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先方が送って来たという馬車は、バルシュミーデ伯爵家が豊かだった頃でも中々お目にかからなかったような立派なものだった。質の良いクッションのおかげで長時間座っても尻が痛まなかったし、磨き上げられた小窓から外の景色が見えた。
晴れやかな日差しの下、馬車は慣れ親しんだバルシュミーデ伯爵領の領境を越えるところだった。
「あれから五年か」
以前は領外の乗馬クラブに通っていたし、領地の外、王都に行ったこともある。姉達は王都のパーティによく参加したが、気乗りしなかったレオは誘いを断り、エーリヒを連れて城下町を練り歩いた。
一度だけ顔を出したこともあるが、まだ少年だったレオの美しさに矢鱈人が寄って来てから嫌になってしまったのだ。曰く、社交界一番の美女だった母にそっくりだとか。バルシュミーデ家への縁談話に、冗談なのか本気なのか、男性貴族からレオへの求婚が混じり始めたのは、思えばあの社交界からだったろう。
元々、同性での婚姻はない話ではなかった。家と家の繋がりを重視する内にそうなることもあるらしい。それは互いに利のある、所謂政略結婚なはずで、落ちぶれたバルシュミーデ家に舞い込むものとは気色が違うが。
考え事をしている間に微睡んでいたらしい。
気づくと辺りはすっかり夕暮れ時で、見たこともない場所に到着していた。
「バルシュミーデ様、長旅ご苦労様でした」
御者の声に、慌てて居住まいを正す。
馬車から降りると、バルシュミーデ伯爵邸も霞む巨大な邸宅が鎮座していた。見える限り広々とした庭に、整えられた花園。奥には東屋と噴水まで見える。レオを出迎えたのは、ざっと数十人はいるだろう使用人。
なるべくコストを抑える為、使う部屋を少なく、エーリヒと数人の使用人で成り立っていた伯爵家に慣れていると圧巻の光景だった。
「お会いできて光栄です、バルシュミーデ様。執事のハンネスと申します」
中でも立派な髭のご老人が、背筋を伸ばしレオに挨拶した。
彼がこの使用人を束ねる執事らしい。
「レオ・バルシュミーデだ。世話になる」
使用人たちは皆表情も溌剌としており、レオが来ることを待ち望んでいたように見える。随分歓迎されているみたいだ。そもそも、レオのような容姿の持ち主だと、第一印象が悪いことなどほぼないのだが。レオが出発前に抱いていた希望、『姉上のように愛される幸せな結婚』というのもこの調子なら簡単かもしれない。
「この屋敷のご主人に挨拶をしたいのだが、案内願えるだろうか」
まずは結婚相手に挨拶を、とごく当然のことを言ったつもりだったのだが、ハンネスの表情が一気に暗くなってしまった。
「申し訳ありません。旦那様はバルシュミーデ様とお会いにならないとおっしゃいました」
あまりにもな拒絶に、レオは瞠目する。
いくらこちらが金を貰った側であったとしても、常識はずれに突然呼び立てておいて、結婚相手に会いすらしない、と。
自分が軽視されていることの証左だった。
大勢の使用人のいる前で恥をかかされた気分だ。これから自分もこの屋敷の主人になる予定だと言うのに。救いだと思えるのは、使用人達は善良なようで、レオに対する視線は『主人が軽視した客人』ではなく、同情に寄っているところか。
「我が主人は明日、すぐに式を挙げるつもりでございますので、今夜は早めにお休みになってください」
ハンネスが仮の部屋として客室に案内してくれる間も、レオはショックから立ち直れていなかった。
吊り下げられた見事なシャンデリア、転んでも痛くなさそうな絨毯。床に小銭や酒瓶が転がっていることもない、秩序ある屋敷。そういえば貴族の住む場所とはこのようだったと、今更ながらに感心した。
清潔で品のある部屋に通され、ハンネスが下がった後、レオは思わずため息と共にベッドに倒れ込んだ。
レオは大金を払っても良いと思えるほど、自分を好いた人と結婚するのだと思っていた。けれど、もしそうでなかったのだとしたら…?
