プロジェクト・ニッケルクロム ―銀色の方舟―

どえろん

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第5章:亀裂

5-2:不格好な連携

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 空気が、変わった。
 ほんの少し、だが確実に。コクピットに充満していた敵意と不信の毒が、薄まった。

「……行くぞ!」
 佐藤結実が、初めて自らの意志で宣言した。その声には、まだ棘がある。だが、それはもはや自暴自棄な響きではなかった。自分の技術に対する、絶対的な自信に裏打ちされた、鋭利な響きだった。

 彼女の指が、機関士コンソールの上で踊る。メインエンジンは沈黙させたままだ。彼女は、船体の四方に配置された、姿勢を微調整するための小さなスラスターエンジンだけを巧みに制御し始めた。それは、巨大な鯨の体を、指先だけで操るような、神業的な技術だった。

「キャプテン様!ぼさっとすんな!船首が右に流れてる!逆噴射で抑えろ!」
「わかっている!」
 雨宮健吾も、操縦桿を握りしめ、結実の動きに必死で対応する。彼のプライドは、ズタズタに引き裂かれているだろう。だが、今はそれを飲み込むしかなかった。この船の主導権は、一時的に、結実の手に渡っていたのだから。

 二人の間には、まだ会話はない。
 あるのは、結実の怒声に近い「指示」と、健吾の歯ぎしりのような「応答」だけだ。
 だが、それでも船は、動いていた。不格好に揺れ、時折コースを外れそうになりながらも、確実に、宇宙ステーションへと近づいていく。

「……航法士」
 健吾が、絞り出すように言った。
「最終進入角度と相対速度、誤差の修正値を報告しろ」
「……相対速度、マイナス0.5。進入角度、プラス1.2度ずれてる。このままじゃ、ポートの側面にキスして終わりね」
 星乃しずくは、相変わらず冷たい声で、しかし完璧なデータを提示した。彼女の目は、二人の奮闘を、まるで他人事のように、しかし寸分の狂いもなく観測していた。

 その時だった。
「あ……あの……」
 これまでずっと沈黙していた、高森大地の声が震えた。
「し、しずくさん!そのデータを、結実さんにも送ってあげてくれませんか!?」

 しずくの眉が、わずかに動いた。
「……なぜ、私が」
「結実さんは、感覚で操縦してるんだと思うんです!だから、しずくさんの正確なデータがあれば、もっと……!」

 大地には、何の確信もなかった。ただ、そう思ったのだ。
 感覚の天才である結実と、データの天才であるしずく。水と油のように相容れない二人の才能が、もし、この絶望的な状況で結びついたなら。

 しずくは、数秒間、黙って大地を見つめた。その瞳は、値踏みするように、あるいは何かを試すように、大地を射抜いていた。
 やがて、彼女は小さくため息をつくと、何も言わずに自分のコンソールを操作した。航法データが、機関士コンソールへと転送される。

「……ちっ、余計なことしやがって」
 結実は悪態をついた。だが、その目は、モニターに映し出された精密なデータに釘付けになっていた。自分の「感覚」が、しずくの弾き出した「数字」によって裏付けられていく。その事実は、彼女の操縦を、さらに一段階上のレベルへと引き上げた。

 船の揺れが、ぴたりと収まった。
 まるで、最初から決められていたレールの上を滑るかのように、ニッケルクロム号は、宇宙ステーションのドッキングポートへと、吸い込まれるように近づいていく。

「……すごい」
 隣で、大山五郎が、かすれた声で呟いた。その大きな目には、怯えではなく、純粋な驚きと、そしてほんの少しの感動が浮かんでいた。

 大地は、自分の席で固唾を飲んでスクリーンを見つめていた。
 自分は、何もしていない。操縦も、計算も、何も。ただ、叫んだだけだ。
 だが、その叫びが、バラバラだった歯車を、ほんの一瞬だけ、噛み合わせた。

 ガコン。
 軽い、しかし確かな衝撃と共に、船体が静止した。
 メインスクリーンに、緑色の文字が表示される。

『DOCKING COMPLETE』
『MISSION COMPLETED』

 成功。
 信じられないことに、彼らはミッションをクリアしたのだ。
 コクピットは、再び沈黙に包まれた。
 だが、それはもはや、午前中のような敗北の沈黙ではなかった。
 誰もが、自分のモニターと、そして互いの顔を、信じられないというように見つめていた。

「……やった」
 誰かが、そう呟いた。
 それは、歓喜の声ではなかった。ただ、安堵と、疲労と、そしてほんのわずかな達成感が入り混じった、かすれた声だった。
 チーム・アルファは、その日、初めて一つのことを成し遂げた。
 それは、ひどく不格好で、亀裂だらけの、小さな小さな勝利だった。
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