えません。こんなことをするとは考えられない」
イリナ姫が同意してみせるとライオットなどの亜人たちが驚いたような顔をした。監獄都市の住人であり、パラディソスの姫であるイリナがまさかそんなことを言うなど思いもよらなかったのだろう。
「彼の言うことはもっともだ。普通は吸血鬼の真祖の仕業と見えるが……。だが調べるべきところは調べる必要がある」
アステールは厳しい口調でそう言った。
静かな市長室の中で時計がカチカチと時を刻む。亜人も人間も多くの人が集まっていたが、重苦しい雰囲気の中で話を切り出すのを躊躇われていたのだ。なぜなら今回はレイチェルを直々に呼び出して、彼女に話を聞くことになったのだから。
「レイチェル。事件があったのは知ってるか?」
まず最初にリーダーである俺が口火を切った。
「はい。嫌でも耳に入ってきます」
「昨晩はどこにいた?」
続いてアステールが聞きにくい質問をずばりと投げかけた。
「あら。私を疑うんですか」
「なに、ただの確認だ。他の者にも聞いている。なんなら私がどこにいたか先に答えようか」
「結構ですわ」
レイチェルはふんと鼻を鳴らして答える。
「普通に部屋にいました。これで満足?」
「ああ、それならばいい」
アステールが軽く頷いて見せるとレイチェルは拍子抜けしたようだった。
「どうせ信じていないのでしょう?」
「いや、私は信じる。考えは違えど私たちは仲間だからな。我々は主様の命のもとに人間との共存を目指している。もし仲間だったらこんな卑劣な真似はしない。こんな嘘はつかない」
アステールの発言は優しい言葉のようで違う。もしレイチェルが下手人であったら、嘘をついていたらお前は仲間ではないというのと同義だった。
「もうよろしいかしら?」
「ああ。ご苦労だった」
レイチェルが退出していくとアステールが俺に問いかけた。
「エル。レイチェルだと思うか?」
「いいや」
「私もそう思う。あの子は血を恐れる。こんな真似はできはしない。他の真祖か、もしくは人間がやったか。あの狙撃手……英雄が同じ人間を殺すのは考えにくいが」
その考えは甘かった。ニースはザルドや俺と同じ人種だ。目的のためには人の命など簡単に摘み取り、容易く切り捨てる男だ。
「レイチェルに監視をつけよう」
「信じてるんじゃなかったのか」
「ああ。信じてる。それでもやらねばならない。億分の一の可能性でもあり得るのならば。亜人をまとめるのは私の役割だからな。それに別の真祖の可能性もある。話を聞いたレイチェルが暴走するとも限らんし、下手人のほうから何か動きがあるとも限らない。監視兼護衛というわけだな」
「もし仮に、彼女の仕業だったら、どうするつもりなんですか?」
表情を曇らせながらイリナ姫が問いかけた。
「剣の報いは剣でしか解決できない。血の代償は等しく血で払うしかない」
「彼女を殺すのですか?」
「さあ。私にも分からない……だが同じ過ちを犯すわけにはいかない」
アステールは目を閉じて語る。
「同じ過ち?」
「たった一人のために多くの仲間に犠牲を強いることはできない」
口調の端々には苦渋と後悔、そして苦痛が混じっていた。
「だがたった一人であろうと仲間を見捨てることはしたくないとも思う。我々は多くを失ってきた。これ以上失うことに耐えられはしないだろう。レイチェルが人間に殺されるようなことがあれば、大きな戦いが始まる。きっとその時は穏健派も参加することになる。しかし亜人が罪を犯した仲間を裁いただけならば、そうはならない可能性もある。私がその責任と罪を背負えば」
「いざという時には仲間を殺す覚悟があると?」
「……もし必要に迫られたならば覚悟はできている。私はもともと許されざる罪を背負っている。みなのために私が──」
俺はその言葉を遮って告げる。
「アステール。王は俺だ。お前に罪があるのなら俺が背負ってやる。これからもすべてを俺が背負う。だから無理はするな」
アステールは瞳を揺らめかした。そして目を伏して言った。
「そんなに優しくしないで欲しい。甘えたくなってしまうから」
小さな声で囁いた。罪は消せない楔となって彼女を戒め続けていた。俺はいつになればアステールを縛る鎖から解き放ってやれるのだろうか。
