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カラス
返り討ち
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「ちょっと、カラス、何なんだよ」
不意打ちで力いっぱい蹴り飛ばしてやったから、さしものモズもそれなりの痛手を受けたようだ。脇腹をさすりながら立ち上がり険のある声で言う彼からは、色濃い殺気が漂ってきている。
カラスはモズにチラリと目を走らせてから、寝転がったままポカンと彼を見上げている少女を見やった。心底から驚いているらしい巴は元々丸い目を更に大きく見開いていて、間抜けだ。いつもの落ち着き払った彼女の仮面が剥がれ、年齢よりも幼く見える。
思わず、喉の奥で笑みを漏らしてしまう。
微かな声だった筈だが、それは巴の耳にも届いたようで、彼女はムッと口を尖らせた。
「なぜ、そこで笑うんです?」
「お前の顔が面白いからに決まってるだろう」
平然と返してやると、巴は更に頬を膨らませた。そんな彼女の両脇に手を挿し込んで持ち上げる。ちゃんと立てるところを見れば、怪我らしい怪我はないのだろう。モズを相手によく凌いだものだと、カラスは少なからず感心する。
「殺されるのが嫌になったのか?」
「え?」
きょとんと首をかしげた巴に、カラスは顎で薙刀を指して言葉を付け足した。
「あれ、お前のだろ? あいつとやりあったんじゃねぇの? おとなしく殺されんのが、我慢ならなくなったんじゃねえのか?」
「……わたくしの命を奪うのは、あなただった筈です」
「何だよ、俺ならいいのか」
呆れた声で言ったカラスの台詞に、巴は少し視線を揺るがせた。その様に、彼は「おや?」と思う。いつもなら、即座に肯定が返ってきていた筈だ。
更に言葉を重ねようとしたカラスだったが、背後から漂ってくるものに、チッと小さく舌打ちをした。せっかく面白い所を見せてくれたというのに、どうやら、ゆっくりと巴をからかう時間はないらしい。
「部屋の隅に行ってろよ」
「え?」
「巻き添え食うぞ」
「……あの人は、あなたのお仲間ではないのですか?」
眉をひそめた巴が首をかしげてそう訊いてくるのへ、カラスは肩を竦めて返した。
「俺に仲間なんぞいねぇよ。ただ同じ巣で暮らしてただけだ」
「それって、お仲間だということでは……?」
「知らねぇよ」
「でも……あなたの立場が……」
どうやら、彼が『伏せ籠』に帰れなくなることを案じているらしい。本気で莫迦なのかと呆れてしまう。
「いいから、行けって」
まだ愚図愚図している巴を、再三促す。と、そこに。
「ああ、もう! 腹が立つなぁ!」
苛立ちを隠そうともしない声が、二人の間に割って入る。
振り返れば、匕首の背で肩口を叩きながら、モズが二人に剣呑この上ない眼差しを注いでいた。
「オレのこと無視しないでくれる? で、どうすんの、カラス? オレとやるわけ? もしもここでオレに勝ったとしても、他の奴らに追われるぜ?」
カラスにとってはどうということも無い台詞だった。だが、隣からは、ハッと息を呑む音がする。見下ろせば、少女は一歩彼から遠ざかり、唇を噛み締めていた。
再びモズに視線を戻し、カラスは薄く嗤う。
「つべこべ抜かしてんじゃねぇよ。さっさとやるぞ」
「余裕じゃないの。やるなら確実に息の根止めときなよ?」
言いながら匕首を構えたモズから目を離さず、カラスはもう一度巴に声をかけた。
「おら、邪魔だ。あっちへ行っとけ」
そうして、後は彼女を振り返ることなくモズへと対峙する。
カラスに武器はない。その必要はない。
特に構えることなく、数歩モズに近づいた。
どちらも、互いの隙を窺うなど意味がないことだと知っている。
無言のままに、一歩を踏み出したのはモズの方からだった。トントン、と音を立てない軽い足取りでカラスに迫ると、逆手に持った匕首を続けざまに繰り出してくる。正確に首を狙うその刃を紙一重で躱しながら、さてどうしたものかとカラスは考える。
モズを殺してしまうのが一番手っ取り早い。その方が、彼の出奔が『伏せ籠』に知られるまでに、少しは時間を稼げるだろう。
だが。
ほんの一瞬、カラスは後方に目を走らせた。両手を胸の前で組んでこちらを凝視している巴の姿が視界をかすめる。
