闇に飛ぶ鳥

トウリン

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トビ

迷い

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(相変わらず、コソコソ隠れるのだけは巧い奴だな)
 トビの第一撃を躱して木々の間に身を潜めたカラスは、霞のような彼の気配を探り、胸の内で毒づいた。本気で陰伏されると、トビはやはり厄介な相手だ。

 木立から現れたトビの姿を目にした瞬間、カラスは地面の礫を拾い、投げつけた。わずかに彼の意識が二人から逸れた瞬間に巴を堂の中に放り込むようにして追いやって、カラス自身も動いた。
 だが、そうやって最後にトビを見かけた場所へ辿り着いても、そこに誰かがいたという痕跡は欠片も見当たらなかった。トビがどの方向へ動いたのかも、さっぱり見当も付かない。

(大っぴらに動くわけにもいかねぇしな)
 一番避けたいのは、巴が奪われることだ。彼女が無防備な状態でいることをトビに知られるわけにはいかない。
 もしも巴が独りきりであの堂に隠れていることがトビに知られれば、特攻をかけられかねない。あんな薄い木の板でできた壁では、目隠しにはなっても盾にはならないだろう。続けざまに弾を撃ち込まれたら、どれか一発は彼女にかすってしまうかもしれなかった。
 トビが銃を撃てば、その弾道を辿って居場所を知ることができる。
 だが、その銃口を向けられる先が巴であってはならなかった。

 カラスがトビの前に姿を見せたとしても、きっと奴は無視するだろう。
 そんな考えが彼の頭の中をよぎったが、一方で、果たしてそうだろうかという声も浮かぶ。
 うるさい番犬を殺してから獲物に近付くというのは、彼も良く使う手だ。カラスを仕留めてから、ゆっくりと巴を追うつもりなのかもしれない。

 巴など、カラスさえいなければどんなふうにも料理できる。トビはモズのように殺しを好む男ではない。だが、八咫たち上層部がカラスの出奔を巴の所為だと考えているなら、見せしめとして彼女にむごい死を与えるような命が下されているかもしれない。今後、万が一にもカラスと同じ理由で『伏せ籠』に歯向かうものが現れることのないように。
 刹那、無防備な彼女をトビがいいように扱う様が脳裏に閃き、激しい怒りがカラスを襲った。『伏せ籠』では一瞬にして命を奪う術を教え込まれるが、同時に、最大限まで苦痛を引き出してから死に至らしめる方法もまた、学ぶのだ。
 どんな強者でも、自ら殺してくれと泣き叫ぶような方法を。

 もしも、巴がその餌食になったら――

 仮定だけで危うく全身から漏れ出そうになった殺気を、カラスは深い呼吸を繰り返して抑える。
 ――そんな羽目には絶対にならない。
 もしもトビがその照準を巴に向けたなら、人差し指の腹が引き金に触れる前に息の根を止めてやる。
 カラスは拳を固めてそう胸の内で誓うが、実際のところ、今は奴の気配すらつかめていないことが実情だ。

(俺が出れば、俺を狙うか?)
 カラスの頭の中にはそんな一計も浮かんだ。
 肉を切らせて骨を切る、という奴だ。
 巴をいつまでもあんなところに押し込めておきたくない。彼女がいる場所が判っていても、視界に入っていなければ落ち着かない。
 一発や二発食らっても、急所にさえ当たらなければトビを見つけて息の根を止めることはできるだろう。それが一番手っ取り早い方法に思われた。

(万が一、当たり所が悪ければ……)

 カラスが死ぬ。

 それは、さほど問題ではない。
 彼は別に死を望んでいるわけではないが、それを恐れてもいない。
 だが――

(俺が死ねば、あいつも死ぬ)

 だから、死ぬわけにはいかない。
 巴の生存には、カラスの生存が必要だ。

 カラスにとって、戦いの場で死なないことを意識することは初めてだった。こんなふうに思いを巡らせることも。
 いつだって、指令を受けて標的の元へ向かい、殺す。それだけだった。
 迷うことは煩わしい。のに、巴に関わることであれば、その煩わしさが消え失せる。

「やるか」
 そうカラスが呟き、身構えたその時だった。

 バタン、と、唐突な音がその場の静寂を打ち破る。

 咄嗟に堂の方へと目を走らせたカラスが見たものは、開け放たれた観音開きの扉と、そこからまろび出る小さな紅の影だった。
「!? あの、バカ!」
 毒付きもそこそこに彼が巴の元へ駆け出そうとした直後に響く、鼓膜をつんざく銃声。
 一瞬、カラスの全身から血の気が引いた。だが、巴は無事だ。代わりに、彼女の少し後ろの木がパッと砕ける。
 しかし、彼に胸を撫で下ろす暇を与えず、次の銃声が轟いた。

 巴の元に走るのは、無駄だ。
 カラスは彼女の背から目を引きはがし、弾道を探る。

 三発目の銃声。

 ――あそこか。

 弾の出所。それを見極めると同時に、カラスの足は地面を蹴っていた。
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