GROUND ZERO

K

文字の大きさ
上 下
10 / 13

Act.9 彼が止む時

しおりを挟む
今、こうしてシェフの目の前に立っているのは人身売買の元締めだ。
標的であるその男を説き伏せながら、彼がゆっくりと迫って行く―
「条件反射で仕込んだ一芸に対応力を求めた貴様のミスだな。さあ、市場に流す予定だった子供達を解放して貰おうか」
「請負人、どうやってこの場所を突き止めた?」
細身の男が一歩、また一歩と近寄って来るシェフに向けて問いを投げる。
「貴様の仲間を押さえつけて出来たコップに、貴様の仲間を絞って出来た赤ワインを注いだのさ。元々金で繋げている連中だ。仲良くなるのはそう難しくは無かったさ」
「成程。どうやら私の読みが大分浅かった様だ。用心棒にはあんな有象無象共では無く、君を雇うべきだったのかもしれないな」
追い詰められた男は傍にあったコンテナの扉を勢い良く蹴り上げる。
その中には首輪を付けた無数の子供達が何人も敷き詰められ、犇めいていた。
「悪趣味な事だ…」
「誤解するなよ?ごっこ遊びとか趣味だとか性癖でやっているんじゃあない―」
「貴様…!」
「一人につき一つだ。サービスして多目に入れてしまった事もあるかも知れないが、首輪には丁寧に爆弾を仕込んである」
その言葉を受けて攻めあぐねるシェフを見て、男は勝ち誇った様な表情を浮かべる。
「クククッ…全く、子供というのは未来があって良いモノだな。この様に幾らでも使い様がある。私にとっては商材であり、人質だ」
気圧されている様に見せて、シェフは水面下で周辺のスキャンを行っていた。
これは、生身の肉体を完全に捨て去って手に入れた彼の機能の一つ。
視覚フィルターには無数の情報が次々と表示される。
その中から、この状況を打開するアイディアに繋がるものは無いかと模索する。
突如、羅列された細かい情報を押し退けて、一際目立つ赤い文字が映った。
表示が指しているもの、それはコンテナの中に居る一人の子供のようだった。
「私は男だからな。腹を痛めた事は無いので起爆させた所で大して心も傷まないが、シェフ、君の場合はどうだ?目の前で子供達を死なせたくなけれごぼァッ…!」
全てを言い切る前に、目にも止まらぬ速さで駆け抜けた鉄塊が男の顔に押し付けられた。
先程までに男の顔をやっていた肉はひどく形を変え、血袋は決壊を引き起こして赤と黒とを床下へと撒き散らした。
その時、彼の身体はこれまでの自分を乗り越える様な速度で稼動していた。
ガギンッ、ガギンッ―
鉄と鉄とが激しく打ち付け合う駆動音を鳴らしながら、シェフは一人の子供に迫った―

………

区画一つをほじくり返せば、無法者達で溢れ返る様なこのご時世なのだが、申し訳程度に治安を維持しようとする機構も存在する。
子供を攫い、マーケットで売り捌いていた犯罪集団を追跡していた二人の調査員。
彼らを前にして、何とも居心地の悪そうな表情を浮かべる男が一人。請負人、山猫だ。
男同士で狭っ苦しい事務所の中で顔を突き合わせ、机を挟む様にしてソファに腰掛ける形。
「と、言うワケだ。話の全容は理解出来たか?」
「あ~…悪い、今ちょうど鼓膜が破れてて聞こえなかった」
男の口から出た話の信憑性の無さから山猫はわざとふざけた態度を取ってみせる。
「そうか…じゃあ、何度でも言ってやろう。請負人シェフが我々の依頼を放棄して現場から姿を消しちまったんだよっ!」
聞く耳を切らしている山猫に言い聞かせる様に調査員の男は声を荒げる。
「あのねェ…アンタ達、何か嫌な事でも言ったんじゃねえの?あいつが昔好きだった女の子の名前を近所に吹いて廻ったりとかさ」
「…誰がそんな事するかッ!事件が我々だけでは解決出来ない所まで行ってしまったんだ。致し方無く強行突入させる人員が必要だという事で彼に依頼をしたんだッ!」
「あのなァ…現場を放棄するとかそういうのね、俺だったら良くやる事だから分かるんだけどさ、よりによってあのシェフがする訳無いでしょうが。俺が保証しちゃうよ?ん?」
「しかし…」
「しかしもカカシもあるかよ。こんな狭い事務所に呼びつけられて、茶も出ねえのに与太話を延々と聞かされるなんて、これが依頼じゃなくってホッとしてる所だよ」
「与太話…?」
「そうだよ。アンタの創作活動、まだ続くの?」
「おい、請負人!我々は確かな事実を話しているんだぞ!それにな―」
与太話。その言葉が調査員である彼のプライドに障ったのか、男は声を更に張り上げる。
そして、その口からは衝撃の事実が溢れる。
「請負人シェフはな、あの野郎はな、人身売買のグループに囚われていた子供を一人、その手で殺しているんだぞッ!」
「…何だと?」
その言葉を受けて、散々茶化していた山猫は軽口を噤み、ようやく真面目な態度になった。
「これは確かな事です。何度か会話を交わした後で、彼は子供を一人、その手で握り潰しています。傍に居た子供達から得た証言です。こちらの記録をご覧になられますか?」
山猫は目の前の男から資料を奪い取って、目を通す。
男の言葉通りの事実が記載されていたが、山猫はその資料を机に叩き付けて言葉を放つ。
「…ンな馬鹿な?あいつが、シェフがそんな事するワケ無えだろッ!」
しかし、向かい合って座っている二人の調査員の表情は本気だ。
彼らが冗談を言って自分を謀ろうとしている様にはとても見えない―
調査員の男は淡々とした口調で続ける。
「厳格なる請負人シェフ…危険なメモリーが出土すれば真っ先に破壊し、秩序を守って来た存在…私が考えるに、彼は何らかの動作不良によって暴走を起こしている状態だと思います」
「……」
「そして、ソレを止められるのは黒塗りの長剣を持った貴方だけです」

