GROUND ZERO

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Act.3 噂話と伝承

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「これでは…十二区画の住民達の不安は募るばかりだな…」
頭を抱えて悩む壮年の男。彼は此処、第十二区画の区長である。
十二区画の近隣のマーケットでは、とある伝承を記したメモリーが出回っていた。
その切れ端同士を繋ぎ合わせると、ある不吉な予言が浮かび上がった。
「このままでは、第十二区画も滅ぼされてしまうのでは…?」そんな憶測が人から人を伝って広がっていた。
この事態を収拾する為に十二区画は腕の立つ請負人に依頼書を送ったのだが、返答は未だに返って来ない。その現状が住民達を案ずる区長の不安を更に煽った。
その時、勢い良くドアが開いたのと同時に数枚の書類が部屋に飛び込んで来る。
それは彼がこの区画を訪れた請負人達に向けて発行していた依頼書だった。
「レシピには目を通させて貰った。第十三区画の震源の調査に参加したい―」
「きっ、君は…?」
低く、重みのある声のする方に顔を向けると、二メートル程の大柄の男が聳え立っていた。
漆黒のレザージャケットと覆面でその身を固め、燃え盛る炎の様に逆立った髪。
そして昆虫の様なきめ細かな複眼と、その顔には無数の縫合痕が張り巡らされている。
一言で言い表すのなら、彼のその姿は〝異質〟そのものだった。
「君は厳格なる請負人と名高い、あのシェフじゃないかっ!」
在りのままだけを見れば、その出で立ちが人を遠ざけてしまいそうなものだが、彼は一人の請負人として信頼を勝ち取っていた。
「十二区画を滅ぼさんとする出土品の噂を聞き付けて、こうして馳せ参じたという訳だ」
「良く来てくれた!依頼を的確にこなし、徹底的な処置をする事からそう呼ばれる様になった君が居れば百人力だ!」
全てが一度崩壊し、この地上は大いなる瓦礫の波を被る羽目となった。
世界を切り分けていた境界線は廃止され、新たに振られたナンバーを授かる形―
第十三区画と線引かれた禁忌の領域。
何時しか人が寄り付かなくなった無人の封鎖区画。
その深き地の底で、言い知れぬ何かが蠢く―

………

「腕、まずはこいつを見て欲しいんだが―」
「…一週間前から其処にあったわよね?ソレ」
「請けてた依頼も大分落ち着いてきたからな。そろそろ行ってやろうかなァ…と思って」
そう言いながら山猫は数枚の紙切れを差し出す。
「先に言っておくけど、男が見て楽しい物が女性にも受けるだなんて大きな思い違いよ?」
こういったやり取りは今までにも何度かあった。
今回も冗談の域を出ないのだと思うと、腕の表情は冴えない。
「その世の男性を引っ括めて蔑む感じの視線を向けるのやめてくれ…傷付くから。俺にしてはまともなモン見せてんだぜ?」
珍しく真面目に弁明する山猫を信用して、腕は仕方無く差し出された書面に目を通す。
言葉のテンポを軽んじた堅苦しい文体が長々と続いていたが、大体の意味は理解出来た。
「これって…第十二区画からの正式な依頼書じゃない!将来性のある男って好きよ!」
「お前さ、ちょっと数秒前の自分と会って来いよ。自分の知らない自分って意外と傍に居るって実感が沸くから」
機敏な手のひら返しを指摘してみたが、都合の良い言葉だけを拾って腕は話の手綱を握る。
「凄いじゃない。こういう所から依頼が来るのって初めてでしょう?」
「そうさな、俺だって今まで何でもやるを宣伝文句に謳ってきたが、基本的に水と油が交わった試しは無えからなァ…」
数年の付き合いだが、山猫が嬉々として依頼主の話をするだなんて事は今まで無かった。
腕もその様子に釣られて、彼に気付かれない様にさりげなく微笑む。
「それで、肝心の依頼内容だけれど…第十三区画の震源の調査って?」
「ああ。此処は本来、無人区画の筈なんだが何故だか色々と騒々しいみたいでよ。十二区画としては変な事になる前に事態を把握したいんだろうな」
