GROUND ZERO

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Act.10 血と肉で綴られた話

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フォルダ名、人工進化促進研究機関生体兵器第四号旋毛型、経過報告書
動画ファイル、実験から二日目の記録

【このファイルを再生しますか?】

読み取り装置のやる形式的な質問に答えると、モニターに映し出されたのは旋毛に良く似た一人の銀髪の少女の姿。
「こうして、何とか声を出せるって事は実験はどうにか成功したみたいだった。私は未だに起き上がれず、ただ、天井ばかりを眺めている…」
ベッドで横になったままの彼女が画面に向かって淡々と喋り続ける。
「あの男が言う様に、主人格を生体兵器の第一号にあたる私、ローラに設定したらしい」
少女がゆっくりとその手を上げる。
赤いラインの入った漆黒の義手がカチャカチャとした独特の音を立てる。
「自分の手を動かしたつもりなのに、ずっと友達だったエヴァの手も、何時も隣に居たアンジェーリカの手も一緒に動いた。そんな感覚…なんだろう、ひどく気持ちが悪くなって、涙も一緒に出てきた」

同フォルダ内
動画ファイル、実験経過から十六日目の記録

【このファイルを再生しますか?】

先程と同じ様に、はいにカーソルを重ねてファイルを閲覧する。
「ザッ…三つだった私達が…ザザッ…して、一つになっ…ザザッ大分、経った…未だに吐き気が…ザッでも、体が重なって動く様な感覚には、慣れ…ザザッ」
いざ、再生してみるとこちらのデータは破損を起こしている様だった。
音声の所々にはノイズが走り、肝心の映像は暗転したまま何も映し出していない。
そして表示されている尺を裏切る様に動画の再生は突然途切れてしまった。
二つめの動画ファイルは最初のものと比べて、不自然なくらいに短かった。
唯一聞き取れたのは、先程の銀髪の少女と思われる声―
「はぁ…何だか薄気味の悪いデータだなぁ。こんなん記憶商に持って行ったら、変な目で見られちまう。ただでさえそうなのによ…」
そう言いながら、電子記憶媒体を読み取り装置から取り外す。
回収業者の男は外に出て、第二区画から出土したメモリーを放り投げる。
傷だらけの記憶は再び瓦礫の海の底へと沈んでいった。

