プロジェクト・ニッケルクロム ―銀色の方舟―

どえろん

文字の大きさ
19 / 30
第5章:亀裂

5-1:二度目の地獄

しおりを挟む
 午後の訓練の開始を告げるアナウンスが、無慈悲に響き渡った。
 食堂からシミュレーション・ドームへと向かう足取りは、まるで処刑台へ上る罪人のようだった。チーム・アルファの5人は、互いに数メートルの距離を保ちながら、一言も口をきかずに歩いていた。彼らの間に流れる空気は、憎悪と不信、そして諦観が混じり合った、どろりとした毒のようだった。

 ドームに入ると、三笠博士が待ち構えていた。その表情は、午前中と何も変わらない。
「午後の訓練を始める。チーム・アルファ、シミュレーターに入れ」
 その声には、彼らの心情を慮るような響きは一切なかった。ただの、命令だった。

 再び、あの息の詰まるコクピットに5人が収まる。
 メインスクリーンに、午後のミッション内容が表示された。

『ミッション:宇宙ステーションとのランデブー及び、ドッキング。制限時間は20分。目標との相対速度、角度、距離の誤差が規定値を超えた場合、ミッションは失敗とみなされる』

 午前中の、荒々しい小惑星帯突破とは対極にある、繊細で緻密な連携が求められるミッションだった。それは、今の彼らにとって、最も不可能な課題に他ならなかった。

「……始めるぞ」
 キャプテンシートに座る雨宮健吾が、絞り出すように言った。その声には、午前中のような傲慢な響きはなく、代わりに悲壮な覚悟が滲んでいた。彼は、この失敗を挽回することに、全てを賭けているようだった。

 シミュレーションが開始される。
 宇宙空間に浮かぶ、巨大な宇宙ステーションがゆっくりと近づいてくる。

「航法士、ステーションのドッキングポートまでの最終進入コースを算出、報告しろ」
 健吾の指示は、午前中よりも冷静だった。だが、それは嵐の前の静けさだった。
「……算出中」
 星乃しずくは、淡々とコンソールを操作する。彼女の指先から、完璧な航路データが瞬時に弾き出されていく。

 問題は、そこからだった。
「機関士、ドッキングに備え、メインエンジンを停止。姿勢制御スラスタの出力を微調整モードに切り替えろ」
「……」
 佐藤結実は、健吾の指示を完全に無視した。彼女は、腕を組み、ふてくされたように天井を睨みつけている。
「おい、結実!聞こえているのか!」
 健吾の声に、怒気が混じり始める。
「……聞こえてるよ。けど、なんでてめえの指図を受けなきゃなんねえんだ?てめえの言う通りにやって、また失敗したら、あたしたちの減点が増えるだけじゃねえか」
「貴様……!」

 健吾の怒りが、ついに沸点に達した。だが、彼が怒鳴るよりも早く、しずくが冷ややかに口を挟んだ。
「……内輪揉めをしている暇があるなら、手を動かしたらどう。目標との距離、5000メートル。このままだと、通り過ぎるわよ」

 その言葉は、火に油を注いだだけだった。
「わかってる!結実、命令を聞け!これは、お前一人の問題じゃないんだぞ!」
「じゃあてめえがやれよ!キャプテン様なんだろ!」

 コクピットは、再び機能不全に陥った。
 健吾が無理やり操縦桿を握り、結実がエネルギー供給を拒否する。しずくは完璧なデータを提示するだけで、それ以上の協力はしない。大山は、ただただ怯えてモニターを見つめている。

 そして、高森大地は。
(また、これか……)
 胃が、きりきりと痛む。頭が、ガンガンと響く。
 このままでは、また失敗する。減点される。そして、俺たちは……。

(何か、言わないと)

 その思いが、彼の背中を突き動かした。それは、勇気などという立派なものではない。ただ、このまま何もできずに終わるのが、死ぬほど怖いという、怯えから生まれた衝動だった。

「……やめてください!」

 大地は、自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。
 コクピットが一瞬、静まり返る。健吾も、結実も、驚いたように大地の方を見た。

「喧嘩したって、何も解決しない!結実さん、あんたが正しいのかもしれない!けど、このままじゃ、全員が脱落するんだぞ!」
「……なんだと、てめえ」
 結実が、低い声で大地を睨みつける。