沈黙が落ちた、そんな時。
「市長! 大変です!」
ドアを勢いよく開けて秘書のメリッサが飛び込んできた。
人通りの少なかった通りに騒ぎが巻き起こっていた。レイチェルがある男に詰め寄られているのだ。怒りに満ちた形相で怒鳴るその男の威勢に恐れをなして、他の人々は遠巻きにして眺めているだけだった。当の本人であるレイチェルは余裕綽々、扇で口元を隠して平然と傲然と男と対峙していた。しかしその内心はきっと怯えていることだろう。
「吸血鬼め。ナイデルをやったのはお前の仕業だろう」
「さあ。知りませんわね」
男は被害者の知り合いなのだろう。おそらく犯人が真祖の吸血鬼であるとの流言が流布したのだ。この都市にいる吸血鬼はレイチェル以外にはいなかった。とすれば必然的にこのような事態になる。
「この野郎!」
取り付く島もないレイチェルの態度に男は憤慨して殴りかかった。
「ふん。人間風情が」
指を一振りして影を操り、男をすっころばせた。
「くそ」
男はうめき声をあげる。だが幸いなことに怪我はないようだった。俺は急いで彼らを制止する。
「これ以上はよせ。お前たち」
「市長。こいつは化け物です。人を殺した」
「それは事実じゃない」
「その吸血鬼を庇うのならば、もうあなたにはついていけない!」
男は目を血走らせ、怒りに震えていた。大切なものを奪われた、激怒して当然だろう、理性を失い復讐の炎を燃やすことも正しい。だがそれは正しい相手に向けなければ。
「彼女はやってない。時間をくれれば俺が犯人を見つけてみせよう。だがもしそれで納得できないのなら止はしない。自分の生き方は自分で決めるがいい」
男は何事か毒づき立ちあがった。大人しく帰るかと思えば去り際に言う。
「吸血鬼なんぞ青の魔帝が滅ぼしてくれれば良かったのに。知ってるぜ。青の魔帝は薄汚い化け物どもを処分してくれてたってな」
レイチェルの雰囲気が明確に変わった。禍々しい気配が膨れ上がる。
「お姉ちゃんを、侮辱するな」
レイチェルが影魔術を行使した。それは以前、大蛇との戦いで使っていたものとは比較にならないほど強力だった。俺の血が彼女の力を満たしていた。
俺は男を庇い、攻撃の射線上に身を滑り込ませて魔術を受け止めた。咄嗟に聖属性の守護壁の展開をしたが強度が足りなかった。防御を貫いて傷つけられた腕からぽたぽたと血が滴り落ちる。
「あ、主様」
レイチェルは信じがたいものを見るように顔を蒼白にして唇を震わせた。
「ほら見ろ。やっぱりそうだ。化け物め。お前が殺したんだろ!」
勢いづいた男は言い放った。市民たちにもわずかな動揺が見られた。もし俺を命令に従わない亜人がいるとなれば、信用するなど不可能な話であるからだ。だがそんな不穏な気配を切り裂く声があった。
「待ってくれ!」
声の主は少年ウィルだった。
「彼女は凄く良い子なんだ。そんなことしない!」
「騙されてるんだろ。何か証拠でもあるのかよ」
「昨日は僕が一緒にいた。だから彼女には無理だ」
「な、嘘じゃねえだろうな!」
男は突然の事態に狼狽して恫喝するように言った。
「私たちも市長を信じます! 彼女はやってない!」
声をあげたのは3人組の冒険者だ。以前助けた少年少女のグループだった。
「私も保証しましょう。彼らが一緒にいたのを見ています」
そしてイリナ姫までもが言った。潔癖症の彼女が嘘をつくのは珍しい。信念を曲げさせて嘘をつかせる羽目になってしまった。本来は敵であるもののためにそこまでする、そんなところも姫の性格がよく表れていた。
「悪い。みんな解散してくれ。数日以内に俺が解決してみせる」
人々の影がまばらになり、やがていなくなった。残されたのは俺たちだけだ。主君への攻撃、そして思わぬ助けにレイチェルは混乱しきっていた。
「だ、誰が助けて欲しいなどと言いましたか」
「僕が、そうしたかっただけだから」
「うるさい! 人間のくせに!」
レイチェルは怒鳴り、そのまま逃げだすように去っていった。
「ウィル。君は最初からレイチェルを気にしていたな。なぜだ?」
「それは……」
答えにくそうにしていたが念押しのつもりで続ける。
