祈りで人が生き返るなら、私なんていりませんー死神未亡人の復讐帳簿ー

紺桔梗

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第七話:北に眠る紅の盾

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嘘? 嘘か。君が嫌ならつかなくて良い。
たとえ商談に有利でも、自分の心にまで嘘をつく必要はないから。



――――――



息を吐く暇すら感じられぬほどの、極度の緊張感の中。
成功した商談に、私は確かな手応えを感じた。

よかった。これで少なくとも、敵の懐には入り込める。
しばらく帳簿を盗み見ることは難しいだろうが、それまで周りを懐柔していけばいいだけだ。

「ありがとうございます。では、これで――」

「閣下!」

そう安堵したのも束の間。応接間に一人の男が書類を持って駆け込んできた。
急ぎの用なのか息は絶え絶え、服はヨレヨレで焦りが見て取れる。

「どうした?人は入れるなと言ってあっただろう」

瞬間、セリアンから滲み出る、吹雪のような威圧感。
一声発しただけなのに、周辺の温度が一気に下がったような気さえする。

「チッ」

軽く舌打ちをした後、クイッと指を曲げて男を呼んだ。

「渡せ。どうせ向こうの不穏な動きだろう」

要件がわかっているのか、パラリと素早く書類をめくってゆく。
おそらく、国境付近で何かあったのだろう。


――アイセントールは、『北の盾』だ。


その敬称は比喩でもなんでもなく、この公爵家をよく表している。

アイセントールがこの広大な北の領地を任されている理由。それは、国境を挟んで向こう側、周りの国二つと面する、この国の最重要拠点を守るためである。

まさに、国を守る肉壁の盾。それが、中央の貴族がここアイセントールに持つイメージなのだ。

そんな最前線の報告が、今私の目の前で行われていることに驚きを隠せない。
案の定、後から入ってきた男がセリアンに疑問を投げかけた。

「そこのお嬢様は良いんですか?」

「良い。そこの毒婦は、今日から俺の物になることが決まったからな」

間髪容れずに返事が飛ぶ。良いから、今は誰も話しかけるな、という雰囲気を醸して。
毒婦という呼び方に疑問を感じたのか、男から不躾な視線が飛んでくる。

数秒ほど私のことを見て理解したのか、ああ、と頷いた。

「また変なもの拾ってきたんですね。喪服みたいなドレスを着た婦人なんて。
今話題の断糸の未亡人でもあるまいし。もうこれ以上飼う事はできませんよ」

「飼う!?」

なんだその表現は。この屋敷では人間を…飼っているとでも?
外部への情報を一切遮断している公爵家。何が起こっていても、不思議ではない。

どこからか、肉を焼くような匂いが漂ってくる気さえする。

途端に背筋が寒くなってきた。私はとんでもない危険の中に飛び込んだんじゃなかろうか。

もちろん、夫たちが殺されたこともあるし、覚悟はしてきたつもりだ。
だがまさか、目的を果たす前にお払い箱となって、消されるような事はあってはならない。

「心配するな。そっちは、もう増やさん。そろそろ捨てるつもりだからな」

悪寒に身震いする私を当然のように置き去りにして、話は進んでいった。

「状況は分かった。ただ、この程度で兵は動かせないな。内密に進めるように。
今回は『鷹』の方を使え。あと、この地点は死角になりやすい。気をつけろ。
そうだな、ここは……」

先ほどまで、私に丸め込まれていたのに。

私はほう、と息を呑んだ。口早に伝えられる指示の数々。鮮やかに展開していく議論。

「中央からの客は丁重に扱うように。街ぐらいなら自由に見せてやれ」

バルテル商会の情報網を持ってしても謎に包まれた、北部公爵家の実態。
聞こえるのは「なり損ない」という、当主本人の蔑称だけ。

確かに彼は、親族をまとめることもできず、領地運営の方には欠陥があるかもしれない。
しかしこれは、それとは別次元の才能。兵を指揮する、将としての才覚。

彼がこのアイセントールを治めるようになってから、早11年。齢14で早くも戦場に立った彼は、ただの一度も国境を破らせたことがない。

それはつまり『騎士達を指揮し、軍事司令官として拠点を守る』というこの家本来の責務を、11年もの間一人で、完璧に果たしていたことになる。
親を失ったばかりの、たった14歳の少年が。