チッと内心で舌打ちをして、カラスは眉間にしわを寄せた。
「ちょっと、何余裕ぶってよそ見してんのさ」
口を尖らせたモズは瞬時に匕首を順手に持ち替えると、肋の下から抉り込むように突き上げてくる。だが、その切っ先が触れる寸前、カラスは彼の手首を捉えた。そのまま振り回すようにしてうつ伏せに組み伏せる。モズは確かに敏捷だが、カラスとの体格の差は明らかで、捕まえてしまいさえすれば手こずることはなかった。
「悪いな、余裕なんだよ」
モズの背中を踏み付けて、カラスはそう言ってやる。そうして、掴んでいた腕をグイと引っ張り上げた。
ゴキリ、と、鈍い音が響く。
「ッ!」
肩の関節が外れた腕は、手放すとダラリと落ちた。唇を噛んで呻き声を殺したモズが、恨めしそうな眼差しをカラスに据える。左手でも戦えるだろうが、利き手が使えなければモズにはまず勝ち目はあるまい。モズ自身がそれをよく解かっているから、落ちた匕首は床に転がったままだ。
かかってくれば、殺す口実ができるのだがな、と思いつつカラスは敗者に背を向けると、部屋の隅に佇む巴のもとに歩み寄った。
「行くぞ」
無造作に、そう声をかける。
だが、巴はキョトンと目を丸くして彼を見上げてきた。まるで彼の言葉が解からない、という風情で。
「……どこへ?」
「はあ?」
カラスにしてみれば、何故彼女が戸惑うのかということの方が理解不能だった。
巴が生きている限り、『伏せ籠』は『鳥』を送ってくるだろう。しかし、カラスはこの屋敷に居座るわけにはいかない。カラスがいなければ、巴はすぐに殺される。巴が自分以外の者に殺されるのは気に食わない。となれば、彼女にはカラスについていく以外の道はない。
至極自明の理だ――カラスの頭の中では。
「俺と来い。お前が『死にたくない』と言うまでは連れ回してやる」
「でも、わたくしはこの家を放り出すわけには……」
「要は、お前がいなければいいんだろ? この屋敷から消えちまえばいいじゃないか」
「消える……?」
「ああ。そうすりゃ、親戚のヤツが好きなようにできるだろ。この屋敷にいなけりゃ、お前は死んだも同然だ」
彼の言葉に、巴がしばしばと瞬きをする。
「死んだも、同然……」
だいぶ気持ちは傾きつつあるようだが、まだ『応』とは言わない。愚図愚図していたら、家の者が来てしまうだろう。痺れを切らしたカラスは、いつぞやのように巴の腰に腕を回し、小脇に抱える。
「ちょっと、待ってください、カラス! わたくしはまだ行くとは言っていません!」
ジタバタともがく巴はきれいに無視して、カラスは廊下へ向かった。騒ぎが外には漏れていないのか、あるいは気付きながらも息を潜めているのか、巴の部屋の周りはシンと静まり返ったままだ。
途中、右肩を抱えたモズの脇を通り抜ける時に、彼からは呆れたような声がかけられた。
「何考えてんだよ、カラス。『伏せ籠』を敵に回すんだぞ? そんなお荷物抱えてたら、逃げ切れないんじゃないの?」
「ああ?」
「その子置いてって、逃げたらいいじゃないか。オレを殺さないなら、八咫様に言うからな。カラスは『伏せ籠』を裏切ったって」
「好きにしろよ」
モズの台詞には肩をすくめて返すにとどめておいた。カラス自身、別に深い何かを考えての行動ではない。ただ、巴を殺す気がないから殺さない、このまま置いておいたら他の奴に殺されるから連れて行く、それだけだ。モズの返事は待つことなく、さっさと部屋を出て行こうとする。
そんな彼の背中を、ぼそりとこぼしたモズの声が追った。
「余裕綽々で超然としてるんじゃなくて、何も考えてないだけじゃないか」
その瞬間、腕の中でもがいていた巴の動きがピタリと止まる。視線を感じて腕の中を見下ろすと、じっと見つめてくる彼女の眼差しがあった。
「何だよ」
「……いいえ」
「なら、行くぞ」
「あ!」
黙って縁側に足を進めるカラスに、再び巴が待ったをかける。
そんなに行きたくないのかと眉をひそめた彼に、巴が細い指を伸ばして一点に向けた。
「あれを……おばあ様の形見なんです」
その先にあるのは、小ぶりな薙刀だ。踵を返して戻ると、それを拾う。
「これでいいんだな?」
