GROUND ZERO

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Act.8 人間崩れの詩

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「依頼の報酬よ。これを受け取って早々に立ち去って貰えるかしらねえ?」
依頼主がわざと彼女の足元に向けて報酬を放り投げる。
袋の口からは中身が溢れ、床下に散らばる。
「……」
向かい合って立つのは一人の女。殺し専門の請負人ワンホイール。
「あらあら、嫌だわ。下層を這って回る請負人の癖に立派に不満そうな顔をするのねえ。こんな所に人間崩れが居ると言うだけでも噂が立つのよ?こうして約束通りに報酬を渡しているのだから礼を言う必要なんて無いでしょう?」
決して珍しい事でも無い。日常茶飯事の朝飯前で良くある事。いちいち数えるのも億劫だ。
こんなご時世に良識と教養を抱えたままの連中は、アタシ達の様な肉体の一部を出土品で補っている連中を総じて〝人間崩れ〟と呼び、蔑む。
器用にも尻と口から糞を垂らし散らかすこの婆はその典型だ。
暇を見つけては「良い?貴方達はああいう無法な人間崩れになってはいけませんよ!」
と、近くの子供達に説いて廻っているのだろう。
話は少し飛んで行っちまったが、良くある事だから何度もあった事だからと言って、このアタシが目の前に居る奴の態度と言葉を見過ごす訳じゃない。
決して、許す訳じゃあない―
「どうしたの早…」
依頼主が言葉を重ねようとした瞬間、ワンホイールは目にも止まらぬ速度で大剣を引き抜いた。超スピードで走り抜け、女に寸前の所で届かない様に調整された斬撃。
「…ッ!」
驚きのあまり、引っ込んでしまった依頼主の言葉に代わり、彼女が閉ざしていた口を開く。
「ババア、約束をきっちり守って依頼をこなす奴と、礼すらもロクに言えねえ様な奴。一体どちらが〝人間崩れ〟だい―?」

………

区画と区画の隙間を縫う様に存在し、数多の露店が立ち並ぶ騒々しいマーケットの中には、請負人達が集う場所があった。
ソレは決して表向きに示されている訳では無いのだが、各々が暗黙のルールとして把握し、各地に点在していた。
抱えていた依頼を終えたワンホイールは、新たな仕事を引き請ける為に其処を訪れていた。
「食っていくだけなら何時もの調子で事足りるが、小細工の対策もしておかねえとな…」
小細工。以前に請負人、山猫から受けた電波妨害に対し、成す術を持たなかった無様な戦いを思い出して彼女は苛立ち、唇を噛み締める。
馴染みの技師に頼み、少しでも自身の弱点を叩き潰しておかなければと考えていた。
「ありゃ…?数日前に見た顔だ。また来たんですかい?この頃、凄いペースで仕事回しますね」
「依頼人と仲良くやるのがコツさ。きちんと腹を割って話してるからよ」
「はっ…はは、そういう言い回しが冗談にならねえ所がおっかねえですねえ…」
「性格上、まだるっこしいのは趣味じゃあないんでね。何時もの、あるかい―?」
「…ああ。姐さん好みの依頼書がそこに何枚か張り出されてるでしょう?」
「勘違いすんな。アタシが好きなのは〝殺し〟じゃねえ〝戦い〟なんだ。最近どうも中折れする様な萎える相手ばかりでよ…」
そう言って彼女はボードに磔になっている数枚の人相書きに手を伸ばす。
申し訳程度に描かれた似顔絵のタッチは不安定で宛てになる情報かどうかも疑わしい。
しかし、顔の出来不出来よりかは相手の罪状の方が余程気になった。
「一枚目のこいつは雑魚」
窃盗犯。全くやる気が出て来やしない。ぐしゃりと丸めて即座に投げ捨てる。
「ちょっ…!姐さん?それ他の請負人も見るやつなんでそういう真似は…!」
受付の男がワンホイールに言葉を向けるが、彼女は聞く耳を切らしている様だった。
「二枚目のこれも雑魚」
「だから…姐さん!勘弁して下さいよおッ!」
痴漢。自前のナニをヘシ折られて手前ェの尻の穴にブチ込まれろ。
ヤられっ放しの女ばかりでは無いという事を調教してやっても良いが…丸めて棄てる。
「…最後のが食い逃げの常習って、勘弁してくれ。これじゃ雑魚のごった煮じゃないか!」
「姐さん、短気はいけない。それ、一枚重なってる。大口の殺しの依頼が一件あるでしょ?」
「…ひと仕事した後に少ない頭を使いたかないんだよ。どれどれ」
一瞬だけばつの悪い表情を見せたワンホイールは、慌てて隠れていた依頼書を手に取る。
「…糞長え」
(…言うと思った)
「何だよコイツ、文章長えよッ!構ってちゃんかよ!こういう手合いに対して、アタシは構ってあげないちゃんだよッ!」
難解な文章を目の当たりにしたワンホイールは、火炎でも吐き出す様な勢いで激昂する。
「あー…姐さん。読めないのを怒って誤魔化していく、そういう生き方はやめよう?ね?」
堅苦しい言葉の羅列に放り込まれて窒息しそうになったので、自分に代わって目の前の野郎に読んで貰う事にした。
男の口から流れる、要領良く噛み砕かれたその話を聞くに、詳しい内容は一切明かせないのだが、屈強な連中を数名程殺して欲しいとの依頼内容。
そして、最後の一文にはある条件が提示されていた。
この依頼、人間崩れの請負人にのみ限る、と―
「どうする?あまり表に出せないキナ臭い依頼だけども、報酬自体は悪かあない…」
「そういう臭い程嗅ぎたくなるってモンさ…それに、雑魚のごった煮よりか楽しめそうだ」
研ぎ磨まされた刃物の様な目をギラつかせながら、彼女は笑った。