「生半可な気持ちならもうやめろ。彼女を苦しめる。だがもしそうでないのなら」
わずかに言葉を躊躇う。まだ少年の彼に重い責任を背負わせるようなことになるかもしれなかったからだ。
「人間の君だからこそ救いになってやれるかもしれない」
「なんだか雰囲気が妹に似てるんです。強気で振舞ってて意地っ張りだけど、どこか寂しそうな感じが」
ウィルは少しずつ語り始めた。
「僕は幼い頃から妹と比べられてきました。僕は落ちこぼれで妹は優秀だった。期待はみんな妹に集まっていました」
実家の稼業も妹が継ぐことになり、少しずつ自分の居場所がなくなっていったように感じていたという。
「あまりに情けなくて、劣等感があって僕は妹を避けるようになっていきました。逃げてしまったんです。両親と妹から。こんな場所にまで逃げてきました。きっとこの世界にいるみんなからすればたいした出来事じゃないと思います。馬鹿みたいな話ですよね。だけどあの時の僕にはとても重たかった」
恥ずかしそうに苦笑いして話していた。だが彼は既にそれを素直に話せるだけの強さを手に入れているのだ。それは本人が気づいているかは分からなかったが。
「でもイリナ様やフィルネシアさんたち、それにあなたの姿を見て僕は思ったんです。逃げたくないって。今度は逃げたくないって。だから絶対に諦めません」
「いい覚悟だ。君に出会えたことは幸運だった」
賞賛する。ウィルは少年らしからぬ決意の宿った戦士の瞳をしていた。
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フールとセシリアは共にダンジョン攻略をしながら自由に生きていくことを始めた一方で、フールのダンジョン攻略の噂を聞いたギルドをはじめ、ダレンはフールを引き戻そうとするが、フールの意思が変わることはなかった……
これは雑用係に成り下がった【最強】回復術士フールと"ケモ耳美少女"達が『伝説』のパーティだと語られるまでを描いた冒険の物語である!
(160話で完結予定)
元タイトル
「雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜でも、ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった。噂を聞いたギルドが戻ってこいと言ってるがお断りします〜」
【本編45話にて完結】『追放された荷物持ちの俺を「必要だ」と言ってくれたのは、落ちこぼれヒーラーの彼女だけだった。』
ブヒ太郎
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「お前はもう用済みだ」――荷物持ちとして命懸けで尽くしてきた高ランクパーティから、ゼロスは無能の烙印を押され、なんの手切れ金もなく追放された。彼のスキルは【筋力強化(微)】。誰もが最弱と嘲笑う、あまりにも地味な能力。仲間たちは彼の本当の価値に気づくことなく、その存在をゴミのように切り捨てた。
全てを失い、絶望の淵をさまよう彼に手を差し伸べたのは、一人の不遇なヒーラー、アリシアだった。彼女もまた、治癒の力が弱いと誰からも相手にされず、教会からも冒険者仲間からも居場所を奪われ、孤独に耐えてきた。だからこそ、彼女だけはゼロスの瞳の奥に宿る、静かで、しかし折れない闘志の光を見抜いていたのだ。
「私と、パーティを組んでくれませんか?」
これは、社会の評価軸から外れた二人が出会い、互いの傷を癒しながらどん底から這い上がり、やがて世界を驚かせる伝説となるまでの物語。見捨てられた最強の荷物持ちによる、静かで、しかし痛快な逆襲劇が今、幕を開ける!
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
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[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
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