資料を一目見ただけで状況を一瞬で理解し、慣れたように淡々と敵を読み解いてゆく。現場にいるわけでもないのに、文章を頭の中でマッピングし、適切な対処法を構築して指示する。

おそらく私がここにいても追い出されないのは、“追い出す必要もない”からなのだろう。

「慈悲は不要だ。ただし、無益な殺生は兵の士気を下げる。いつも通りに頼むぞ」

言葉一つでテーブルに置かれたお茶の液面が小さく震え、人が後ずさる音が聞こえる。


――これが、『北に眠る紅の盾』。なり損ないの公爵か。


合理的すぎる彼の采配に妙に納得した矢先。

流れるような指示の後、思い出したように私の方に向き直った。

「紹介しよう。みんなにも伝えてくれ。今日から俺の妻になるクロティルだ」

脈絡もなく唐突に投げ込まれた爆弾。一息で説明など出来るわけもない。

「今から、この屋敷に住むことになる」

「はあーーー!?」

口裏すらまだ合わせていないのに。
部下らしき男の人と私の叫びが重なって、お互いに顔を見合わせる。

どうやら、ここにもまともな感性を持った人がいたらしい、と何も言わずただ見守っている執事を見て思ってしまった。

「そう言うことだ。まあ、どうせすぐ逃げ出すだろう」

そう言うこととはどう言うことだ。
全ての段階をすっ飛ばしながら、何もなかったかのように結論だけ話す。
皮肉げな口調のセリアンに、私は頭を抱えた。

これはきっと、苦労する。確実に。
この人の未来の奥様に、ご愁傷様と言ってやりたいぐらいだ。

復讐。
自分の身の心配。
領地の再興。

三つもある大きな悩みの種が、今また一つ追加された。

どうやら私の夫になる人は、他人の感情や状況が全く分からないようだ。
もしくは、何も気にするつもりがない。

どちらにしてもこの先、手綱を取るのは大変そうだ、と未来を予感してため息をついた。

「その説明では誰も分かりませんよ、閣下。私が公爵様に結婚を申し込んだのです。実は昔、彼に会ったことがありまして。一目惚れしてしまったのです」

反吐が出るような説明をしながら、私は頬に手を当てた。
夢見る少女の仮面を被って、精一杯頭を回転させる。
頬を赤く染めるとは、どうするのだったか。シェイラムといた時には自然と、望まなくても出来たのに。

まずいな。形だけの行為しか出来そうにない。

「そもそも、私は何があってもここから逃げるつもりはありませんから」

それでも、一つだけの本音は真っ向から言おう。

これから私は、あなた達に沢山の嘘をつく。
騙すため、保身のため、傷つけるため。
意味ある嘘なら、どんな非情なことだって。
どれだけ私の人間性を否定されたって、もう構わない。

――私はあなた達の悪役に違いないのだから。

真紅の唇をゆっくりと持ち上げ、セリアンの瞳をじっと見つめた。

もし本当に、あなたが彼らを殺したのだとしたら。
必ずいつか、あなたの喉元にナイフを突き立ててやる。
その時まで絶対、私はあなたに殺されない。

たとえ、自分自身を否定してでも。
決意を新たに、私は笑った。

「これからが、楽しみですわね」


いつの間にかもう夕暮れ時。あんなに緊張していた朝が、遠く思えるほどだ。
とりあえず夕食を食べるためにセリアンとは一度別れた後、彼の執務室らしき場所を通り過ぎる。

この家はまったく音がしない。人がいるのかも、疑わしいほどに。
相変わらず案内もなく、自分の足音だけを頼りに屋敷を彷徨っていたところだった。

かちゃり、と金属製のカトラリーが食器に触れ合う音が聞こえる。

誰もいない部屋で書類に囲まれ、背筋を伸ばしたまま、まるで毒見でもするかのように真剣な表情で。
相変わらず白手袋をはめたまま、小さなフォークを口に運ぶセリアンが、ドアの隙間から微かに見えた。

はっ、と思わず息を吐いていた。
食べているのは、私が置いていったケーキだろう。

分からない。

あれほどまでに冷酷な氷の公爵が、なぜあんなにも切なそうに、一切れの小さなケーキを少しずつ、少しずつ食べているのか。

それも隠れるように、一人で。

分からない。分かりたくもない、と頭を振った。

「……気のせいよ」

胸の奥で刺さる小さな棘に知らないふりをして。

そう、思うようにした。



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