………

世界崩壊後に建造された、何の変哲も無い三階建ての石造りの住居。
あの子供から聞き出した情報通りの外観。
視覚フィルターを通して、シェフは建物全体をくまなくスキャンしていく。
はじめの数秒は建物を構成する材質等の情報が次々と表示されていたが、次第にあの子供と同じ反応が三つほど検出された。
ある一画のスペースを指して、視覚には標的ターゲットと記された赤文字が映し出される。
シェフは騒々しい駆動音を鳴らしながら建物の中へ入ろうとした。
「…待ちな」
その時、聞き覚えのある声が彼を引き止めた。
「貴様か…」
建物の入口の陰から一人の男がその姿を現す。
「最期に、俺の前を通って行きなよ」
彼の代名詞である黒塗りの長剣を構えた請負人、山猫がシェフの前に立ち塞がる。
「何があったのかは知らねえが、随分とらしくない事をやったみたいじゃねえか」
調査員の話を未だに信用出来ない山猫が、事の真相を引き擦り出そうと話を切り出す。
「そう見えるか?」
「ああ。アンタは俺にとって面倒臭い野郎だったが、依頼は決して放り出さねえし、危険なブツが出土すれば真っ先に葬り去る。そんな秩序を守る通り名通りの堅物だと思ってたんだが…勘違いだったか?」
「…そうか。貴様の目には俺がその様に映っていたのか。突然出土した過去の遺物共に俺の目的を譲る訳にはいかん。ただ、それだけの事だ」
「…どういう意味だ?」
本筋をはぐらかしたシェフの返答に、山猫は戸惑う。
「首攫い。お前の目には俺のこの身体はどう見える?」
ざらつきを残したまま、シェフが自分の輪郭を山猫に尋ねる。
「…そうさな、アンタがこれまで身の上話をした事なんてそうは無かった。だからな、ただ、何となくなんだが…それは何かを隠す鎧なのかと、俺は感じていた」
「…そうか。俺はな、この鎧の様な身体に収まって、初めて自分を晒け出せたんだ」
「じゃあ…アンタは決して暴走している訳でも無く、子供に手を掛けたのもアンタの本性だって言うのかッ!」
山猫が声を荒げる。その言葉の中には、調査員の記録に残されていた事実を否定したいという彼の感情が籠められていた。
「そうだ。あの子を殺したのも俺の目的の内の一つだ―」
それに対するシェフの回答は山猫の期待を裏切るものだった。
彼は決して狂ってなどいない、彼の意識は正常に動作している。
「少し、昔話をしてやろう」

