12 / 30
第3章:灰色のユニフォーム
3-3:眠れない夜
しおりを挟む
自室に戻ると、部屋の空気は夕食前よりもさらに冷たく、重くなっていた。
橘涼介はすでにベッドに横たわり、壁に向かって寝返りを打っている。その背中全体が「話しかけるな」という鋭い拒絶のオーラを放っていた。工藤蓮は、大地が出て行った時と全く同じ姿勢で、ベッドの隅で繭のように丸まっている。生きているのかどうかすら、定かではない。
大地は自分のベッドに腰を下ろしたが、とても眠れるような気分ではなかった。
消灯時間を過ぎ、部屋の照明がフッと落ちる。完全な暗闇と静寂が、三人の間に横たわる溝を、より一層深く、暗いものにした。
(これから、ずっとこうなんだろうか)
宇宙へ行くための訓練。チームワーク。そんなものは、あまりにも遠い理想に聞こえた。今の自分たちにあるのは、剥き出しの不信と、プライドと、そして恐怖だけだ。
特に、三笠博士が最後に口にした「脱落」という言葉が、重い鉛のように大地の心にのしかかっていた。
脱落したら、どうなるのか。
あのセピア色の世界に戻されるだけだろうか。いや、違う。三笠の言い方は、もっと不吉な何かを暗示していた。
ここは、選別の場なのだ。生き残るための椅子は、25脚しかない。
暗闇の中、隣のベッドから、橘のかすかな寝息が聞こえ始めた。しかし、蓮のベッドからは、何の物音もしない。ただ、そこに質量のある闇が、じっとうずくまっているかのようだった。
どれくらい時間が経っただろうか。
耐えきれなくなった大地は、物音を立てないようにそっとベッドを抜け出し、部屋のドアを静かに開けた。廊下は、非常灯の青白い光に照らされ、まるで深海のように静まり返っていた。
少しだけ、空気が吸いたかった。
たとえそれが、人工的に作られた、循環された空気だとしても。
大地は、幽霊のように廊下をさまよった。居住エリアを抜け、中央管制エリアへと続く通路に出る。昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、巨大な機械たちの低い唸りだけが、施設の鼓動のように響いていた。
ガラス張りの壁の向こうに、いくつかの部屋の明かりが灯っているのが見えた。
「トレーニングルーム」と書かれた部屋では、雨宮健吾が一人、汗だくになってサンドバッグを殴りつけていた。
ドンッ、ドンッ、と腹の底に響く重い打撃音。その一発一発に、彼の焦りと、決して誰にも負けられないという強迫観念のようなものが込められているのが、遠目にもわかった。彼は、リーダーであろうとするあまり、すでに自分自身を追い込み始めているのだ。
別の部屋、「第3技術ガレージ」と書かれた札のかかった場所では、佐藤結実がいた。彼女は、分解されたエンジンの部品に囲まれ、油にまみれながら、一心不乱に工具を動かしていた。その横顔は、食堂で悪態をついていた時とは別人のように、真剣で、そしてどこか楽しげですらあった。彼女にとって、人と向き合うよりも、正直な機械と向き合っている方が、ずっと心が安らぐのだろう。
廊下の隅の、薄暗い場所に、小さな人影がうずくまっているのを見つけた。小鳥遊ひまりだった。彼女は、抱きしめたスケッチブックに、一心に鉛筆を走らせていた。彼女が描いているのは、きっと、言葉にできない不安や、恐怖、あるいはほんの少しの希望なのかもしれない。
誰もが、眠れずにいた。
誰もが、それぞれの方法で、この圧倒的な現実と、自分自身の内面にある闇と戦っていた。
(俺は……)
大地は、再び自分の両手を見下ろした。
健吾のような強さも、結実のような技術も、ひまりのような表現力も、何もない。
俺は、ここで何ができる?
ただ怯え、不安に思うことしかできない。
(脱落候補、筆頭は……俺かもしれない)
その考えは、冷たい霧のように大地の心を包み込んだ。
彼は、誰にも見つからないように、来た道を静かに引き返した。自分の部屋の、あの息の詰まる暗闇の中へと。
橘涼介はすでにベッドに横たわり、壁に向かって寝返りを打っている。その背中全体が「話しかけるな」という鋭い拒絶のオーラを放っていた。工藤蓮は、大地が出て行った時と全く同じ姿勢で、ベッドの隅で繭のように丸まっている。生きているのかどうかすら、定かではない。
大地は自分のベッドに腰を下ろしたが、とても眠れるような気分ではなかった。
消灯時間を過ぎ、部屋の照明がフッと落ちる。完全な暗闇と静寂が、三人の間に横たわる溝を、より一層深く、暗いものにした。
(これから、ずっとこうなんだろうか)
宇宙へ行くための訓練。チームワーク。そんなものは、あまりにも遠い理想に聞こえた。今の自分たちにあるのは、剥き出しの不信と、プライドと、そして恐怖だけだ。
特に、三笠博士が最後に口にした「脱落」という言葉が、重い鉛のように大地の心にのしかかっていた。
脱落したら、どうなるのか。
あのセピア色の世界に戻されるだけだろうか。いや、違う。三笠の言い方は、もっと不吉な何かを暗示していた。
ここは、選別の場なのだ。生き残るための椅子は、25脚しかない。
暗闇の中、隣のベッドから、橘のかすかな寝息が聞こえ始めた。しかし、蓮のベッドからは、何の物音もしない。ただ、そこに質量のある闇が、じっとうずくまっているかのようだった。
どれくらい時間が経っただろうか。
耐えきれなくなった大地は、物音を立てないようにそっとベッドを抜け出し、部屋のドアを静かに開けた。廊下は、非常灯の青白い光に照らされ、まるで深海のように静まり返っていた。
少しだけ、空気が吸いたかった。
たとえそれが、人工的に作られた、循環された空気だとしても。
大地は、幽霊のように廊下をさまよった。居住エリアを抜け、中央管制エリアへと続く通路に出る。昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、巨大な機械たちの低い唸りだけが、施設の鼓動のように響いていた。