ついてくるのか、という意味も含んで、巴に問いかける。その言外の含みも汲み取ったのかどうかは判らない。だが、彼女はしっかりとした眼差しで頷きを返した。
不意打ちで力いっぱい蹴り飛ばしてやったから、さしものモズもそれなりの痛手を受けたようだ。脇腹をさすりながら立ち上がり険のある声で言う彼からは、色濃い殺気が漂ってきている。
カラスはモズにチラリと目を走らせてから、寝転がったままポカンと彼を見上げている少女を見やった。心底から驚いているらしい巴は元々丸い目を更に大きく見開いていて、間抜けだ。いつもの落ち着き払った彼女の仮面が剥がれ、年齢よりも幼く見える。
思わず、喉の奥で笑みを漏らしてしまう。
微かな声だった筈だが、それは巴の耳にも届いたようで、彼女はムッと口を尖らせた。
「なぜ、そこで笑うんです?」
「お前の顔が面白いからに決まってるだろう」
平然と返してやると、巴は更に頬を膨らませた。そんな彼女の両脇に手を挿し込んで持ち上げる。ちゃんと立てるところを見れば、怪我らしい怪我はないのだろう。モズを相手によく凌いだものだと、カラスは少なからず感心する。
「殺されるのが嫌になったのか?」
「え?」
きょとんと首をかしげた巴に、カラスは顎で薙刀を指して言葉を付け足した。
「あれ、お前のだろ? あいつとやりあったんじゃねぇの? おとなしく殺されんのが、我慢ならなくなったんじゃねえのか?」
「……わたくしの命を奪うのは、あなただった筈です」
「何だよ、俺ならいいのか」
呆れた声で言ったカラスの台詞に、巴は少し視線を揺るがせた。その様に、彼は「おや?」と思う。いつもなら、即座に肯定が返ってきていた筈だ。
更に言葉を重ねようとしたカラスだったが、背後から漂ってくるものに、チッと小さく舌打ちをした。せっかく面白い所を見せてくれたというのに、どうやら、ゆっくりと巴をからかう時間はないらしい。
「部屋の隅に行ってろよ」
「え?」
「巻き添え食うぞ」
「……あの人は、あなたのお仲間ではないのですか?」
眉をひそめた巴が首をかしげてそう訊いてくるのへ、カラスは肩を竦めて返した。
「俺に仲間なんぞいねぇよ。ただ同じ巣で暮らしてただけだ」
「それって、お仲間だということでは……?」
「知らねぇよ」
「でも……あなたの立場が……」
どうやら、彼が『伏せ籠』に帰れなくなることを案じているらしい。本気で莫迦なのかと呆れてしまう。
「いいから、行けって」
まだ愚図愚図している巴を、再三促す。と、そこに。
「ああ、もう! 腹が立つなぁ!」
苛立ちを隠そうともしない声が、二人の間に割って入る。
振り返れば、匕首の背で肩口を叩きながら、モズが二人に剣呑この上ない眼差しを注いでいた。
「オレのこと無視しないでくれる? で、どうすんの、カラス? オレとやるわけ? もしもここでオレに勝ったとしても、他の奴らに追われるぜ?」
カラスにとってはどうということも無い台詞だった。だが、隣からは、ハッと息を呑む音がする。見下ろせば、少女は一歩彼から遠ざかり、唇を噛み締めていた。
再びモズに視線を戻し、カラスは薄く嗤う。
「つべこべ抜かしてんじゃねぇよ。さっさとやるぞ」
「余裕じゃないの。やるなら確実に息の根止めときなよ?」
言いながら匕首を構えたモズから目を離さず、カラスはもう一度巴に声をかけた。
「おら、邪魔だ。あっちへ行っとけ」
そうして、後は彼女を振り返ることなくモズへと対峙する。
カラスに武器はない。その必要はない。
特に構えることなく、数歩モズに近づいた。
どちらも、互いの隙を窺うなど意味がないことだと知っている。
無言のままに、一歩を踏み出したのはモズの方からだった。トントン、と音を立てない軽い足取りでカラスに迫ると、逆手に持った匕首を続けざまに繰り出してくる。正確に首を狙うその刃を紙一重で躱しながら、さてどうしたものかとカラスは考える。
モズを殺してしまうのが一番手っ取り早い。その方が、彼の出奔が『伏せ籠』に知られるまでに、少しは時間を稼げるだろう。
だが。
ほんの一瞬、カラスは後方に目を走らせた。両手を胸の前で組んでこちらを凝視している巴の姿が視界をかすめる。
チッと内心で舌打ちをして、カラスは眉間にしわを寄せた。
「ちょっと、何余裕ぶってよそ見してんのさ」
