プロジェクト・ニッケルクロム ―銀色の方舟―

どえろん

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第5章:亀裂

5-1:二度目の地獄

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 午後の訓練の開始を告げるアナウンスが、無慈悲に響き渡った。
 食堂からシミュレーション・ドームへと向かう足取りは、まるで処刑台へ上る罪人のようだった。チーム・アルファの5人は、互いに数メートルの距離を保ちながら、一言も口をきかずに歩いていた。彼らの間に流れる空気は、憎悪と不信、そして諦観が混じり合った、どろりとした毒のようだった。

 ドームに入ると、三笠博士が待ち構えていた。その表情は、午前中と何も変わらない。
「午後の訓練を始める。チーム・アルファ、シミュレーターに入れ」
 その声には、彼らの心情を慮るような響きは一切なかった。ただの、命令だった。

 再び、あの息の詰まるコクピットに5人が収まる。
 メインスクリーンに、午後のミッション内容が表示された。

『ミッション:宇宙ステーションとのランデブー及び、ドッキング。制限時間は20分。目標との相対速度、角度、距離の誤差が規定値を超えた場合、ミッションは失敗とみなされる』

 午前中の、荒々しい小惑星帯突破とは対極にある、繊細で緻密な連携が求められるミッションだった。それは、今の彼らにとって、最も不可能な課題に他ならなかった。

「……始めるぞ」
 キャプテンシートに座る雨宮健吾が、絞り出すように言った。その声には、午前中のような傲慢な響きはなく、代わりに悲壮な覚悟が滲んでいた。彼は、この失敗を挽回することに、全てを賭けているようだった。

 シミュレーションが開始される。
 宇宙空間に浮かぶ、巨大な宇宙ステーションがゆっくりと近づいてくる。

「航法士、ステーションのドッキングポートまでの最終進入コースを算出、報告しろ」
 健吾の指示は、午前中よりも冷静だった。だが、それは嵐の前の静けさだった。
「……算出中」
 星乃しずくは、淡々とコンソールを操作する。彼女の指先から、完璧な航路データが瞬時に弾き出されていく。

 問題は、そこからだった。
「機関士、ドッキングに備え、メインエンジンを停止。姿勢制御スラスタの出力を微調整モードに切り替えろ」
「……」
 佐藤結実は、健吾の指示を完全に無視した。彼女は、腕を組み、ふてくされたように天井を睨みつけている。
「おい、結実!聞こえているのか!」
 健吾の声に、怒気が混じり始める。
「……聞こえてるよ。けど、なんでてめえの指図を受けなきゃなんねえんだ?てめえの言う通りにやって、また失敗したら、あたしたちの減点が増えるだけじゃねえか」
「貴様……!」

 健吾の怒りが、ついに沸点に達した。だが、彼が怒鳴るよりも早く、しずくが冷ややかに口を挟んだ。
「……内輪揉めをしている暇があるなら、手を動かしたらどう。目標との距離、5000メートル。このままだと、通り過ぎるわよ」

 その言葉は、火に油を注いだだけだった。
「わかってる!結実、命令を聞け!これは、お前一人の問題じゃないんだぞ!」
「じゃあてめえがやれよ!キャプテン様なんだろ!」

 コクピットは、再び機能不全に陥った。
 健吾が無理やり操縦桿を握り、結実がエネルギー供給を拒否する。しずくは完璧なデータを提示するだけで、それ以上の協力はしない。大山は、ただただ怯えてモニターを見つめている。

 そして、高森大地は。
(また、これか……)
 胃が、きりきりと痛む。頭が、ガンガンと響く。
 このままでは、また失敗する。減点される。そして、俺たちは……。

(何か、言わないと)

 その思いが、彼の背中を突き動かした。それは、勇気などという立派なものではない。ただ、このまま何もできずに終わるのが、死ぬほど怖いという、怯えから生まれた衝動だった。

「……やめてください!」

 大地は、自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。
 コクピットが一瞬、静まり返る。健吾も、結実も、驚いたように大地の方を見た。

「喧嘩したって、何も解決しない!結実さん、あんたが正しいのかもしれない!けど、このままじゃ、全員が脱落するんだぞ!」
「……なんだと、てめえ」
 結実が、低い声で大地を睨みつける。

 大地は、震える足で立ち上がると、結実のコンソールの前に立った。
「結実さんの言う通りにしてくれなんて言わない!けど、あんたのやり方でいい!あんたが一番いいと思う方法で、この船をステーションに近づけてくれ!俺が、健吾さんに頭を下げて、あんたの言う通りに操縦してもらうから!」

 それは、何の根拠もない、ただの必死の叫びだった。
 だが、その時、大地の目には、結実のモニターに表示されている、ある一つのグラフが映っていた。エンジン出力の微細な振動データ。それは、結実が午前中のシミュレーションの時からずっと、気にしていたものだった。

「この……エンジンの振動、気になるんですよね?午前中から、ずっと見てました。俺にはわからないけど、何か、結実さんにしかわからないことがあるんじゃないですか?教えてください!」

 その言葉に、結実の目が見開かれた。
 彼女は、驚いたように大地を見つめた。自分のモニターに表示された、誰にも理解されないはずのデータを、この空っぽだと思っていた男が、見ていた。その事実が、彼女の頑なな心を、ほんの少しだけ揺さぶった。

「……どけよ、邪魔だ」

 結実は、大地を突き飛ばすようにして、コンソールに向き直った。
 そして、吐き捨てるように言った。
「……キャプテン様に伝えな。姿勢制御はあたしがやる。てめえは、船のケツが振られないように、操縦桿を握ってるだけでいい、ってな」

 それは、命令への服従ではなかった。
 だが、完全な拒絶でもなかった。
 大地は、弾かれたように健吾の方を振り返った。

「健吾さん!聞いてましたか!結実さんが、やってくれるって!」
 健吾は、唇を噛み締め、葛藤していた。プライドが、結実の提案を受け入れることを拒んでいる。
 だが、彼の視線の先には、刻一刻と通り過ぎていく宇宙ステーションと、そして、シミュレーション失敗の、あの赤い文字がちらついていた。

「……わかった」
 健吾は、奥歯を噛みしめながら、そう答えた。

 それは、チームとしての一歩ではなかったかもしれない。
 ただ、バラバラになった個人が、それぞれのプライドと意地を賭けて、一つの目標に向かった、ほんのわずかな瞬間だった。
 だが、それは確かに、この亀裂だらけのチームに差し込んだ、最初の、ほんの一筋の光だった。
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