………

腕が眠っていた人工進化促進研究機関の跡地は現在の第四区画である。
そして、旋毛が封印されていた研究施設は現在の第二区画にあたる。
人工進化促進研究機関は生体兵器開発計画の凍結後に失踪した一人の男、プロジェクトのリーダーである旋毛の父親の動向をずっと追っていた。
腕が授けた研究資料にはその情報が含まれていた。
読み取り装置によって解析された資料が指し示した旋毛の次の行き先は、第一区画―
彼女は腕にその事実を報告した上で話を続ける。
「それでね…もしも、何かあった時の為に腕お姉ちゃんにはこのメモリーを預かっておいて欲しいの」
旋毛が掌に納まる程の小さな電子記憶媒体を腕に向かって差し出す。
「預からないからちゃんと帰って来なさい」
しかし、腕はそれを一蹴した。
死なないで必ず戻って来なさいと、彼女の鋭い目がそう告げていた。
腕と別れ、旋毛はこの旅の終着点である第一区画の研究所跡にやって来ていた。
第二区画の研究施設と規模もつくりも酷似していたのもあるが、感覚的に此処がそうなのだと理解出来た。
世界の崩壊によって堆積した砕片を生成した従僕達に任せて、上から順に撤去していく。
「あっ、これ―」
ローラとアンジェーリカが作業にあたってから数十分が経過した所で旋毛から声が漏れる。
入口を覆っていた瓦礫は除去され、施設の内部へと続く道が露わになっていた。
覗き込むと施設の内部を照らす明かりは既に絶えてしまっている様だ。
外からでは、此処から先がどうなっているのか把握する事が出来ない。
「…行こう」
ごくり、と唾を呑んで覚悟を決める彼女を見た二体の従僕は小さく頷く。
旋毛の前をローラが行き、旋毛の傍をアンジェ―リカが固めていく形。
生体兵器、旋毛型の基本コンセプトをなぞる陣形。
これまで、このやり方で上手くやって来た。
目の前に広がるのは暗闇ばかりだが、決して一人じゃない。
その事実が、旋毛の歩を強める。
此処から先、どんな障害が訪れようとも、皆で力を合わせて乗り越えてみせる―
この陣形は、彼女のそんな強い想いを表明している様にも見えた。
「うわっ…?」
突如、旋毛を迎え入れる様に差し込む無数の光。
施設の照明システムは生きていた。機関の生体兵器の侵入に反応し、起動するギミック。
「これ…旋毛が入っていたアレに似ているけど…?」
目の前に在るのは腕型や旋毛型を封印する為に使用されていた装置―
埃を被ったその表面には〝塗〟という文字が一つ、確かに刻まれている。
「何だろう、読めないや…?」
戸惑う旋毛に畳み掛ける様にして装置から甲高い音が発せられる。
「えっ…?ええっ?」
彼女の認知を置き去りにして、次々と展開されていくブラックボックス。
二体の従僕は決して警戒を解かず、その様子を静かに睨め付けている。
開けた棺の中から現われたのは、一人の少女の姿。
ローブを身に纏い、その隙間から覗く四肢には包帯が余す事無く巻き付けられている。
顔も同様だ。バンテージの合間を縫って露出しているのは乾き切った髪と虚ろな瞳。
「磁場の作用による物質の安定化からなる従僕の生成―って事は、旋毛型だね?」
彼女から旋毛に向けて言葉が下りる。強弱のとっ散らかった独特のアクセント。
「…貴方は、一体?」
「ああ…私か?そうか、そうだ、そういえば、お前は知らないのだったね。私はみどろ
「みど…ろ?」
「うん、そう。そうだね、そういう事。近付いて来るお前に呼応して今、こうして、この時、この瞬間に、目覚める事が出来たんだ。私…私?私はもう…私じゃない、私は、お父様の意思を継ぐ人工進化促進研究機関、最後の生体兵器―生体兵器?ああ、うん、塗」
仕様なのか、それとも劣化なのか、近しい音と近しい意味を拾って組まれる彼女の言葉。
塗と名乗った彼女の言語中枢は正常に機能している様には思えなかった。
「…パパは、何処に居るの?」
しかし、彼女は父親に繋がる最後の手掛かり。旋毛は彼女に問いを向ける。
「ああ、お父様―お前もお父様を探しているのだね…そう、私もそう、私も同じ…お父様は直ぐ其処まで来ているよ。でも…でもね、お父様が帰って来ると、私は、出て行かなくっちゃあならないんだ…」
「…何を、言ってるの?」
分からない。塗の紡ぐ言葉は旋毛の理解の範疇を超えてしまっている。
「分からない?分からないか?お父様に作られた生体兵器同士、分かり合えないかな?皆はそうやって私の事馬鹿にするけれど、舐めんなよ…!お父様はね、本当に居るんだよ?私の中に…此処、ほらっ此処、此処にちゃんと居るんだよ…?」
そういって彼女は、左の胸、心臓の場所をこれでもかと言うくらいにしつこく指差す。
「…私は貴方と言葉遊びをしに来たんじゃないんだけど?」
塗の口から出る言葉を真に受けていても、埒が明かないと感じた旋毛は義手に力を篭める。
「はっ、ははっ…あははははははは、自分のチカラを、能力を使うんだね?従僕を行使するんだね?焦らない焦らない。同じ規格のナンバーが振られた姉妹同士仲良くしようよ」
「……!」
これ以上、ふざけた真似をするのなら…と言いたげな旋毛の表情は変わらない。
「ああ、そうか、私には用が無いのか…そう、皆そう…お父様も、みんな…皆、私なんか…」
塗の自身を責める独り言は数分に渡って続いた。そしてそれは突然、ぴたりと止んだ。
「うん!沈んでばかりじゃ駄目だよね!今、チャンネル替えるからちょっと待ってて…」
ガクン、と―電源を落としたかの様に、塗はその場に身を崩した。
一見、悪趣味な冗談の様にも思えたのだが、数十秒か経った今も動く気配はまるで無い。
しかし、良く目を凝らしてみると、塗の指先がほんの少し揺れているのが見えた。
それは、時間の経過と共に次第に大きくなっている様だった。
自身の可動範囲を確かめる様に、塗の身体がくまなく動いている。
「起きた…の?」
現状を理解したのか、塗が身体を起こし、立ち上がる。
先程までの彼女の挙動は些か不規則なものだったが、その正反対を行く様な動きだった。
目覚めた塗が口を開く。発っせられるのは先程と同じ声色だが、抑揚のある落ち着いた口調。
「ふむ…景色を見るに、やはり世界崩壊は避けられなかったか。私は頭が良いからこうして意識を逃がす事によって助かったが、頭の悪い連中はどうやら軒並み死に絶えた様だ」
塗の中に内包されていた、生体兵器開発計画のプロジェクトリーダーの意思。
旋毛の父親である彼は、崩壊後の世界に目覚めるパターンを二通り用意していた。
その一つが、自身の計算によって導き出した年数が経過するまで眠り続けるという事。
そして、もう一つは、機関の生体兵器が接触した際に目覚める様に設定していた。
辺りを見回すと、古びた研究機材を背景にぽつんと立っている銀髪の少女が目に入った。
「お前は、確か…?」
意識の中に引っ掛かってはいるものの、それを捉えて形容する言葉が上手く出て来ない。
「旋毛だよ…?パパ、旋毛の事、覚えているでしょ?」
「…ん?ああ、そう言われてみればそうだったか。忘れようもないが、どうして此処に?」
自分へと駆け寄る銀髪の少女の名前。
自身が手掛けた生体兵器の事をすっかりと失念していた。
しかし、これは長い年月の経過による問題等ではない。
彼の心情は向こうから名乗ってくれて正直、助かったという気持ちでいっぱいだった。
「ねえ!旋毛ね!パパに会う為に、此処まで沢山頑張ったんだよ!ほら、私の能力でこんな風にローラや、アンジェーリカを呼んでさ…」
娘が自分の親に自慢する様に、旋毛は彼の目の前でローラとアンジェーリカを生成する様子を披露してみせた。
しかし、それに対する創造主の反応は、彼女の予想を遥かに裏切るものだった。
「旋毛型、さっきから一体、何を言っているんだ?お前にそんな能力など、有りはしない―」「…え?」
言葉を詰まらせる旋毛に向けて、彼は更に言葉を重ねる。
「私はな、失敗したのだ。生体兵器第四号、旋毛型のコンセプトは私の手に負える代物では無かった。だから私はお前を封印した」
「…嘘、でしょ?」
「本当だ。まともに作用しているのは、物質を固定する磁場を作り出すその義手だけだ」
「嘘だよっ…それじゃあ、それじゃあ、この子達は…?」
彼が発した言葉を受けて、枷が外れた様に三体目の従僕であるエヴァが旋毛の意志とは無関係に突然生成された。
働き屋さんのローラ、世話焼きのアンジェーリカ、横着者のエヴァ、三体の従僕が塗に迫る。
「どうして?皆の制御が効かない…こんな大事な時に、どうしてさっ!」
決して止まらない。旋毛の声など目覚めたあの時から、初めから彼女達に届いてはいない。