将来の幸せを夢想できるのは今日の夜までかもしれない。
不安が積もったせいか、馬車で居眠りしたせいか、その夜は中々眠れなかった。
晴れやかな日差しの下、馬車は慣れ親しんだバルシュミーデ伯爵領の領境を越えるところだった。
「あれから五年か」
以前は領外の乗馬クラブに通っていたし、領地の外、王都に行ったこともある。姉達は王都のパーティによく参加したが、気乗りしなかったレオは誘いを断り、エーリヒを連れて城下町を練り歩いた。
一度だけ顔を出したこともあるが、まだ少年だったレオの美しさに矢鱈人が寄って来てから嫌になってしまったのだ。曰く、社交界一番の美女だった母にそっくりだとか。バルシュミーデ家への縁談話に、冗談なのか本気なのか、男性貴族からレオへの求婚が混じり始めたのは、思えばあの社交界からだったろう。
元々、同性での婚姻はない話ではなかった。家と家の繋がりを重視する内にそうなることもあるらしい。それは互いに利のある、所謂政略結婚なはずで、落ちぶれたバルシュミーデ家に舞い込むものとは気色が違うが。
考え事をしている間に微睡んでいたらしい。
気づくと辺りはすっかり夕暮れ時で、見たこともない場所に到着していた。
「バルシュミーデ様、長旅ご苦労様でした」
御者の声に、慌てて居住まいを正す。
馬車から降りると、バルシュミーデ伯爵邸も霞む巨大な邸宅が鎮座していた。見える限り広々とした庭に、整えられた花園。奥には東屋と噴水まで見える。レオを出迎えたのは、ざっと数十人はいるだろう使用人。
なるべくコストを抑える為、使う部屋を少なく、エーリヒと数人の使用人で成り立っていた伯爵家に慣れていると圧巻の光景だった。
「お会いできて光栄です、バルシュミーデ様。執事のハンネスと申します」
中でも立派な髭のご老人が、背筋を伸ばしレオに挨拶した。
彼がこの使用人を束ねる執事らしい。
「レオ・バルシュミーデだ。世話になる」
使用人たちは皆表情も溌剌としており、レオが来ることを待ち望んでいたように見える。随分歓迎されているみたいだ。そもそも、レオのような容姿の持ち主だと、第一印象が悪いことなどほぼないのだが。レオが出発前に抱いていた希望、『姉上のように愛される幸せな結婚』というのもこの調子なら簡単かもしれない。
「この屋敷のご主人に挨拶をしたいのだが、案内願えるだろうか」
まずは結婚相手に挨拶を、とごく当然のことを言ったつもりだったのだが、ハンネスの表情が一気に暗くなってしまった。
「申し訳ありません。旦那様はバルシュミーデ様とお会いにならないとおっしゃいました」
あまりにもな拒絶に、レオは瞠目する。
いくらこちらが金を貰った側であったとしても、常識はずれに突然呼び立てておいて、結婚相手に会いすらしない、と。
自分が軽視されていることの証左だった。
大勢の使用人のいる前で恥をかかされた気分だ。これから自分もこの屋敷の主人になる予定だと言うのに。救いだと思えるのは、使用人達は善良なようで、レオに対する視線は『主人が軽視した客人』ではなく、同情に寄っているところか。
「我が主人は明日、すぐに式を挙げるつもりでございますので、今夜は早めにお休みになってください」
ハンネスが仮の部屋として客室に案内してくれる間も、レオはショックから立ち直れていなかった。
吊り下げられた見事なシャンデリア、転んでも痛くなさそうな絨毯。床に小銭や酒瓶が転がっていることもない、秩序ある屋敷。そういえば貴族の住む場所とはこのようだったと、今更ながらに感心した。
清潔で品のある部屋に通され、ハンネスが下がった後、レオは思わずため息と共にベッドに倒れ込んだ。
レオは大金を払っても良いと思えるほど、自分を好いた人と結婚するのだと思っていた。けれど、もしそうでなかったのだとしたら…?
将来の幸せを夢想できるのは今日の夜までかもしれない。
不安が積もったせいか、馬車で居眠りしたせいか、その夜は中々眠れなかった。
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