………

請けた依頼をレシピ通りにこなす事。そして標的に対する徹底的な処置。
その二つの要素から、俺には厳格なる請負人、シェフという通り名が付いた。
しかし、俺がこの身体に収まる前の、生身の頃の姿を知る者は誰一人として、この世界には存在しない。それは当然の事だ。至って平凡であるとは言え、自分は崩壊以前の世界に生きていた一人の男だったからだ。本来の年齢は四十代の前半。自分の隣には二つ上の妻が居て、幼い一人娘を抱き抱えるような事もあった。与えられた仕事をこなし、給与を貰う。
さして珍しくもない、あの時代には何処にでも居たしがないサラリーマンをやっていた。
ただ、性格上、要領良く出来た方では無かったので、高給取りという言葉には縁が無かった。しかし、妻のサポートと、娘の笑顔に支えられ、家族三人で仲良く暮らしていた。
そして、その幸せはずっと続くものだと思っていた。
ある日、俺の運命を大きく変える事件が起きた。
街が自動人形による襲撃を受けたのだ。
崩壊以前の世界では、国家間における戦争は自動人形で編成された部隊を派遣するやり方が主流とされていた。
しかし、その時投下された自動人形はたったの一体。
X809型という極秘裏に開発されていたタイプだ。
当時、各国の自動人形の技術競争は凄まじく、国と国との間でお互いを出し抜こうと躍起になって開発に勤しんでいた。
X809型と名付けられた自動人形は、構成している全ての部位が指揮者の感情に感応し、その指示を的確にこなすという画期的なコンセプトから生まれた代物だった。
これは後で調べて分かった事なのだが、その時は試験的に運用され、兵器としての能力の計測、データの採取等を主な目的としていたらしい。
そして、X809型を開発し、投下したのは敵国等では無く、俺の生まれた国…自国の研究者達がやった事だった。
その実験場として俺の街、俺の家庭は選ばれた。
奴は駆動音を鳴らしながら街の住民達に迫り、一途にプログラムを繰り返し続けた。
妻と、娘は突然の驚異に晒され、成す術も無く俺の目の前で肉片に変えられた。
俺はその時、自分の中で考え得る最善の選択をし、必死の抵抗をしたのだが戦いにもならなかった。自動人形X809型は人間が足掻いた所でとても敵う相手では無かったのだ。
奴は最後に残った俺の頭を掴み上げ、次第に力を籠めてそのまま握り潰そうとした。
俺は今にも自分が殺されるというその瞬間、憎んだのだ。
自分の妻と娘を殺した原因を作った連中を深く心の底から憎み、憎み尽くしたのだ。
俺がもし、弱々しい自分を捨て去って生まれ変われるのなら、奴等が俺の妻と娘にした様に同じ目に遭わせてやると、その様に憎んだのだ。
そして、その感情は目の前の自動人形X809型を動かしていた生半可な思念を塗り潰す程に強大なものになっていた。
俺の頭が自動人形に割られたその時、俺の身体は完全に死に絶えた。
そして、先程まで自分が収まっていた肉体は、冷たさを帯びた己の金属の手の中に在った。
「アンタの憎悪が、自動人形の指揮系統を乗っ取ったって事か…?」
「そうだ。あの時、あの瞬間に俺は、この身体に収まったんだ」

