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宿業と執念
16. 自涜 / 焦熱
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久世はじめが去った後、沈慈恩は堪えきれない衝動に突き動かされ、布団を頭まで引き上げた。闇に閉ざされた視界の中で、心臓の鼓動だけがやけに大きく響く。
抱きしめられるなど、想定していなかった。
彼の体から香る甘い泰山木の花に似た匂いと体温が思考を乱す。
ここ数日、忙殺される日々の中で、己の内に溜め込んでいたものの存在を、否応なく自覚する。呼吸は浅く、熱は逃げ場を失って身体の奥に籠もったままだ。布団の内側で、無意識に指先が怒張する逸物に触れる。
「ふ……うっ……教祖様……」
名を呼ぶ声は、喉の奥で掠れて消えた。理性がほどけ、張り詰めていた緊張が一気に崩れ落ちる。
やがて沈慈恩は、深く息を吐き出し、動かなくなった。布団の中には、ただ静かな余韻だけが残されている。
熱が引くと同時に、沈慈恩の胸に重たいものが落ちてきた。
静まり返った布団の中で、先ほどまで身体を支配していた衝動だけが、ひどく醜い残滓として残っている。
布団の中で沈慈恩は額に手を当てる。冷静になった思考が、容赦なく己を責め立てた。
また自分は、信仰し、敬愛すべき方を、性のはけ口にした。
「……最低だ」
吐き捨てるように呟いた声は、誰に届くこともなく闇に吸われる。
胸に残るのは安堵ではなく、じわじわと広がる自己嫌悪だけだった。
沈慈恩は布団を強く握りしめ、目を閉じる。
二度と繰り返すまいと誓いながらも、毎回その誓いを破る自分に、嫌気が差していた。
◆
久世はじめは、沈慈恩より一足先に病院を出た。
東京行きの新幹線の窓に映る自分の顔は、ひどく薄く、現実味がなかった。発作の予兆は、すでに喉の奥に貼りついていたが、彼はそれを無視した。
夜更け、アパートの前に立ったときには指先は痺れ、視界が波打っていた。
久世はじめは暗証番号を打ち込む。
一桁ごとに息が削られ、肺が裏返るような感覚に襲われる。最後の数字を押した瞬間、扉が開く音より早く、膝が崩れ落ちた。
中へ転がり込むようにして玄関を越えた途端、発作が爆発した。
背骨を芯にして、熱が噴き上がる。
内臓が互いに位置を奪い合い、筋肉は自分の意志を失った獣のように痙攣する。喉から漏れる声は言葉にならず、涎とともに床に落ちた。
痛みは鋭さではなく、粘つく重さだった。逃げ場のない、身体の奥で熟していくような苦痛。
それは一晩で終わらなかった。
翌日も、その翌日も、熱は下がっては再び這い上がり、痛みは形を変えて戻ってきた。
骨が軋み、皮膚の内側で何かが蠢く。
自分の身体でありながら、久世はじめのものではない感覚が、日ごとに強まっていく。
十日間、彼は床と布団の間を這い、呻き、耐え続けた。
熱に浮かされながら、身体の深部で別の輪郭が育っていくのを、否応なく感じ取っていた。
柊伊織という肉体が、内側から剥がされ、上書きされていく――その過程そのものが、耐えがたいほど生々しく、理性を摩耗させた。
十日目の朝。
汗に濡れたまま、久世はじめは静かに目を開いた。
あれほど耳鳴りのように鳴り続けていた痛みが、嘘のように消えている。
ゆっくりと起き上がり、覚束ない足で洗面所へ向かう。
鏡の前に立った瞬間、息を呑んだ。
体格は柊伊織のままだが、肌は健康的な色を失い、白磁のように均一になっていた。
髪は柊伊織の特徴的だった栗色の癖毛から、淡い金属光を帯びた白へと変わり胸元まで伸びていた。光の当たり方で、わずかに色が揺れるのが分かった。
瞳も薄桃色に変わり、感情の読み取れない目元になっている。
その姿は十四年前の久世はじめを想起させるには十分だった。
久世はじめは自身の滑らかな体に触れてみる。
頬、首筋。
鎖骨の下にあった3つの赤い朱点はそのままである。
久世はじめは短く息を吐くと鏡の前の自分に悪態をついた。
暫く鏡を睨んだ後、汗を流すためにシャワーを浴びることにした。
シャワーの水音が壁に反射し、狭い空間に満ちる。久世はじめは黙って髪を濡らし、泡を流し、体を温めた。いつものように蛇口を閉め、タオルで水気を拭った。
バスローブを羽織り、居室へ戻る。
久世はじめは部屋の隅へ行き、壁に背を預ける。やがて膝を抱え、そのまま蹲った。
これからどうしたものか。
この先の選択肢を考える。
柊恒一郎に会うことはできない。顔を見せれば、説明が必要になる。説明はできない。