口を尖らせたモズは瞬時に匕首を順手に持ち替えると、肋の下から抉り込むように突き上げてくる。だが、その切っ先が触れる寸前、カラスは彼の手首を捉えた。そのまま振り回すようにしてうつ伏せに組み伏せる。モズは確かに敏捷だが、カラスとの体格の差は明らかで、捕まえてしまいさえすれば手こずることはなかった。
「悪いな、余裕なんだよ」
モズの背中を踏み付けて、カラスはそう言ってやる。そうして、掴んでいた腕をグイと引っ張り上げた。
ゴキリ、と、鈍い音が響く。
「ッ!」
肩の関節が外れた腕は、手放すとダラリと落ちた。唇を噛んで呻き声を殺したモズが、恨めしそうな眼差しをカラスに据える。左手でも戦えるだろうが、利き手が使えなければモズにはまず勝ち目はあるまい。モズ自身がそれをよく解かっているから、落ちた匕首は床に転がったままだ。
かかってくれば、殺す口実ができるのだがな、と思いつつカラスは敗者に背を向けると、部屋の隅に佇む巴のもとに歩み寄った。
「行くぞ」
無造作に、そう声をかける。
だが、巴はキョトンと目を丸くして彼を見上げてきた。まるで彼の言葉が解からない、という風情で。
「……どこへ?」
「はあ?」
カラスにしてみれば、何故彼女が戸惑うのかということの方が理解不能だった。
巴が生きている限り、『伏せ籠』は『鳥』を送ってくるだろう。しかし、カラスはこの屋敷に居座るわけにはいかない。カラスがいなければ、巴はすぐに殺される。巴が自分以外の者に殺されるのは気に食わない。となれば、彼女にはカラスについていく以外の道はない。
至極自明の理だ――カラスの頭の中では。
「俺と来い。お前が『死にたくない』と言うまでは連れ回してやる」
「でも、わたくしはこの家を放り出すわけには……」
「要は、お前がいなければいいんだろ? この屋敷から消えちまえばいいじゃないか」
「消える……?」
「ああ。そうすりゃ、親戚のヤツが好きなようにできるだろ。この屋敷にいなけりゃ、お前は死んだも同然だ」
彼の言葉に、巴がしばしばと瞬きをする。
「死んだも、同然……」
だいぶ気持ちは傾きつつあるようだが、まだ『応』とは言わない。愚図愚図していたら、家の者が来てしまうだろう。痺れを切らしたカラスは、いつぞやのように巴の腰に腕を回し、小脇に抱える。
「ちょっと、待ってください、カラス! わたくしはまだ行くとは言っていません!」
ジタバタともがく巴はきれいに無視して、カラスは廊下へ向かった。騒ぎが外には漏れていないのか、あるいは気付きながらも息を潜めているのか、巴の部屋の周りはシンと静まり返ったままだ。
途中、右肩を抱えたモズの脇を通り抜ける時に、彼からは呆れたような声がかけられた。
「何考えてんだよ、カラス。『伏せ籠』を敵に回すんだぞ? そんなお荷物抱えてたら、逃げ切れないんじゃないの?」
「ああ?」
「その子置いてって、逃げたらいいじゃないか。オレを殺さないなら、八咫様に言うからな。カラスは『伏せ籠』を裏切ったって」
「好きにしろよ」
モズの台詞には肩をすくめて返すにとどめておいた。カラス自身、別に深い何かを考えての行動ではない。ただ、巴を殺す気がないから殺さない、このまま置いておいたら他の奴に殺されるから連れて行く、それだけだ。モズの返事は待つことなく、さっさと部屋を出て行こうとする。
そんな彼の背中を、ぼそりとこぼしたモズの声が追った。
「余裕綽々で超然としてるんじゃなくて、何も考えてないだけじゃないか」
その瞬間、腕の中でもがいていた巴の動きがピタリと止まる。視線を感じて腕の中を見下ろすと、じっと見つめてくる彼女の眼差しがあった。
「何だよ」
「……いいえ」
「なら、行くぞ」
「あ!」
黙って縁側に足を進めるカラスに、再び巴が待ったをかける。
そんなに行きたくないのかと眉をひそめた彼に、巴が細い指を伸ばして一点に向けた。
「あれを……おばあ様の形見なんです」
その先にあるのは、小ぶりな薙刀だ。踵を返して戻ると、それを拾う。
「これでいいんだな?」
ついてくるのか、という意味も含んで、巴に問いかける。その言外の含みも汲み取ったのかどうかは判らない。だが、彼女はしっかりとした眼差しで頷きを返した。
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