………

出資者達から生体兵器の開発を凍結するように言い渡されたあの日。
生体兵器開発計画のリーダーであるその男は、生体兵器一号から三号にある薬物を投与し、意識を奪い、施設から連れ出した。
そして、急ごしらえの研究施設で生体兵器第四号、旋毛型の開発に着手した。
しかし、生体兵器の一号にあたるローラを主人格とした初期構想の実験は失敗に終わった。
実験から約二週間が経過し、身体を自由に動かせる様になったローラに彼は一度、殺されかけたのだ。
そういう事態に陥って、初めて生体兵器一号から三号が自分に殺意を抱いているという事実を認識した彼は、仮想人格による各々の統合を試みることを考えた。
決して刃向かう事の無い様、自分を愛し、自分に執着する様な人格を言語を使って組み立てた。
それが、彼女らが混ざった肉体を統合しているプログラム。仮想人格の正体、旋毛だ。
しかし、旋毛が統合出来たのはあくまでベース体の部分でしかなかったのだ。
従僕として生成されたローラや、アンジェーリカ、エヴァをカバー出来る程の技術を男は持ち合わせておらず、生体兵器旋毛型は制御の効かない失敗作として記憶を初期化され、永遠に封印される事となった。
第二区画にて、旋毛が父親を探しに行くと言ったあの時。
その言葉に静かに頷きながらも、彼女達の内々で交わされたやりとりは、こうだ。
「良い?最後まで絶対に気付かれないように、だよ?」
「そう。その為には私の持てる力全てを接続系統に回す」
「…案内は、あの子に任せよう」
旋毛に横着者と名付けられたエヴァが表舞台に上がらなかった事には理由が在った。
彼女が単一の生体兵器だった頃に授かった、他人の思考を読み取るという能力を常に使用していたからだ。
エヴァが旋毛との間に立って接続系統の役目を担う事で、生体兵器としての旋毛型のコンセプトは擬似的に機能していた。
ただ、今となってはその条件を満たす必要等、もう何処にも無い。
一人の男の欲望に、一人の男の妄執に人生を奪われ、狂わされた彼女達は旋毛と同じ様にシンプルな一つの感情だけで此処まで来たのだ。
殺意と、憎悪とを宿した従僕達の瞳に映るのは最後の生体兵器、塗の姿。
多少、姿形は変わろうが、あの男の意思を内に秘めている…
その事実だけで彼女達には十分だった。
復讐を果たすべき相手にこの拳を叩きつけるだけだ。
「うっ…うわあああっ、やめてよ…!こんなの、嘘だよ!皆、やめてよ!」
その光景を目の当たりにして旋毛は泣き叫ぶが、何の意味も持たない。
三体の従僕達の拳が同時に振り下ろされ、塗の身体を容赦無く貫いていった。
「…まあ、我々が出会えば、こうなるだろうなとは思っていた」
これも想定の内か、事態に反して彼の口調は落ち着いていた。
「此処からは私の自慢になるのだが、塗に授けた能力は機関の産み落とした生体兵器を全て取り込む事だ。そして、唯一にして最強の生体兵器として崩壊後の世界に君臨する事だ」
彼がそう言い切ると、塗を取り囲んでいた三体の従僕達に異変が起きた。
塗に突き刺した拳の先から、その身の崩壊が始まったのだ。
従僕達は次第に溶けていき、最後には塗の中へと取り込まれていった。
塗がこれまでに象っていた人の形を大きく崩し、醜悪な肉塊へとその姿を変貌させていく。
「クッ、クク…ローラとアンジェーリカ、そしてエヴァ、生体兵器一号から三号は吸収した。旋毛型、お前も私の中に取り込んでやろう―」
体液を滴らせた肉の海が旋毛に向かってゆっくりと押し寄せていく。
抵抗する意思も手段も既に無い。
旋毛が取り込まれる寸前の所で後方から一つの貫手が割って入り、塗を遮った。
「この能力は…?腕お姉ちゃん!」
現われたのは人工進化促進研究機関によって作り出された生体兵器のプロトタイプ、腕型。
旋毛と繋がっている意識の海に広がった大きな波紋。それを察して彼女は此処まで来た。
「実験体であるお前も崩壊後の世界で目覚めていたのか。流石は私の作った生体兵器だ」
「……」
腕は何やら声を発する妙な肉の塊に刃物の様な鋭い視線を突き付ける。
「腕型。私はお前の過去の記憶を知っているぞ?塗に取り込まれれば、我々に加われば、その知識も共有される」
「……」
「どうだ?居心地は悪くないと思うが…」
「…過去に執着する程女々しくはないの。抱いて眠るのは自分が生体兵器だという事実一つで十分よ」
