隣の大学院生は、俺の癒しでした。

結衣可

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第3話 夜更けのコーヒーに、やさしいお弁当

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「なあ、風間……」

「はい?」

「……今日は、ちょっと、帰りたくない」

その言葉に、風間の手がぴたりと止まった。

洗い物をしていた手をそっとタオルで拭いてから、彼は静かに、こちらを振り返る。

「……じゃあ、コーヒーでも飲みます?」

声はいつも通りの優しさに満ちていた。
けれど――その目は、ほんの少しだけ切なげに笑っていた。


「ごめん、急に」

「いいえ。俺は嬉しいですよ」

ダイニングの椅子に座ると、
風間は黙って、コーヒーを用意してくれた。

「……悪いな」

「いいえ」

コーヒーの香ばしい匂いが、夜の静けさに溶けていく。

(何やってんだろうな、俺)

普段なら他人の部屋に長居なんて、あり得ない。
けど――何故か、この部屋は居心地がいい。

誰かの声がして、
誰かの手が作ったごはんが出てきて、
食器が重なる音がする。

そんな“当たり前”が、たまらなく欲しかったのかもしれない。

「ねえ、斎藤さん」

「ん?」

「またいつでも来てください。別に何も言わなくてもいいですし。……ごはんだけ食べて帰ってもいいんで」

「……そんなことはできない、さすがに迷惑だろ」

「迷惑なら、わざわざご飯作ったり、……コーヒーなんて出しませんよ」

――ぽん、と肩を叩かれた。

その手のあたたかさに、
ようやく自分がどれだけ冷えていたのかを知る。

「ん……ありがとな」

そう言うと、風間はほんの少しだけ、はにかんだ。

深夜1時、二人で並んでソファに座わっていた。
それは穏やかな、時間が流れていた。

斎藤は思った。

(帰りたくないな、ここが帰る場所だったらいいのに)

結局、この日は風間に甘えて、そのまま寝てしまった。
いつの間にかソファに横になり、風間が毛布を掛けてくれたようだ。
朝、風間に起こされるまで、久しぶりに熟睡した。


出社すると、穏やかな時間はいつまでも続かないんだなと思い知らされる。
朝起きて、仕事に向かえば、大量の業務に追われる日々だ。
それでも、耐えて頑張ってきているのに。
今日はいつにも増して最悪な日だった。

「……っっ何をしてたんだっっ!」

社内の会議室に響き渡ったのは、上司の怒声。
そしてその矢面に立たされていたのが、いつものごとく――斎藤悠真だった。

「報告が遅い」「詰めが甘い」「やる気が感じられない」
言われるたびに、心のどこかがすり減っていく。

(……ちゃんとやってるのにな)

言い訳は、いつも胸の奥で飲み込む癖がついた。
増える一方の業務、ひたすら机に齧りつき、昼も忘れて処理をした。


ぐったりと帰宅した夜。
廊下の照明がやけに眩しくて、うつむいて歩いていたら――

「斎藤さん!」

ぱたぱたとサンダルの音を立てて駆け寄ってきたのは、風間だった。

「お帰りなさい。今日、遅かったですね。疲れた顔してます……大丈夫ですか?」

そう言って差し出してきたのは、
可愛らしい柄の包みにくるまれた、手作りのお弁当だった。

「……え?」

「明日のお昼に食べてください。ちょっと、がんばって作ったんです」

「なんで……」

「だって、最近ちゃんと食べてないっぽいから。言わなくても、顔見ればわかりますよ」

いつものようにニコッと笑うその顔を、今日はなぜかまっすぐに見られなかった。

(……なんだよ、そんな顔すんな)

泣きそうになるじゃないか。

「……お節介だな、おまえ」

「え、ひど」

「……でも、ありがとう」

風間の目がぱちぱちと瞬く。

「はは、受け取ってくれたの、 マジで嬉しいんですけど!待っててよかったぁ」

「風間、声!デカいって」

「ちゃんと食べてくださいね、愛妻弁当」

「は?」

風間はくすくすと笑って、お弁当を渡して去っていった。

包みから漂う、ほのかな卵焼きの甘い香りに、
斎藤の頬がほんのりと緩む。

(……なんか、最近よく笑ってんな)

気づかぬうちに、変わってきている――
自分も、毎日も、少しずつ。


翌日のお昼。
お弁当箱を開けた瞬間、ふわりと香る白ごはんと照り焼きの匂い。

箸で持ち上げた卵焼きには、なんと――

ケチャップで「がんばれ」の文字が。

「……バカかよ」

言いながら、斎藤は――ちょっとだけ目を潤ませながら、全部きれいに食べた。
無性に風間に会いたくなった。
(また一緒にいてくれないかな)
ため息をつき、それを振り切るように首を振った。
今日もまた……残業だ。
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