王弟の恋

結衣可

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第7話 リアンの意志

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 王都の空は、冬でもどこか乾いている。
 ルーヴェンの湿った雪に慣れた身には、この街の空気がやけに硬く感じられた。

 リアンは王城の回廊を歩いていた。
 靴音が白い石床に響く。壁にかけられた王家の紋章が、冷たく光を返す。

 王弟レイヴィスから遠く離れて、まだ数日しか経っていないというのに、その背中をもう何度も思い出していた。
 雨に濡れた港で、灯の下で交わした言葉。
 ――「なんで、私の傍にいない?」と言った声が、耳の奥に残っている。

 本当はあんなことを言わせたくなかった。
 そして、自分も限界だった。
 少しでも会いたくて、普段はやる必要のない監視を自ら志願した。
 レイヴィスへの忠誠はもはや仕事の枠では抑えきれないほど膨らんでいた。

 * * *

 王の執務室。
 厚い扉の向こうに、アルデンティアの王が座していた。
 年若いが冷静な目を持つ、統治者としての風格をまとった男だ。

「リアン・ヴァルハルト。報告を」

 その声に、リアンは膝をつき、頭を垂れる。

「はい。港の襲撃は、共生都市に反対する貴族派の一部が仕組んだものでした。連邦商人の中に、買収された者が混じっておりました」

「やはりか。……証拠は?」

「すでに押収済みです。明朝、一斉検挙が可能です」

 王の眉がわずかに動く。

「よくやった。ルーヴェンの犠牲は最小で済んだと聞く。――レイヴィスの指揮か?」

「はい。殿下のご判断です。私はただ、その命に従ったまで」

 その名を口にした瞬間、胸が軋んだ。
 王の前で、殿下と呼ぶたび、忠誠と恋情の境が曖昧になる。

「そうか。このまま進めろ」

「はっ」

「――ご苦労だった、リアン。引き続き近衛として仕えよ」

 リアンは沈黙した。
 手を胸に当てたまま、動かない。

「どうした?」

 王が視線を上げる。
 リアンは、深く息を吸った。

「陛下。……お願いがございます」

「申してみよ」

「この任を最後に、私は近衛騎士の職を辞したく存じます」

 王の手が止まる。
 静寂が、部屋に落ちる。

「……それは」

「察しの通りにございます。もう騎士団は私がおらずとも問題なく機能するでしょう。これ以上、心を偽って剣を振るうことはできません。私を……レイヴィス殿下の元に」

 王の瞳が細くなり、しばし沈黙する。
 やがて、彼は静かに立ち上がる。

「……それは、忠誠の形ではないな」

「はい。忠誠ではありません」

 リアンはまっすぐに顔を上げた。

「私は殿下を、愛しております。王弟としてでも、領主としてでもなく、一人の人間として」

 沈黙が長く伸びる。
 やがて王は、わずかに目を伏せた。

「愚直だな。……だが、お前らしい」

「陛下」

「ルーヴェンは、国の理想そのものだ。共生を掲げ、平和を願うその地を、王弟が治めている。そこに“愛”という形の忠誠があってもいいのかもしれんな」

 リアンは、はっと顔を上げた。
 王の表情は穏やかだった。

「兄として言わせてもらうが、あれを泣かせるようなことがあれば、わかっているだろうな?」

「承知の上です」

「……そうか。お前なら、あれを守り切ることができるだろう。任せたぞ」

「陛下……この命に代えても」

「では、もう下がれ」

 リアンの胸に、言葉が深く刺さった。
 目を閉じ、深く礼を取る。

「感謝致します、陛下」

 王が静かに背を向ける。
 その背に、リアンは最後の敬礼を捧げた。

 * * *

 港の襲撃事件は騎士団による一斉検挙により無事幕を閉じた。
 事後処理を片付け、近衛騎士としての最後の仕事を終えたリアンは休むことなく、ルーヴェンへ向かうことにした。
 城を出ると、冷たい風が頬を打った。
 王都の街灯が遠くに滲む。
 リアンは腰の剣を外し、その場に立ち止まった。

 鞘の金具を見つめる。
 かつては誇りの象徴だったそれが、今はただ、過去を締めつける鎖に見える。

「……ありがとうございました」

 小さく呟き、剣を胸に当てる。
 それは、騎士としての最後の敬礼だった。

 ルーヴェンの方角に目をやる。
 夜空に、ひとつだけ星が光っている。
 まるで、彼が手渡した“守り星”が遠くから灯っているようだった。

 (殿下、早くあなたに会いたい)

 リアンは外套の襟を立て、歩き出した。
 王都の灯が背後に遠ざかっていく。
 その足音は、どこまでも静かで、どこまでもまっすぐだった。
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