………

一つの街に降りかかった災厄。自動人形X809型が引き起こした大量殺戮は、表向きには自然災害として隠蔽され、処理された。
だが俺は、単身で事件の真相を突き止め、自動人形X809型を開発した研究者達を一人残らずこの世から葬り去る為の計画を立てた。
一つの目的を達成するまで、決して立ち止まらない。
幾ら斬りつけようとも再構築し、感情の赴くままに立ち向かう。
自動人形X809型の機能は俺の憎悪を積載したまま、正常に動作を続けていた。
成すべき事を見つけた者の能力と能率の向上にはめざましいものがあると言うが、まさしくその通りだ。
自分はそれが最も反映される器に収まったのだという事を確信した。
自らが生んだ殺戮兵器が想定以上のスペックを叩き出しながら迫ってくる現実に、奴等は青褪め、最期には涙を流して懇願した。
「なっ…何で、どうして私がこんな目に遭うんだ?私には、妻も、子供も居るんだぞ…」
「知っている。敢えて貴様の順番を後回しにして、子供が出来るまで待ったんだからな」
「やっ…やめろーッ!」
俺は元々、根が優しい人間だったので、どうしたら人が苦しむかというやり方を良く知っていた。奴等の作法に則り、奴等の身内は一人残らず殺した。奴等の遺伝子が後世に残らないよう、その血を絶やした。
殺しをやる時は、決してひと思いにはやらず、関節という関節を全て逆向きに曲げてやってから最期には頭を叩き潰した。
俺の復讐は滞る事無く順調に進んで行った。毎日が充実していた。
最後に残った一人は、俺の住む街を実験場に選び、俺の築いた家庭に自動人形を放り込んだ挙句、その事実を隠蔽した一人の政治屋だ。
俺は何時もやるように本人は最後に残して、奴の目の前で身内を先に片付ける事にした。
他人を殺す事には何とも思わない様な男が、いざ自分の事ともなると、途端に人間らしさを取り戻したかの様な表情を浮かべる。それが、ひどく滑稽だった。
「貴様は札ビラを切って血糊を拭いて回ったようだが、どうも俺は頑固な汚れらしくてな」
その男に直接手を掛け、復讐を完遂させようとした―
その時だった。世界崩壊が起きたのだ。
理由も説得力も介在しない一瞬の破壊が世界の全てを洗い流した。
俺にも、何故世界がそうなってしまったのかなんて事は、分からなかった。
意識を取り戻し、降り積もった世界の砕片を自らの手で押し退けて地上に出る頃には、世界の様相は大きく変わってしまっていた。
人間が築き上げた英知や文化、それを脇で固めていた法や良識は瓦礫の海が全て呑み干した。
以前、国境で区切られていた地上は新たに区画整理によって切り分けられ、皆が番号で呼ぶようになっていた。
しかし、それでも、俺の目的は変わりはしなかった。
自身の最後の戦闘記録を遡り、男のDNAデータを視覚フィルターに保持し、こう誓った。
仕留め損なった奴を見つけ次第、殺す。
仮に奴が死に絶えていたとしてもその身内の生き残りを、殺す。
奴がもし、世代を重ねているのならば、その子孫を見つけ出し一人残らず、殺す。
俺は、その様に自らを設定した―
「話は終わりだ。あの子供には、その男の遺伝情報が含まれていた。だから殺した」
シェフが初めから定められていたレールの上を走る様に淡々と続ける。
「身内の居場所を教えれば、お前の命だけは助けてやると言ってこの場所を聞き出した」
「そうか―」
全ての真相を聴き終えた山猫が乾いた目で静かに頷いた。
「首攫い。依頼を請け負って此処まで来たのだろう?俺を止めないのか?」
その言葉を皮切りにして、山猫が無言で長剣を振るい、シェフに斬り掛かる。
「…ッ!」
以前彼と戦った時には、完全に仕留められはしなくとも、分断する事は出来た。
しかし、彼の強固な意志を秘めたその身体は、大概のモノに対して始末をつけてきた黒塗りの長剣すらも弾き返してしまった。
「こんな事をやっても、意味が無え様な気はした。だがッ…!」
二撃目を入れようとした山猫の腹部に、シェフの重い一撃が突き刺さる。
「がはっ…!」
「お前の出る幕じゃない」
拳を引き抜くのと同時に、意識を失った山猫がその場に崩れ落ちる。
「お前の若さは嫌いではなかった。大概の奴は苦さを飲み干すのと共に若さを吐き出してしまうからな。貴様が何処まで飄々としていられるのかを見届けたかったが、残念だ」
目的が定まった彼を止める事は、誰にも出来なかった。
シェフは、この身体に収まったその時から自分の結末を決めていた。
連中の血を完全に根絶やしにした時、その時こそが、彼が止む時―