「そうか…ならば、旋毛型と一緒に力ずくでお前を取り込むとしよう」
その声と共に、肉の海と化した塗から腕の貫手に酷似したモノが何本も生成される。
それは標的である腕と旋毛を目指して、真っ直ぐに伸びていく。
一本一本は腕のソレと比べるとか細いのだが、多方向から襲い掛かる為に性質が悪い。
腕はそれを必死に貫手で薙ぎ払うのだが、それらの生成は絶えず行われており、攻勢に転じる事が出来ない。
「くっ…!」
旋毛を庇う事を優先して貫手を運用している為、撃ち漏らした分はその身で受けていた。
これは体感だが、時間の経過と共に塗の攻撃のペースは次第に上がっている様に思えた。
たった一つの貫手だけで、妹を、旋毛を守り切る事に限界があると感じた腕は力を篭める。
「嫌だわ、自分を乗り越えるだなんて、そんな疲れる事…!」
彼女がそう言い放つのと同時に、二本目の貫手が地面を突き破って現れた。
圧倒的な質量を持った二つの貫手が、塗の攻撃を捌き切る。
しかし、腕型本来のコンセプトは単一の貫手の操作を想定しデザインされている。
二本の貫手を制御する事によって腕の肉体に掛かる負荷はその範疇を超えている。
「…ッ!」
「お姉ちゃんッ!」
突如、腕の身体から勢い良く鮮血が噴き出す。
「ああ、やっぱり…頭も痛くなるわね。私のスペックじゃ、旋毛みたいにはいかないか」
「お姉ちゃん…駄目だよ!こんな事を続けていたら、お姉ちゃんが死んじゃうよ!」
だからと言って、止める訳にはいかない。
此処で防ぐ手立てを緩めれば二人共、あの醜悪な肉塊に取り込まれてしまう。
状況を打開する策も無いが、引き下がるにも下がれない。
そんな絶望的な状況下に降りる、旋毛からの言葉―
「お姉ちゃん」
「今、長話は出来ないわよ」
「私の最期のお願い、聞いてくれる?」
「…何ですって?」
「多分ね、統合プログラムとしての私の能力を最大限に使えば、塗を、パパを制御出来るかもしれない…」
「…どういう、事?」
「今、こうしてお姉ちゃんと喋れているけど、そういうの、全部切り捨てて、全てを統合して沈静化させる事を優先するの」
「そんな事をしたら…」
「うん。だからね、最期のお願いなの。お姉ちゃん、私が今からこの身体の統合を解除するから、散らばった私をお姉ちゃんの能力で変換して、塗を…パパを貫いて」
「ふざけないでッ!そんな事、出来る訳無いでしょう!」
「でも、ここでこうしていても、二人共いずれ取り込まれちゃうよ…後は私が何とかしてみせるから」
「…そんな、そんな事」
「お姉ちゃん、私に言ったでしょ。前に進む為の殺しをしなさいって…だからね、私はお姉ちゃんを前に進める為だったら自分を殺せるよ」
「違う…違うわ!あれは、そんなつもりで言ったんじゃ無い―」
「大丈夫。私なんて元々0と1のデータが集まっただけの存在だもの、お姉ちゃんが心を傷める必要なんて、何処にも無いよ?」
「……」
優しく微笑む旋毛、それとは対照的に泣き崩れる腕―
「それにさ、会ってみたら酷いパパだったけど、一緒に暮らしてれば考え直してくれるかもしれないし、ね…?」
腕と旋毛がやり取りをしているその間。
塗からの攻撃は止んでいたが、二人を取り込む事を決して諦めた訳では無い。
二本の貫手を相手に、小出しの攻撃では効力が薄いのだと判断し、時間を掛けて単一の強大な手段を生成していたのだ。
自らが作り上げた生体兵器達を呑み干し、最強の生体兵器として君臨する準備は整った。
男の醜悪な意思を篭めた貫手が二人をめがけて猛スピードで迫る。
それは腕型の生成する貫手の質量を大きく上回っている。
「…お姉ちゃん!急いでっ!」
「…ッ!」
そう言って旋毛は、自身に掛けていた肉体の統合プログラムを解除した。
その瞬間、旋毛の意識は消え去り、腕の目の前で彼女の肉体は崩壊を起こし、千切れていく。そして、発動する生体兵器、腕型の能力―
周辺の物質を集積し、腕の意思で操作する巨大な貫手を作り出す。
(こんな、こんな能力の使い方なんて、したくはなかった…)
花びらの様に散った旋毛のベース体を変換して、一つの貫手が生成される。
その大きさだが、塗が生成していた貫手より二回りも小さい。
ただ、その中には統合プログラムである〝旋毛〟を内包している。