………

依頼書に記載されていた日取りは今日だ。
まだ時間には余裕があったので、ひと仕事やる前に腹にモノを詰めていく事にした。
注文したのは変異生物の腿肉の煉獄漬けと、煮込み触手蕎麦。そして彼女が仕留めたモノを持ち込み、調理して貰ったサンド・グローブ(砂の海に生息する蟹)の蒸し焼き。
たったの三品なのだが、サンド・グローブ一杯でテーブルの殆どは埋め尽くされていた。
レディースサイズを設ける際に彼女を基準にしてはいけないという事が容易に見て取れる。
数種類の香辛料の中に落とし込んで作る煉獄漬けを合間合間に齧りながら、蒸し焼きと煮込み触手蕎麦を片付けていく。
触手蕎麦の主な原材料だが、変異生物の頭髪部分にあたるものを使用している。
時間を掛けて煮込んでも独特の臭みとエグみがどうしても残る為に、食い手を選んだ。
見てくれは何処でもそう変わり映えしないが、実は区画によって結構味付けに特色がある。
彼女はアクの強い煮汁をツユだくでやるのが好みだが、此処、第三区画の味付けは大分マイルドだった。物足りなさを感じたが、何とか大衆受けしようと努力した結果なのだろう。
煮込み触手蕎麦業界の人間達は「こんな食材だからこそ、一人でも多くの人に食べて貰おう」という信念を掲げ、日々研鑽を重ねているのだ。
(まあ、間違ってもこれが子供ウケする日は来ないだろうけどな…)
なんて事を考えている内に食事は済んでしまったので、現場に向かう事にした。
(屈強な連中を数名程殺して欲しい、か―)
良い響きだ。耳障りが良いというのは正にこういう事を言うのだろう。
戦いを求めて彼女の心は躍り、その足取りは自然と早くなっていく。
気付くと指定された建物まで辿り着いていた。厳かな金属製のドアが入口を閉ざしている。
ワンホイールが義手に力を篭めて、目の前の扉にその拳を叩き付けた。
依頼書に記載されていた通りの手順だ。もっともそこにはノックと書いてあったのだが。
音を立ててゆっくりと扉が開く。その隙間から、堅気には見えない背の曲り切った男が覗く。
「馬鹿。でけえ音立てんな馬鹿。ノックって書いたろうが馬鹿」
男は小声と早口を和えた精度の悪い言葉をワンホイールへと向ける。
(…ノックアウトするつもりで打ったんだが、間違えたか?)
「成程な。お前は人間崩れだな。依頼書を見て来たんだな?」
「ああ、そうさ。大口の殺しの依頼だと聞いてね―」
「ケハハッ、そうだそうだ。確かにそうだ。これは大口の殺しの依頼だ。中へ入れ」
男は一度辺りを見回してから扉を大きく開けて、身振り手振りで建物の中へと案内する。
「なあ、この建物は一体何なんだい?」
男の後ろにつき、階段を下りながらワンホイールが問いを投げ掛ける。
「ケヘヘッ、此処はな、表向きには出土品の収蔵庫という事になっているが、陽の光が差す時に開けた事等、ただの一度も無いんだな」
「…駄目だろ?たまには窓開けたりしてやらないとせっかくの出土品が傷んじまうぜ?」
「お前馬鹿だろ?さては良く馬鹿って言われる馬鹿だろ?」
「出会い頭に三回言われたのは覚えてるぜ?今ので、ええっと…幾つだ?」
男は深く、ひどく深く、深淵に沈んでいく様な溜め息を吐いた。
確かに時代が人を作るとはいえ、目の前のこの女はあんまりにもあんまり過ぎると。
「…まあいい。この扉を開けば此処がどういう所か分かる。此処はな―」
「ったく、いちいち勿体付けやがって―」
男の口上を振り切って、ワンホイールは目の前の扉に手を掛ける。
「おい、ちょっと待てよ!俺がさ、こうしてまだ話してんだよ…?お願いだから俺の話、最後まで聞いてよっ!」

