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第五話:アイスクリームが溶けるなら
しおりを挟む違うはずだ。ありえない。
いや、あってはならない。
アンの瞳はこれほど冷たくはなかった。こんな、凍える寒さを感じさせはしない。もっと暖かい、陽だまりのような目をしていたから。
つい浮かんでしまった考えを一蹴して、唇を軽く噛み締めた。
ここが勝負どころなのだ。集中しなくては。
「お待たせして申し訳ありませんわ。この部屋があまりに寒くて、つい昔の悪い夢を見てしまいましたの」
まずは皮肉混じりに答えて、相手の出方を観察してみる。
醸し出す重圧に、こちらを見下ろすような視線。
このタイプだと、舐められてしまったら終わりだ。
少しだけ真実を混ぜ、悟られない程度に嘘を吐くのが社交術の鉄則。
一つ一つ、使う言葉を間違えてはならない。
慎重に、それでいて、常に気を引くように振る舞わなければ。
この場合は手を握らないのが正解だろう。
その気はない、と彼にニコリと微笑んで見せる。
「ほう。俺の手を取る気はない、か。まあいいだろう」
公爵はなぜか少し自嘲めいた声色で差し出した手を引っ込める。
お茶を、と執事に合図を出し、テーブルを挟んで私の向かい側に座った。
「それで、俺に何の用だ?断糸の未亡人」
正面に座ると、その顔がよく見える。何故だろうか、少し疲れているようだ。
本題に入る前に当たり障りのない会話から探ってみるか。
「その前に。最近少し、お疲れではありませんか。
もしよろしければ、バルテル商会の香り玉でもいかがでしょう?
寝る前に一つ使えば、朝までぐっすりですわよ」
そう口にすると、男ははあ、と息を吐き鋭い氷のような目でこちらを睨んだ。
「何を言っている。関係のない話をするのならば、帰らせるぞ」
これに乗ってこない。
こちらを見つめたまま腕を組み、その冷たい眼差しでこちらをじっと観察している。
まったく、この人のどこが「なり損ない」なんだか。
スル、と生地が滑る音を立て時折長い脚を組み直す、その動作一つとっても、今までに見た誰よりも威圧感を感じる。
疲れているはずなのに、そこはかとなく漂う濡れた色気。
これまでに会ったどの人間とも違う。
そして、バルテルの名に無反応な、この感触。
隠しているのか。それとも、覚えてすらいないのか。
――次だ。
「あなたは甘いものがお好きなようですね。私も大好きなのです。
今日は親交を深めるために、王都で有名なケーキを買ってきました」
取り寄せてもらった、バルテル商会傘下の人気店のケーキが入る箱を見せた。
彼もよく利用しているそうだから、断りはしないだろう。
「そうやって俺を毒殺でもするつもりか?」
「まさか。私も一緒に食べますよ。お望みなら、毒味でもしますわ」
無駄な音を一切立てられないほどピンと張り詰めていた空気。その最中、男の目元が少しだけ緩むのが見える。
妹にもらった情報は正しかったようだ。
やはり、彼は甘いものに目がない。
ちょうど良いタイミングで、執事がお茶を運んできた。
箱を開け、皿にそれぞれの分を分けた後、二人で黙々とケーキを口に運ぶ。
二人で食べるとわかっているのに、箱の中にあったのは四切れ。普段より多めにしてくれた妹の計らいに少し勇気を貰った。
いつもの味だ。優しい甘さが口の中でとろけて、安心する。
……もし。もしシェイラムが生きていたら、今頃彼も味わっていたのだろうか。
本当は、今日は彼と思い出のカフェに行くはずだったのだ。
三人目の夫と笑い合い、四人目の夫に出会ったあそこに。
シェイラム・ヴェルディスタ。
私の凍りついた人生に、春の芽吹きをくれた、最後の夫と。
私たちの日々を。あの思い出を分かち合って、今頃二人でアイスクリームでも食べていた。
「まったく。君は相変わらずお転婆だねえ。口の周りについちゃってるよ。
ほら、ねーえ、泣かない泣かない。亡くなった夫を思い出すって、どういうことだよもう。
そんなに似てるの?彼と僕」
その名に相応しく、夜空の星のように穏やかで、それでいて確かな温もりを宿す声。
そんな彼の軽い調子に乗せられて、いつの間にか涙も乾き、自然と表情が緩まるのを感じる。
だから。彼だったから、立ち直れたのだ。夫の死からも。