「…あまり詳しい理由は分からないけれど、危険じゃないかしら?」
「請負人のやる事でリスクの無え話ってのも、無理な注文だよ」
「それは、そうだけれど…」
「まあ、手に負えなかったら投げ出して帰ってくるさ。ほんじゃ、行ってく…らァッ!」
腕が放った黒塗りの長剣が、急ぎ足で出ようとした山猫の視界に飛び込む。
「商売道具を忘れているわよ」
「…ッ!」
大の男が顔を押さえて痛がっているのを無視して、腕は続ける。
「浮き足立つのも分かるけれど、仕事は帰るまでが仕事よ」
「あと、ムカつくからって依頼人を殺しちゃ駄目よ?」
「でも見返りがあれば殺して来るのよ」
「ああ…これ、お弁当の固形食糧よ。仕事の合間にでも食べなさい」
「…ええいッ!一から十まで…俺ァ、子供かッ!」
畳み掛ける腕の言葉。山猫も切り返そうとはしたのだが…
「貴方は自分が納得する事しかやらない子供でしょう?」
良く眺めているからこそ吐ける容赦の無い言葉に止めを刺された。

………

「しかし、俺の何を買って調査を依頼したのか分からんね。首傾くね。真っ直ぐ歩けないね」
依頼人に問い詰めたい所だが、この仕事にはもう一つ気に入らない点があった。
書面の上ではこうだ〝現地に派遣された請負人と同行し、依頼を遂行せよ〟との一文。
(この手の組んでやる仕事って好みじゃないんだよな、どうも…)
頭の中の思い出のアルバムに手を掛けて、あんな事こんな事あったでしょうと振り返る。
協調性という言葉と対極の位置に座してふんぞり返っていたので、正直苦い記憶しかない。
さて、考え事をやっている内に件の第十三区画に辿り着いた訳だが、封鎖エリアだと銘打たれてはいるが、だからといって特別に仕切りが設けられているとかそういう訳では無い。
第十三区画と表記された赤錆びた看板が今日も真面目にこうして突き刺さっているだけだ。
ただ、刷り込まれた様に人々の意識の中で確かに区切られており、誰もがその場所に近付こうとはしなかった。
ソレを裏付ける確かな理由が在った筈なのだが、覚えている者はもう誰も居ない。
〝無人の第十三区画に立ち入るな―〟
それは、一度更地になってしまったこの世界に敷かれた数少ないルールの一つだ。
物好きな山猫とて、不必要に近付く様な真似はした事が無かった。
しかし依頼とあらば仕方が無い。意識の境界線を踏み越えて、第十三区画に足を踏み入れる。
実際にこうして入ってみると何て事は無い。
入った途端に、有毒ガスに肉体を蝕まれ、落命するだとかそういう事は無さそうだった。
(静かだ。案外人間嫌いには良い所かもしれない…まあ、俺はそういう人間が嫌いだがね)
山猫は他の区画とさして変わり映えのしない景色に正直ガッカリしていた。
宙ぶらりんの気持ちをぶら提げたまま、辺りを見渡して行くと目に入って来たのは、不自然に削り取られた瓦礫の山々。
「あ~あ…良くここまで雑に引っ掻き回したモンだ、俺だったらもっと上手くやるけどな。まあ、俺じゃないから上手くいってないんだろうな」
配慮と愛を感じない力任せな仕事を目の当たりにして、山猫から不意に言葉が漏れる。
独り言。男の小さな拘り程度で済んでしまえば良かったのだが、その言葉を受ける者が居た。
「…データに基づいて、此処ら一帯を掘り起こしているのは俺だ」
その声と共に轟音が鳴り響く、後を追う様に瓦礫が崩れ落ちる音が数秒程続いた。
降り注ぐ破片をものともせずに、山猫の前に現れたのは先行していた請負人、シェフだった。

「…同行する相手ってのはアンタで良いのかな?いやあ、中々のお手前ですねー」
「シェフだ。依頼通りに事を成す厳格なる請負人で通っている。悪かったな〝中々のお手前〟で〝ここまで引っ掻き回して〟貴様じゃないから上手くいかなかったさ」
(やべえ、聞こえてた)
「あははっ、いやいや、何ていうか、その…すいませんねェ!言葉を誤った事、謝るから過ちは重ねない様に―」
全てを言い切る前に突き出されたシェフの拳が、取り繕おうとした山猫を咎める。