………

巨大な扉を開けた途端に迫って来たのは、閉じ込められていた歓声と異様な熱気。
真っ先に目に入るのは中央に敷かれたリング。白く、四角い墓場の所々には赤と黒を混ぜ込んだ飛礫つぶてが点々とこびり付いている。
そしてそれを取り囲む様に設けられた観客席は第三区画の住民で埋め尽くされていた。
連中の間では、層を問わずにある娯楽が流行していた。
それは、夜な夜なこの地下闘技場で行われている賭け試合。
「見ない顔だな?こちらから入って来たという事は選手の登録を済ませたのだな?」
「…あ?」
「あ?じゃないだろう。扉を開けたという事は裏口の男と話を着けたのだろう?」
「あっ…まあ、ね―」
辺りをざかっと見回すと、頭の中で引っ掛かっていた依頼の内容に合点がいった。
誰が企画したのかは知らないが、所々に吊り下げられている〝人知を超えた夜を貴方に―〟という宣伝文句が癪に触る。これでは完全に見世物扱いだ。
複雑な心境。首攫いと引き分けたあの日から、ロクな相手に恵まれずアタシは戦いに飢えていた。確かに大口の殺しを望んではいたのだが、今直ぐにでも戦いたい気持ちが半分。早々に切り上げて帰りたい気持ちも半分。
「ったく、選手が直ぐに足りなくなっちまうぜ…オイ、次の試合はそこのお前だ!」
荒々しい声の指名を受け、何とも言えない気持ちのまま流される様にワンホイールはリングに上がった。
「ああん…?なんだよ、なんだよ?既に三連勝もしたこの俺様の次の相手が女だあ…?」
先客の男、大柄の人間崩れがワンホイールに向けて文句を垂れる。
「女らしさは捨てて来たつもりだが、アンタにはアタシがそう見えるのか―どうもを付けてありがとうよ」
「ゲヘヘ…そう謙遜するなって…なあ、後でこの俺様と一晩付き合うってんなら、命までは取らねえでおいてやるぜえ…?」
「……」
男の下半身からこし出された様な下衆な言葉を彼女は無視する。
ワンホイールは目を閉じて、試合開始の合図だけを静かに待つ。
「チッ、スカしやがって…開幕三秒で決めてやるぜ!」
男は金属製の義手で、生身の身体ではとても保持出来ない様な巨大な鉈を構える。
しかし、ワンホイールは腕を組んだ姿勢のまま動く気配を見せない。
「このアマ、俺を舐め腐ってやがるなッ…!」
「それでは、試合開始ィーーッ!」
わざとらしい実況の声を皮切りにして、戦いのゴングが鳴った。
その瞬間、ワンホイールがその目を見開き身の丈を超える大剣を全力で振るった。
「なっ…!」
男も握り締めた得物を向けていたのだが、自身へと向かう剣圧に押され、出遅れる形―
そもそも振り下ろされる剣撃の速度が男と彼女との間で雲泥の差があった。
彼女の義手から繰り出された殺しが男の身体を一瞬で駆け抜けて行く。
「試合終了ォーーーッ!」
「屈強ねえ…三流のコメディアンが良い所じゃないか。磯臭え台詞なら地獄で詠みやがれ」
約束通り、ものの三秒で決着が着いてしまった。沈んでいったのは持ち掛けた男の方だが。
リングの上に転がるのは下卑た男を象っていた上と下だった肉塊。
元々下半身だけが生きていた様な男だ。無用の上半身が綺麗に切り離された事で完成したのかもしれない。これで、良かったのかもしれない。
観客席からは彼女を称える盛大な歓声が上がる。
しかし、彼女の心には何も響かない。こんな戦いでは何も満たされない。
相手が同じ人間崩れとて、ワンホイールは決して同情や容赦をする事は無い。
彼女の分類は健常者と人間崩れという括りでは無いからだ。
そのカテゴライズは至ってシンプルな形をしていた。自分か他人かだ。