それにこの姿で白苑会へ戻れば、必ず騒ぎになるだろう。久世はじめは途方に暮れ、息を吐いた。
室内は静かだった。
時計の秒針が進む音だけが、一定の間隔で床に落ちる。久世はじめは動かなかった。呼吸を整え、背中を壁に預けたまま、次に取るべき行動を決められずにいた。
抱きしめられるなど、想定していなかった。
彼の体から香る甘い泰山木の花に似た匂いと体温が思考を乱す。
ここ数日、忙殺される日々の中で、己の内に溜め込んでいたものの存在を、否応なく自覚する。呼吸は浅く、熱は逃げ場を失って身体の奥に籠もったままだ。布団の内側で、無意識に指先が怒張する逸物に触れる。
「ふ……うっ……教祖様……」
名を呼ぶ声は、喉の奥で掠れて消えた。理性がほどけ、張り詰めていた緊張が一気に崩れ落ちる。
やがて沈慈恩は、深く息を吐き出し、動かなくなった。布団の中には、ただ静かな余韻だけが残されている。
熱が引くと同時に、沈慈恩の胸に重たいものが落ちてきた。
静まり返った布団の中で、先ほどまで身体を支配していた衝動だけが、ひどく醜い残滓として残っている。
布団の中で沈慈恩は額に手を当てる。冷静になった思考が、容赦なく己を責め立てた。
また自分は、信仰し、敬愛すべき方を、性のはけ口にした。
「……最低だ」
吐き捨てるように呟いた声は、誰に届くこともなく闇に吸われる。
胸に残るのは安堵ではなく、じわじわと広がる自己嫌悪だけだった。
沈慈恩は布団を強く握りしめ、目を閉じる。
二度と繰り返すまいと誓いながらも、毎回その誓いを破る自分に、嫌気が差していた。
◆
久世はじめは、沈慈恩より一足先に病院を出た。
東京行きの新幹線の窓に映る自分の顔は、ひどく薄く、現実味がなかった。発作の予兆は、すでに喉の奥に貼りついていたが、彼はそれを無視した。
夜更け、アパートの前に立ったときには指先は痺れ、視界が波打っていた。
久世はじめは暗証番号を打ち込む。
一桁ごとに息が削られ、肺が裏返るような感覚に襲われる。最後の数字を押した瞬間、扉が開く音より早く、膝が崩れ落ちた。
中へ転がり込むようにして玄関を越えた途端、発作が爆発した。
背骨を芯にして、熱が噴き上がる。
内臓が互いに位置を奪い合い、筋肉は自分の意志を失った獣のように痙攣する。喉から漏れる声は言葉にならず、涎とともに床に落ちた。
痛みは鋭さではなく、粘つく重さだった。逃げ場のない、身体の奥で熟していくような苦痛。
それは一晩で終わらなかった。
翌日も、その翌日も、熱は下がっては再び這い上がり、痛みは形を変えて戻ってきた。
骨が軋み、皮膚の内側で何かが蠢く。
自分の身体でありながら、久世はじめのものではない感覚が、日ごとに強まっていく。
十日間、彼は床と布団の間を這い、呻き、耐え続けた。
熱に浮かされながら、身体の深部で別の輪郭が育っていくのを、否応なく感じ取っていた。
柊伊織という肉体が、内側から剥がされ、上書きされていく――その過程そのものが、耐えがたいほど生々しく、理性を摩耗させた。
十日目の朝。
汗に濡れたまま、久世はじめは静かに目を開いた。
あれほど耳鳴りのように鳴り続けていた痛みが、嘘のように消えている。
ゆっくりと起き上がり、覚束ない足で洗面所へ向かう。
鏡の前に立った瞬間、息を呑んだ。
体格は柊伊織のままだが、肌は健康的な色を失い、白磁のように均一になっていた。
髪は柊伊織の特徴的だった栗色の癖毛から、淡い金属光を帯びた白へと変わり胸元まで伸びていた。光の当たり方で、わずかに色が揺れるのが分かった。
瞳も薄桃色に変わり、感情の読み取れない目元になっている。
その姿は十四年前の久世はじめを想起させるには十分だった。
久世はじめは自身の滑らかな体に触れてみる。
頬、首筋。
鎖骨の下にあった3つの赤い朱点はそのままである。
久世はじめは短く息を吐くと鏡の前の自分に悪態をついた。
暫く鏡を睨んだ後、汗を流すためにシャワーを浴びることにした。
シャワーの水音が壁に反射し、狭い空間に満ちる。久世はじめは黙って髪を濡らし、泡を流し、体を温めた。いつものように蛇口を閉め、タオルで水気を拭った。
バスローブを羽織り、居室へ戻る。
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これからどうしたものか。
この先の選択肢を考える。
柊恒一郎に会うことはできない。顔を見せれば、説明が必要になる。説明はできない。
それにこの姿で白苑会へ戻れば、必ず騒ぎになるだろう。久世はじめは途方に暮れ、息を吐いた。
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