当たる直前に咄嗟に構えた長剣で防げたものの、山猫の身体は簡単に弾き飛ばされて、勢い良く掃き溜めに叩き付けられた。
「げほっ…この野郎、抜きやがったな。結構優しそうに見えて実は温厚で人の痛みが分かる俺に手を出すかよ?」
軽々と山猫を吹き飛ばしたシェフが、排気とも取れる様な深い溜息を吐く。
「必要なのは俺と同じレベルで仕事をこなせる請負人だ。貴様の様な口が過ぎるだけの餓鬼はお呼びじゃあ無い」
「奇遇だな…俺もアンタみたいに血の気が多くて熱さが喉元過ぎねえ様な大人が嫌いでよ」
軽口や冗談で切り抜けるのは無理だと踏んだ山猫も、長剣を力強く握り締める。
「請負人、山猫。貴様のデータは俺の視覚フィルターに登録済みだ」
「…二枚目のブロマイドを集めるのが趣味とは知らなかったぜ?」
「書面で回ってきた組みたくない相手の顔は記録する様にしている。俺達同業の間では〝首攫い〟の方が通りは良いか。噂は良く聞いているぞ?腕は立つが、受け取る報酬と叩き付ける結末は気分次第という最低の仕事だとな」
「へへっ、俺も結構有名になったモンだね。けど悪いな、アンタの事はあまり知らねえ」
「それは好都合だ。男のお喋りは此処らで切り上げて良いだろう?貴様の手で仕事が汚れるくらいなら、いっそ―」
「変な所は気が合うじゃねえか…そっちがその気ならこっちもその気で行かせて貰うぜ!」
決裂。二人の請負人は依頼を投げ出し、互いの流儀をぶつけ合う形となってしまった。
先に動いたのは、これといって目立った武器を持たないシェフ。
ガギンッガギンッ―
山猫に近付く度に金属同士を打ち付け合う駆動音が鳴り響く。
「人間崩れか…今時さして珍しくもねぇが、これ程賑やかな奴には会った事がねぇな」
「ふふっ、居心地の良い身体なのだが、こればかりはどうにも制御が効かなくてな」
(俺みたいな生身の人間が人間崩れを相手にする事は出来れば避けて通りたい道だ…)
この世界の需要が成した現状だが、機械や生体部品を生身の肉体に繋ぐ技術は確立され、今でも発達を続けている。
そこに噛んで来るのが回収業者が躍起になって掘り起こし、市場に揚がって来る出土品だ。
世界崩壊が起きた今となっては、ロストテクノロジーの塊である出土品でその身を固めた連中はいとも容易く人間の範疇を飛び越えて行く。
強大な力を有した彼等は〝人間崩れ〟と称され、蔑まれている。
目の前のシェフという名の請負人も、その例に漏れず、何か強大な優位を握っている…
(その筈なんだが…いや、全く想像がつかねえ。単純に腕っぷしだけの脳筋なのかね?)
「首攫いよ、険しい顔をして必死に探った所で時間の無駄だ。俺はこの腕で貴様を打って殺すだけの脳筋でしかない」
「あ?手前ェの手の内明かして俺を完全に舐め腐ってるみたいだが、さっきみたいな不意打ちで無けりゃ俺の方が速いって事、地面に突っ伏してから気付いてみるかよ?」
ガギンッ―それまでゆっくりと詰め寄っていたシェフが遂に長剣の間合いに入った。
それは、素人目で見ても分かる程の不気味な立ち回りだった。
厳格なる請負人という異名を持つ彼も、これまでに幾多の死線を乗り超えて来た筈だ。
(何故、野郎はこうも易々と俺の間合いに入れる…?)
精神的なざらつきを握り潰す様に得物のリーチの優位をもって山猫が先に仕掛ける。
シェフはその一撃を避ける訳でもなく、防ぐ事もせずに居た。
そして、黒塗りの長剣による袈裟斬りが彼の身体を容赦無く走り抜けていった。
「へへっ、悪いなァ…期待を裏切らない鈍さに少し嬉しくなった」
山猫の一太刀を受けて、分断されたシェフが崩れ落ちていく。
大袈裟過ぎる金属音が数回程鳴り響いた後、その場には奇妙な静けさだけが残った。
「あーあ…まーたやっちまったか。大して見返りも無いのにな。悪い癖だよ。直らねえけど」
さして悪びれる事も無しに、二つに別れてしまったシェフに目をやる。
「相手が人間崩れだからってちと警戒し過ぎたかね…?まあ、身に付ける出土品の質にもムラがあるからなァ」
事が済んだ事を確認して、何時もの調子ですたすたと歩き出す請負人、山猫。
ガギンッ―!
「…?」
その場を立ち去ろうとした彼の首根っこを引っ掴む様に先程の駆動音が一つ。
もう鳴る事は無いだろうと思っていたあの駆動音。
ガギンッ…ガギンッ!
「…は?」
金属と金属とが互いを打ち付け合うあの耳障りな駆動音が止まない。
それはまるで、止まる術を忘れたかの様に鳴り続けている。
「…馬鹿なッ?ンな事があるワケ…!」
言葉を漏らしながら振り返ると、山猫の目の前には信じられない光景が広がっていた。
長剣によって斬り飛ばされた筈の金属部品が、ある一点を目指して集積し結合する。
そして彼を、厳格なる請負人、シェフを再び象っていく。
「首攫いよ。まさかとは思うが…これで本当に終わりだとでも思っていたのか?」
「…ッ!」
「良く聞け。先ず俺は人間崩れ等では無い。そしてこの身体は全て、俺の感情の昂ぶりに感応する金属部品で構築されている。つまりだ、俺の精神が折れない限りは何度でも立ち上がり、立ち向かう。その様に出来ている」
先程の異様な立ち回りは、鈍感だとかそういったチャチなものでは無い。
シェフはダメージを受ける事に対しての感覚が麻痺していた。
「驚いた…請負人なんて辞めて、女の子に片想いでもしてた方が良いんじゃないの?」
軽口を並べ立てて平静を装ってみるが、正直な所こうして茶化すくらいしかやる事が無い。
大概のモノに対しては始末を付けられる筈の彼の長剣も、この状況においては無意味だ。
「…だらァッ!」
スピードには山猫に分がある。掴みかかろうとするシェフの手を潜り抜けて、斬りつける。
胴に確かな効き目が無くば、今度はその首を身体から斬り離す事をやってみせる。
「ほう、初めの牽制といい、中々の太刀筋だ。伊達では無いという事か」
しかし、首を飛ばされても流暢に喋るシェフを見るに、部位の違い等は些細な問題でしか無い。
結果としては同じだ。分断された彼が、目の前で再び再構築されていくだけの事。
彼の精神を根本からヘシ折らない限りは、彼を止める事など決して出来はしない。
「ふむ。相手の虚を突く事に重点を置いた剣という訳か。俺でなければ殺し切れただろうな」
「はあっ…はぁっ…」
長剣を幾ら振るおうが倒し切れない相手、それに対する苛立ちと度重なる消耗。
疲労が色濃く浮かび、険しい表情の山猫。
それとは対照的に、永久機関に等しい動力源を有するシェフ。
請負人、山猫にとって彼は、最悪の相手だった。
「首攫い。今ので何本目になる?此処までは俺の全敗だが、そろそろ巻き返せそうだな」
(冗談じゃねえ…こんな精神論に振り切れた野郎と根性で張り合おうだなんて、勝ち目がある訳無えだろうがッ…!)
