兄の親友

結衣可

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第4話 逃げ場のない想い

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 あの夜のキスと涙は、綾人の胸に深く残った。
 抱きしめられた温もりを思い出すたびに、心臓が苦しくなる。

 ――忘れなきゃ。
 ――あれは間違いだった。

 そう自分に言い聞かせ、綾人は誠を避けるようになった。
 連絡が来ても「忙しい」とだけ返し、会おうとしても理由をつけて断る。
 それが正しいはずだった。

 だが、誠は諦めなかった。


 仕事を終えてマンションへ戻ると、玄関前に誠の姿があった。
 当然のように立っていて、綾人を見るなり笑顔を浮かべる。

「……っ、なんで」

「避けないでよ、俺のこと」

 柔らかな声なのに、否応なく胸に突き刺さる。

「……無理だ。あんなことされて――」

「綾人さん、ちゃんと考えて」

 誠は遮った。
 強い瞳で綾人を射抜き、ぐっと距離を詰める。

「逃げないで」

 綾人の背が壁に押し付けられる。
 逃げようと顔を背けても、誠はその顎をそっと掴み、視線を絡めて離さなかった。

「っ……」

 胸が締め付けられる。思い出したくないのに、誠の言葉で蘇ってしまう。

「本当は、俺を好きなくせに。だから、そんな顔をする」

 囁きは静かで、けれど逃げ場を与えてくれなかった。

「誠……やめ……」

 声が震える。
 必死に否定したいのに、言葉にならない。
 そんな綾人を、誠は再び抱きしめた。

「ごめんね、もう離す気ないんだ、……綾人さんも早く認めてよ」

 肩に落とされた声は温かく、綾人の理性をまたひとつ溶かしていった。


 誠の腕の中で聞いた「もう離す気ない」という言葉が、何日経っても胸の奥に残っていた。
 思い出すたびに心臓が熱くなるのに、同時に強烈な罪悪感に襲われる。

 ――七歳も年下で。
 ――しかも律の弟……。

 昔から可愛がってきた存在に、恋情を抱いてしまった。
 それを認めるのが怖くて、綾人は必死に抵抗していた。


 休日の昼間、気分を切り替えようと街へ出た綾人は、偶然人だかりの中心に立つ誠を見つけた。
 大学の友人たちと一緒に笑い合い、冗談を言っては場を盛り上げている。
 背の高い体格、朗らかな笑顔、男女を問わず自然と人を惹きつける雰囲気。
 その輪の中で誠は、誰よりも輝いて見えた。
 女の子が誠の腕に自分の腕を絡めた瞬間、胸が強く締め付けられる。

「……っ」

 その姿を見ていると、どうしようもなく心がぐちゃぐちゃになっていく。
 嫉妬とも、焦りともつかない感情が込み上げて、綾人は思わずその場を立ち去った。
 人気のない道を歩きながら、綾人は胸に手を当てる。唇を噛みしめた。

 ――どうして……こんなに苦しいんだ。

 答えはすでにわかっているのに、その気持ちを言葉にすることができなかった。


 それから数日――誠は綾人のもとへ来なかった。
 毎日のように訪ねてきては、遠慮なく生活に入り込んでいたのに。
 休日の朝に突然買い物袋を抱えてやって来ることもなく。
 リビングのソファを当然のように占領することもなく。
 部屋は、嘘のように静かだった。

「……はぁ」

 ソファに腰を下ろした綾人は、無意識にため息をつく。
 静かなはずなのに、なぜか落ち着かない。

 ――これでいいはずだ。

 誠がいなければ、何も乱されない。
 律の弟に恋心を抱くなんて、そんな間違いを重ねずに済む。
 頭ではそうわかっているのに。
 胸の奥は、妙に空っぽで、どこか寂しさに軋んでいた。


 仕事に集中しようとしても、つい視線はスマホへ向かう。
 通知が鳴れば条件反射のように手を伸ばし、期待しては落胆する。

「……避けたのは自分のくせに」

 ぽつりと呟いた声に、自分で苦笑する。
 追い払おうとしたはずの存在を、いつの間にか待ち望んでいる。
 そんな自分を認めるのが、何よりも怖かった。


 その夜、窓の外に街灯の明かりが差し込む部屋で、綾人はベッドに横たわりながら天井を見つめていた。

 ――静かだな
 ――いや、違う……寂しい?

 自分の心を認めそうになった瞬間、胸がぎゅっと締め付けられる。

「……バカだな、俺」

 呟きは夜に溶け、誰にも届くことはなかった。
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