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カワセミ
もう二度と
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一人にした巴の前にカワセミが現れることは目論み通り。
カワセミが巴を連れて逃げることも想定内で、崖っぷちで足止めを食わせるのはその次善の策だった。カワセミが崖から落ちてくれれば、言うことなしだ。
カラスが全く予期していなかったことは、落ちるカワセミを巴が助けようとすることで、ましてや、カワセミの毒の肌に巴が触れるなどという事態は、全く考えていなかったのだ。
まだ痺れの残る四肢に鞭打って、カラスは倒れ伏した巴に駆け寄った。抱き上げた華奢な身体は強張っている。
「巴!」
呼びかけても聞こえているのかいないのか。
腕の中の巴は、蒼白な顔に苦悶の表情を浮かべている。
巴がカワセミの肌に触れていたのはごく短い間に過ぎなかったから、通常ならば、浸透した毒は致死的な量にはなっていないはず。だが、巴は身体が小さく、大人よりも肌が薄い。予想よりも多い毒を食らっていてもおかしくはない。
(つまり、こいつが死ぬということか?)
カラスの頭の中をそんな考えがよぎった、刹那、今いる大地が揺らいだような気がした。ガラガラと音を立てて、崩れ落ちていくような気が。
腕の中の巴は、まだ、温かい。
これが、この温もりが失われるなど、許容できない。
「カワセミ!」
トビに引き上げられてから呆然と巴を見つめていたカワセミを呼ばわると、彼女は頬を張られたように身体をびくりとはねさせた。目をしばたたかせ、視線を巴からカラスへと移す。
「解毒剤を持っているだろう。寄こせ」
命じると、彼女は操り人形さながらに拒むことなく懐から取り出した小さな竹筒をカラスに渡した。
カラスはその中身を煽って巴と唇を合わせる。
呼吸もままならない彼女が嚥下できるのかが危ぶまれたが、ややして、こくりと喉が動くのが感じられた。
カラスは頭を上げて巴の顔を見つめる。
巴の容態に大きな変化はなく、カワセミの毒がどれほどその身を侵しているのか、解毒剤がどれほど功を奏しているのか、判らない。
まだ苦しげなそれを見るのは、とにかく不快だった。胸が焼けるような、えずくような、苛立ちと似た、だが、それとはどこか違う、もっと身の置き所がないような気分だった。
意識のない巴に対して、カラスは怒鳴ってやりたくなる。
カワセミには近づくな、触れるなと、言ったではないかと。
まだ、身を守るためにうっかり触れてしまったというのなら理解ができる。まさか、カワセミの命を助けるために、自分の命を放り出すような真似をするとは。
カラスには信じられなかった。
今まで数多の命を奪ってきたが、誰もが皆、見苦しいほどに命乞いをした。己の命を救うためなら、他人の命などいくらでも犠牲にして構わないという者ばかりだった。
ヒトとは、生物とはそういうものだと思っていた。
生きていれば己が一番。
そういうものだと、思っていた。
だから、油断した。安心していた。
巴も己の命を優先するはずだ、と。
だがしかし、振り返ってみれば、こうなる予兆はあったのだ。
そもそもの出逢い。カラスが巴を殺せなかった理由。