「ふん、出来損ないの旋毛型が何をやったかは知らんが…つまらん小細工ッ!」
「あの子は私のかけがえのない妹だった…出来損ないは、貴方の方だわ!」
腕が手をかざすと、接近する肉塊へと立ち向かう様に貫手が放たれていった。
貫手と貫手とが対となり、真っ向からぶつかる形。
腕の意思によって、切っ先を絞った鋭利な貫手が塗のソレに突き刺さる。
此処からは、力と力のせめぎ合い。
しかし、傍目から見ると、塗が押し込み、腕が押し負けている様だった。
当然の結果だ。質量の点で塗より劣る腕の貫手は、次第にパワー負けを引き起こしていた。
そして、塗の能力は腕の貫手すらも侵食し取り込み始めていた。
「クッ…ククク、このゲームは初めから私の勝ちだった様だな、腕型」
塗に操作系統を乗っ取られた貫手が逆流し、押し寄せる肉塊となって腕に襲い掛かる。
迫り来る肉の海が腕の視界を絶望の色で塗り潰す。
「…ッ!」
腕はその瞬間に思った。
妹を、旋毛を、自分の無責任な言葉で押し出してこんな目に遭わせてしまった事。
だから、そんな自分も目の前の醜悪な生体兵器に取り込まれて然るべきなのだと、そんな後悔の念を抱きながら、目を閉ざした。
しかし、腕まであと僅か一寸という所で血肉の波は、塗の動きはぴたり、と静止した。
「……?」
自分の意識がまだ残っている事に違和感を感じた腕が、ゆっくりと、その目を開く。
目の前に在るのは貫手同士の衝突によって飛散した肉片と体液。
そして、先程まで腕を取り込もうと迫っていた塗は、今ではその勢いを完全に失って地面にへたり込んでいた。
統合プログラム、旋毛が正常に走り、働き始めたのだろうか。
その様子を見るに、塗が再び動き出す気配は微塵も無い様に思えた。
腕の意識の海の中には、もう誰も居ない。
彼女とやり取りを交わす事はもう出来ない為、確認する術は無かったが腕には旋毛がこう言っている様に思えた。
「ありがとう、お姉ちゃん、皆と一緒になれたよ」と。