「いや、全然。ぜんっぜん、似てないんだから」
「ほんとに?何だよ。そこまで否定されると、なんかちょっと凹むかも?いや、嬉しいのか?」
そうやって、また二人で顔を見合わせ、また笑い合う。
違う味も食べてみようかなんて話しながら、結局いつも同じ物を頼んでいた彼。
私はバニラ。彼はチョコレート。お互いの味をスプーンで少しだけ分け合い、やっぱり定番が一番だって言い合いながら、口の中でゆっくりと溶かす。
違う味のアイスクリームも溶けて一緒になってしまうような、楽しい時間を過ごす。
いつまでも舌に残る、あの甘い冷たさは、あんなに幸せだったのに。
…本当は知っていた。あなたは、私がチョコレートを好きな事を知っていたから、毎回わざと同じ味を選んでいたのを。
今の応接間に漂う無言の冷気は、拒絶の意思を示すように絶え間なく足元に広がっている。ただ体温を奪うためだけに存在するそれは、私の心までも凍らせてゆく。
こんな事なら、なんで私は彼のために色々な味を頼まなかったのだろう。いくらでもあった。ミントも、ストロベリーも、パイナップルも、チョコチップクッキーだって。
そうすれば、あなたは二つの味しか知らないまま、旅立つこともなかったのに。
でももう、そんな機会は二度とやってこない。
私はふうと息を吐き、彼と似ても似つかない氷の公爵を見据えた。
「フィデルス・バルテル。この名前に、聞き覚えはありませんか?」
ケーキを刺そうとしたフォークが、わずかに止まる。
けれど相変わらず、その視線はケーキに向いたまま。私の方を見向きもしない。
「……北部交易路の独占認可を持っていた豪商か。
昨年、彼が死したことでその権利は我がアイセントール家へ無償で返還されたな。
それがどうした」
『還付条項』。
正確には、王室公認・独占営業権の還付条項。
私たちが住むこの王国において、商売に関わるものならば持っている当然の知識。建国に携わったその多大な功績から、公爵家は王室から授けられた膨大な権利を有している。
莫大な富を生む事業――塩の専売、公道の通行税徴収、特定鉱物の採掘などーーは、すべて“国王から公爵家へ委託された権利”であり、彼らは取り仕切る地方において、その営業権の管理を一括で担っているのだ。
この場合、北部の主人であるアイセントール家は、北部地域の王室公認・独占営業権の運用を行なっている。
そして、その営業権を個人が譲り受ける際、公爵家が発行する許可証には代々伝わる非情な特約が含められる。
得られる莫大な利益の代わりに、大きなリスクを負うギャンブル。
それこそが――、
「第5条。還付条項――通称、悪魔の契約。
認可を受けた個人が死亡、または職務不能となった場合、その営業権(ライセンス)および付随する施設・利権は、直ちにアイセントール公爵家へ無償で返還される、でしたか」
これだけ話しても顔色一つ変わらず、哀悼の意すら示さない。
誰よりもその死から利益を得たくせに、人の死を――フィデルスの死を他人事のように語られ、腹の奥から湧き出る怒りが収まらなかった。
その憤怒を優雅な笑みに変え、とうとうと語ってやる。
「まったく、随分都合のいい話ですわね。悪魔の契約をした矢先に死ぬなんて。
でも、現実はそう甘くはありませんわ。あなたにとっては、残念なことに」
目の前の男はケーキを食べる手を止め、いつからかこちらを見据えていた。
「北部交易路の権利は戻った。けれど、それを動かすための現場の商人たちは、父を慕っていた二人の兄妹たちが握っている。
私の元夫―フィデルス・バルテルの子供にして、私の妹である。
バルテル商会主、レチナ・バルテルがね」
心の奥底に空虚を隠したような、その蒼き双眼に好奇心が宿り、私の姿を映し始める。
いつの間にか北部の冷たい雪が溶け、太陽が空に昇り、周囲の温度が上がっていくのを肌で感じ取る。
「使い方も知らなければ、権利などただの紙切れでしかありませんもの。何より――」
私は空になったティーカップをわざと見つめ、意味ありげに微笑んだ。そこに入っていた、琥珀色のお茶の名残を。
「その広大な領地を、その膨大な権利を維持するための『温かな血』が、今のアイセントールには流れていない。……違いますか?」
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