ガラス張りの壁の向こうに、いくつかの部屋の明かりが灯っているのが見えた。
「トレーニングルーム」と書かれた部屋では、雨宮健吾が一人、汗だくになってサンドバッグを殴りつけていた。
ドンッ、ドンッ、と腹の底に響く重い打撃音。その一発一発に、彼の焦りと、決して誰にも負けられないという強迫観念のようなものが込められているのが、遠目にもわかった。彼は、リーダーであろうとするあまり、すでに自分自身を追い込み始めているのだ。
別の部屋、「第3技術ガレージ」と書かれた札のかかった場所では、佐藤結実がいた。彼女は、分解されたエンジンの部品に囲まれ、油にまみれながら、一心不乱に工具を動かしていた。その横顔は、食堂で悪態をついていた時とは別人のように、真剣で、そしてどこか楽しげですらあった。彼女にとって、人と向き合うよりも、正直な機械と向き合っている方が、ずっと心が安らぐのだろう。
廊下の隅の、薄暗い場所に、小さな人影がうずくまっているのを見つけた。小鳥遊ひまりだった。彼女は、抱きしめたスケッチブックに、一心に鉛筆を走らせていた。彼女が描いているのは、きっと、言葉にできない不安や、恐怖、あるいはほんの少しの希望なのかもしれない。
誰もが、眠れずにいた。
誰もが、それぞれの方法で、この圧倒的な現実と、自分自身の内面にある闇と戦っていた。
(俺は……)
大地は、再び自分の両手を見下ろした。
健吾のような強さも、結実のような技術も、ひまりのような表現力も、何もない。
俺は、ここで何ができる?
ただ怯え、不安に思うことしかできない。
(脱落候補、筆頭は……俺かもしれない)
その考えは、冷たい霧のように大地の心を包み込んだ。
彼は、誰にも見つからないように、来た道を静かに引き返した。自分の部屋の、あの息の詰まる暗闇の中へと。
0
あなたにおすすめの小説
アガルタ・クライシス ―接点―
来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。
九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。
同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。
不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。
古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
恋愛リベンジャーズ
廣瀬純七
SF
拓也は、かつての恋人・純への後悔を抱えたまま生きてきた。ある日、過去へ戻れる不思議なアプリを手に入れるが戻った先で彼を待っていたのは、若き日の純ではなく――純そのものになってしまった自分自身だった。かつての恋人とやり直すはずが、過去の自分を相手に恋をするという奇妙で切ない関係が始まっていく。時間と心が交差する、不思議な男女入れ替わりストーリー。
【完結】うさぎ転生 〜女子高生の私、交通事故で死んだと思ったら、気づけば現代ダンジョンの最弱モンスターに!?最強目指して生き延びる〜
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
女子高生の篠崎カレンは、交通事故に遭って命を落とした……はずが、目覚めるとそこはモンスターあふれる現代ダンジョン。しかも身体はウサギになっていた!
HPはわずか5、攻撃力もゼロに等しい「最弱モンスター」扱いの白うさぎ。それでもスライムやコボルトにおびえながら、なんとか生き延びる日々。唯一の救いは、ダンジョン特有の“スキル”を磨けば強くなれるということ。
跳躍蹴りでスライムを倒し、小動物の悲鳴でコボルトを怯ませ、少しずつ経験値を積んでいくうちに、カレンは手応えを感じ始める。
「このままじゃ終わらない。私、もっと強くなっていつか……」
最弱からの“首刈りウサギ”進化を目指して、ウサギの身体で奮闘するカレン。彼女はこの危険だらけのダンジョンで、生き延びるだけでなく“人間へ戻る術(すべ)”を探し当てられるのか? それとも新たなモンスターとしての道を歩むのか?最弱うさぎの成り上がりサバイバルが、いま幕を開ける!
異世界国盗り物語 ~戦国日本のサムライ達が剣と魔法の世界で無双する~
和田真尚
ファンタジー
戦国大名の若君・斎藤新九郎は大地震にあって崖から転落――――気付いた時には、剣と魔法が物を言い、魔物がはびこる異世界に飛ばされていた。
「これは神隠しか?」
戸惑いつつも日本へ帰る方法を探そうとする新九郎
ところが、今度は自分を追うように領地までが異世界転移してしまう。
家臣や領民を守るため、新九郎は異世界での生き残りを目指すが周囲は問題だらけ。
領地は魔物溢れる荒れ地のど真ん中に転移。
唯一頼れた貴族はお家騒動で没落寸前。
敵対勢力は圧倒的な戦力。
果たして苦境を脱する術はあるのか?
かつて、日本から様々なものが異世界転移した。
侍 = 刀一本で無双した。
自衛隊 = 現代兵器で無双した。
日本国 = 国力をあげて無双した。
では、戦国大名が家臣を引き連れ、領地丸ごと、剣と魔法の異世界へ転移したら――――?
【新九郎の解答】
国を盗って生き残るしかない!(必死)
【ちなみに異世界の人々の感想】
何なのこの狂戦士!? もう帰れよ!
戦国日本の侍達が生き残りを掛けて本気で戦った時、剣と魔法の異世界は勝てるのか?
これは、その疑問に答える物語。
異世界よ、戦国武士の本気を思い知れ――――。
※「小説家になろう」様、「カクヨム」様にも投稿しています。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる