GROUND ZERO

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Act.5 記憶をなぞる者達(前編)

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一人の請負人、それに並ぶ様にして回収業者が一人。
二人は掘り起こしたメモリーを売り捌く為にマーケットにやって来ていた。
「なあ、熊さんや」
「何だい、猫さんよ」
山猫と熊。二人の間で良くこなれた躓きの無いやり取りが交わされる。
「マーケット、物の出入りが激しくって此処が何時も慌ただしいのは俺も良く知っている。だがね、最近の雰囲気は何かこう…妙じゃないか?何処かヒリヒリしてるというかさ」
普段とは異質の雰囲気を纏ったこの場に違和感を覚えた山猫は熊に問いを投げ掛ける。
「そりゃあ多分、あの噂が広まってからだな…」
熊が眉間に皺を寄せた険しい表情を浮かべながら答える。
「噂?」
「何処から湧いて出て来たのかは知らんがね、回収業者から回収業者を伝って行き渡ってるみてえでさ」
「…何て?」
「なに、悪い冗談みてえな話よ…〝ソレハ、人々ヲ漏レナク堕落サセル〟と銘打たれた希少なメモリーが出土したんだとさ」
「何だその餓鬼が考えそうな謳い文句は…聞いてるこっちが恥ずかしくなってきた」
この手の噂が一度でも広まると、それを求めて血眼になる回収業者達が後を絶たず、次第には徒党を組む様になるのだと熊は言う。
ただ、彼等は出土品自体が持つ本来の性質、その善悪を問う事を稼業としてはいない。
手に入れたメモリーに篭められた物が、誰も握り締めていない優位で、希少価値が有り、高値で取引が出来ればそれで構わないのだ。
メモリーを引き渡したその先に何が起こるのか、自分達の身に降り掛かる事等、これっぽっちも考えてはいないのだと同業である熊は嘆く。
「成程。そこらで雑魚同士の小競り合いを見掛けたのはソレ関係だと見て良いのかね?」
「そういう事になるんじゃないか?ただな、今回の一件も以前〝神の製法〟が出土したあの時の様に俺達の間だけで済む話では無い気がしてるんだ」
「そうさな。基本的に善が急ぐより先に悪は気を効かせてるもんだ。それにさ―」
「それに?」
「俺が興味を持っちまったしなァ…」
〝ソレハ人々ヲ漏レナク堕落サセル〟
崩壊後の世界を生きる人々が口ずさむ流行りの言葉は、皆この様な響きをしていた。
冗談じみた宣伝文句が深く刻み付けられた漆黒のメモリー…
その噂を聞きつけた回収業者、請負人、白服の教団の残党。そして、請負人殺し―
それぞれの思惑が瓦礫の海で交錯する。
古代文明人の大いなる遺産の正体を暴くのは、誰だ―?

………

「…このお店だったら、このメモリー読み取れるかなぁ?」
旋毛が腕から授かった研究資料には紙媒体の物だけでなく、電子記憶媒体も含まれていた。
しかし、この型の記憶メディアを読み取れる装置を扱っている店はあまり無いようで、彼女の父親捜しの旅は早々に難色を示していた。
見事な筆文字で〝記憶商〟と書かれた暖簾のれんを旋毛はくぐる。
すると、目に入ったのは右手に欠けた十字架を握り締めている巨大な像。
四本は在ったと思われるその腕は欠落しており、片方の牙は折れてしまっている。
打ち棄てられ、瓦礫の海を転げまわる中で損傷したのだろうか。
崩壊以前の世界に生きていた動物を模している様に見えるが、その名前さえも分からない。
首にぶら提げられているのは木堀りの面。周りには羽飾りが放射状に広がっている。
それらはこの店の商材等では無いのだが、店主のポリシーを主張するかの様に多種多様な文化が入り乱れ、ごった返しになっていた。
「おや…これはこれは、可愛らしいお客さんだ」
奥から聞こえてきたのは癖の強いイントネーションをした男の声。
どうやら、この店の主のようだった。
広げた自身の商材に負けじと妙ちきりんな格好をしている。
服から下りている無数のケーブルを引き擦りながら男はカウンターへと入って行く。
「さて、歓迎したいが此処は嬢ちゃんみたいなのが来る所じゃないな…君くらいの年齢だったらメモリーなんて無くっても未来を拓けるだろう?」
「このメモリーなんだけど、ここの機械で読み取れる?」
旋毛は大人の面倒な言い回しを無視してメモリーを差し出し、カウンターの上に置いた。
「…そうだよ。そう、子供は大人の言うことなんて聞いちゃいけない…えぇと、どれどれ」
その電子記憶媒体を手に取った瞬間、男はゴーグルを上げて途端に目の色を変えた。
「おおッ!これは、第三世代の記憶媒体じゃないか!何処でこれを?いやいや、そんな事はどうでも良い。こんなものが未だ現存していただなんて…何だ。凄い事だッ!人間、感動に出会うと自然と笑いが出るもんだな!うひゃひゃひゃッ!」
店主の口からこぼれた〝第三世代の記憶媒体〟という言葉に店内はざわめく。
旋毛自身にはあまり良く分からなかったが、どうやら大分希少な型に分類されるらしい。
「旋毛は気持ち悪いおじさんを見に来たんじゃないんだけど?ここ、そういうお店なの?」
「これは失敬。第三世代の読み取り装置だったら私の友人にツテがあるから、ちょっと其処で待っていなさい。あとおじさんは偏っているだけで決して気持ち悪くは無いよ?」
(似た様なお店を何軒か回って馬鹿にされたけれど、ここなら何とかなりそうかな…)
と、旋毛はこれまでの苦労を思い出しながら少しだけ気を緩めた。その瞬間だった―
一時の油断を突いて、店内に居た男がカウンターに置かれたメモリーを奪い去り、店の外へと駆け出して行った。
「えっ…?嘘、ちょっ…ちょっと!」
突然の出来事。急転する事態に対し、出遅れてしまった頭の処理が追い付かず言葉も出ない。
「あがーッ…第三世代の記憶媒体に触れる良い機会だったのに!」
「そういう問題じゃないよ、もうっ…!」
男を追うようにして旋毛も外に飛び出して行く。
扉を開けた先に広がるのは喧々たるマーケット。
目に映るのは擦れ違う無数の人々。
「おっ、嬢ちゃんよ、そんなに慌ててどうしたんだい?デートの約束か?」
「あの必死な顔を見るに盗みにでも遭ったんじゃねえの?ま、此処では良くあるこったぜ?」
嫌でも入り込んで来る雑音をシャットアウトして彼女は走る。
(駄目だよ。こんな人が沢山居る所で、ローラやアンジェーリカは呼び出せない。あの子達は目立ち過ぎるもの…一体、どうすれば良いの?)
旋毛は考える。どうすれば自分の前を行く賊を捕らえられるのか、その方法を考える。
「へへっ…例のメモリーは第三世代の記憶媒体だと噂で聞いていた!こんな古い型の代物がそうそう出土する訳が無え!こいつで間違いな…げふぅッ!」
目当てのモノを手中に収め、興奮気味の男の意識は些か散漫だった。
突き当りの道を曲がった所で同業の回収業者と衝突してしまったのだ。
「かぁ~ッ…痛いのぉ…何じゃお前は、儂はマーケットでメモリーを売り捌こうと…」
「…ッ!」
地面に散らばるのは無数のメモリー、盗人にとっては悪夢の様な光景が広がっていた。
旋毛から奪い取った記憶媒体が、その中に混ざってしまったのだ。
「テメッ…こらっ!爺、ざけんな!何でこんなに第三世代の記憶メディア持ってんだよ!俺のがどれか分からねえじゃねえかッ!」
「掘り起こしたら出て来たんだからしょうがないじゃろ…それにそっちからぶつかっておいて、何を貴様ったら偉そうに…儂が若い頃にはぶつかったら何も言わずにそそくさとその場を後にしたもんじゃ!」
「も~っ!元々あなたのじゃないでしょ!その中の一個は旋毛のメモリーだよ!」
男と老人のやり取りが本格化する前に、本来の持ち主である旋毛が割って入る形。
「うあっ…クソッ、追いつかれちまったら仕方が無え、返すよ。返しゃあ良いんだろう!
嬢ちゃんのメモリーはこれだよ!俺の目は確かだ、そらっ!」
男はそう言って旋毛に向かってメモリーを放った。
それを受けた旋毛は安堵の表情を浮かべ、二度と手放さないように懐に仕舞い込んだ。
「良かった、パパに繋がる数少ない手掛かりだもの…」
「うーむ、儂が若い頃には盗んだモノは返さなかったものじゃが、時代は変わったのう…」
老人の言葉などまるで意に介さずに走り去っていく盗人の姿。
その場には旋毛と高齢の回収業者、そして散らかった記憶媒体だけが取り残された。
(どうにかして一つは抜き取れた。こいつを記憶商の読み取り装置に掛けて貰えりゃ…)

………

第七区画の地下空洞に設えられた祭壇を白服の教団の残党達は未だに根城としていた。
請負人、山猫の手によって首を撥ねられた先代の教主。
その弟が、その役割を引き継ぐ形で組織を取り纏める事となったのだが…
彼は先代程のカリスマ性を備えてはおらず、元々第七区画に根ざしていた宗教団体が返り咲いたという事もあって、教団の信者達の数は増える所か激減の一途を辿っていた。
そんな時に、手懐けていた回収業者達からある情報が舞い込む。
「請負人、山猫のヤサには無数の希少なメモリーが転がっている」と。
メモリーの持つ優位はこの世界において絶対的な力だ。
それは他を圧倒し、また、魅了する―
先代の教主が出土した〝神の製法〟を用いて、この第七区画で隆盛を誇った様に…
希少なメモリーを手中に収めつつ、自分達のコミュニティを崩壊寸前にまで追い込んだ山猫に復讐出来るとなればこれ程美味しい話も無い。
そこで彼等は裏の世界で重用される〝請負人殺し〟と呼ばれる一人の請負人を雇う事にした。
「はんっ、何とも陰気な所だねえ―?」
信者達の前に現れたのは一人の女。しかし、その上背は下手な男よりかは大きい。
返り血の様な沈んだ赤の一張羅を着こなし、その上から毛皮のマフラーを重ねる形。
鮮やかに下りた金髪の隙間からは、刃物の切っ先の様な鋭い目が覗く。
そして女性の身体には不釣合いな程の巨大な義手。
それに力強く握り締められている身の丈を超える大剣。
そのアンバランスな佇まいが嫌でも他人の目を引いた。

「おいおい…本当にこんなので大丈夫かよ?」
一人の男が彼女の異様な出で立ちに言葉を浴びせる。
「何て言うか、俺達もすっかり勢いってモンが無くなっちまったよなあ…こんな〝人間崩れ〟の請負人を雇わにゃならんとはよ?」
「今から手前ェもその人間崩れだ―」
彼女が言葉よりも早く、息を吸う様な自然な動作で男の一部を削ぎ落とす。
鮮血を撒き散らすだけの玩具に成り下がった彼の腕が、景気良く吹き飛んで行った。
「あ、あがっ…?」
そんな彼女のペースに追い付けず、悲鳴すらも言い切れずに、ただ情けない声だけを上げて、男はその場に崩れ落ちる。
「口が一番好きそうだから残してやった。もう一度同じ台詞を言えるかい?」
大剣を突き付けて、次は何処が良い?と言いたげに剣先を男の各部位に当ててみせる。
「ひっ、ひぃぃ、やっ…やめっ、やめてくれえッ!」
「これはこれは、信者が失礼を働いてしまったようだ―」
非礼を詫びながら現われたのは二代目の教主。
「殺し専門の請負人、ワンホイール…命に触り慣れているという触れ込みはどうやら伊達では無いようだ。恐ろしい女。そして、だからこそ、信用も出来る」
「わざわざアタシを呼んだって事は〝殺し〟だろう?誰だって握り締めた命は一つだ。平等に扱いてえ―分かり易く獲った頭の数。それだけの報酬は頂くぜ?」
「…請負人には請負人ってワケかよ、山猫の野郎もこれで終わりだな」
「ハッ、ハハハハ…!同業同士、せいぜい仲良くやるさ―ただ、遊ぶのは一度っきりだ」
これから始まる大いなる戦いを思い浮かべて、請負人殺しの女は笑った。

…………

「げほっ…!」
(これは、やっぱり俺なんかが手を出すようなヤマじゃなかったかもな…)
此処は区画と区画の隙間を縫う様に存在するマーケットの路地裏。
旋毛から第三世代のメモリーを奪い取った男は重傷を負っていた。
記憶商にメモリーの閲覧を依頼した所で、徒党を組んだ回収業者達に取り囲まれたのだ。
「こういう噂が出回った時には、此処に網を張るのが一番だからな。俺達は無駄な労力を使わずに最後にこうしてかっ攫えばいいって寸法よ―」
この集団を率いていると思われる回収業者の男が言う。
「…多勢に無勢とは関心せんな」
ガギンッ、ガギンッ―
荒々しい駆動音に反した落ち着いた物言いと共に、一人の請負人がその姿を現す。
「あ…?何だこいつは…?ええと、誰かー、分かる人ー?知ってる人ー?」
「いや、俺も何もかも分からんし、こんな知り合いは知らん知り合ってない」
突如、乱入した彼の異様な出で立ちに回収業者達の間には戸惑いの色が浮かぶ。
「先程から一連の流れを見ていた。事情は知らんがその辺にしておけ」
請けた依頼を忠実にこなす厳格なる請負人、シェフ。
ただ、彼等の様な足りない連中の間ではその名の通りはあまり良くない様だった。
「いきなり出て来て俺達に文句があるとは良い度胸だッ!野郎どもやっちまえ!」
数名の回収業者達が廃材でこさえた得物を握り締めてシェフを取り囲む。
そしてリーダーの合図と共に一斉に殴り掛かって行った。
「ぎゃあッ…」だとか「ぐええッ…」と言った類の悲鳴が路地裏に響き渡る。
勿論それらはシェフの口から発せられたもの等では無い。
連中は確かに殴り掛かって行ったのだが、半端な打撃等彼には何の問題にもならない。
シェフが踏み込んで相手を掴み、放り投げる事だけを一途に繰り返す。
埃でも振り払うかの様に回収業者達が次から次へと大通りに吹き飛ばされて行った。
「お前達の様に勝つ様に勝つ事だけを続けていると、負ける様に負けるのだ」
数によって敵を圧倒する。崩壊後の世界における最もスタンダートな冴えたやり方。
回収業者達の作法は決して間違っていない。ただ、目の前の相手が悪過ぎた―
「ぎゃあーッ!あっ、兄ィッ…こっ、この野郎、恐ろしく強いーッ!」
「何てこった…俺は今まで長年悪党をやってきたが、プライドだけは守ってきたつもりだ。だが、こんな化物が相手だったら仕方が無えッ!」
回収業者達の頭目と思わしき男は咄嗟の行動に出た。
「こいつは人質だッ!これ以上俺達の邪魔をするってんならこの女、締めて殺すぞ!」
左手には女、右手には刃物。それを視認し先程まで立ち回っていたシェフが動きを止める。
「…その娘を放せ。関係無いだろう?」
シェフが言う。
「手前ェだって元々関係無えだろうが!」
それに対してリーダーの男は言い返す。
「…私だって、関係無いわよ?」
そして、腕が呆れる様に呟いた。
そう、人質に取られたのはたまたまマーケットへ買い出しに来ていた腕だった。