………

地下闘技場における賭け試合は勝ち抜き戦というルールを採っていた為、ワンホイールがリングから下りる様な事は一度も無かった。
特に苦戦を強いられる事も無く勝ち続けていたからだ。
彼女と戦った相手は一人も漏れる事無く、一瞬で斬り飛ばされていった。
初めの内は上がった歓声も、その流れが何度も続くと会場には不穏な空気が漂い始めた。それがブーイングへと変わっていくのにあまり時間はかからなかった。
観客達はこの一夜を忘れられない様なドラマティックな試合を見せろと所望したが、ワンホイールは自身が見世物にならない様に敢えてつまらない試合を作業的に繰り返し、一瞬で片付けた。それは、彼女なりの抵抗だった。
遂に九連勝を達成したワンホイールの前に十人目の挑戦者がその姿を現す。
全身が漆黒のローブで覆われており、その僅かな隙間を縫って男の声が漏れる。
「殺しを専門稼業としている請負人、ワンホイールだな。一度手合わせしたいと思っていた」
「そいつは光栄だが、アンタは何処に転がっていた馬の骨だい?」
「私もお前と同じさ。ただ請け負い、ただ殺すだけ。そして、そんな者に改めて名前というものが必要か?」
「…成程。中々話せそうだ。下にやるのが惜しいよ」
そう言ってワンホイールは男に向けて、握り締めた大剣を突き出す。
「私もだ。上に送るのは勿体無いが、こうして出会ってしまったからには仕方が無い」
彼女に合わせる様に男も構えた。手に握られている得物は一本の短剣。
ワンホイールが振り回して来た大剣と比べると大分頼り無く見える。
「それでは、試合開始ィーーーッ!」
張り上げた喧しい声と共にゴングが鳴り、人間崩れ同士の殺し合いの幕が上がった。
試合開始早々にワンホイールから仕掛ける形―
これまでの試合は全てこうする事で終わらせて来た。
義手から繰り出される圧倒的なスピードとパワーを秘めた一撃が、男に襲い掛かる。
「…何ッ?」
相手の剣筋を予測し、身を躱すのは分かる。
しかし、男は振り下ろされた大剣を視覚で追って捉え、避ける事をやってみせた。
ワンホイールは己が放つ剣撃に絶対の自信を持っていた。
そしてそれ故に大きな違和感が残る。
「どうした?私の運が良かっただけかもしれんぞ?何発か打てば当たるかもしれんぞ?」
男の表情は見えなかったが、そのローブの下は間違い無く嘲笑っている。そんな言動。
「…野郎、舐めやがってッ!」
ワンホイールが振り払う様に二撃目を放つ。
しかし、今度は男の姿が目の前から完全に消え去ってしまっていた。
「ふむ、どうやら運では無く単純な実力差の様だな―」
男の声が聞こえた。それも、背後からだ。
ワンホイールが声のする方に振り向くと、男は腕を組みリングのコーナーに直立している。
はだけたローブから露出するのは彼の両足。スラリと伸びた金色の義足が輝きを放つ。
「君は腕だけの様だが、私は目と足だ―皮肉なものだな。我々人間崩れ同士の戦いというものは、より多く欠けていた方が有利となる」
全てを捉える目と圧倒的な機動力を持ち合わせた相手が立ち塞がる。
ワンホイールは休む事無く斬撃を繰り返すのだが当然、それらが当たる事は無い。
彼女の疲弊は徐々に降り積もっていき、その動きには次第にキレが無くなり始めていた。
これが彼の定石だった。勢いの弱まったワンホイールの斬撃を躱しつつ攻撃に移る。
「…ッ!」
狙ったのは彼女の右足首。投擲を見事にこなし、男の短剣がブーツを貫通して突き刺さる。それでもワンホイールは剣を振る事を止めはしない。
足掻く様に繰り出された斬撃を体捌きで無下にして、男はもう一本の短剣を取り出し左足に向けて投げつける。こちらの狙いも先程同様に足首だ。
「がッ…野郎ォ!」
「今、突き刺した短剣には毒が塗り込んである。即効性のあるものでな、獰猛な肉食獣の様な貴様でも直ぐに大人しくなる―」
「何、だと…?」
気持ちでは強がっているものの、身体は逆らえずワンホイールはその場にしゃがみ込む形。
「薬が効いてきた様だな。最期は私の機動性を最大限に活かした一撃で葬ってやろう」
懐から二本の短剣を取り出して、交差させる。確実にトドメを刺す為に男はワンホイールに向かって弾丸の様に突っ込んで行く。
認識されない高速の世界を駆ける中で、自分だけがその目を使って相手の絶望した表情をゆっくりと拝める。
そんな愉悦を戦いの中で感じる事が、この男のささやかな楽しみだった。
さて、目の前のこの女。噂の請負人殺しは死に際にどんな表情を見せてくれるのか。
「…ッ!」
しかし、彼の視覚フィルターに映ったのは想像の斜めを上を行く光景。
立ち上がって大剣を構え、口角を上げて笑う女の表情―
(…なっ、馬鹿な?そんな馬鹿なッ!私の毒を受けて、まともに動ける訳が無いッ…!)
「悪いな…両足ここの初めては別の奴にやっちまったよッ!」
人間崩れである彼女の左足は足首までが義足だ。彼女の右足は脛までが義足だ。
毒を塗り込んだ彼の短剣は、確かに革製のブーツを貫き通した。
しかし、ワンホイールの金属製の義足までを侵す事は出来なかったのだ。
それに今更気付いた所で、全力で前に出た自分の身体はもう引き下がれない―
こうなると男の持っていた優位は完全に裏返る。良く見えているからこそ、感じる恐怖。
彼の視界には、自分にゆっくりと襲い掛かる彼女の大剣が映し出される。
「…ぐげェッ!!」
請負人の男は、頭から綺麗にブッ断斬られてリングの上に飛散した。
肉体が屠られ、崩れ落ちて行く過程の中で、冷たく響く金属音が人間崩れ達の断末魔である。
しかし、この場にはその詩を汲み取る者等一人も存在しない―
「居られなくなった奴から死んで行く―事情なら、逝き先の同類に聞いて貰いな」
面倒事を洗い流す様に、試合の終了を告げる喧しい声。
そして、それを追いかける様に虚しさを帯びた歓声が上がった。