「次のラウンドに挑む勇気はあるか?貴様の様な奴は諦めも良い筈だ。此処で終わりにしてしまっても構わんぞ?」
「へっ、俺が素直に負けましたー貴方には敵いませんー…なんて、言う奴に見えたかよ?」
「では、身を持って思い知らせてやる。ネクスト…いや、ラストラウンドと行こう」
その瞬間だった―
シェフの宣言を打ち消すかの様に地の底から轟音が響いた。
「あー…そういえば、俺達って震源の調査に来てるんだったなァ…」
突然訪れた大きな振動によって、二人は半ば忘れかけていた依頼の事を思い出す。
「何だ…?これまでに、こんな大きな振動は無かったぞ…!」
堆積したかつての世界の破片を押し退けながら、巨大な何かがゆっくりと隆起していく。
そして、絶えず刻まれるガギンッガギンッ―というあの耳障りな駆動音。
但しそれは、シェフの身体から発せられているものでは無い。
その音は無人である筈の第十三区画のありとあらゆる場所から鳴り響いていた。
「これは、一体―?」
覆い被さっていた蓋を突き破って、二人の請負人の前に震源の正体がその姿を現にする。
それは、全身が金属部品で構築された巨大な銀色の蛇だった。
第十三区画そのものが出土品だったと言い切ってしまっても決して過言では無い。
「俺達は、こいつの背中に立っていたって事かよ…?」
常識外れの圧倒的なスケールを有した相手に対して、流石の山猫も唖然とした。
「第十三区画が封鎖されていた理由は、これか―」
目覚めたばかりの蛇の目が突如赤く発光したかと思うと、激しく点滅を繰り返している。
どうやら山猫とシェフ、二人の請負人を標的として認識した様だった。
各所に降り積もった瓦礫の山など歯牙にもかけずに、蛇の巨体が激しく蠢く。
「へっ、へへ…旦那、どうする?奴さん、寝起きの気分はあまり宜しくねえみたいだぜ?」
「おい―」
「あ?」
「猫の手は、空いてるか?」
「男子厨房に入らずだ…と言いたい所だが、仕方ねえなァッ!」
声を放つのと同時に山猫は右から、シェフが左から走り込む形で蛇の頭を目指す。
「首攫い!噂話程度の俺達が由緒正しき伝承と戦って勝ち目があると思うか?」
「綺麗なオチを付けてやるから、末尾に継ぎ足すページを用意しとけよ!」
そう啖呵を切った山猫が気迫を乗せ、黒塗りの長剣を蛇めがけて振り下ろす…が、届かない。
彼の剣撃は不可視の被膜一枚に遮られ、蛇自身に直接触れる事が出来ない。
それは、シェフが先程から絶えず放っていた打撃についても同じ事が言えた。
「チッ…何とエゴイスティックな機能だッ!」
「思い出にくるまって眠りこけてた野郎の頭は固いってこったなァッ!」
自身が放つ攻撃に効果が得られないと判断した二人は直ぐ様に後退しようとした。
しかし、間に合わない。蛇がその身体を動かすだけで、彼等はいとも容易く吹き飛ばされて瓦礫の山に勢い良く叩き付けられた。
そして、銀色の蛇がシェフに完全なる止めを刺す為に猛スピードで迫る。
その攻撃は至ってシンプルなものだった。
対象に向けて、その巨体を叩き付け、圧殺する一撃。
その衝撃に圧されて、幾つものガラクタが舞い上がり、生じた砂埃が辺りを包む。
シェフが幾ら不死身と言えど、まともに受けていればひとたまりも無かった事だろう。
間一髪の所で駆け込んだ山猫が、シェフの身体を足蹴にし、その攻撃を外していた。
「おい、どうしたよ?この状況下で遊びたくなったってんなら、ご退場願うぜ?」
「…余計な真似をするな。俺は自身が諦めない限りは何度でもやり直せるんだ」
山猫の前で強がってみせるものの、シェフは形容し難い違和感を抱えていた。
(身体の反応が鈍くなっている…この身体に収まってから、こんな事は一度も無かった)
蛇がその姿を見せてから、自身の駆動音が次第に小さくなっている事にシェフは気付いた。
決して蛇の身体全体から発せられる駆動音に喰われて、その様に聞こえるのではない。
彼自身の身体は、彼自身が良く理解していた。
蛇が先程と同じ動きを見せている。急いで離れなければ、今度こそあの一撃を貰ってしまう。
そう思い立って走り出す…しかし、その感情に身体の動きがついていかない。
そして、遂にシェフは片膝をついて体勢を大きく崩してしまう。
「おい、シェフ!」
(やはりな、そういう事か―!)