彼女がそう言い放つのと同時に地面を突き破って巨大な貫手がせり上がる。
「え…?ちょっ…待っ…何だよこれ、がああああーッ…!」
貫手は瞬く間にリーダーの男を引っ掴み、いとも容易く表通りへと放り出した。
腕の能力とシェフの手によって回収業者の一団はゴミを分別する様に片付けられた。
「今の能力は…?俺も人の事をとやかく言えた義理ではないが…」
異能の力を目の当たりにしたシェフが腕に問う。
「長話をする様な間柄でも無いのだから、お互い見なかった事にしましょう―」
腕はシェフの言葉を受け取らずに、その場を立ち去ろうとした。
「あっ…ま、待って…!」
そこに割って入ったのは置き去りになっていた盗人の言葉。
「…何だ?」
傷だらけの男の弱々しい声に呼び止められたシェフが詰め寄る。
「俺、その…話題の希少なメモリーを手に入れてひと山あてようと思ってたんだ―だけど、こんな痛い目に遭うし…もう沢山だ!俺は下りるよ!この件から手を引く!」
そう言って男はシェフの目の前で握り締めていた手をゆっくりと開く。
彼の掌上には第三世代の黒塗りのメモリーの姿が確かに在った。
「…これが〝人々ヲ漏レナク堕落サセル〟と銘打たれた噂のメモリーなのか?」
この件はシェフの耳にも情報として入って来てはいた。
しかし、彼もこうして現物が自分の目の前に現れるとは微塵も想像していなかった。
「こんな物、破壊する―」
「ちょっと待って頂戴」
力を篭め、記憶メディアを完全に握り潰そうとしたシェフを腕が声を上げて遮る。
「…立ち去ろうとしていた女がどういう風の吹き回しだ?帰り道を間違えたか?」
「ケースにある、その小さな傷。見覚えが有るの。それ、多分私の妹に渡した電子記憶媒体よ」
「この状況でそんな偶然が信じられると思うか?」
「もう奪ったから、別に信じてくれなくったって構わないわよ」
シェフの意思を一切汲み取る事も無く、腕の能力が記憶媒体を素早く抜き取っていた。
メモリーの所有者は、シェフから腕へと移る形。
「くっ…待てッ!」
「素直な女を探しているのなら他所を当たるのね」
出力を上げて、肥大化させた貫手をバリケードの様に生成すると、腕は走り出した。
屍肉の壁は真っ向から戦っては到底勝ち目の無いシェフに対して時間稼ぎとして機能した。
シェフが障害を取り除く頃には、彼女の姿は完全に消え去ってしまっていた。
「…あんなメモリーを野放しにする訳には…ッ!」
「ああ、あんたっ…待ってくれ、行かないでくれよぉ!」
「チッ、今度は何だ?」
「…身体全身が痛ぇんだ!頼むよ!俺の事、手当してくれる所に運んでって…ぶぇッ!」
甘え尽くしの男の胸倉を掴み上げて、シェフが言葉を並べ立てる。
「良いか?それだけ喚ければ貴様は健康だ。その頭と心は既に手遅れかもしれんが一応、診て貰え。俺はあの女を追うッ!」
そう言い切ると共に盗人を放り棄てて、感情の昂りに共振する激しい駆動音を鳴らしながらシェフは走り出していった。