………

地下闘技場にて仕組まれた全てのプログラムは、ワンホイールが対戦相手を根こそぎ殺し切る事によってその幕を閉じた。
イベントの主催者から直々に賞金を受け取った彼女は直ぐ様、会場を後にしようとした。
その時、一人の子供がワンホイールに向かって無邪気に声を掛けた。
「ねえねえ、お姉ちゃんってすごいね!にんげんくずれなのに、すごいつよいんだね!」
「……」

子供の無邪気さから溢れ出た言葉だ。しかし、その言葉は彼女の心中を確かに抉った。
人間崩れなのに―?
こんな小さな子供に、誰が植え付けた認識だ。
アタシは、こんなナリだが自身の事を何不自由なく生きていると思っている。
それなのに、健常者は人間崩れの事を蔑む時も慈しむ時も、何処かで見下している。
「……」
その言葉に、目の前の子供にどう返したらいいのか、ワンホイールには分からなかった。
それより何より、こんな場所に子供が居たというその事実が許せなかった。
「ああっ、こらっ!すいません―あれ、どうかしました?もしかして…その、うちの子が何か気に障る様な事しちゃいましたか…?」
「…か?」
「え?ちょ、ちょっとッ…!」
彼女はその時、義手では無く、生身の左腕で駆け寄って来た親の胸倉を掴み上げていた。
「馬鹿様か、手前ェはッ!子供に…子供には、こんな物を見せるな―馬鹿、やめろよ」
「…はっ…はひ」
普段発している攻撃的な声色とは正反対の、何処か頼み込む様な声で彼女はそう告げて、男を放した。
その光景を目の当たりにした連中は、直接言葉を向ける訳でも無しに声を立てた。
「いきなり掴み掛かるだなんて―」
「怖いわ。やっぱり私達とは違う生き物なのね…」
「いやだねえ、人間崩れってヤツはこういう所で見世物になるぐらいが丁度良いんだな―」
ワンホイールは良く聞き慣れた大人達の蔑みには耳を貸さずにその場を立ち去った。
しかし、この世界の在り様、決して覆す事の出来ない共通の認識を示す子供の言葉。
「にんげんくずれなのに、すごい、つよいんだね!」
それは、彼女の頭の中で何度も、何度も繰り返された―
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