命よりも矜持を重んじる少女が、彼は理解できなかった。理解できずに興味を引かれ、いつの間にか手放せなくなった。
トビに襲われた時。
この少女は、我が身のことには無頓着だというのに、カラスの身に危険が迫れば後先も考えずに飛び出してきた。
命よりも、自分の中にある信念を貫くことを優先する。
業腹だが、それが、巴という人間なのだ。
結局、巴のことを理解せず、彼女をカラス自身の尺度に当てはめて動いたが故の失態だったのだ。
巴の喉から漏れた苦痛の呻きに、細い肩を包んでいたカラスの手に力がこもる。
(クソ)
もう二度と、こんな顔を見るのはごめんだ。
もう二度と、こいつにこんな顔はさせない。
その為にはどうするべきか。どうしたら良いのか。
巴はこれからも変わらない。変わって欲しいとも思えない。
ならば、答えは一つ。自分の思考、行動を変えるのだ。
カラスはそう心に決めた。
どうもしようがない焦燥に炙られながら、どれほど時間が過ぎたことだろうか。
いつしか巴の呼吸は穏やかになって、頬にも血の気が戻ってくる。それと共に、あれほど荒れ狂っていたカラスの胸中も不思議なほどに凪いだ。
「巴」
呼びかけると、扇のような睫毛が震えた。そしてゆっくりと目蓋が上がる。
その飴色の瞳がカラスを認めたと同時に発せられた言葉は。
「身体は、大丈夫ですか?」
「それはお前だ」
反射で返したカラスの胸中に込み上げてきたものは安堵だったのか呆れだったのか、判然としない。とにかく、全身から力が抜けた。
と、横でトビが噴き出す。
「なんかアホらしくなってくるよね。ここまで頭にお花が咲いてるとさ」
「どういう、意味ですか?」
眉をひそめた巴に、トビが肩をすくめて返す。
「ん? 住んでる世界が違うよねってことさ。一生僕らとは理解し合えないんだろうね」
「そんな、ことは」
「あるよ。まあでも、次元が違い過ぎるからムカつくのもバカらしくなってくるっていうかさ。僕らならまず間違いなく見殺しにするよ。というか、だいたいの人はそうなんじゃないの? 毒があるよ触ると死ぬよと解かっていて触るとか、有り得ないよね」
絶対、有り得ない、と、トビがかぶりを振って繰り返した時、それまで黙りこくっていたカワセミが口を開いた。
「知って、いたの?」
カワセミの視線が向けられているのはカラスの腕の中の巴だ。
「あたしのこと、知ってたの? 知ってたのに、何で……」
食い入るように巴を見つめたまま、疑念よりも驚愕の色が濃い声で、カワセミは繰り返した。
カワセミが巴を連れて逃げることも想定内で、崖っぷちで足止めを食わせるのはその次善の策だった。カワセミが崖から落ちてくれれば、言うことなしだ。
カラスが全く予期していなかったことは、落ちるカワセミを巴が助けようとすることで、ましてや、カワセミの毒の肌に巴が触れるなどという事態は、全く考えていなかったのだ。
まだ痺れの残る四肢に鞭打って、カラスは倒れ伏した巴に駆け寄った。抱き上げた華奢な身体は強張っている。
「巴!」
呼びかけても聞こえているのかいないのか。
腕の中の巴は、蒼白な顔に苦悶の表情を浮かべている。
巴がカワセミの肌に触れていたのはごく短い間に過ぎなかったから、通常ならば、浸透した毒は致死的な量にはなっていないはず。だが、巴は身体が小さく、大人よりも肌が薄い。予想よりも多い毒を食らっていてもおかしくはない。
(つまり、こいつが死ぬということか?)