………

件のメモリーについて情報を集めていたらすっかりと日が暮れてしまっていた。
マーケットへの食材の買い出しは腕に任せていたが、料理の出来に関しては期待出来無い。遅くなってしまったので、今日の所は行きつけの店で済ます事にした。
土産にあいつが何時も食べてる物を買って行ってやれば満足するだろう。
「親父さん、こいつで作れるだけ頼むわ」
「そんなんじゃ煮込み触手蕎麦しか出せないぜ?」
「ソレを食いに来たんだよ」
「あいよっ!煮込み触手蕎麦を一つ!」
「おう親父、こっちにも頼むぜ。つゆだくでドロッドロのヤツをな」
声がする方に目をやるとカウンターには先客が居た。
女の一人客、近くには身の丈をゆうに超える巨大な剣が立て掛けてある。
物騒な出で立ちを見るに一仕事を終えた請負人の様だった。
「おっ、そこの姉さん一日のシメに煮込み触手蕎麦とは分かってるねェ」
「アクの強いのが好きでね。ひと仕事する前にはコレで、ひと仕事やった後もコレさ」
「へえ、こいつを好き好んで食べる人をそうそう見掛けた事無いから何だか嬉しいねえ」
「ほい!煮込み触手蕎麦ニ人前っ!」
「これだよ、これこれ!やっぱ食い物ってのは、何度食べても飽きない様なのが良いよなァ」
運ばれてきた熱々の煮込み触手蕎麦を前にして、山猫と彼女は同じ容器に手を伸ばす。
「っと、失敬!ナンパとかそういうつもりじゃ無いんだ。ただ、こいつはモテるらしい…」
思わぬ形で手と手が重なってしまった事に気付いた山猫は慌てて薬味にその責を負わせる。
「ハハハッ…何だい、何だい。参ったねえ。何から何までお前はアタシかい?やる事成す事そっくり同じじゃないか」
そう言って彼女は大胆に笑った。細かい事はさして気にしていない様だった。
「こうして隣の席に座ったのも何かの縁だ。俺達、友達になれるかもしれねえなァ…」
「違いないねえ。この偶然に乾杯といこうじゃないか!」
「はははっ、水だけどね!」
二人はコップ同士を軽く合わせた後、注がれた水を飲み干してカウンターに置いた。
そのタイミング、決して狙った訳では無いのだが計った様に同時。
「…ところでよ、アンタは此処らで有名な請負人、山猫の噂を聞いた事はあるかい?」
「…は?なんて?請負人、山芋?」
突然、先程の雰囲気とは打って変わって、冷たい手で腹の内をまさぐられる様な質問。
その問いに少々戸惑いはしたものの、山猫は言葉を巧く立て直し、やり過ごそうと考える。
「どんな造りの耳してんだよ?マーケットで取替えて貰ったらどうだい?」
「…んああ、山猫ね。まあ此処らでは結構有名な請負人だよな!名前は良く聞くぜ。結構優しそうに見えて実は温厚で人の痛みも分かる出来た人間って噂だよ」
自身の事を清々しいくらいの白々しい態度で宣う。
しかし、彼女は山猫の答え等は初めから聞いていないかの様に言葉を重ねる。
「その実、同業者達の間では人を躊躇いなく斬り捨てる事から〝首攫い〟って呼ばれてるみたいじゃあないか」
「へえ…まあ、こんな時代だし彼だってやりたくってやってる訳じゃないと思うけどね…」
「アタシはな、山猫じゃなくってその〝首攫い〟とサシで戦ってみたいのさ」
「あっ…そうなの?請負人、山猫だったらさ、さっき向こうで見たぜ?これから木に引っ掛かった風船を取るってんで子供の為に一肌脱ぐそうだ。俺も今度、依頼を出そうかと…」
話を茶化すだけの山猫を前にして、彼女の刃物の様な鋭い眼が標的を完全に捉えた。
殺し専門の請負人が、得物を引き抜く様にその本質を露わにし、豹変する―
「…ッ!」
寸分の狂いの無い斬撃と、剣圧が山猫に向けて振り下ろされた。
「へっ、へへへのへ…物騒じゃないの。俺の肩に虫でも止まってたかい?」
「噂通りの軽口叩いてとぼけるなよ…テメエだろ?」
「…バレたか。名演技だと思ったんだけど…ちと過剰だったかな?」
「さして取り乱さない…って所を見ると噂も馬鹿にはならないね。及第点をくれてやるよ」
「顔にゃ出ない分、手汗でぐっしょりなんだけど…見る?結構べたつくけど…握手してく?」
山猫の何時もの軽口。そんな彼のペースを無視して彼女は続ける。
「アタシは殺し専門の請負人、ワンホイールだ。白服の教団からの依頼を請けて…だなんての。違うな。これはただの言葉だ。アタシはね、単純に本気のお前と一度ヤってみてえのさ」
「…何でもするから見逃して、とか、そういうの、駄目?」
請負人殺し、ワンホイールに反して、らしくもない弱々しい声を上げて懇願する山猫。
「そうだな―じゃあアタシと戦え。勝ったら見逃してやる」
「あー…どこぞの鉄屑みてえにアンタも人の話をまるで聞かねえタイプかよ」
「話ってのは互いに旨味があって初めて通るんだ。お前が躱す為だけにバラ撒いた言葉でアタシを説得出来る訳ないだろう?」
「そうさなァ…誰しもいいトシこいたら人の言う事だなんてそうそう聞かねえものな…」
「ただな、今日の所は気分じゃねえ―テメエをズル剥けにして、本気を引き摺り出すにはそれ相応の準備が要る。それまで命は預けておいてやるよ。最後の煮込み触手蕎麦、せいぜいじっくりと味わうが良いさ―」
彼女は手放しには美味しいとは言えない煮込み触手蕎麦をするりと平らげて店を出た。
山猫は未だ湯気の上がる、グツグツと煮えたぎったソレを静かに見つめていた。
そして、ちょっと怖くなってしまって腕に持って行く筈だった手土産の事を忘れた。