 大地は、震える足で立ち上がると、結実のコンソールの前に立った。
「結実さんの言う通りにしてくれなんて言わない!けど、あんたのやり方でいい!あんたが一番いいと思う方法で、この船をステーションに近づけてくれ!俺が、健吾さんに頭を下げて、あんたの言う通りに操縦してもらうから!」

 それは、何の根拠もない、ただの必死の叫びだった。
 だが、その時、大地の目には、結実のモニターに表示されている、ある一つのグラフが映っていた。エンジン出力の微細な振動データ。それは、結実が午前中のシミュレーションの時からずっと、気にしていたものだった。

「この……エンジンの振動、気になるんですよね?午前中から、ずっと見てました。俺にはわからないけど、何か、結実さんにしかわからないことがあるんじゃないですか?教えてください!」

 その言葉に、結実の目が見開かれた。
 彼女は、驚いたように大地を見つめた。自分のモニターに表示された、誰にも理解されないはずのデータを、この空っぽだと思っていた男が、見ていた。その事実が、彼女の頑なな心を、ほんの少しだけ揺さぶった。

「……どけよ、邪魔だ」

 結実は、大地を突き飛ばすようにして、コンソールに向き直った。
 そして、吐き捨てるように言った。
「……キャプテン様に伝えな。姿勢制御はあたしがやる。てめえは、船のケツが振られないように、操縦桿を握ってるだけでいい、ってな」

 それは、命令への服従ではなかった。
 だが、完全な拒絶でもなかった。
 大地は、弾かれたように健吾の方を振り返った。

「健吾さん!聞いてましたか!結実さんが、やってくれるって!」
 健吾は、唇を噛み締め、葛藤していた。プライドが、結実の提案を受け入れることを拒んでいる。
 だが、彼の視線の先には、刻一刻と通り過ぎていく宇宙ステーションと、そして、シミュレーション失敗の、あの赤い文字がちらついていた。

「……わかった」
 健吾は、奥歯を噛みしめながら、そう答えた。

 それは、チームとしての一歩ではなかったかもしれない。
 ただ、バラバラになった個人が、それぞれのプライドと意地を賭けて、一つの目標に向かった、ほんのわずかな瞬間だった。
 だが、それは確かに、この亀裂だらけのチームに差し込んだ、最初の、ほんの一筋の光だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

走馬灯ループ〜1話「25秒」で読める140字連載小説〜

ユキノ
SF
タイムリープ、パラレルワールド、SF要素。学園、百合、メイド、ラブコメ要素。伏線、謎解き、ミステリー要素。異能力、アンドロイド、ファンタジー要素。1話140文字にすべて盛り込んだ全678話。ノンストップで毎日毎時投稿。25周年カップ開催期間で完結。この内容紹介も140文字でした。

25光年のそらをゆく

忠行
SF
人は一人では生きられない――。 それは人間が一人で生きてゆくには食料の生産をはじめとするライフラインの確保が困難だからで、それさえクリアできたのならば独りのほうが幸福ではないか。 他者など煩わしいだけ。 おのれ独りがいればいい。 真の意味での〝人間〟は一人も存在しない、筆者の理想とする世界を書きます。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヒーローにされそう! 【完結】

野守
SF
ときは令和25年。ほんのちょっとだけ未来の物語。 車椅子で生活する中学生の樹生は、変わり者の伯父から怪しげな電動車椅子をもらう。AI搭載、自家発電可能、カーナビみたいな多機能タブレット付き! ……と自慢げに紹介されたけど、明らかにオカシイ。特にこのAIは絶対変だ。なんでも「樹生をヒーローにする」という目的を組み込まれているらしいのだが……? 謎多きAIに振り回される、カオスな日々はどこへ行く⁉ ※作中に登場するアイテムは、実在する人工臓器・義肢装具に着想を得た「架空の発明品」です。あくまでもフィクションとしてお楽しみください。 ※他サイトにも掲載しております。

異世界宇宙SFの建艦記 ――最強の宇宙戦艦を建造せよ――

黒鯛の刺身♪
SF
主人公の飯富晴信(16)はしがない高校生。 ある朝目覚めると、そこは見たことのない工場の中だった。 この工場は宇宙船を作るための設備であり、材料さえあれば巨大な宇宙船を造ることもできた。 未知の世界を開拓しながら、主人公は現地の生物達とも交流。 そして時には、戦乱にも巻き込まれ……。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

処理中です...