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93話 過去8

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 目を開ければ真っ白な天井があった。ここはどこだろうとぼんやり思う。頭だけを動かして周囲を見渡すと、まずは腕についた点滴が目に入った。病院か、と事態を把握する。

「生きてる」

 死を覚悟していたというのに。どうやら助かったらしかった。

 身体を包むのは柔らかいベッドの感触。甘い香りが鼻腔をくすぐる、花瓶には奇麗な花が活けられていた。身体の調子を確かめるために腕を動かし足を動かし、どうにも重い足に違和感を受けて視線を動かすと、すうすうと穏やかな寝息が聞こえ、ベッドにもたれこむようにして眠るセレスの姿が目に入った。

 俺が動いた拍子にセレスも目を覚まし、うーんと伸びをした。そこで俺と目が合い、セレスはがばっと起き上がる。

「エル君! 起きたんだ!」

「ああ」と返事をする前に、

「良かったぁぁぁ」

 思いっきり抱きつかれて言葉が止まる。

「セレス。苦しい」

 良かった良かったと、引っ付いたまま離れないセレスに対して俺は抗議の声をあげた。首が締まっているのもあるし、何より顔に押し当てられた大きな柔らかい感触が気になった。

「あ、そうだ。先生呼んでくるからね。大人しく待ってるんだよ」

 セレスはそう言い放って暴風雨のように飛び出していった。



「異常はなさそうだね」

 検査に次ぐ検査が終わり、病室をたらい回しされたあとに医者とあらためて対面すると、俺はそう告げられたのだった。

「少し大げさじゃありませんか?」

「聞いてないのかい。一週間も眠っていたんだよ」

「でも身体はむしろ調子がいいぐらいで」

「それはそうだろうね。あの子はかなり聖霊に近い種族の亜人だ」

「……はあ」

「君に与えられたのは彼女の力の一部だ。それは精霊の恩寵といってもいい。その力が媒介となって他の恩寵と結びつきマナを得ることができるようになってる。つまりマナ欠乏症に限って言えば寛解といってもいい」

 信じがたい内容を告げられて驚いて目を見開く。

「だが魔術は使ってはいけないよ。魔術とは身に宿る恩寵を生命力や魔力と言われるもの、マナに変換することだ。火の魔術を使う時は火の恩寵をマナに変換する。本来それは時間経過とともに回復するものだが」

 衝撃が冷めやらぬ頭の中を説明が通り過ぎていった。

「しかしあの子の力も本物の恩寵には及ばない。しっかり君の身体に馴染むまで5年か、10年か。もし魔術を使って万が一にでもその力が消費されれば元通りになってしまうだろう」