カラスの頭の中をそんな考えがよぎった、刹那、今いる大地が揺らいだような気がした。ガラガラと音を立てて、崩れ落ちていくような気が。
腕の中の巴は、まだ、温かい。
これが、この温もりが失われるなど、許容できない。
「カワセミ!」
トビに引き上げられてから呆然と巴を見つめていたカワセミを呼ばわると、彼女は頬を張られたように身体をびくりとはねさせた。目をしばたたかせ、視線を巴からカラスへと移す。
「解毒剤を持っているだろう。寄こせ」
命じると、彼女は操り人形さながらに拒むことなく懐から取り出した小さな竹筒をカラスに渡した。
カラスはその中身を煽って巴と唇を合わせる。
呼吸もままならない彼女が嚥下できるのかが危ぶまれたが、ややして、こくりと喉が動くのが感じられた。
カラスは頭を上げて巴の顔を見つめる。
巴の容態に大きな変化はなく、カワセミの毒がどれほどその身を侵しているのか、解毒剤がどれほど功を奏しているのか、判らない。
まだ苦しげなそれを見るのは、とにかく不快だった。胸が焼けるような、えずくような、苛立ちと似た、だが、それとはどこか違う、もっと身の置き所がないような気分だった。
意識のない巴に対して、カラスは怒鳴ってやりたくなる。
カワセミには近づくな、触れるなと、言ったではないかと。
まだ、身を守るためにうっかり触れてしまったというのなら理解ができる。まさか、カワセミの命を助けるために、自分の命を放り出すような真似をするとは。
カラスには信じられなかった。
今まで数多の命を奪ってきたが、誰もが皆、見苦しいほどに命乞いをした。己の命を救うためなら、他人の命などいくらでも犠牲にして構わないという者ばかりだった。
ヒトとは、生物とはそういうものだと思っていた。
生きていれば己が一番。
そういうものだと、思っていた。
だから、油断した。安心していた。
巴も己の命を優先するはずだ、と。
だがしかし、振り返ってみれば、こうなる予兆はあったのだ。
そもそもの出逢い。カラスが巴を殺せなかった理由。
命よりも矜持を重んじる少女が、彼は理解できなかった。理解できずに興味を引かれ、いつの間にか手放せなくなった。
トビに襲われた時。
この少女は、我が身のことには無頓着だというのに、カラスの身に危険が迫れば後先も考えずに飛び出してきた。
命よりも、自分の中にある信念を貫くことを優先する。
業腹だが、それが、巴という人間なのだ。
結局、巴のことを理解せず、彼女をカラス自身の尺度に当てはめて動いたが故の失態だったのだ。
巴の喉から漏れた苦痛の呻きに、細い肩を包んでいたカラスの手に力がこもる。
(クソ)
もう二度と、こんな顔を見るのはごめんだ。
もう二度と、こいつにこんな顔はさせない。
その為にはどうするべきか。どうしたら良いのか。
巴はこれからも変わらない。変わって欲しいとも思えない。
ならば、答えは一つ。自分の思考、行動を変えるのだ。
カラスはそう心に決めた。
どうもしようがない焦燥に炙られながら、どれほど時間が過ぎたことだろうか。
いつしか巴の呼吸は穏やかになって、頬にも血の気が戻ってくる。それと共に、あれほど荒れ狂っていたカラスの胸中も不思議なほどに凪いだ。
「巴」
呼びかけると、扇のような睫毛が震えた。そしてゆっくりと目蓋が上がる。
その飴色の瞳がカラスを認めたと同時に発せられた言葉は。
「身体は、大丈夫ですか?」
「それはお前だ」
反射で返したカラスの胸中に込み上げてきたものは安堵だったのか呆れだったのか、判然としない。とにかく、全身から力が抜けた。
と、横でトビが噴き出す。
「なんかアホらしくなってくるよね。ここまで頭にお花が咲いてるとさ」
「どういう、意味ですか?」
眉をひそめた巴に、トビが肩をすくめて返す。
「ん? 住んでる世界が違うよねってことさ。一生僕らとは理解し合えないんだろうね」
「そんな、ことは」
「あるよ。まあでも、次元が違い過ぎるからムカつくのもバカらしくなってくるっていうかさ。僕らならまず間違いなく見殺しにするよ。というか、だいたいの人はそうなんじゃないの? 毒があるよ触ると死ぬよと解かっていて触るとか、有り得ないよね」
絶対、有り得ない、と、トビがかぶりを振って繰り返した時、それまで黙りこくっていたカワセミが口を開いた。
「知って、いたの?」
カワセミの視線が向けられているのはカラスの腕の中の巴だ。
「あたしのこと、知ってたの? 知ってたのに、何で……」
食い入るように巴を見つめたまま、疑念よりも驚愕の色が濃い声で、カワセミは繰り返した。
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