………

フォルダ名、旋毛から
動画ファイル、腕お姉ちゃんへ

旋毛は肉体の統合を解除する前に、私に電子記憶媒体を預けた。
今、山猫の部屋から勝手に借りた読み取り装置に掛けて中身を閲覧していると一つの動画ファイルが検出された。

【このファイルを再生しますか?】

装置が向けるその問いに、いいえと答えるつもりで項目の上にカーソルを置いた。
旋毛が自身の命と引き換えに塗を押さえ込んだ後。
第一区画の瓦礫の海の上で私はひたすら哭いた。
こんなものを見てしまったら、多分、きっと、また…

【このファイルを再生しますか?】

読み取り装置が、去ってしまった彼女を、旋毛の影を突き付ける。
私は、カーソルを反対方向へと動かした―

………

「…ええと、これ―映ってるのかな?」
画面に映るのは元気な旋毛の姿。
「やっほー!腕お姉ちゃん!もしも、万が一の事があるかと思ってね…こうやって映像を残しておきましたっ!ぶいっ!」
彼女がくるりと回ると、銀色の髪がさらりとなびいた。
それは、私に懐いていた彼女が何度も見せてくれた光景だ。
「えっと、ええーっと、…こういうの、何から話したら良いのか分からなくなるんだけど、これだけはお姉ちゃんに伝えたかったんだ…」
少しかしこまった様子の彼女が一呼吸置いてから、再び口を開く。
「その…ありがとう!ってね。あははっ、改まって言うの、何だか照れ臭いや…」
彼女が曇りの無い笑顔を浮かべる、その頬は少しばかり赤くなっていた。
「腕お姉ちゃんは、少しどころか大分面倒臭いけれど、自分の言った言葉の意味を良く理解していて、覚えている優しい人だから、多分、自分の事を責めていると思うんだ」
「…うん」
腕から、不意に言葉が洩れる。
モニターに映っている旋毛に向かって彼女は無意識に頷いていた。
「だからね、だからこそ…お姉ちゃんにはありがとうって言いたかったんだ」
「……」
「お姉ちゃんが私を第二区画の研究所跡から連れ出してくれたから、私だけのメモリー、いっぱい、出来たよ!」
「……!」
「えっ…嘘!アンジェーリカ、もう容量無いの?ああ、えっと、それじゃあね、お姉ちゃん!私の事、忘れない様にたまに見返…」
映像は突然暗転し、強引にプツンと途切れてファイルの再生は終わってしまった。
腕はもう途中から画面を直視する事が出来ず、旋毛のその声だけを受け止めていた。
「さようなら、旋毛―」
そう言って彼女は顔を上げ、その動画ファイルを記憶メディアから削除した。
自分には統合プログラム等ではない、旋毛というかけがえのない妹が確かに居た。
腕は、それを忘れない様に自身の記憶に彼女を刻み付けて生きていこうと、そう思った。
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