 医者はカルテに引っ切り無しに文字を書き込んでいた。それが終わるとようやく視線を俺に向ける。

「そして他の疾患はそのままだから病院には行くように」

「……はい。分かりました」

 俺はぼんやりと生返事をして立ち上がった。

 病室に戻るさなかにようやく働き始めた頭で医者に言われたことを整理する。マナ欠乏は寛解、呼吸器疾患や臓器の問題があったがすぐに命に関るようなものではない。

 つまり俺はこれから生きていくことができるのだった。



 それから両親に連絡が入ったらしく大喜びで病室までやって来たかと思えば主治医に謝辞と賛辞の嵐をお見舞いし、俺に跡取りとしてどうのこうのと長々と話していった。

 今更何だと彼らに怒る気もせず、ただぼんやりと聞き流しているた。結局は親のおかげでセレスと出会たこともある、それは感謝せねばならなかった。

 いつしか時刻は夜になり、一斉に消灯されて室内は真っ暗になっていた。

 頭の中に奇妙な感覚が巡っていた。──俺はこれからどう生きればいいのだろうか。唐突に与えられた大きなものに俺は戸惑うしかなかったのだ。

 静かな部屋でただ天井を眺めていると扉をノックする音が聞こえた。こんな時間にいったい誰が。

「こんばんは。いい夜だね」

「セレス」
 
「夜に会うのってなんか不思議だね」

 扉を開けると飛び込んできたのはセレスだった。こんな夜更けに何の用事だろうかと訝しむ、また明日にでも会えばいい話なのに。

「どうしたんだ。こんな時間に」

「良かったら屋上に行かない? ほら星空って夜しか見えないじゃない」

「俺は構わないけど、許可は」

「許可なんてないよ。だからこっそりね」

「大丈夫なのか?」

「いいのいいのー」

 そのまま手を引かれて屋上まで行くと、涼しい夜風が身体を包んだ。当然人っ子一人いない屋上のベンチに向かい、セレスと少しだけ距離を開けて腰掛けた。

 そうして目に入ったのは光の粒だった。地上では色とりどりの灯りがきらめき、夜空では星々が輝いていた。

「奇麗だねー」

「そうだな」

「でもお姉さんのほうが?」

 セレスは悪戯っぽくにまにま笑って問いかけた。

「……奇麗だよ」

「やーん。照れちゃう。私そういうロマンチックなの好き」

 自分から引き出した言葉で満足できるあたり、面白い人だなと思う。

「なんかさ、星空を見てると神さまっているんだろうなって思わない」

 何となく分かるような気がした。空に浮かぶ無数の光がある。そして明りの灯る町々には、それだけの数の人生がある。信じがたいほど壮大で、自分の小ささを感じるものだ。

 神という言葉で一つ浮かんだのが「死を司る神」というものだった。

「死の神って本当にいるのかな」

「うん。いると思うよ」

 セレスはまるで真実かのように頷いた。

「亜人のね、ドラゴンとか吸血鬼は死を与えるものの眷属なんだ。彼らは血と肉を糧にする生き物。他者に死を与える生き物。そういう亜人は血の気が多いから気を付けなよ」

「あんまり想像できないな」

 セレスの性格からすると亜人好戦的には思えなかったのだ。

「私の種族はね、命を与えるもの、生者の神から寵愛を受けているんだ。だから温厚な性格してる人が多いね。ドラゴンの中にもプラチナドラゴンとかは凄い愛情深い生き物でね、エルフにもダークエルフとか、例外はあるんだけどね。昔は私たち亜人は仲が悪くて、争いあってた歴史があるんだよ。亜人が追放される前、まだ人間がこの世界を支配する前、もうずーっと昔の話だよ」

「そうなのか」

 あまり口数の多くない俺に対してその後もセレスはひっきりなしに喋り続けていたが。ふと彼女にお礼の一つも言っていないと気が付いた。珍しくも会話を遮るように俺は言った。

「ありがとうセレス。俺を助けてくれて」

「むしろ助けてもらったのは私だよ。でも、もうあんなことしちゃ駄目だめだからね。命は粗末にしないの」

「粗末になんかしてない」

 迷いなく断言する。

「セレスを助けること以上に重要なことなんてない」

 セレスは面食らって少し目線を泳がせて照れ隠しのように俺のおでこを指でつついた。

「将来女ったらしにならないようにね」

 将来、その言葉を聞いてはっきりと実感がわく。俺にも将来がある。これから歩める様々な道があるのだ。セレスに視線を戻すと、彼女は俺をじーっと見つめていた。

「エル君いくつだっけ」

「10になった」

「若いねえ」

「セレスは?」

「今は一応15かな」

「一応?」

「まあ、今はそうだってだけだからね。私たちの種族は一度寿命がつきるとまた──いっ!」

 急に大きな声をあげると首元を押さえた。

「たたたた。しくじったね。今の言っちゃいけないやつだった」

 その言葉で理解が及ぶ。それは忌むべき首輪によるもの。セレスの首にかせられた、その者の行動を縛る鎖だった。

「もしかして俺を助けた時も」

「まあね。首がちょん切れるかと思ったよ。お姉さんに感謝するように」

 他愛無いことのようにセレスはへらへら笑った。そんな表情を見て少し心がざわめいた。

「セレス。無理に笑わないでくれ」

「無理なんかしてないよ。エル君とお喋りするのは楽しいからね」

「俺は、セレスを助けたいんだ。本当にあれで良かったのか?」

「いいんだよ。そんな気にしないでも。私は別に他人を傷つけてまで逃げることなんて望んじゃいない。あの時、私の意思を守ってくれて嬉しかった。私にとってそれは自分の命以上に重要なことだから」

「じゃあ、どうやって恩を返せばいいんだ」

 セレスは穏やかにに笑い、そして唐突に語り始めた。 

「君を見た時ね、凄い寂しそうな子だなって思ったんだよ」

「……そうかもしれない」

 自分では分からない。だが俺はあの時、寂しかったのだろうか。

「私もね、私も寂しかったんだ。きっと君に話しかけようと思ったのだって自分のためだったんだよ。だから君が気に病む必要はないんだ。とっくに恩は返してもらってる。それ以上のものもね」

 意味が分からずに彼女を見つめた

「私も自分のしたことに後悔はないよ。この選択を選んだことに間違いはなかった。そのことを君が教えてくれた」

「俺が? いったい何を」

「人間も亜人も変わらない。こうやって友達になれるんだ」

 セレスは戯れのように俺の手を取った。

 どこまでもお人好しだなと思う。人によってはそれは愚かだとも感じるだろう。だが俺はその愚かさによって救われたのだ。ならば。

「俺がセレスを助けるよ」

「え? だから私は別に」

 最後まで言い切る前に俺は続ける。

「誰も殺さないでもすむぐらい俺が強くなるから。待っててくれ。いつか必ずセレスを自由にしてみせる」

 セレスはぽかんと呆けた表情を浮かべた。そして。

「あはははは!」

「なんで笑うんだよ」

 お腹を抱えて笑い、やがて目の端に浮かんだ涙を拭った。冗談でもなく本気で言ったのに、いったいどうしたことだと釈然としない気分で問いかける。

「お姉さんを口説くには10年早いぜ」 

 セレスは口ではそう言ったが、いつになく嬉しそうに頬を緩めた。そして肩が触れ合ってわずかに体重が預けられる。俺たちは静かに寄り添い合いながら、夜は更けていった。
 

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