………

「いっ…嫌…!貴方、助けて!助げっ…!」
家庭という名の平穏を引き裂く、女の悲痛な叫び声が部屋中に響き渡る。
「なッ…何だ、お前は…私の妻に、何をッ…」
「貴様をずっと…ずっと探し求めていた。この俺の顔を、覚えているか…?」
そう言ってシェフは自らの手で張り巡らせた人工皮膚を引き剥がしながら男に迫った。
「知らん!俺はお前の事等、何も知らんッ!」
「そうだったな。貴様はあの時もそうだった…良いだろう、思い出させてやる。貴様が俺の妻と娘にした事を、その身を持って知るがいい…!」
世界崩壊から既に数百年が経過しており、彼が復讐すべき相手等、既に死に絶えている。
しかし、シェフの記憶の中で何度もフラッシュバックするのはあの凄惨な光景。
成す術も無く引き千切られ、血の海に沈んで行った妻と娘の姿が映る。
それは、自動人形の機能によって保持されている電子的な記録等では無い。
彼の感情に刻まれた心の傷が、其処から湧き上る憎悪がX809型の能力を底上げする。
男の身体を腕一本で持ち上げ、その顔を壁に叩き突けてから力任せに引き摺り回す。
「うあッ…あッ、あああッ…!」
男から苦悶の声が上がる度にその勢いを強めていく。
「貴様のやった事が、これぐらいで帳消しになると思うなッ…!」
シェフの手によって放り棄てられた男は喚きながら、必死にその場から逃れようとした。
「あッ…ああッ、だずげッ…だずげでッ…!」
この男もこれまでに始末してきた連中と同じだ。
他人の人生を狂わせてきた奴等が今更どの口で助けてくれ等と宣えるのか。
「前座は終わりだ。だが、楽には殺さん―」
そうだ。決してひと思いには殺らない。誰が、気持ち良く死なせるものか。
ガギンッ、ガギンッ、ガギンッ、ガギンッ―
彼の感情の昂ぶりに、激しい憎悪に感応した駆動音が鳴り響く。
執行の順繰りは足からと決めている。
罪を犯す者達が最も得意とする事、逃げ回る事が出来ない様にと力任せに腱を引き千切る。
鼠蹊部、膝、足首―それらを境にして、男の二本の足が波打つ様にあらぬ方向へと強引に捻じ曲げられていった。
それは、まるで子供が自身に与えられた人形の可動範囲を確かめる為にする所作を生身の人間で実行している様だった。
「ぐげあッ…!」
足を失えば、今度はその二本の腕で醜く藻掻く。
それらを掴み上げて、指を端から一本ずつ始末していく。
一、二、三…関節の一つ一つを漏らす事無く、丁寧に逆に向けてやる。
手先から順に面倒を見て来たので、手の甲を潰したその後は必然的に手首を捻り上げる。
続く前腕部分の処理だが、力強く踏みつける事で完全に破砕する。
決して間違いが無い様に、何度も、何度も徹底した処置を繰り返す。
残った上腕部分を体から引き剥がし、二本の腕を削ぎ落とした上で、最後に残った頭蓋をその拳で容赦無く叩き割る。
これが、シェフが崩壊以前の世界で一途に続けていた処刑の作法だった。
男の死によって、自動人形X809型の開発に携わった者達の血は完全に途絶えた。
シェフは、彼は遂に、その目的を成し遂げた。
ガギンッ、ガギンッ―ガギッ!ギッギギッ… ガギッ―
「これで、全て終わりか…この音も、聞き納めだな―」
感情の昂りに感応し、一定のリズムを刻んでいた彼の駆動音。
目的の喪失と共に、鉄と鉄とが打ち突け合うその音は次第に弱まっていった。
「皆、同じ目に遭わせてやったぞ。父さんな、頼り無かったけど、最後まで走り切ったんだ…だから僕も、胸を張って君達の所に行ってもいいだろう?」
彼を象っていた感情が吐き出された今、金属製の腕と、その足が稼働する事はもう無い。
映像信号が途絶えた視覚フィルターは暗転したまま、何も映し出さない。
ギッ…ギ、ンッ―
そして、幕を下す様に最後の駆動音が鳴った―

………

「…猫、山猫!」
起ち上げたばかりのぼやけた視界に映るのは山猫に依頼した二人の調査員の姿。
「あ…ああ、アンタ達か…駄目だった。あいつを、シェフを止められなかったよ」
「…どうやら、そうだったみたいだな―」
「被害者は全部で三名。初めに彼が殺害した子供の親とその親との事です」
辺りを見渡すと、彼等以外にも何人かの調査員達が現場の処理にと駆け回っていた。
俺が目覚めた頃には、もう事件は収束してしまっていた。
厳格なる請負人、シェフの子殺しから始まったこの一連の騒動は、彼の身体に起こった動作不良、暴走という形で処理される事となった。
彼から直接話を聞いた俺だけが真実を知っていたが、事件に関わっていた当人達が、軒並み死に絶えてしまった今、それが何の役に立つのか。
こうして事が起きて、既に事が済んでしまった以上、何にもなりはしない。
俺は、調査員の二人に頭を下げて、現場を見せて貰う事にした。
山猫の目の前に広がったのは、ひどく凄惨な光景。
分かり易く言うのなら血液で塗り潰された一室だ。
大量に吐き出されていたソレは、床下だけに留まらず、壁のいたる所や天井にもくまなくこびり付いていた。
赤黒い塗料をたっぷりと付けた筆の様にシェフが人間を掴んで引き擦り回したのだろう。
そして、部屋の中央には一つの巨大なオブジェがあった。

もう、あの耳障りな駆動音を鳴らす事は無い。
たった一つの目的を成し遂げて、鳴り止んだ彼が其処に居た。
口元を覆っていたマスクは欠けて、その下にあった歯茎が今では剥き出しになっている。
半ば強引に被せていた人工皮膚の一部は剥がれ落ちており、金属部品、自動人形X809型本来の姿が露出していた。
そして、彼が着込んでいたレザージャケットには大量の返り血が被さっていたが、その表情は笑っていた。
「…確かに、俺の出る幕じゃ無かったよ」
請負人、山猫は彼に向けて静かに言葉を残し、その場を立ち去った。
しおりを挟む

処理中です...