祈りで人が生き返るなら、私なんていりませんー死神未亡人の復讐帳簿ー

紺桔梗

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第六話:杯は傾けられた

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僕は君に、変わらぬ愛を誓おう。
君のことを愛してくれた、大切な人たちと共に。
それだけが、僕が君にあげられる、ただ一つの物だから。


――――――



執事は微動だに出来ぬまま立ち尽くし、私の顔を凝視している。
応接間に漂っていたはずの冷気さえ、今の私の熱に押されて逃げ場を失っているようだった。沈黙を刻む時計の音が、今はセリアンを追い詰める足音のように響く。

私は満足げに目を細め、広げた扇子で口元を隠した。
「……どうされました、閣下。お茶のお代わりでも頼みましょうか?」

沈黙。セリアンの瞳は、まるで深い湖の底に沈んだ氷のようだ。
言葉はなくとも、手袋に覆われた指先が机を叩く、そのわずかなリズムが彼の焦燥を物語っている。

私はそのまま、懐から一通の書類を取り出した。先日書いた手紙への返信――バルテル商会の実務役を担う、弟のサクシン・バルテルが送ってくれた委任状だ。

『やられた分以上にやり返して、一発入れてきてください、姉上。やられたままは許せませんよ』

三番目の夫。フィデルスから継いだ、琥珀色の瞳が意地悪げに細められているのが分かる。

『あなたに救われたあの時から、僕たちはいつまでもあなたの味方ですから』

なんて、私の兄妹は私に見合わないほど、頼もしい。
いつか彼らに、その厚意を返せるように。

少しでもフィデルスの仇を取れるように。
勝ち取れ。この、正念場を。


「私は貴方に、投資をしに参りました。私が持つ全ての現金と、バルテル商会の流通網。これを貴方の『凍りついた家門』へ注ぎ込みましょう」

訝しげにこちらを見る冷たい目を、真正面から見据えた。

「分かりませんか? アイセントールの雪を溶かす、熱を差し上げると言っているのです」

セリアンの瞳が、獲物を狙う獣のようにスッと鋭くなる。

「貴様……。分かっているのだろうな、これがどういう意味を持つか」

「ええ。かまいませんわ。出来るものなら、私を好きなだけいたぶってご覧なさい。あなたがそれで、得られる利が多いのでしたら」

「ほう。そちらが負ける取引をわざわざ? 信用できんな」

「負けませんよ。私は必ず、この勝負に勝ちますから。私は商人です。一時の損を飲んででも、最後にすべての利益をかっさらう。それが私のやり方ですので」

こちらも負けじと目元を歪ませる。男を軽く手玉に取ることが、さも当然であるかのように。

「……はあ。代償は何だ、毒婦。お前がただの慈善活動でここまで来るとは思えん」

「察しが良いのは助かりますわ」

どうやら上手くいったようだ、と私は内心ほくそ笑んだ。
もちろん、そんな様子は毛ほども出さぬまま。

ゆっくりと、蠱惑的に唄う。

「私の四人の夫たちの血を吸い上げた、そのアイセントールの紅き氷の盾。今度は、私の盾になっていただきたいのです」

私は一歩、セリアンに歩み寄った。
彼の放つ冷たい威圧感が肌を刺す。けれどその奥に眠るほのかな、彼自身も気づいていない欲求を、私は絶対に見逃してやらない。

「私を、アイセントール公爵夫人になさいませ。……これが、私の提示する唯一の条件です」

愛の告白などではない。この結婚に、そんな甘さは必要ない。
私はもう、愛を捨てた。あの日、シェイラムを抱きしめた腕に残った、あの温もりを最後に。

だからここに残るのは、燃え尽きる前の残りかすだけ。

ただただ、四人の夫たちが生きた証を、この世界に残すためだけに。
そのために、私は自分の最後の結婚を捧げる。

シェイラム。ごめんなさい。私は、あなたとの結婚を最後には出来ないわ。

胸の奥で、静かに謝罪を呟いた。

覚悟を決めた今でも、ふとした時にあなたの顔が胸に浮かぶ。
朝、鏡の前で髪をとく時。眩しい光の中で目が覚めて、ふいに横を見てしまう時。
彼の優しい手が、あの新緑のような香りが、今は見られないその横顔が。