自身の身体の挙動から、抱いていた疑念はその時、確信へと変わった。
「分かった…分かったぞ!首攫い、黒塗りの長剣を捨てて戦いを止めろッ!」
「オイオイ、面白え事はこいつをどうにかしてから言えって!」
「こいつは…この蛇は、俺達の戦闘意欲を感知し、それを吸収して動いている!確かな事だ。俺の身体から、感情のエネルギーが吸収されていく様な感覚がある…早くしろッ!」
「…ええ、それ、マジで言ってんのォ?」
「早くしろッ!」
「わーった、わーったって」
シェフの怒声に気圧され、山猫は彼の代名詞とも言える長剣を躊躇いも無く放り捨てた。
二人の請負人はわざとらしく両手を挙げて全面降伏の格好。白旗が無いのが些か心細い。
「なあ…殺されたら、アンタの所為な?」
「…俺は生き残る。地獄でせいぜい呪ってろ」
請負人達の情けない有様を捉えた蛇はその頭をゆっくりと近付け、計る様に見下ろした。
目覚めた時と同じ様に蛇の目が赤く発光し、再び点滅を繰り返す。
緊張が走る。余罪とか読み取られたりしないだろうかと息を呑む請負人、山猫。
「見ろ。蛇の動きが…」
二人の感情を汲み取ったのか、先ほどまでせわしなく蠢いていた蛇の勢いは徐々に失われていき、その動きは次第に緩やかになっていった。
彼等を完全に標的から外したのか、蛇は自身が這い出て来た方角へとその巨体を向ける。
轟音を上げながら瓦礫の山をほじくり回して、巨大な出土品は地の底へと戻って行った。
二人の請負人の目には、あの蛇は崩壊以前の世界で授かった命令を今でも一途に実行し続けている様に見えた。
封鎖された第十三区画の奥底で蠢く、銀色の蛇―
これは、古代文明人が遺した遺産なのか。
それとも彼等が払うべきツケを押し付けられただけに過ぎないのか。
もしくは、何らかの理由が在って、誰かの手からこの第十三区画を守護する為に座している番人なのか、崩壊後の世界を生きる彼等にはもう知る術は無かった。
目的を見失った強大な力が、無人の第十三区画でただ現象の様に作用し続けていた。

………

「報告は以上だ。規模はともかく、俺達が変な気さえ起こさなければ気の良い出土品だ」
そう言葉にしながらシェフは今回の一件を纏めた調査書を放った。
端から端まで緻密な文章が敷き詰められており、区長の堅苦しい文体と良い勝負になる。
「どうした?残念そうだな?」
「…いや、決してそんな事は無いぞ。これで住民達も安心する事だろう」
報告を受けた区長の反応はシェフの予想通りのものだった。
ガギンッ―、というあの駆動音の後、一呼吸おいてからシェフが話を切り出す。
「そういえば、近頃〝記憶商〟の店に顔を出した事はあるか?」
記憶商とは、出土した文献や、電子記憶媒体等を商材として扱っている者達を指す。
「私は区長だぞ?懐古主義でも無いのに思い出に浸る暇等ある訳が無かろう…?」
「そうか。貴様が区長では無く、火の無い所に煙を立てる魔術師とは知らなかった」
「…シェフ、君らしくもないじゃないか。依頼主に対して言葉が過ぎるぞ?」
区長の上っ面に浮かび上がって来るのは、冷や汗と焦りの表情。
「此処ら一帯の記憶商と、手懐けていた回収業者の組合を回らせて貰った。蛇の伝承について尋ねたら、貴様が躍起になってメモリーを集めていたという話が出て来たのだ―」
シェフは震源の調査を終えたその日の内に、第十二区画の底浚いもやっていた。
生身の肉体を捨て去り、全ての感覚を失ったシェフに疲労や消耗という概念は存在しない。
彼の感情が赴くだけで、徹底的な処置が実現される。彼は、その様に出来ている。
「そうか、其処まで調べたか…無人の第十三区画に立ち入るな。崩壊後の世界に生まれた人間の本能的な部分にルールを課す程の強大な力に私は興味を持った。第十二区画が勢力を拡大する為にあの蛇を手懐けたかったのさ」
「そこで俺達に奴の気性を調べさせた、という訳か」
「そうだ。私が手にしたのは伝承の一節でしかなかったからな。私だけでは抱えきれない程にメモリーが出土し、騒ぎに乗じて荒稼ぎをする連中まで現われたのは想定外だったがね…」
「……」
「山猫には渡さなかったが此処に倍の額を用意してある。第十二区画の躍進の為に蛇に代わる物を探して欲しいのだよ。シェフ、これからも良好な関係で居ようじゃあないか」
第十二区画の長がシェフに向けて真っ直ぐに手を伸ばす。
「俺と山猫とでは火に油だったが、貴様と俺とでは水と油だな。今後交わる事は無さそうだ」
「…何?」
「この依頼、レシピ通りでは無かった―」
ガギンッ、ガギンッ―
地の底で眠る銀色の蛇と同じ様に、人間の感情が爪弾くあの駆動音が響き渡る。
その音が鳴り止む頃には、部屋を行き来していた男達の声はすっかりと消えてしまった―
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