………

ふたたび、マーケットの路地裏。
其処には人工進化促進研究機関の産み落とした生体兵器が二人。
「全く、お互いたまたま近くに居たから良かったものの…気を付けなさい。旋毛、これは貴方の父親の手掛かりが詰まった大事な物でしょう?」
「う~…本当にごめんなさい!でも腕お姉ちゃん、このお話、こうして顔を合わせてからもう三回目だよう…」
「あら、まだ、〝三回〟しか言ってなかったかしら?私も大分、丸くなったものね―」
(何処が…?)
狙ってやっているのか、それともただの天然なのか判断に困った旋毛は首を傾げる。
「…でも、お姉ちゃんが頭に直接言葉を飛ばしてくれたから助かったよ!持つべきものは同じ規格のナンバーが振られた姉妹だね!」
「何を言っているのよ。私だってこうして何時も助けられる訳では無いのだから、自分の事は自分で何とかしなさい」
腕の口調は変わらずに棘々としていたが、その表情は何処かに優しさを帯びたものだった。
「やっぱり、あのお兄さん嘘吐きだったんだね。代わりに貰ったこのメモリー、私は興味無いからお姉ちゃんにあげるねっ!」

………

「…という事で、私の妹から一つメモリーを預かって来たのよ。山猫、帰ってきたばかりで悪いのだけれど、貴方の持ってる読み取り装置を貸して頂戴」
「げえっ…これ、第三世代の電子記憶媒体じゃねーか。俺の手持ちじゃあ対応出来ねえよ。熊の所でなら読み取れるかもな」
腕から受けた第三世代の記憶媒体を手に取って眺めていると…
今日、熊と交わしたやり取り、集めた情報が山猫の脳裏をよぎった。
「…そういえば、巷を騒がせているメモリーの型も第三世代だって話、聞いたな」
「そうね。旋毛に渡した物もそうだったから、途中で擦り替わって大変だったのよ」
「黒塗りで」
「これ、黒いわね」
「恥ずかしい文章が書いてあるって…」
「あら、気が付かなかったけど…小さい、文字が幾つか刻印されているわ」
腕が旋毛から受け取った電子記憶媒体の外側には細かく刻まれた文字が確かに在った。
この辺り一帯で誰もが躍起になって探し求める謳い文句―
〝ソレハ人々ヲ漏レナク堕落サセル―〟と
「ッ…これじゃねぇかよォッ!」


To be continued …
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