何にも変えられず、私の心を容赦なく揺さぶる。

それでも、あなたに誓った愛が消えないように。あなた達がくれた祝福を、二度と無駄にしないために。

私は机の上に、深夜に書き上げた婚約証書を滑らせた。
震える手で押したワックスに、ヴェルディスタの印章が刻まれている。
これは夫達が命をかけた、最後の一撃だ。

先ほどは握り返さなかった手。
それを今度は、契約書婚約証書と共に私から差し出す。

「閣下。その手で私の毒杯を飲み干す覚悟は、できていらっしゃいますか?」

一瞬、部屋から音が消える。
セリアンは証書を一瞥し、それから私の目を射抜くように見つめ返した。
彼の手がゆっくりと伸びる。白い手袋に包まれたその指先が、私の差し出した契約書に触れ、逃さぬように私の手を掴んだ。

つかみ返された手に、似合わぬほどの温かさを、手袋越しに感じる。

「……っ」

私の体が、反射的に震える。恐怖ではない。あまりにも強すぎる生への渇望に、本能が警鐘を鳴らしているのだ。

セリアンは立ち上がり、私を逃がさないように引き寄せた。
耳元に顔を寄せられ、低く、重い声が腹に響く。

「……いいだろう。その毒、呑み込んでやる」

耳に残るその言葉は、誓いのキスよりも重く、呪いのように余韻を残した。

「期待を裏切らないでくださいね、旦那様。私は高くつく女ですわよ」

精一杯の強がりを込めて微笑み返すが、手袋越しに伝わる彼の熱が、私の心をかき乱している。
この手の温もりは。この、私を捕らえて離さない力は。
あの日、泥の中から私を引き上げてくれた、あの少年と同じではないか。

そんなはずはない。
彼は私達の幸せを奪った、犯人かもしれない男なのに。

「ならばまず、細かい条項を決めるとするか。お前みたいな毒婦には、背中を刺されかねないからな」

セリアンは私を解放し、椅子に深く腰掛けた。どこか面白がるような目つきをして、私のことをじっと見定めている。

「良いでしょう。私からは二つ、譲れない条件があります」

私は乱れた呼吸を整え、商人としての顔を取り戻した。
「1、情報の共有。領地のために共有できる情報は、必ず共有しておくこと。外部に対しては仲睦まじい夫婦を演じましょう。ただし、あくまで協力関係であることを忘れずに」

「いいだろう。家の中に敵がいては、守れる物も守れないからな。二つ目は?」

「2、契約履行後の離縁ですね。私たちの目的が、最後まで果たされた場合――あなたにとっては領地再興。私は、私の身が保障されるまで、と致しましょうか」

良いだろう、というように小さく頷いて、セリアンは自分の条件を出していく。

「俺からは互いの領域への不可侵を求める。当たり前だが、寝室は別。私生活には絶対に干渉しないように。……それと、この屋敷の離れには近づくな」

予想の範囲内だ。私としても、彼と同じ布団で眠るなど、想像しただけで吐き気がする。
それに、寝室に入り込めなくても――殺す方法は、いくらでもある。

「仰せのままに」

あとは、離れか。一体そこに何の秘密が隠されているのか、楽しみにしておこう。

「分かってはいるだろうが、貴様の金は、我がアイセントールを立て直すために使い切る。その代わり、貴様の望む『盾』としての役割は完璧に果たそう。
……それ以上の夢は見るな」

はは、笑わせる。私があなたに何の夢を見ると言うのか。

ともあれ、この屋敷に入り込めた時点で、収穫は上々。
後は今後の私次第だ。この機会を活かすか、殺すか。

「ええ、勿論。わきまえておりますわ」

私はゆっくりと、微笑みを作る。
私たちは今、地獄へ向かう同じ馬車に乗ったのだ。

「これからよろしくお願いしますわね、旦那さま」

私は彼の白い手袋をじっと見つめる。
この下に隠されているのは、かつての光なのか。それとも、私の愛した人々をすべて奪い去った、冷酷な悪魔の証か。

握られた手の温もりを、忘れないように、そして決して愛さないように。
全てを覆い隠すその手袋を憎みながら、私は次なる計画の策定を始めた。



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